第十八話 追跡
帝国監視局。
シオン・ハイゼンは、一室の中央に立っていた。
正面には大きな机。
その向こうには、監視局の上層部に属する男が座っている。
机の上には、数枚の報告書。
その一番上には、見覚えのある名前があった。
――レオ・アルヴェイン。
「追跡状況を報告しろ」
「はい」
シオンは姿勢を正した。
「逃亡後、レオ・アルヴェイン本人の確保には至っていません」
「現在は指名手配を行い、主要な通り、町、検問所を中心に監視を強化しています」
「目撃情報は?」
「複数あります」
「ですが、現時点では確証の取れないものが大半です」
男は報告書へ視線を落とした。
「逃走時の状況をもう一度確認する」
「……はい」
シオンは僅かに眉をひそめた。
その件については、すでに報告している。
だが命令なら答えるだけだ。
「レオ・アルヴェインを確保し、数日間の尋問をした後」
「監視局に黒のマントを羽織った何者か三名が侵入」
「年齢性別ともに不明」
「背格好から推測するに」
「容姿は後でいい」
男が遮った。
「何をした」
「……」
シオンが言いよどむ。
「歌が聞こえました」
「歌?」
「正確には、鼻歌です」
男の指が止まった。
「鼻歌か?」
「はい」
「楽器は?」
「使用していません」
「歌い始めてから、異変が起きるまでどれくらいだ」
シオンの眉が僅かに動く。
「数秒ほどだったと記憶しています」
「周囲にいた人間は?」
「次々と意識を失いました」
「全員か?」
「確認できた範囲では」
「お前も?」
「……はい」
男は黙った。
報告書へ何かを書き込む。
「意識を失う直前、身体に異常は?」
「強い眠気がありました」
「痛みは?」
「ありません」
「呼吸困難」
「ありません」
「幻覚は?」
「確認していません」
男はまた何かを書き込む。
「なるほど」
「…………」
シオンはしばらく黙っていた。
だが、やがて口を開く。
「一つ、よろしいでしょうか」
「何だ」
「この現象について、何かご存じなのですか?」
男が顔を上げる。
「なぜそう思う」
「質問の内容が、あまりに具体的でしたので」
「…………」
「薬物や何らかの装置によるものとは思えません」
「ですが、先ほどから現象そのものに驚かれていない」
シオンは真っ直ぐ男を見る。
「以前にも、同様の事例があったのでしょうか?」
数秒。
「響き手」
聞き慣れない言葉だった。
「何です?」
「今回の件には、響き手が関わってる可能性が高い」
シオンは眉をひそめる。
「響き手とは?」
「特定の行為によって、通常では説明できない現象を引き起こす人間だ」
「特定の行為?」
「歌、絵、文章――確認されている事例は複数ある」
「…………」
シオンの目が細くなる。
つまり。
「監視局は以前から、その存在を把握していたのですか?」
「そうだ」
即答だった。
「いつからです?」
「任務には関係ない」
「しかし――」
「ハイゼン副隊長」
低い声。
シオンは言葉を止めた。
「今回、お前に必要な情報だけを与える」
「…………」
「響き手は存在する」
「能力は個体ごとに異なる」
「そして、逃走を幇助した三名のうち、一人である可能性が高い」
「以上だ」
シオンは黙った。
納得はしていない。
だが命令系統上、これ以上踏み込むべきではないことも分かっている。
「……承知しました」
男は報告書を閉じる。
「今後の任務を変更する」
シオンが姿勢を正す。
「レオ・アルヴェインの再確保」
「加えて、逃走を幇助した三名の身元を特定し、確保しろ」
「確保ですか」
「生きたまま連れてこい」
シオンの目が僅かに動いた。
「抵抗した場合は?」
「三名については殺すな」
「…………」
「レオ・アルヴェインは?」
「必要なら従来通り対処して構わない」
シオンはその言葉を頭の中で整理した。
逃亡犯より。
正体不明の三名の確保を優先している。
「理由を伺っても?」
「必要ない」
また同じ答え。
「…………承知しました」
男は椅子の背にもたれた。
「それと」
「今回の追跡には、協力者をつける」
シオンが顔を上げる。
「協力者?」
「響き手だ」
僅かな沈黙。
「……監視局にもいるのですか」
「いる」
あまりにも粗雑な答えだった。
