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第十五話 調査

 レオはエバーガーデンの広間で、昨日と同じ机に座っていた。


 目の前には、あの分厚い住民台帳が置かれている。


 開かれているのは一人の男の記録。


 ――ヴィクトル・ローゼン。


 職業――国家公認画家。


 犯歴――非公認絵画の制作、所持、販売。


 非公認絵画を扱う闇オークションの運営。


 判決――銃殺刑。


 その横には、テルが持ってきた一枚の新聞が広げられていた。


 帝国美術コンクール。


 入賞作品の紹介記事。


 そこにも同じ名前がある。


 ――ヴィクトル・ローゼン。


「やっぱり同じ名前だな」


 レオが二つを見比べる。


「うん」


 テルは新聞を手に取った。


「俺が見たのもこの記事だ」


「じゃあ、どうすんだ?」


「確かめに行く」


 テルは住民台帳へ目を落とした。


 指先で一つの項目をなぞる。


 そこにはヴィクトル・ローゼンが処刑される前の所在地が記載されていた。


「ここ」


「ヴィクトル・ローゼンの住所」


 レオが眉をひそめる。


「行ってどうすんだよ」


「今ある二つの情報のどっちが正しいのか確認するのさ」


 テルは住民台帳と新聞を交互に見た。


「台帳には銃殺刑と書いてある」


「でも、新聞には最近のコンクールでヴィクトル・ローゼンの作品が入賞したと書いてある」


「どちらも帝国が出している情報なのに、内容が噛み合ってない」


「だからまず、ここに書かれている住所へ行ってみる」


 レオは椅子の背にもたれた。


「台帳が間違ってるかもしれねぇってことか?」


「分からない」


「新聞が間違ってる可能性もある」


「じゃあ、どっちなんだよ」


「それを調べるんだよ」


 テルは当たり前のように答えた。


 レオは面倒くさそうに頭をかく。


「……お前、こういう時だけ妙に細けぇよな」


「記者だからね」


 テルは住民台帳を閉じる。


「最初から答えを決めて調べると、自分に都合のいい情報ばかり拾うことになる」


「だから、まず確認できることから確認する」


「ふーん」


 レオには半分も理解できていなかった。


 ただ、テルがこういうことに関して妙に頑固なのだけは分かった。


「それで?」


「俺も行くのか?」


「もちろん」


「なんでだよ」


「君の仕事だから」


「……そうだった」


 完全に忘れていた。


 レオは大きくため息をつくと、椅子から立ち上がった。


「行きゃいいんだろ、行きゃ」


「その意気」


「昨日も聞いたぞ、それ」


 テルは小さく笑った。


 二人はヴィクトルの住所を書き写した紙を持ち、エバーガーデンを出た。


 地下から地上へ続く階段を上がる。


 重い扉を抜けた瞬間、朝の光が目に入った。


「眩し……」


 レオは思わず目を細める。


 数日前までは何も考えず歩いていた街だった。


 だが今は違う。


 監視局から逃げ出した自分が、堂々と歩いていい場所ではない。


 通りへ出る前に、レオは周囲を確認した。


 監視局員は見当たらない。


「大丈夫そうだな」


 そう呟いて歩き出そうとした時。


「待って」


 テルがレオの腕を掴んだ。


「なんだよ」


 テルの視線は通りの向こうへ向いていた。


 レオもそちらを見る。


 壁に何枚もの紙が貼られている。


 そのうちの一枚を見て、レオの足が止まった。


「…………」


 描かれていたのは、見覚えのある顔だった。


 いや。


 毎朝、鏡で見ていた顔だ。


 多少特徴を誇張されてはいるものの、間違えようがない。


 その下には大きな文字。


 ――指名手配。


「……俺じゃねぇか」


 レオは思わず呟いた。


 テルが小声で答える。


「思ってたより早かったね」


「感心してる場合かよ」


 レオは周囲を見回し、慌てて壁から顔を背けた。


「これじゃ普通に歩けねぇだろ」


「だから目立たないように行こう」


「簡単に言うなよ……」


 レオは深くため息をついた。


 自分が監視局から逃げたことも。


 帝国に追われる立場になったことも。


 頭では分かっていた。


 だが、自分の顔が指名手配書として街中に貼られている光景を見ると、嫌でも実感する。


(本当に……)


