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第十九話 秘密

 監視局へ戻る道の途中。


「エドガー?」


 シオンは足を止めた。


 隣を歩いていたはずの男がいない。


 振り返る。


 人混みの中へ目を走らせる。


「エドガー!」


 返事はない。


 シオンの表情が変わった。


 上層部からの命令が頭をよぎる。


「くそっ……!」


 ほんの数秒だ。


 画材店を出てから、確かに後ろを歩いていた。


 (どこへ行った)


 シオンの手が腰の拳銃へ伸びる。


 周囲には大勢の市民がいる。


 もしこの中でエドガーが逃走していた場合、追跡しなければならない。


 そして見つけ次第、状況によっては命令を実行する。


「エドガー!」


 シオンは来た道を引き返した。


 人を避けながら通りを走る。


 あんな格好の長身の男だ。


 そう簡単に人混みへ紛れられるはずがない。


「どこに」


 視線を巡らせたシオンの足が止まった。


「……いた」


 少し離れた場所。


 見覚えのある菓子屋の前。


 ガラス窓へ張りつくようにして、中を覗き込んでいる長身の男がいる。


「…………」


 シオンは腰の拳銃から手を離した。


「エドガー!」


 大股で近づく。


 呼ばれたエドガーが振り返った。


「あ、シオン」


「あ、じゃない!」


 シオンはエドガーの肩を掴んだ。


「勝手にいなくなるな!」


「いなくなってない」


「いなくなった!」


「ここにいるよ」


「そういう意味じゃない!」


 シオンの声に、通行人がちらりとこちらを見る。


 それに気づき、シオンは声を落とした。


「……俺から離れるなと言っただろう」


 エドガーは怒鳴られているにもかかわらず、まるで気にしていない。


 すぐに菓子屋の窓へ視線を戻した。


 ガラスの向こうには、色とりどりの菓子が並んでいる。


 飴。


 焼き菓子。


 砂糖をまぶした果実。


 エドガーは、その中の一つを指差した。


「……何だ」


「これほしい」


「駄目だ」


「なんで?」


「監視局へ戻るからだ」


「これ買って」


「買わない」


 シオンは歩き出そうとする。


 だが、エドガーは動かない。


「帰るぞ」


「これ、ほしい」


 シオンの眉間に皺が寄る。


 つい先ほどまで、自分はこの男を撃つことになる可能性まで考えていた。


「……お前は子供か」


 エドガーがゆっくり振り返る。


「二十五歳」


「知っている」


「シオンは?」


「二十だ」


「ぼくのほうがお兄さん」


「なら年上らしくしろ」


 エドガーは少し考えたあと、再び菓子を見る。


「お兄さんだから、お菓子買って」


「どういう理屈だ」


「買って」


 エドガーは店の前から動こうとしない。


 シオンは腕時計を見る。


 画材店で聞いた情報について、一刻も早く記録を確認したい。


 こんなところで時間を使っている場合ではない。


「エドガー最後に言う帰るぞ」


「これ買ってくれたら帰る」


「……」


 シオンはこめかみを押さえた。


 どう扱えばいいのか、まるで分からない。


「……一つだけだ」


 エドガーの顔が上がった。


「二つ」


「一つだ」


「三つ」


「なぜ増えた」


「けち」


「なら買わん」


「一つでいい」


「最初からそう言え」


 数分後。


 シオンは紙袋を片手に菓子屋から出てきた。


 店の前で待っていたエドガーが、すぐに両手を伸ばし跳びついてくる。


「ちょうだい!!」


 それを片手で制止するシオン。


「一つだと言ったな」


 シオンは袋から小さな焼き菓子を一つ取り出し、エドガーの手へ置いた。


 残った袋は自分で持つ。


 エドガーが袋を見る。


「それは?」


「俺のだ」


「ずるい」


「金を払ったのは俺だ」


「全部ぼくのじゃないの?」


 エドガーは不満そうに焼き菓子を見る。


 だが、すぐに口へ放り込んだ。


「おいしい」


「そうか」


「もう一個」


「駄目だ」


「なんで?」


「一つと言った」


「けち」


「……監視局へ戻るぞ」


 今度はエドガーも素直についてきた。