シオンは何も言わなかった。
今まで存在すら知らされていなかった人間が。
監視局側には、すでにいる。
それも、追跡任務へ投入できる状態で。
「名前はエドガー・ヴァイス」
男が机の横に置かれた呼び鈴を鳴らした。
しばらくして。
部屋の奥にある扉が開いた。
「連れてこい」
廊下にいた監視局員が小さく頭を下げる。
その後ろから、一人の男が姿を現した。
シオンは、思わず目を細めた。
背が高い。
シオンよりも少し高いだろうか。
だが身体は細く、背中を丸めるようにして立っているせいで、その身長ほど大きくは見えない。
肩まで伸びた髪。
目の下には濃い隈。
顔色もあまり良くない。
そして何より目についたのは、その服装だった。
白く薄い上着と、同じ色のゆったりとしたズボン。
病院の患者が着ているような、簡素な服。
少なくとも、監視局の人間には見えなかった。
男は部屋へ入ってくると、シオンを見た。
じっと見ている。
「…………」
シオンも男を見る。
しばらく無言で見つめ合う。
先に口を開いたのは、男だった。
「だれ?」
「シオン・ハイゼンだ」
「ふーん」
それだけだった。
男は興味を失ったように視線を逸らす。
そして手に持っていた小さな紙袋へ手を入れた。
中から菓子を一つ取り出す。
口へ入れる。
ポリ
シオンの眉が僅かに動いた。
「彼がエドガー・ヴァイスだ」
机の向こうから男が言った。
「今回の追跡に同行させる」
「彼が……響き手ですか?」
「そうだ」
シオンは改めてエドガーを見る。
エドガーは紙袋の中を覗いていた。
もうシオンたちの話を聞いているのかすら分からない。
「ヴァイス」
呼ばれて、エドガーが顔を上げた。
「なに?」
「今回、お前にはハイゼン副隊長の任務に同行してもらう」
「…………」
「逃亡した四名の追跡に協力しろ」
「外?」
エドガーの目が僅かに見開かれた。
「そうだ」
「外に行くの?」
「そう言っている」
エドガーの顔がぱっと明るくなる。
「やったーーーーー!!」
さっきまでとは明らかに反応が違った。
はしゃぐエドガーをシオンは横目で見る。
「彼の所属は?」
シオンが尋ねた。
「知る必要はない」
「では階級は?」
「任務には関係ない」
「…………」
まただ。
シオンはエドガーを見る。
本人は気にする様子もなく菓子を食べている。
「ヴァイス」
「ん?」
「出身はどこだ」
エドガーはシオンを見る。
「…………」
「質問している」
「聞こえてるよー」
「なら答えろ」
「やだー」
「…………」
シオンの眉間に皺が寄った。
「なぜだ」
「言っていいって言われてないから」
「誰に?」
「言っていいって言われてない」
「…………」
シオンは黙った。
質問を変える。
「お前も響き手なんだな?」
「…………」
エドガーは紙袋へ手を入れる。
「ヴァイス」
「聞こえてるー」
「なら答えろ」
「やだー」
「なぜだ」
「それも言っていいって言われてない」
「…………」
ポリ
菓子を噛む音だけが聞こえた。
シオンは机の向こうにいる男を見る。
「……この状態で、どうやって任務に同行させろと?」
「問題ない」
「私の質問にすら答えませんが」
「エドガー」
男が呼ぶ。
「なにー?」
エドガーはすぐにそちらを向いた。
「今回の任務では、ハイゼン副隊長に協力しろ」
「分かったー」
「…………」
シオンの目が細くなる。
先ほどまでの態度が嘘のような即答だった。
「私の指示には従うということですか?」
エドガーがシオンを見る。
「指示?」
「現場では私が指揮を執る」
「…………」
エドガーは首を傾げた。
「それ、命令?」
「そうだ」
「誰の?」
「私のだ」
「じゃあ、やだー」
「…………」
「エドガー」
上層部の男が呼ぶ。
「ハイゼン副隊長の追跡に協力しろ」
「うん」
エドガーが頷く。
シオンはしばらく黙っていた。
「……つまり」
ゆっくりと口を開く。
「私の指揮下に入るわけではない、と」
「そう考えていい」
「では、現場で彼に何かさせる必要が生じた場合は?」
「今回の追跡に必要なことであれば協力する」
シオンはエドガーを見る。
「本当か?」
「おじさんがそう言ったからー」
「…………」
非常に扱いづらい。
その一言に尽きた。
「それで」