(戻れなくなったんだな)


 ほんの少し前まで。


 この道を歩いて仕事へ向かっていた。


 面倒くさいと思いながら働いて。


 帰って。


 飯を食って。


 寝る。


 そんな毎日だった。


 もう同じ生活には戻れない。


「レオ」


 テルの声で我に返る。


「行くよ」


「……ああ」


 レオは帽子を深く被り直した。


 二人は人通りの多い大通りを避け、細い道を選んで進んでいく。


 しばらく歩くと、周囲の建物が少しずつ変わってきた。


 商店の並ぶ通りを抜け、静かな住宅街へ入る。


 テルが何度か紙に書き写した住所を確認する。


「この辺りのはず」


「まだかよ」


「もう少し」


 さらに進む。


 そしてテルが足を止めた。


「ここだ」


 レオも立ち止まる。


 二人の前には、一軒の家があった。


 派手さのない、ごく普通の建物。


 表札を見る。


 そこには確かに、


 ――ヴィクトル・ローゼン。


 そう刻まれていた。


 テルは住民台帳から書き写した住所と、目の前の建物をもう一度確認する。


「住所は合ってる」


「じゃあ本人に聞けば全部終わりだな」


「そうだといいけどね」


 テルは扉の前へ立つ。


 そして。


 コン、コン。


 二度、扉を叩いた。


 返事はない。


 もう一度。


 コン、コン。


 静かなままだった。


「留守じゃねぇの?」


「かもしれない」


 テルは少し待った。


 しかし、中から人が出てくる気配はない。


 レオは家を見上げる。


 窓は閉じられている。


 カーテンも動かない。


 生活している人間がいるのかすら分からなかった。


「どうする?」


 テルはしばらく扉を見つめる。


 そして周囲の家々へ視線を向けた。


「聞いてみよう」


「何を?」


「ここに住んでいる人のこと」


 テルは隣家へ向かって歩き出す。


 レオはその背中を見て、頭をかいた。


「結局、聞き込みかよ」


「情報って最後は自分の足なんだ」


「……それ気に入ってんのか?」


 テルは答えず、小さく笑った。


 二人はヴィクトルの家を離れ、隣の家の扉へ向かった。


 テルは隣家の扉を軽く叩いた。


 しばらく待つ。


 やがて扉が少しだけ開き、中から年老いた女性が顔を覗かせた。


「はい?」


「すみません。少しお聞きしたいことがあるんですが」


 テルは柔らかい口調で話しかける。


「お隣に住んでいるヴィクトル・ローゼンさんについてなんですけど」


「ヴィクトルさん?」


 女性は少し驚いたように目を瞬かせた。


「あなたたち、あの人の知り合い?」


「いえ。少し調べていることがありまして」


「最近、ヴィクトルさんを見かけましたか?」


 女性は首を横に振った。


「最近どころか、もう一年くらい見てないねぇ」


 テルとレオが顔を見合わせる。


「一年?」


「ええ」


「何かあったんですか?」


「さあねぇ」


 女性は少し考える。


「ただ……」


「一年前くらいだったかしら。あの家に監視局の人たちが来たことがあったよ」


 テルの表情がわずかに変わる。


「監視局が?」


「ええ」


「ずいぶん物々しかったから、よく覚えてる」


「それで、ヴィクトルさんが連れていかれたんだよ」


 レオは思わずテルを見る。


 テルはそのまま女性へ尋ねた。


「それからヴィクトルさんが戻ってきたところは?」


「見てないねぇ」


「少なくとも私は一度も」


「どうして連れていかれたか、ご存じですか?」


「そこまでは知らないよ」


 女性は困ったように首を振った。


「監視局の人たちも何も言わなかったし」


「そうですか」


 テルは小さく頷いた。


「ありがとうございます」


 二人は女性に頭を下げ、その家を離れた。


 少し歩いたところで、レオが口を開く。


「台帳の通りじゃねぇか」


