11. 手品師の茶会
フィンドールは奇術士であり、機術士でもあるらしい。
機術というのは、元々はクロアドゥールの時計職人たちがより精巧な時計を作るために様々な技術を開発していく過程で発展していったもので、人が手で直接モノを動かすのではなく、歯車や発条などを用いて――曰く〝機械的〟な仕組みで動く自動装置を作る技術のことなのだそうだ。
例えばこのガルガンチュア――という名前らしい〝機巧式黒鉄馬車〟とやらも、機術士である彼が自分で設計図というものを書き起こし、木材と鋼鉄からなる部品を作り、それを組み立てて造ったのだという。
フィンドールはやたらと熱のこもった口調でそのような説明をしつつ、シエルにとっては初めて見る自動装置である〝瞬間湯沸かし器〟をテーブルの上で実際に動かしてみせた。
見た目は銀色の金属の箱にたくさんの導管や弁、時計の文字盤のような複数の計器、そのほか様々な金属部品が用途不明の装飾のようにゴテゴテとくっついていて、火を起こしたわけでもないのに、側面の把手をガコンと押し下げただけで、なぜか数分後にはシュウシュウと白い煙を吐き出し始めた。この箱の中で今、お湯が沸いているという。各部の名称だけならともかく、その仕組みについて説明されても――シエルからすれば、それが先ほどの〝奇術〟と何が違うのかさえわからない。
きっと、魔法なのだ。
奇術にしても機術にしても、シエルから見れば魔法と何ら変わりない。
フィンドールは下手な鼻歌をうたいながら白い陶製ティーポットに茶葉を入れ、湯沸かし器の丸いボタンを押しこんだ。するとどうだろう。箱本体の下部に突きだしている細い注ぎ口から――お湯が出た。
熱湯だ。
本当に、箱の中でお湯が沸いてしまった。
ふわっと甘い湯気を立ち上らせたティーポットに蓋をしたフィンドールは、次に懐から取り出したハンカチを片手にかぶせ、どうするのかと思った次の瞬間、
「!」
シエルはまたも息を飲んだ。
さっと引かれた布の下、何も持っていなかったはずの手に、陶器のティーカップが三つある。
「ま……また、奇術……?」
「ウフ」
どうやらこの道化めいた人物は、人を驚かせることがよほど好きなのか。
いちいち驚くシエルの反応を楽しむように笑うピエロの仮面でにっこり笑い、「はいどうぞ。熱いのでお気をつけて」とそのカップを一つシエルの前に置くフィンドール。どこからともなく取りだされたそのカップは、しかし、まだ空だ。困惑してフィンドールの顔を見上げようとしたシエルの鼻先を、不意にあたたかな湯気がかすめた。
え、とシエルは目の前のカップに視線を戻してびっくりした。
カップの中には、甘い湯気を立てる薄茶色のお茶が満たされていたからだ。
「香りが蜜のように甘いでしょう。とある辺境の珍しい紅茶なのですヨ。ささ、どうぞご遠慮なさらずに」
「は、はあ」
驚きながらも勧められるまま手に取ったカップのふちに口をつけ、おっかなびっくり中身を傾けようとしたそのとき、
「毒が入っているかもしれませんがネ」
「…………ッ!?」
とんでもない言葉に、思わずカップを落っことしてしまいそうになった。
「アハッ、冗談ですヨ?」
落としかけたカップを持ち直して顔を上げると、無毒であることを証明するようにぐいと一息で中身を飲み干した自分のカップの持ち手を指にひっかけてくるくる回し、フィンドールは悪びれた様子もなく愉快そうに笑っている。
シエルはひとまず気持ちを落ち着けようと、今度こそ紅茶を飲もうとした。が。
からっぽだった。
先ほどからずっと手に持っていたはずのカップの中には、なんと一滴の紅茶も入っていない。わたしは一口も飲んでいないのに。
『お嬢さん』
さすがに絶句していると、青年が見かねたように語りかけてきた。
『すまない。あまり相手にしないほうがいい。反応があると気をよくしてしまうから』
まるで親の非礼を詫びる子供のような声音だった。
フィンドールは上品な所作で紅茶を飲みつつ、「おや、どうされました?」と不思議そうに首を傾げる。どうやら、シエルがせっかくのお茶をまったく飲んでいないことに気がついたらしい。――らしい、というのも白々しい話だけれど。
「もしや紅茶がお嫌いで?」
「そ、そういうわけじゃないですけど」
シエルは思わず助けを求めるように青年のほうを見てしまった。シエルの視線に気づいた彼は嘆息し、微笑とも苦笑とも呆れともつかない表情を浮かべた。そして何も言わず、シエルにお茶を勧めるような手振りをする。
まさか、とシエルは先ほど空になったはずのカップにこわごわと目を落とした。
やっぱり。
――入ってる。
もはや驚きの声も出ない。少し冷めているようだが、カップの中にはちゃんと紅茶が入っている。
どうぞと悪びれもなく笑いかけられ、シエルは少々ためらいながらも意を決してカップを取り、ほんの少しだけ飲んでみた。
「! ……おいしい」
「それはよかった」
ともあれそうしてようやくお茶の用意が整うと、上座についたフィンドールはおもむろに話を切り出した。
「さてお嬢サン」
「は、はい」