シオンは上層部の男へ向き直る。
「彼には何ができるのです?」
「追跡だ」
「それは聞いています」
「具体的に、どのように?」
男はエドガーを見る。
「見せた方が早い」
「エドガー」
「なにー?」
「準備しろ」
「今?」
「そうだ」
エドガーの顔が明るくなった。
「外?」
「外だ」
すぐに紙袋を抱えて扉へ向かう。
「待て」
呼び止められた。
エドガーが振り返る。
「その格好で行くつもりか」
エドガーは自分の服を見る。
「だめー?」
「着替えてこい」
「…………」
「エドガー」
「分かったー」
少し不満そうだった。
監視局員に連れられ、エドガーが部屋から出ていく。
扉が閉まった。
途端に部屋が静かになる。
シオンは閉じた扉を見ていた。
「……随分と変わった男ですね」
「余計なことを考える必要はない」
「…………」
「お前はエドガーを使って、逃亡者を追えばいい」
「承知しました」
「それと」
男はシオンを見る。
「任務を放棄して逃走した場合、エドガー・ヴァイスを射殺しろ」
シオンの動きが止まった。
「……射殺?」
「そうだ」
「拘束ではなく?」
「射殺だ」
男の声に迷いはない。
シオンはしばらく黙っていた。
「理由を伺っても?」
「必要ない」
「しかし、彼は今回の任務に必要な響き手なのでしょう」
「そうだ」
「それを、逃走しただけで射殺するのですか?」
「そう命令している」
「…………」
シオンは男を見る。
これ以上聞いても答えは返ってこない。
それは、ここまでのやり取りで十分理解していた。
「……承知しました」
「それと」
「はい」
「エドガーから目を離すな」
「…………」
「以上だ」
シオンは敬礼した。
「失礼します」
踵を返す。
扉へ向かう。
取っ手へ手をかけたところで、一度だけ止まった。
響き手。
今まで存在すら知らされていなかった人間。
上層部直属。
所属も階級も不明。
そして。
逃げれば射殺。
「…………」
シオンは扉を開けた。
廊下へ出る。
そこには誰もいなかった。
「…………?」
左右を見る。
エドガーの姿がない。
シオンの表情が変わる。
「ヴァイス?」
返事はない。
その時。
廊下の奥から、監視局員の声が聞こえた。
「じっとしてろ!」
「やだ!」
「着替えられないだろ!」
「それ嫌い!」
「いいから腕を通せ!」
「やだ!」
「…………」
シオンの手が拳銃から離れた。
廊下の奥を見る。
「……何をしているんだ」
小さく呟いた。
シオンが廊下の奥へ向かうと、一つの部屋の前で監視局員がエドガーと格闘していた。
「だから腕を通せ!」
「やだ!」
「外に行くんだろ!」
「行く!」
「だったら着替えろ!」
「それは嫌!」
「どっちなんだ!」
監視局員が声を荒らげる。
エドガーは白いシャツを片腕だけ通した状態で抵抗していた。
シオンはその光景をしばらく眺める。
「……何をしている」
監視局員が振り返った。
「ハイゼン副隊長!」
その隙にエドガーが腕を引き抜こうとする。
「こら!」
「離して!」
「着替えろ!」
「ヴァイス」
シオンが呼ぶ。
エドガーがこちらを見る。
「なに?」
「追跡任務に行くんだろう」
「行く!」
「なら着替えろ」
「でもこれ嫌い」
エドガーはシャツをつまんだ。
「なぜだ」
「首が苦しい」
「一番上まで留めなければいい」
「…………」
エドガーが自分の首元を見る。
それから監視局員を見る。
「開けていい?」
「いいから早く着ろ!」
シオンは小さく息を吐いた。
「五分で準備しろ」
そう言って踵を返す。
「それ命令?」
背後から声が飛んできた。
シオンの足が止まった。
「…………」
振り返る。
エドガーがこちらを見ている。
「お前は追跡任務に協力するよう命令されている」
「うん」
「追跡するには外へ出る必要がある」
「うん」
「外へ出るには着替える必要がある」
「うん」
「なら着替えろ」
「…………」
エドガーは少し考えた。
「分かった」
シオンは再び歩き出した。
背後から監視局員の声が聞こえる。
「ほら! 反対の腕!」
「分かってる!」
「それは足だ!」
「…………」
シオンは振り返らなかった。
◇
しばらくして。
「できたー」
声に振り返ったシオンは、数秒黙った。
「…………」
