10. 奇妙な出会い
――これがほしいの?
――いいよ、あげる。そんな顔をされちゃあかなわない。
その微笑みはきれいだった。
きれいで、やさしい。
――外の世界なんて、実際にはそう美しくなんかないさ。
白いカーテンが揺れている。
その人は、笑った。
切ないくらいに儚くて、やさしい眼差しだった。
――だけどきみの瞳なら、たとえどんなに汚く醜い世界であっても、本当に美しいものをみつけることができるのだろうね。
――――
――――――
――――――…………
暗い場所に沈んでいた意識が、ふっ……と目を覚ます。
目蓋を開ける前に、遠くで笑いさざめくようなたくさんの声を聞いた気がした。
辺りは真っ暗だ。
こわい。
暗い道の向こうを誰かが歩いている。
待って、行かないで。
伸ばしたその手を、誰かの手指がそっと包んだ。
「――――え……?」
遠ざかっていた感覚が戻ってくる。目を開けたシエルは、まず白い光の眩しさを感じた。
カーテンの隙間から差しこむ太陽の光だった。
(夢……?)
毛布の中におさまっていた右手を持ち上げ、ひどくかすんだ目をこする。ずいぶん深く眠っていたのか、まるで泥の中を泳いできたかのように身体が重い。苦労して起き上がったシエルは、自分がどこか知らない場所のベッドに寝かせられていたことを知るまで、十秒ほどの時間を要した。
ここは、一体どこだろうか。
あまり広い部屋ではない。むしろ天井はやけに低く、四箇所にある小さな窓には全て暗色のカーテンがかかっていて、外を見ることはできない。そっとカーテンの隙間に指をかけて覗いてみると、汚れてくすんだガラス窓の向こうには見覚えのある景色があった。
広場だ。
たくさんのテントや馬車がそこらじゅうに場所を取り、その間を大勢の人たちが石畳を踏み鳴らして楽しそうに行き交っている。彼らの上には青や白の布が風にはためき、人々の笑い声が響く――シエルが訪れた昨日よりもさらに賑わいを増した、時計塔広場の光景だった。
シエルはその光景を見下ろしている。この窓はテントや馬車よりも高い位置にあるのだ。ということは、ここはどこかの建物の二階なのか。
それに、シエルは自分がおかしな恰好をしていることにも気がついていた。
いつも着ている、シスターとおそろいのワンピースとはまるで違う。きれいな柄が織りこまれたスカートの裾や袖口にフリルやリボンの飾りがついた、まるでお人形さんのような服。床の上にはやはりシエルのものではない靴が揃えて置いてあり、靴下にまでレースの縁取りがされている。
着ていたはずの服と履いていたはずの靴は見当たらない。
だからといって、この靴を勝手に拝借してもよいのだろうか。こんなに磨きこまれてつやつやとした、宝石のような質感の――……
『靴はそこにあるものを履けばいい。それはきみのために用意された品だ』
突然、声がした。
シエルは驚いて室内を見回したが、しかし、この部屋の中にはシエルのほかに誰もいない。声の主の姿はどこにも見当たらなかった。
『驚かせてすまない。きみに危害を加えはしない。ただ安全のため、目が覚めたら伝えなければいけないことのためにここへ連れてきただけだ』
いや。そもそも、どこからではない。
奇妙なことにその声は――シエルの頭の中で聞こえた。
子供の声だ。
おそらく十二、三歳くらいの年頃の、まだ幼さを残しながらもずいぶんと落ち着きのある、凛とした男の子の声だった。
これは一体、どういう仕業なのだろう。
「妖精……?」
シエルは両手で自分の耳を押さえ、驚きと混乱の中で言った。
姿は見えない。しかしシエルが思わず口にしたその言葉は相手の耳に聞こえたようで、声の主は少し笑った。
『順を追って話そう。……きみはあの森の中で狼に遭遇した。俺はきみと一緒に行動していた彼の姿は見ていない。狼も彼もあの場にはもういなかった。倒れていたのはきみだけで、彼がどこへ行ったのかはわからない』
淡々と事実を述べるように伝えられたその瞬間、今までぼんやりとしていたシエルは時計の針を巻き戻すようにこれまでの出来事を思い出した。