「まだ分からないよ」


「何がだよ」


「今分かったのは、一年前にヴィクトルが監視局に連れていかれたことだけ」


 テルは歩きながら答える。


「処刑されたところを見たわけじゃない」


「でも台帳には銃殺刑って書いてあっただろ」


「うん」


「だから、記録と実際に起きたことが途中までは一致してる」


「今確認できたのはそこまで」


 レオは眉間に皺を寄せた。


「めんどくせぇ……」


「そういう仕事なんだよ」


「お前、よくこんなの楽しめるな」


「楽しいよ」


 即答だった。


「変な奴」


 レオは呆れながらも、そのままテルについていった。


 二人は続けて近所の家を回った。


 だが、どこで聞いても似たような答えが返ってくる。


「最近は見てないね」


「監視局に連れていかれた?」


「そうそう。そんなこともあったな」


「理由?」


「知らないよ」


 誰もヴィクトルが連れていかれた理由までは知らなかった。


 そして、一年前からヴィクトルを見たという者もいない。


 何軒目かの家を出たところで、レオが大きく息を吐いた。


「もういいだろ」


「みんな同じこと言ってんじゃねぇか」


 テルは手元のメモを見る。


「そうだね」


「少なくとも、ここで聞けることはこれくらいかな」


「じゃあ帰るか」


「いや」


 テルは顔を上げる。


「次はヴィクトル本人について調べよう」


「本人いねぇじゃん」


「そういう意味じゃないよ」


 テルは苦笑した。


「ヴィクトル・ローゼンがどんな画家だったのか」


「それを知ってる人を探す」


「まだやんのかよ……」


「始まったばっかりだよ」


 レオの顔が露骨に曇った。


「帰りてぇ」


「駄目」


 二人は住宅街を離れた。


 向かったのは、ヴィクトルが暮らしていた地区から少し離れた商店街だった。


 画材を扱う店。


 額縁を売る店。


 絵を飾っている喫茶店。


 テルはヴィクトルの名前を出しながら、一軒ずつ話を聞いていった。


 ヴィクトル・ローゼン。


 その名前は、美術に関わる人間の間ではよく知られていた。


「ヴィクトル? もちろん知ってるよ」


 画材店の店主は、懐かしそうに答えた。


「画家として優秀だったからね」


「有名だったんですか?」


 テルが尋ねる。


「ああ。昔は結構なもんだったよ」


「何度も賞を取ってたし、腕は確かだった」


 レオは店内に並んだ絵筆を眺めながら話を聞いている。


 テルはさらに尋ねた。


「昔は?」


「ああ」


 店主は少しだけ考えてから答えた。


「あの頃は、あんまり調子が良くなかったみたいだけどね」


「調子が良くなかった?」


「スランプってやつさ」


 テルの鉛筆が止まる。


「いつ頃からですか?」


「さあ、そこまでは」


 店主は腕を組む。


「ただ、ある時からぱったりと作品を出さなくなったって話は聞いたよ」


「絵描きなんてそんなもんさ」


「描ける時もあれば、描けない時もある」


 テルは手帳へ書き留める。


「なるほど」


「他に何か知っていることはありますか?」


 店主はしばらく考えたが、やがて首を横に振った。


「いやぁ...」


「俺が知ってるのはそのくらいだな」


 テルは手帳を閉じる。


「ありがとうございます」


 二人は店を出た。


 通りへ出ると、レオがテルの手元を覗き込む。


「なんか分かったのか?」


「少しだけ」


 テルは歩きながらメモを見返した。


「ヴィクトル・ローゼンは画家として、それなりに評価されていた」


「でも、ある時期からスランプになっていた」


 レオは首をかしげる。


「それ、今の話に関係あんの?」


「分からない」


「またそれかよ」


「分からないことを、分かったことにするよりいいだろ?」


 テルはそう言ってメモを閉じた。