 シオンは歩きながら横目で見る。


「……うまいか?」


「うん」


「そうか」


 ◆


 監視局へ戻ると、シオンは真っ先に資料室へ向かった。


「エドガーここで待っていろ」


「なんで?」


「調べものがある」


「暇」


「知らん……とにかくここにいろ」


 シオンは念を押してから、資料棚へ向かった。


 エドガーは不服そうに近くの席に座る。


 調べるのは画材店で聞いた情報。


 逃走者たちは、ヴィクトル・ローゼンという画家について尋ねていた。


 まずはヴィクトルの所在を確認する。


 それが逃走者たちの行き先を掴む手掛かりになるかもしれない。


 シオンは資料を手に取り席に座る。


「ヴィクトル・ローゼン……」


 国家公認画家の記録を探す。


 名前はすぐに見つかった。


 帝国から依頼された作品を数多く残している。


 受賞歴も多い。


「……?」


 一枚の記録が目に留まった。


 監視局による特別監視対象指定。


 日付は一年前。


 続いて、逮捕記録。


 シオンの眉が寄る。


 さらに事件記録を探した。


 違法表現物の制作、販売。


 特定危険思想禁止検閲法違反。


 さらにページをめくる。


「闇オークション……運営?」


 シオンはその文字を目で追った。


 一年前に摘発された、違法な美術品を扱う闇オークション。


 事件そのものは知っている。


 だが、運営者がヴィクトル・ローゼンだったことまでは知らなかった。


 シオンはさらに下へ視線を動かす。


 そこに書かれた文字を見て、手が止まった。


「……銃殺刑?」


 見間違いではない。


 ヴィクトル・ローゼン。


 銃殺刑執行済み。


「……死んでいるのか」


 思わず声が漏れた。


 シオンは公認画家の活動記録へ戻った。


 処刑された日付以降の情報。


「……?」


 作品がある。


 処刑から三か月後。


 さらに、半年後。


 帝国からの依頼を受けて制作された作品まで記録されている。


「どういうことだ」


 シオンは二つの資料を机へ並べた。


 一方には、


 銃殺刑執行済み。


 もう一方には、


 処刑後の活動記録。


 どちらも帝国の正式な記録だ。


「死んだ人間が……どうして絵を描いている」


「幽霊なんじゃない?」


 エドガーが椅子へ座ったまま、こちらを見ていた。


「独り言に勝手に答えるな」


「じゃあ生きてる」


「処刑記録がある」


「じゃあ死んでる」


「だからおかしいと言っている」


「難しいね」


「……」


 シオンは額へ手を当てた。


 (なぜ、こんな矛盾した記録が残っている?)


 シオンは事件記録をさらに調べた。


 逮捕時の報告。


 押収物。


 処分決定までの期間。


 関係者。


 順番に資料を追っていく。


 そして気が付く。


「……ない?」


 事件の途中から、資料が途切れている。


 シオンは管理番号を確認し、別の棚を探した。


 見つからない。


 資料管理係へ確認する。


「この事件の詳細記録を閲覧したい」


 管理係が番号を確認する。


 その表情がわずかに変わった。


「少々お待ちください」


 資料と台帳を照合する。


 しばらくして、管理係が顔を上げた。


「申し訳ありません、閲覧できません」


「何?」


「閲覧制限がかけられています」


「私は特別監視隊副隊長だ」


「存じております」


「なら権限はあるはずだ」


「この記録にはありません」


 シオンの眉が寄った。


「誰の許可が必要だ」


「上層部です」


「……上層部?」


「はい」


 その言葉に、シオンは黙った。


 つい先ほど同じようなことがあった。


 追跡任務を任された副隊長でありながら、その詳細を知らされない。


 質問しても答えは返ってこなかった。


 そして今度は、一年前の画家の事件。


 それすら閲覧できない。


「理由は?」


「記載されていません」


「……そうか」


 シオンはそれ以上追及しなかった。


 二つの記録。


 一年前に死んだヴィクトル。


 今も活動しているヴィクトル。


 そして、閲覧できない事件資料。


 (なにかがおかしい)