そうだった。
フィニアンに連れられて領主様の屋敷を見に行って。
大きな狼が現れて。
襲われそうになって、逃げて。
それで。
「……ま、待って。どうして」
なぜそのことを知っているのかと、シエルはさらにうろたえた。
声の主はあくまで事実だけを伝えるように、シエルの混乱を一つずつ、丁寧に取り払うように続けた。
『半分はきみのうわ言から知り得ただけのことだよ。あとの半分はそこから推測して、実際に確かめてきたことだ。きみの事情は知らないし、これ以上の干渉はしない。歩けるのなら自由に帰って構わないし、落ち着くまで休んでいてもいい』
頭の中に直接聞こえてくるせいか、伝えられる内容はそのまま、言葉の意味を考える必要もなく、すんなりと入ってくる。
もちろん、その言葉を聞いて安心した、というわけではない。心が落ち着いたというより、動揺する必要はないのだと脳みそに命令が与えられたような感覚だった。
『外に出るのなら奥の扉を開けた先に階段がある。急な階段だから足を踏み外さないように。扉を開けるときはくれぐれも気をつけて』
「あ、ありがとう」
見えない相手に対して、シエルはついお礼を述べてしまった。
そしてやはり、こちらの声はちゃんと聞こえているらしい。
『――どういたしまして。君の助けになれたのなら光栄だよ、星の瞳のお嬢さん』
シエルの頭に直接響く奇妙な声の主は、恭しくも親しみのこもった口調でそう言った。
あとには、不思議な余韻が残される。
とにかくシエルは靴を履き、立ち上がる。何だかよくわからないけれど、そんなことよりも。
(フィニアンを、探さないと)
先ほど伝えられたことは嘘やでたらめではなさそうだったが、言葉の真偽には関係なく彼の安否が心配だった。誰に何を言われても、自分の目で無事を確かめたい。いや、確かめなければいけない。きっとシエルを逃がすために危ない目に遭ってしまったことは間違いないのだから。
震える息を吐き、すがるような思いで胸元の懐中時計を握りしめようとしたシエルは、ぎくりとした。
――ない。
そこにあるはずの慣れ親しんだ硬い感触がないことに気づき、シエルは慌てて首にかけている金の鎖を服の中から引っ張り出した。
愕然とした。
鎖と時計をつないでいたはずの金具が、外れている。
急いで周囲に視線を走らせる。丸い、金色の懐中時計。ない。どこにも。服の中を探ってみても、立ち上がってスカートを払い、自分が寝ていたベッドの中を探しても、どこにもない。
まさか、あの森の中で落としてしまったのだろうか。
あれは大切なものだ。あの時計だけはシエルの唯一の持ち物で――あの日フィニアンが手渡してくれた、大切なお守りなのに。
「そんな……」
シエルは思わず泣きそうになり、泣いている場合ではないと頭を振って、重みがなくなった金の鎖をぎゅっと握りしめた。
――探しに、行かなきゃ。
きっとこれは、神様か天使様が、フィニアンを探しに戻れと言っているのだ。
外に出るための階段があるという扉はすぐに見つけることができた。
引く扉だ。把手を掴んで引いてみると、その先はやけに狭くて暗い階段室になっていた。人ひとりがやっと通れるくらいの幅しかなく、慣れない靴を履いたシエルは、足元に気をつけながら慎重に下りる。急勾配の一直線で、十段にも満たない短い階段を下りきった先にはまた扉があったので、その扉も開けた。
あふれ出す、外の光。
「………………………………え?」
その眩しさに思わず目をつぶってしまったシエルがおそるおそる目を開けると、無数の視線がこちらに集まっていた。
目の前に、すごい人だかりができている。
というよりも、人々が集まっているその真ん中に、シエルのほうが想定外の闖入者として現れたのだ。集まった人々は一様に驚きの表情でこちらを見て、ざわめきがシエルを包みこむ。
でも、一番驚いているのはシエルだ。
突然人々の注目にさらされて動揺するシエルに、やけに大きな靴音を響かせて近づいてくる人がいた。