エドガーが立っている。
白いシャツ。
膝が見える丈の半ズボン。
ズボンを吊るすサスペンダー。
膝下まで伸びた長い靴下。
足元には革靴。
先ほどの患者のような服よりは外を歩く格好に見える。
だが。
「…………」
「なに?」
「いや」
シオンは視線を逸らした。
大人の男が着る服には見えなかった。
しかもエドガーは背が高い。
余計に違和感がある。
「行かないの?」
「行く」
シオンが歩き出す。
エドガーが後ろについていく。
◇
監視局の正面玄関。
扉が開いた。
昼の光が差し込む。
シオンはそのまま外へ出た。
数歩進む。
後ろから足音が聞こえない。
すぐに振り返った。
「ヴァイス」
エドガーが玄関の前で立ち止まっていた。
「…………」
外を見ている。
通りを行き交う人々。
馬車。
店。
建物。
そして空。
エドガーがゆっくり顔を上げた。
「外だ」
「見れば分かる」
「…………」
エドガーは空を見たままだった。
その顔が、少しずつ笑顔になる。
「外だ!」
突然走り出した。
「ヴァイス!」
シオンの手が反射的に腰へ伸びた。
――逃走した場合、エドガー・ヴァイスを射殺しろ。
「待て!」
エドガーは止まらない。
通りへ飛び出す。
シオンが追う。
「ヴァイス!」
エドガーが急に止まった。
シオンも足を止める。
腰の拳銃へ手をかけたまま、エドガーを見る。
「…………」
エドガーは店の前に立っていた。
ガラス越しに中を覗き込んでいる。
「すごい」
「…………何がだ」
「お菓子」
菓子屋だった。
色とりどりの菓子が棚に並んでいる。
エドガーはガラスに顔を近づけた。
「いっぱいある」
「ヴァイス」
「これ何?」
「知らん」
「こっちは?」
「知らん」
「これ食べたい」
「任務中だ」
「見るだけ」
「もう見ただろう」
「まだ全部見てない」
「行くぞ」
シオンが歩き出す。
エドガーは動かない。
「ヴァイス」
「…………」
「行くぞ」
「それ、命令?」
シオンのこめかみが僅かに動いた。
「……追跡に協力しろという命令を忘れたのか?」
「覚えてる」
「なら来い」
「お菓子見るのは追跡と関係ない?」
「ない」
「…………」
エドガーは名残惜しそうに店を見る。
「分かった」
ようやく歩き出した。
シオンはその横顔を見る。
先ほどまで部屋の中で菓子を食べながら無表情だった男とは思えない。
通りを歩き始めてからも、エドガーは忙しかった。
馬車が通れば見る。
露店があれば見る。
犬が歩いていれば見る。
店先に果物が並んでいれば見る。
人だかりがあれば、何があるのか覗こうとする。
「前を見て歩け」
「見てる」
「横しか見ていない」
「いっぱいあるから」
「何がだ」
「いろいろ」
「…………」
シオンは何も言わなかった。
少し歩いたところで、エドガーが急に立ち止まった。
シオンも止まる。
「今度は何だ」
「ねえ」
「何だ」
「今日はずっと外にいていいの?」
「任務が終わるまではな」
「ほんと?」
「ああ」
エドガーの顔がまた明るくなる。
「やった」
「…………」
シオンはその表情を見つめた。
ただ外を歩いている。
それだけだ。
なのに。
まるで滅多に許されないことを許された子供のように喜んでいる。
先ほどまで着ていた服。
上層部の命令にだけ従う態度。
所属も階級も明かされない。
そして。
逃走すれば射殺。
「…………」
シオンは考えるのをやめた。
今は任務が先だ。
「ヴァイス」
「なに?」
「まず、レオ・アルヴェインが逃走した後の足取りを追う」
「うん」
「そのために目撃者から話を聞く」
「うん」
「お前の能力を使う」
エドガーの足が止まった。
さっきまで通りのあちこちを見ていた目が、初めてシオンへ向く。
「絵は?」
「絵?」
「その人の絵」
「人相書きなら監視局にある」
「だめ」
即答だった。
「なぜだ」
「僕が描いてないから」
「…………?」
シオンが眉をひそめる。
エドガーはポケットを探る。
菓子ではない。
取り出したのは、小さな鉛筆だった。
「顔、教えて」
「顔?」
「逃げた人」
エドガーはシオンを見上げる。
「僕が描くから」
「紙は?」
「持ってない」
「…………」
「ある?」
シオンは小さく息を吐いた。
近くにあった店へ入り、紙を数枚購入する。