 シオンはエドガーのいる席に向かった。


「エドガー」


「なに?」


「お前の力を借りたい」


「やだ」


 即答だった。


「……まだ何も説明していない」


「だってそれ、逃げた人たち探すのに必要?」


 シオンは一瞬黙る。


「直接ではない」


「じゃあやらない」


「なぜだ」


「おじさんたちに言われてないもん」


 エドガーは机へ突っ伏した。


「ぼくが言われたのは、逃げた四人を探すことだけ」


「その四人を追うために必要な調査だ」


「必要なこと以外はするなって言われてるもん」


「……」


 予想はしていた。


 この男は、自分の命令を聞く部下ではない。


 上層部の命令によって、追跡任務へ同行しているだけだ。


「……分かった」


 無理に従わせる権限はない。


 シオンは再び資料へ目を落とした。


「シオン」


「何だ」


「さっきのお菓子」


「もうない」


「ちがう」


 シオンが顔を上げる。


 エドガーは机へ頬をつけたまま、こちらを見ていた。


「買ってくれたから」


「……?」


「一回だけなら、いいよ」


 シオンはしばらく黙った。


「……命令されていないんだろう」


「うん」


「なら、なぜやる」


 エドガーは少し考える。


 そして。


「お菓子、おいしかったから」


「……それだけか?」


「それだけ」


 エドガーは身体を起こした。


「誰の絵を書いて、見せればいいの?」


 シオンは答えず、しばらくエドガーを見る。


 上層部の命令しか聞かない。


 そう思っていた。


「……分かった」


 シオンは事件記録からヴィクトルの人相書きを抜き取る。


「この事件を担当した監視官を探す」


「その人に絵を見せるの?」


「ああ」


「分かったー」


 エドガーはそう答えると、手を差し出した。


「何だ」


「お菓子」


「一回だけと言っただろう」


「協力するから」


「さっきの分だ」


「けち」


 ヴィクトル・ローゼンの事件記録を追うと、当時の摘発を指揮した人物の名前が見つかった。


 監視局の上級監視官。


 階級も役職も、シオンより上だった。


 シオンはエドガーと共に、その男の執務室へ向かった。


 扉の前まで来ると、シオンが足を止める。


「エドガー」


「なに?」


「響き手の能力を使う準備をしておけ」


「どんな顔?」


 シオンは事件記録から抜き取ったヴィクトルの人相書きを手渡す。


 エドガーは簡単に鉛筆を走らせ人相書きを完成させる。


「できた!」


 シオンはエドガ―を待ってから扉を叩いた。


「入れ」


「失礼します」


 扉を開ける。


 机の向こうに座っていた男が顔を上げる。


「ハイゼンか」


「お時間よろしいでしょうか」


「何だ」


 男の視線がエドガーへ移る。


「……そいつは?」


「今回の追跡任務に同行している者です」


「名前は」


「エドガー・ヴァイス」


「……」


 男は一瞬エドガーを見たあと、シオンへ視線を戻した。


「それで?」


「一年前の闇オークション摘発事件について、確認したいことがあります」


 男の手が止まった。


「ヴィクトル・ローゼンの件か」


「はい」


「なぜお前が調べている」


「現在追跡中の逃走者が、ヴィクトル・ローゼンについて調べていました」


「それで?」


「記録を確認しました」


 シオンは資料を机へ置く。


「ヴィクトル・ローゼンは一年前に銃殺刑が執行されています」


「ああ」


「ですが、処刑後にもヴィクトル名義の作品が制作されています」


「それがどうした」


「……どうした、とは?」


「お前の任務は逃走者の追跡だろう」


「はい」


「なら逃走者を追え」


「そのための確認です」


「必要ない」


 即答だった。