再び「コホン」と咳払いして居住まいを正し、テーブルの上で両手を組んだフィンドールに真面目な声で呼びかけられて、シエルは思わず背筋を伸ばす。するとフィンドールは、ふざけた仮面をつけているにもかかわらず貴公子然とした物腰で苦笑した。
「そう身構えずとも。私はこのように怪しい身なりをしてはおりますが、貴女に対して些かの害心も抱いてはおりません。ですが清く正しい教会暮らしの貴女からすれば素性の知れぬ旅芸人、決して不用意に心を許すべき相手でもありません。警戒心を抱くのは大変よいことであり、至極真っ当な反応であると申し上げておきましょう」
「あの」
「ハイ?」
「今、教会暮らしって」
「どうして知っているのかと疑問に思われたのですネ? それはとても簡単なことで、貴女が清楚で可憐な紺色の修道服をお召しになっていらっしゃいましたので。この町でそのお年頃でその服装と一目見れば、貴女が聖エルフィーヌ教会で天使様の庇護を受けながら暮らす教会孤児であるということは誰でもすぐにわかることなのですヨ。衣服とはその人物の職業や身分、所属や地位を表すものですからネ。それからお探しのコチラ、お返し致します」
フィンドールがすっと懐から取り出してみせたのは、見覚えのある物だった。
美しい彫刻が施された、金の懐中時計。
シエルの時計だ。
「! それ、わたしの」
返して、と思わず手を伸ばす。フィンドールは「ハイ」とにっこり笑ってその手を取り、繊細なガラス細工を扱うように丁重な手つきでシエルの手のひらの上に懐中時計を置いた。
その手を、なぜかそのまま離さない。
「勝手ながら見分させていただきました。この見事な彫金細工、かつて名声を博した早逝の時計職人ゲルルフ・ヒュロッペンの作品とみて間違いないでしょう」
「……え?」
強い力で押し包まれた手はびくともしない。フィンドールは装飾過剰な仮面の下に笑顔を浮かべたまま、まるで奇妙な骨董商のようにペラペラと語り出した。
「実用品としてよりも美術工芸品として精緻を極めた彼の作品は、その生涯が短命に終わってしまったゆえに多くは残されておりません。しかもそのほとんどが散逸してしまい所在不明……まさに蒐集家垂涎の稀少品であり幻の逸品です。所在が確かなモノといたしましては三代前のエヴァンゼール伯爵が国王陛下より下賜された金の懐中時計がつとに有名でして、私も一度拝見させて頂いたことがありますヨ。それはもうヒュロッペンの生涯における最高傑作の一つともいわれる実に美しい時計であり、代々の当主が大切に受け継いでいるはずです。――お嬢サン、あなたは何故このような物を?」
滔々と流れるように紡がれた言葉。唇の両端をくっきり左右対称に吊り上げたその笑顔の不気味な威圧感に、シエルは怯えた。
「わ、わたし」
何か言おうとしたが、声が震えて言葉にならない。
胸の中で心臓がドクンドクンと不穏な脈動を始める。いま言われたことが本当かどうかなんてわからない。でも、この道化師が言わんとしていることは何となくわかる。こんな時計をシエルのような少女が持っているはずはないと。一体何を疑われているのだろう。シエルは思考がもつれる頭の中で必死に言い訳を探し、口にした。
「知らない。……覚えてない、の。一か月くらい前に……教会で目が覚めて、そのときからずっと持ってて、大事にしてて……」
『お嬢さんがそれを盗んだのだと疑っているのではないよ』
と、まるで幼い子供をなだめるように落ち着き払った声が聞こえた。
シエルが思わずすがるような目でそちらを見ると、彼もこちらをじっと見ていた。声は相変わらず淡々としていたが、眼差しには労わるような優しさがある。
『それに俺たちはただの旅芸人だから、どのような事情があるにせよ、そのことできみを領主に突き出したりはしない』
右半面だけの表情は引き攣れのせいもあって少しぎこちないけれど、それはかえって彼の真摯な態度や言葉が偽りではないことを証明しているように思えた。
フィンドールもけろりとした様子で元のにこやかな笑顔に戻り、パっと手を放して言った。
「ご安心を。これはただ私のごく個人的な興味に過ぎません。それに我々はあくまで通りすがりの旅芸人、事情を無理にとは申しません。しかしもしもお困りであれば、あくまで個人的な興味のために多少の力をお貸しすることもやぶさかではありませんヨ。ねえハリト君」
どうやら、ハリト、というのが彼の名前らしい。
呼びかけを受けた青年はシエルを見て、何か失敗を悔やむような表情を覗かせた。
『……すまない。実は、この男がきみの時計を拝借していることに気づいていなかった。速やかに返すようにと言ったのだが』
室内にはゴウンゴウンと異様な振動音が低く響き続けている。
椅子に座りなおしたシエルは、自分の手元に戻ってきた懐中時計の感触と重みを、何だか異質なものに感じていた。
フィンドールの口からつらつらと語られた来歴が確かなのだとすれば、この時計は領主様の所有物なのだという。
そう考えた途端、あのときカーテンの隙間からこちらを見ていた目を思い出して寒気がした。ざわざわと胸が騒ぐ。
シエルには自分がそれを持っている理由に心当たりがある。……やっぱりわたしは、本当に領主様の〝娘〟なのだろうか?