「これはこれは可愛らしいお嬢サン!」
なんだかひどく調子っ外れで、やたら耳に響く声だった。
人々がどよめいて、声が聞こえたほうを見る。シエルもつられてそちらに目を向けた。
そこにいたのは――今までシエルが生きてきた世界では想像もできない、奇抜な装いの人だった。
顔の上半分は宝石や金銀細工で飾られた見るからに高価そうな仮面で隠されているのだが、その仮面が泣き笑う男の顔を意匠化した珍妙なデザインで、赤白黒の三色をめちゃくちゃにあしらった左右非対称の服といい、先端が大きく反り返っている上に踵が高い個性的な靴といい、まるで物語に出てくる道化師のようだ。
道化師は両手を広げて親しげに近づいてくると、シエルの手前でやおら腰を折った。
人々が声を上げる。シエルにはわけがわからない。貴族のように優雅な動作で差し出しされたその左手の上に、ポンと音を立ててきれいな薔薇の花が出現したことも含めて、まったくわけがわからなかった。
「あ、あの」
戸惑うシエルに、道化師は仮面に覆われていない顔の下半分を思いっきり笑ませて答えた。
「お近づきの印です」
そう言って赤い薔薇の花をすっとシエルの髪に差しこみ、今度は人々のほうを振り向いてとんでもない大音声を張り上げる。
「サアサアお集まりの皆々様! 次なる奇術はこちらのお嬢さんに手伝って頂くことに致しましょう!」
「へ?」
「お嬢サン、こちらに」
頭が追いつかない。道化師につかまれた腕を引かれるまま人々の輪の中心に連れていかれたシエルは、そこでいきなり金属製の籠を押しつけられた。
美しい細工が施された、銀色に輝く鳥籠だ。
「さて、こちらに鳥籠が一つございます」
道化師の言葉はシエルではなく周囲の人々に向けられている。道化師は芝居がかった動作で胸元から黒い布を取り出し、シエルの持つ鳥籠にひらりひらりとかざして見せた。
「ご覧の通り中身は空。何も入っておりませんネ」
さっきまであんなにざわついていた人々が、その一言でしんと水を打ったように静まり返る。数え切れないほどの視線はみんな道化師の一挙一動に集中し、道化師がその手を動かすたびに、ごくりを唾を飲む音が聞こえてきそうだった。
一体、何が始まるというのだろう。
「しかしこれはただの鳥籠ではありません。何を隠そう我が国クロアドゥールが誇る最新式の魔法の鳥籠なのです。これから皆様には世にも不思議な魔法を一つお見せ致しましょう」
道化師が歌うように述べた口上に思わずどきりとして、シエルは自分が抱えている鳥籠に目を落とした。
――魔法の鳥籠。これが?
道化師はひらつかせていた布をパサリと鳥籠にかぶせ、シエルの腕ごとすっぽりと人々の目から隠してしまう。そうして一歩足を引き、わざわざ少し離れた位置から腕を伸ばして布の端をつかむと、もう一方の手の指を三本立ててみせた。
「三」
その声とともに、立てた指が一本折りたたまれる。
「二」
また一本。人々の間に、静かな緊張が走るのがわかった。
「一」
そして黒い布が勢いよく取り払われたその瞬間、開け放たれた鳥籠の入り口からたくさんの小鳥が一斉に飛び出した。
「うそ……っ!?」
シエルは誰よりも素っ頓狂な声を上げた。
鳥籠はからっぽだったはずだ。シエルが抱えていたから、道化師は手もふれていない。なのにどうして、こんなにたくさんの鳥が。
確かに〝魔法〟だ。飛び立っていく小鳥を見上げる人々の目も、驚愕に彩られていた。
晴れ渡った空に、無数の白い小鳥が飛んでいく。
すげえ、と舌足らずな子供の声がした。本当に、すごい。この場に居合わせた全員がこの素晴らしい魔法に目を輝かせ、遠ざかっていく白い群れを見つめている。
空隙は一瞬だった。
次の瞬間にはわっと大歓声が沸き起こり、割れんばかりの拍手の音が道化師とシエルを包みこんだ。
しかしもちろん、驚嘆と感動に輝く人々の目はすべて、シエルの傍らに立っている道化師に向けられている。人々の拍手喝采を浴びながら、道化師は大仰なお辞儀をしてみせた。