「逃走者たちはヴィクトルを探していました。彼らがヴィクトルと接触しようとしていたのであれば、追跡の手掛かりになります」


「ヴィクトルは死んでいる」


「では、処刑後の作品は何ですか」


「お前が知る必要はない」


 シオンは黙った。


 響き手について尋ねた時。


 事件資料を閲覧しようとした時。


 そして今も知る必要はない。


「もう一つ、確認させてください」


「何だ」


「ヴィクトル・ローゼンは、闇オークションの運営者だったのですか」


 男の目がシオンへ向く。


「記録にそうある」


「記録ではなく、当時の摘発を指揮したあなたに聞いています」


「……ハイゼン」


 声が低くなる。


「はい」


「お前はいつから、上官を取り調べる立場になったんだ?」


「そういうつもりはありません」


「なら質問は終わりだ」


「ですが」


「終わりだと言った」


 シオンは口を閉じる。


 男は書類へ視線を戻した。


「この件は上層部の管理下にある」


「……」


「お前の権限で知る必要はない」


「……承知しました」


 シオンは資料を手に取った。


「失礼します」


 踵を返す。


 数歩進んだところで。


 足を止めた。


「……エドガー」


「なに?」


「さっきのを」


「これ?」


 エドガーが人相書きを取り出す。


 男が顔を上げた。


「何をしている」


 シオンは振り返った。


「最後に一つだけ、確認させてください」


「話は終わった」


「はい」


「なら出ていけ」


 シオンは動かない。


「命令だ」


 本来ならここで従うべきだ。


 自分より上の階級にいる人間の命令。


 だが一年前に処刑された人間が、今も活動している。


 事件資料には閲覧制限。


 そして当時の責任者は何も答えようとしない。


「申し訳ありません」


「何?」


「エドガー」


「うん」


 エドガーが人相書きを男へ向ける。


「これ見て」


「何だ、それは――」


 男が人相書きを見る。


 その瞬間。


 動きが止まった。


 目から力が抜ける。


 表情が消える。


「かかったよ」


 エドガーが言う。


「この人が知ってることなら聞ける」


「……」


 シオンは男を見る。


「ヴィクトル・ローゼンを知っているか」


「……知っている」


「一年前、ヴィクトルの逮捕に関わったか」


「……関わった」


「ヴィクトルは違法な絵を制作していたか」


「……していた」


「その絵を闇オークションへ出品していたか」


「……していた」


 ここまでは記録と一致する。


 シオンは机の上の事件記録を見る。


 そこには明確に書かれている。


「ヴィクトル・ローゼンは、闇オークションを運営していたか」


「……していない」


 シオンの目が見開かれる。


「もう一度聞く。ヴィクトル・ローゼンは闇オークションの運営者ではなかったのか」


「……違う」


 公式記録と完全に食い違っている。


「では、ヴィクトルはそこで何をしていた」


「……自分の絵を出品していた」


 違法な絵を描いていた。


 それを闇オークションへ出品していた。


 そこまでは事実。


 だが、運営者ではない。


「なら」


 シオンは男を見つめる。


「闇オークションを運営していたのは誰だ」


「……」


 男の口がゆっくりと開いた。


「……ノーブル」


「……何?」


 シオンの眉が寄る。


「もう一度聞く。闇オークションを運営していたのは誰だ」


「……ノーブル」


 聞き間違いではない。


「名前は?」


「……」


 男は答えない。


「この人、知らない」


「……そうか」


 シオンは男を見る。


 事件の摘発を指揮した人間が、運営者の名前を知らない。


 だがノーブルが運営していたことは知っている。


 (不自然すぎる)