フィニアンはそんなはずがないと言っていた。この時計のことを、彼は知っていたのだろうか。
「――ところでその衣装。よくお似合いですネ、お嬢サン」
と、一人優雅に紅茶を飲んでいたフィンドールが、ここにきてようやく本題に移るかのように言った。
ハッとして、シエルは身に着けている服に両手をやった。正しくは、身に着けさせられていた服。そう、今の今まですっかり聞きそびれていた。
そういえば、この服。
「ウフフ。僭越ながら私が見繕わせて頂きました。サイズもなかなかピッタリよろしいようではありませんか」
シエルは戸惑う。そう言われてどんな反応をすればよいかわからない。それよりもあのワンピースと、それからあの黒いローブは、大切な借り物なのだ。そちらの心配のほうが先だった。
「あの、わたしの服は……?」
「ずいぶん汚れておりましたのでついでにお洗濯をと思いましてネ。――アッ、礼にはおよびませんヨ? 新型洗濯機の試運転も兼ねておりますので」
「洗濯、き?」
無心に問い返したその瞬間、フィンドールは「フッ」と笑った。
シエルは自分が反応してはいけない部分に反応してしまったことを悟った。
「ウフフ。よくぞ訊いてくださいましたお嬢サン。洗濯機といいますのは貴女の暮らしをより便利に、そしてより豊かにすること間違いなしの家庭用蒸気機械でございまして――ム? 何ですかハリト君」
嬉々として熱弁をふるおうとしていたフィンドールは、しかしそこで突然興が削がれたように青年のほうを見た。
ハリトは心なしか冷ややかな無言の視線をフィンドールに向けている。それから考えをまとめるようにテーブルの上に視線をすべらせたあと、エメラルドグリーンの目はシエルのことをじっと思慮深く見つめてきた。
『きみは彼のことが心配なんだろう』
と、率直に言われた。
『本当はこんなことをしている場合ではないのに時間を取らせてすまなかった。きみさえよければ、彼を探すのを手伝わせてくれないだろうか』
その申し出を受け、シエルは咄嗟に返事をすることができなかった。
何かを考えるよりも先にその言葉の意図が伝わってきたせいだ。おそらくだが、この人は絶対に嘘をつくことができないのではないだろうか。この声はきっと言葉というより、考えや思いをそのまま伝えているのに等しい。
本当はシエルの前に姿を見せるつもりもなかった。
シエルが彼のことを心配していることはわかっていて、ずっと気を揉んでくれていた。それで申し訳なく思い、シエルが一人で彼を探しに行くことも心配し、迷った末に手伝いを申し出ることにした――という本来言葉の裏に隠されるべき心の動きが、すべて伝わってきたものだから。
「……いいの?」
シエルが問うと、ハリトはうなずいた。その表情にはあまり変化がないが、実がこもっている。
その顔を見て、なぜかほっとしている自分がいた。
なぜかはわからない。ほとんど初対面に近いのに、この場にこの人の存在があることでなぜか安心している。自分の意思に関わらず、勝手に警戒心を解かれているような気さえする。それはいっそ恐ろしいことなのかもしれない。しかし、どう考えても悪い人のようには思えなかった。
「フムフム、なるほど? ええ、構いませんとも。夕方には服もお返しできますからネ。……おっと失礼。そういうことでしたらお嬢サン、どうぞハリト君をお連れください」
ハリトの声は聞こえないが、手ぶりを交えてフィンドールに何かを伝えている様子だった。虚空と言葉を交わし始めたフィンドールはシエルのほうを見てそう言うと、
道化師の仮面でにっこり笑い、豪華な宝石のピアスで飾りつけた自分の耳の付け根をトントンと指で叩いてみせた。
「彼はとても耳がよいので、探し物ならきっとお役に立ちますヨ」