外へ出ると、エドガーが両手を伸ばしてくる。
「ちょうだい」
「待て」
「なに?」
「先に確認する」
シオンは紙を渡さない。
「お前の能力とは何だ」
「絵を描く」
「それは能力ではない」
「そうなの?」
「…………」
シオンは眉間を押さえた。
「なぜ、お前が描いた人相書きでなければならない」
「僕が描いた絵じゃないとできないから」
「何ができない」
「聞くの」
「誰に?」
「知ってる人」
「何をだ」
「絵の人のこと」
「…………」
まるで要領を得ない。
「最初から説明しろ」
「やだ」
「…………」
シオンはしばらくエドガーを見た。
そして諦めた。
「……分かった。見せろ」
「紙」
シオンは一枚渡した。
エドガーは近くの建物の壁に紙を押し当てる。
「顔」
「レオ・アルヴェインだな」
「うん」
シオンは記憶を辿った。
「十七歳。男」
エドガーの鉛筆が動き始める。
「髪は短い。前髪は眉にかかる程度」
線が引かれる。
「目つきは良くない」
「どれくらい?」
「……どれくらい?」
「すごく悪い?」
「そこまでではない」
「じゃあちょっと?」
「普通よりは悪い」
「分かった」
本当に分かったのか。
そう思ったが、エドガーの手は止まらない。
「輪郭は細め。頬に――」
シオンは覚えている限りの特徴を伝えていく。
そのたびに鉛筆が紙の上を走る。
やがて。
「できた」
「早いな」
シオンは紙を受け取った。
「…………」
レオだった。
完全に同じというわけではない。
だが、特徴はよく捉えている。
少なくともこれを見せれば、レオを知っている人間ならすぐに分かるだろう。
「お前、絵を習っていたのか?」
「教えなーい」
「好きにしろ…」
「はーい」
エドガーは人相書きを取り返した。
「これでできる」
「何が?」
「だから、聞くの」
エドガーは歩き出した。
「どこへ行く」
「知ってる人探す」
「どうやって?」
「見せる」
「…………」
シオンはその後を追った。
◇
最初に入ったのは、レオが逃走した地域にある小さな食料品店だった。
店主の男が人相書きを見る。
「この男?」
「見たことある?」
エドガーが尋ねる。
「いやぁ……どうだったかな」
店主は首を傾げた。
「似たような若い奴ならいくらでもいるからな」
あまり協力的ではない。
「ふーん」
エドガーは人相書きを見た。
それから、もう一度店主へ向ける。
「よく見て」
「見てるよ」
「この人、知ってる?」
「だから、分からな――」
店主の言葉が止まった。
シオンが僅かに眉をひそめる。
店主の目から力が抜けていた。
【知る者の証言】《肖像尋問》
人相書きを見たまま動かない。
「おい」
シオンが一歩前へ出る。
「何をした」
エドガーは答えなかった。
「この人、見た?」
「…………見た」
店主が答えた。
シオンの動きが止まる。
「いつ?」
「……一週間前」
「どこで?」
「……店の前」
「一人?」
「……違う」
「誰といた?」
「……若い男」
「名前は?」
「…………」
店主は答えない。
「名前」
「…………」
やはり無言。
「ヴァイス」
シオンが呼ぶ。
「なぜ答えない」
「知らないから」
「知らない?」
「うん」
エドガーは何でもないことのように答える。
「この人が知らないことは答えられない」
「…………」
シオンは店主を見る。
焦点の合わない目。
表情もない。
「催眠か?」
「さいみん?」
「今、この男に何をしている」
「聞いてる」
「それは見れば分かる」
「…………」
シオンの眉間に皺が寄る。
「もういい」
「うん」
エドガーは店主へ向き直った。
「二人は何してた?」
「……歩いていた」
「どっちに?」
店主が方向を答える。
「分かった」
エドガーは人相書きを下ろした。
その瞬間。
「……ん?」
店主が瞬きをする。
周囲を見る。
「あれ?」
目に力が戻っていた。
「俺、今……」
「行くよ」
エドガーはさっさと店を出ていく。
「待て」
シオンもその後を追った。
「説明しろ」
「何を?」
店を出てすぐ、シオンはエドガーを止めた。
「今の力だ」
「見たでしょ」
「見ただけでは分からない」
「僕が描いた絵を見せる」
エドガーは人相書きを持ち上げた。
「それで?」