「そのノーブルは、闇オークションで何をしていた」


「……違法な美術品を集め、売買の場を用意していた」


「金銭を得ていたのか」


「……得ていた」


「ヴィクトルは?」


「……絵を出品していた」


 ヴィクトルは出品者。


 シオンは続ける。


「摘発時、そのノーブルは逮捕されたか」


「……されていない」


「なぜだ」


「……」


 答えない。


「知らないのか?」


 エドガーが男の顔を見る。


「うん」


 シオンは質問を変える。


「ノーブルが運営していた事実は、事件記録に残されたか」


「……残されていない」


「なぜ残さなかった」


「……」


 再び沈黙。


「誰の指示で、ヴィクトルを運営者として記録した」


「……帝国枢密院」


 シオンの表情が固まる。


「帝国枢密院?」


「……そうだ」


 初めて聞く言葉だった。


「なんだそれは?」


「……帝国の実権を握っている組織」


「そいつらが命令したのか?」


「……そうだ」


「ヴィクトルが運営者ではないと知った上で?」


「……そうだ」


「……」


 部屋が静まり返る。


 シオンは机の上の事件記録へ目を落とした。


 闇オークション運営。


 確かにそう記されている。


 だが嘘だ。


 間違いではない。


 情報不足でもない。


 運営者ではないと知りながら。


 監視局がその帝国枢密院という組織に、命じられてそう記録した。


「……なぜ」


 シオンが呟く。


「なぜヴィクトルを運営者にした」


「……」


 男は答えない。


「ヴィクトル・ローゼンの処刑は、なぜ公表されなかった」


「……帝国枢密院の指示」


「理由は?」


「……」


「では、ヴィクトルの処刑後に作品を制作しているのは誰だ」


「……弟子」


「弟子?」


 シオンは聞き返した。


「ヴィクトル・ローゼンの弟子が、処刑後もヴィクトル名義で絵を描いているのか?」


「……そうだ」


「なぜそんなことをしている」


「……命令」


「また枢密院か?」


「……そうだ」


 シオンは少し考え、質問を変える。


「その弟子は、ヴィクトルが処刑されたことを知っているのか」


「……知っている」


「弟子の名前は?」


「……リリア・アステル」


 その人物が帝国の命令を受け、死んだ画家の名を使って絵を描き続けている。


「その弟子は今どこにいる」


「……住所は調べればわかる」


 シオンは息を吐いた。


「エドガー」


「終わり?」


「ああ、解除しろ」


「分かった」


 エドガーが人相書きを下ろす。


 男が数度瞬きをした。


「……?」


 焦点が戻る。


 目の前に立つシオンとエドガーを見る。


「ハイゼン……?」


「……」


「お前、何をした」


 シオンは資料を手に取った。


「失礼しました」


「待て」


 踵を返す。


「ハイゼン!」


 背後から声が飛ぶ。


 執務室を出る。


 廊下へ出ると、シオンは足早に歩いた。


 エドガーがその後ろをついてくる。


「シオン」


「何だ」


「あの人、怒ってたよ」


「分かっている」


「大丈夫?」


「大丈夫ではないだろうな」


 シオンはため息を吐いた。


 帝国枢密院。


 帝国の実権を握る組織。


 ノーブルが運営していた闇オークション。


 運営者ではなかったヴィクトルへその罪を被せ、処刑を秘匿した。


 その後も弟子に、ヴィクトルの名前で絵を描かせている。


「……」


 理解できない。


 ヴィクトルが違法な絵を描き、販売していたことは事実だ。


 罪がなかったわけではない。


 だが、やっていない罪まで被せる必要があったのか。


 シオンは足を止めた。


「……それが秩序を守るために必要だったのか?」


 答えは出ない。


 自分は帝国のすべてを知っているわけではない。


 枢密院という組織がなぜそんな判断をしたのかもわからない。


 だからそれが間違っていると決めつけることもできない。


 だが胸に残った違和感だけは消えなかった。


「……」


「シオン」


「何だ」


「難しい顔してる」


「考え事だ」


 エドガーは気にせず歩いている。


 シオンは一度だけ振り返った。


 先ほど出てきた執務室は、もう見えない。


「……今は任務の遂行を優先しよう」


 シオンは持っていた資料を開く。


「リリア・アステル……」


 名前を辿る。


 見つけるまで時間はかからなかった。


 国家公認画家。


 十八歳。


 コモン。


 ヴィクトル・ローゼンに師事。


「間違いない」


 さらに記録を追う。


 登録されている住所。


 シオンは紙へ書き写した。


「見つけた」


「なにを?」


「リリア・アステルの家だ」


 エドガーが横から覗き込む。


「この人のところに、逃げた人たちがいるの?」


「まだ分からない」


 シオンは紙を折る。


「だが、可能性はある」


 ヴィクトルを探していた四人。


 そのヴィクトルはすでに死亡している。


 ならば、ヴィクトルについて知る人間を探す。


 そしてリリアはただの弟子ではない。


 師の死を知りながら、その名を使って今も絵を描き続けている。


 接触する理由としては十分だった。


「行くの?」


「ああ」


「今から?」


 シオンは時計を見る。


 そして首を振った。


「いや」


 今日一日で、予定以上に時間を使った。


 上級監視官へ無断で尋問もした。


 この件について何か動きがある可能性もある。


「じゃあ帰る?」


「お前がどこへ帰るのか俺は知らん」


「お菓子屋」


「そこは帰る場所とは言わん」


 シオンはまたため息を吐いた。


 手元には、リリア・アステルの住所。


 疑問は残っている。


 逃走者たちへ繋がる可能性のある、現在唯一の手掛かり。


 明日。


 彼女の家へ向かう。

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