「本日はこれにて。それでは皆々様、御機嫌よう」
そうしてさっと身を翻した道化師はすぐ近くにあった扉を開け、中に入るようシエルを促す。一連の所作は貴族に仕える従者のように美しく洗練されていたが、実際の行動はかなり強引だった。
「わっ、え、ちょっと」
それはあくまで彼が演じている芝居の一部であるかのように。道化師はあくまで紳士的に、しかし抗えない力強さでシエルの肩と腰とをつかまえて、開けた扉の向こうに半ば無理やり押しこんだ。それから自分も押し入るように入ってくると、即座にその扉を閉めてしまう。ガチャンという耳障りな響きは、内側から鍵をかけた証だった。
「いやあ、驚いてしまいましたヨ」
と、扉を施錠した道化師が振り向いた。
その威圧感に、シエルは一、二歩後ずさりした。ただならない状況であることだけはわかるけれど、先程からずっと、何が起きているのかまったくわからない。
「だ、誰……?」
肉食の獣を前にして怯える小動物のようなシエルの問いかけを受け、道化師は虚をつかれたようだ。「フム?」と怪訝そうに首を傾げ、それからポンと左のこぶしで右の手のひらを打った。
「おお、これは失礼致しましたお嬢サン。私の名はフィンドール。少々長たらしいのですが、シュトゥルムル・ストゥルトゥス・フォリス・ルル・ティラトゥススティリス・フィンドールと申しまして、ミンストレルの――失礼、クロアドゥールの奇術師です」
「はい?」
「ウフフ。長いでしょう? ですので、フィンドールで結構ですヨ」
呆気に取られてしまった。
長い呪文でも唱えるようにつらつらと名乗った道化師の言葉は半分も理解できなかったが、とにかく「フィンドール」というのが名前らしい。機械の国・クロアドゥールからきたという。ミンストレルも地名だろうか。けれど、奇術師というのは知らない。キジュツシ。聞いたことがない。
「おやおやそのお顔。さては貴女、奇術師をご存じない? そんなの知らないし聞いたこともないとお顔に書かれていらっしゃる」
フィンドールはシエルの胸の中から勝手に心の声を読み取ったかのようにそう言うと、三日月のようにくっきりと口端を持ち上げてにっこり笑う。そして先ほど自分がシエルの髪に飾った赤い薔薇をおもむろに抜き取り、それを一度シエルに見せてから、白い手袋を嵌めた両手で包む。
「見ていてください」
言われるまでもなく、シエルは既にそれを見ていた。そんな場合ではないと思うのだが、この道化師の手つきにはなぜか自然と視線が誘導されて、目を離すことができなくなるのだ。
薔薇を包んだ両手の指は、そのままぎゅっと握りこまれた。
それを見つめること数秒。
三、二、一。呟くように数えて再び開かれたその手の中にあったのは赤い薔薇の花ではなく、美しい羽を広げた白い蝶だった。
フィンドールの手の中からパタパタと飛び立つ蝶の姿に、シエルは目を疑った。
「わっ……」
部屋の中をひらひら飛び回る蝶は、まぎれもなく本物だ。素直に驚いてしまうシエルに、フィンドールはにんまり笑ってみせた。
「種も仕掛けも秘密です、奇術ですので。……おっと、いけないいけない」
口元にくっきり刻まれていたその笑みが、ふと消える。何か困ったふうに唇をひん曲げたフィンドールがさっと自分の顔に右手をかざすと、その一瞬の間に笑うピエロの仮面が悲しげなピエロの仮面に変わっていて、シエルはまた驚いた。仮面をつけかえたようには見えなかったのに。それも奇術、なのだろうか。
「せっかくお近づきの印にと差し上げた薔薇が飛んでいってしまいましたネェ」
むむう、とフィンドールはわざとらしく腕組みしてうなる。いや、それは別に、いいんだけれど。
シエルは迷った末に、一応問いかけてみることにした。
「もしかしてあなたが、わたしを助けてくれた人……?」
「アラッ」