「知ってるか聞く」
「知ってたら?」
「聞ける」
「何を」
「その人が知ってること」
「…………」
シオンは人相書きを見る。
「対象が知らない情報は?」
「聞けない」
「嘘は?」
「つかないよ」
「能力を受けた人間は、知っていることを正確に答える?」
「その人が知ってることなら」
あまりにも簡単に答える。
シオンは少し考えた。
「では、今の男がレオ・アルヴェインを見たこと自体を忘れていた場合は?」
「知ってれば答える」
「記憶が曖昧でも?」
「知らなーい」
「…………」
「やってみればー?」
エドガーは人相書きをひらひらさせる。
シオンはそれを見る。
これが。
響き手。
先ほど初めて存在を知らされたばかりの力。
そして監視局上層部は、こんな人間を以前から抱えていた。
「…………」
「次、行かないの?」
エドガーが尋ねる。
「行くぞ」
シオンは歩き出した。
◇
そこからの追跡は、異様なほど早かった。
一人。
次の一人。
また次。
エドガーが人相書きを見せる。
「この人、見た?」
知らなければ何も起きない。
知っていれば、目から力が消える。
「いつ?」
「誰と?」
「どこへ行った?」
質問するたびに、少しずつレオの足取りが繋がっていく。
シオンがこれまで何日もかけて集めていた曖昧な目撃情報とは違う。
見間違い。
記憶違い。
嘘。
そういったものを、一つずつ確認する必要がない。
「…………」
シオンは前を歩くエドガーを見る。
本人は菓子を口へ放り込みながら歩いている。
ポリ
「次どっち?」
「右だ」
「分かった」
ポリ
こんな男一人で。
追跡の速度がまるで違う。
しばらくして、二人は一軒の画材店へ辿り着いた。
「ここか」
「うん」
エドガーが扉を開ける。
店主が顔を上げた。
「いらっしゃい」
シオンが前へ出る。
「帝国監視局だ」
身分証を見せる。
店主の表情が強張った。
「少し話を聞きたい」
「……はい」
エドガーが横から人相書きを出した。
「この人、見た?」
店主は紙を見る。
「ああ」
即答だった。
「見たよ」
シオンとエドガーが視線を交わす。
「いつ?」
「四日前だったかな」
「一人?」
「いや」
「もう一人、若い男と一緒だった」
「何してた?」
「画家について聞いてきたよ」
シオンの目が僅かに細くなる。
「誰だ」
エドガーが人相書きを店主へ向けた。
「この人は、誰について聞いてた?」
店主の目から力が抜ける。
「…………」
数秒。
そして。
「……ヴィクトル・ローゼン」
シオンの表情が変わった。
「ヴィクトル・ローゼン?」
聞き覚えのある名前だった。
帝国でも知られた国家公認画家。
「何を聞いていた?」
「……どんな人物だったか」
「他には?」
「……最近、見なかったか」
シオンが眉をひそめる。
「最近?」
「……はい」
「なぜそんなことを聞いていた?」
「…………」
答えない。
店主は知らない。
「もういい」
エドガーが人相書きを下ろす。
「……あれ?」
店主が瞬きをした。
シオンは何も言わなかった。
ヴィクトル・ローゼン。
逃亡したグラウンの少年が、なぜ国家公認画家について調べている。
「…………」
シオンは考える。
「知ってる人?」
横からエドガーが覗き込んでくる。
「名前だけはな」
「有名?」
「ああ」
「絵描く人?」
「そうだ」
「ふーん」
エドガーは興味を失ったように紙袋へ手を入れる。
菓子を一つ口へ放り込んだ。
ポリ
シオンは店主を見る。
「ヴィクトル・ローゼンについて、他に何か聞かれなかったか?」
「いや……そのくらいだったと思います」
「分かった」
シオンは店を出る。
エドガーも後ろからついてきた。
通りへ出たところで、シオンが足を止める。
「ヴァイス」
「なにー?」
「次の行き先を変更する」
「どこー?」
シオンは監視局のある方角を見る。
「ヴィクトル・ローゼンについて調べる」
「追跡はー?」
「そのためだ」
「ふーん」
エドガーはまた菓子を食べる。
シオンは歩き出した。
レオ・アルヴェイン。
正体不明の三人。
響き手。
そして。
ヴィクトル・ローゼン。
今はまだ。
それらがどう繋がっているのか分からない。
だが。
確かめる必要がある。
シオンは監視局へ向けて歩き出した。