と、フィンドールはシエルの発言に驚いたような反応をした。でも、それはおそらく本当に驚いたわけではなく、ただ驚いた〝ふり〟をしただけなのではないだろうか。シエルがそう思ったのは、フィンドールが今度は左手をさっとかざして仮面を笑うピエロの顔に戻し、わざとらしいほどにっこりと笑ってみせたからだった。
「私と貴女は今このときが初対面。たとえ貴女が空腹のあまり道端に倒れていたとしても、私は己の腸をねじり切る思いで通り過ぎてしまうことでしょう。あ、蝶だけに。なんせお互い縁もゆかりもないのです、残念ながら私はそのような善人でも聖人でも仙人でも暇人でもありません」
「そ、そう……です、よね」
妙な説得力に押されてしまい、何だかおかしな言葉遣いになってしまった。
シエルは改めて部屋の中に目を向けた。ここもあまり広い部屋ではなく、真ん中に四角いテーブルがあって椅子があって、本や紙類を詰めこんだ戸棚が壁の一面を占めており、隅のほうには用途不明の大きな箱や人形、そのほか大小さまざまな道具たちが雑然と置かれている。
――そしてその人は、さっきからずっと椅子に座ってこちらを見ていたらしい。
今までまったく気がつかなかったのは、その気配があまりにも静かだったからだ。
襤褸みたいにすりきれた外套を着た、案山子のように痩せた人。
ひどく損傷しているらしい左半面を包帯で隠した顔。褐色の肌。くすんだ金色の髪。今日は帽子をかぶっていないので、あのときよりも容貌がはっきりとわかる。
見忘れるはずもない。
彼はあのときと同じように目を細め、ふっとシエルに笑いかけた。
『こんにちは、お嬢さん』
――頭の中に響いて聞こえたその涼やかな声に、シエルは目を瞠った。
さっきの声だ。
あの大人びた、子供の声。
「えっ……」
まさか、と思う。
そうだと言われても、にわかには信じられない。
でも、たぶん、間違いない。
この声の主は。
「これ、今のって、さっきの……」
彼は混乱しているシエルを深いエメラルドグリーンの右目に映しつつ、少し申し訳なさそうにした。
『すまない。こんな姿でがっかりさせただろうか』
シエルの驚きは確信に変わった。唇が動いたわけでもなく、どういう仕組みなのかまったくわからないけれど、やはりこれは間違いなくこの人が発している声なのだ。
しかし彼の言う「がっかり」とは何のことかと考えて、シエルはすぐに理解した。見えない妖精でもいるのかと、思わず問いかけてしまったことだろう。見えない声の主に対し、シエルが何か幻想的な生き物の姿でも想像していたものと思っているらしい。
「あれは、声しか聞こえなかったから。ごめんなさい。不思議で、つい……」
『気味が悪いかも知れないが、俺はあなたたちのような普通の声を出すことができないんだ。どうか許してほしい』
青年ははそう言って(?)自分の喉元に手でふれる仕草をした。聞こえる声は明らかに声変わり前の男の子のものだが、彼自身はどう見ても大人だ。年齢は二十歳前後くらいだろうか。
「ゴホン」
と、フィンドールが咳払いをした。
違う。
咳払いではなく、今のは「ゴホン」と口で言ったのだ。
青年が目をそちらに向けたので、シエルも振り向いた。
「ご挨拶も済んだところでお茶をお淹れいたしましょう。どうぞおかけください、お嬢サン」
そう言って、フィンドールはシエルに椅子を勧めてくる。
窓がないため天井に吊るされたランプが唯一の光源となっている、この四角い部屋。
先ほどは外観を見る余裕がなくて気づかなかったのだが、ここはどうやら建物の中ではないらしい。とくに耳を澄まさなくても、ゴウンゴウンという音が重く低く響いているのが聞こえる。見ると部屋の奥に扉があって、その向こうからだ。そんな音がずっと聞こえるので、何だか床が振動しているような感じもする。それは機械の音だとフィンドールが答えた。時計塔広場。機械。シエルはあっと思い当たった。
昨日フィニアンとアルドと一緒に見物した、あの鉄で作られた巨大な箱。
呆気に取られたままのシエルに、フィンドールはその正式名称を言った。
「ようこそ素敵なお嬢サン、私のお城ガルガンチュアへ」