「今はまだ、使える情報かどうか判断する必要はない」


「集めておくんだ」


「あとで別の情報と繋がるかもしれないから」


「……やっぱめんどくせぇ仕事」


「面白いんだけどなぁ」


「お前だけだろ」


 レオはうんざりしたように肩を落とした。


 テルはそんなレオを見て笑う。


 そして、もう一度通りを見渡した。


「さて」


「もう少し聞いてみようか」


「まだやんの!?」


 レオの声が通りに響いた。それからも二人は聞き込みを続けた。


 画材店を出て、次の店。


 そこを出て、また次の店。


 ヴィクトル・ローゼン。


 その名前を出しては話を聞き、テルは手帳へ書き留めていく。


 一方のレオはというと。


「……疲れた」


 すでに飽きていた。


「まだ三軒だよ」


「三軒も、だろ」


「全然足りないよ」


「何軒回るつもりだよ……」


「必要な情報が集まるまで」


「一番嫌な答えだな」


 テルは気にする様子もなく、次の店へ向かう。


 レオは大きなため息をつきながら、その後を追った。


 次に入ったのは、小さな額縁店だった。


 壁には大小さまざまな額縁が並んでいる。


 店の奥では、眼鏡をかけた老人が作業台に向かっていた。


「すみません」


 テルが声をかける。


 老人が顔を上げた。


「なんだい?」


「ヴィクトル・ローゼンという画家について、お聞きしたいんですが」


 その名前を聞いた老人の手が止まった。


「ヴィクトル?」


「はい」


「ご存じですか?」


「そりゃ知ってるさ」


 老人は眼鏡を押し上げた。


「昔はうちにもよく来てたからな」


 テルはすぐに手帳を開く。


「どんな人だったんですか?」


「どんなって……」


 老人は作業台へ肘をつき、少し考えた。


「変わった男だったよ」


「気に入らない額縁を出すと、絵が死ぬだのなんだのって文句ばっかり言いやがる」


「面倒くさい客だった」


 そう言いながらも、老人はどこか懐かしそうに笑っていた。


「でも、絵は上手かったよ」


「昔は賞も取ってたしな」


 ここまでの話は、他で聞いたものとほとんど同じだった。


 テルは手帳へ書き込みながら尋ねる。


「最近は?」


「最近?」


「ここ一年ほど、ヴィクトルさんを見かけていませんか?」


 老人は首を横に振った。


「いや」


「しばらく見てないな」


「最後に見たのがいつだったかも覚えてない」


「そうですか……」


 テルが書き留める。


 その横で、レオは店内を眺めていた。


 どこを見ても額縁。


 当然だが、面白いものなど何もない。


「じゃあ、これで――」


 レオが店を出ようとした時だった。


「ああ、そういや」


 老人が何かを思い出したように声を上げた。


 テルが振り返る。


「何か?」


「最後の方は一人じゃなかったな」


 テルの鉛筆が止まった。


「一人じゃなかった?」


「ああ」


「若い娘を連れてた」


 レオも足を止める。


「娘?」


「ヴィクトルの娘ですか?」


 テルが尋ねると、老人は首を横に振った。


「いや、違う」


「弟子だよ、弟子」


 テルとレオが顔を見合わせた。


「ヴィクトルさんには弟子がいたんですか?」


「ああ」


「珍しかったよ。あいつ、昔は弟子なんて取らなかったからな」


 テルはすぐに手帳へ書き込む。


「その弟子の名前は分かりますか?」


「名前ぇ?」


 老人は眉間に皺を寄せた。


「なんだったかな……」


 しばらく考え込む。


「リ……」


「リ?」


「リリア……だったか」


 老人は何度か頷いた。


「そうだ。リリアだ」


 テルの鉛筆が動く。


 ――リリア。


「名字は?」


「そこまでは知らんよ」


「ヴィクトルがそう呼んでただけだからな」


「どんな人でした?」


「大人しい娘だったよ」


「ヴィクトルの後ろについて歩いてるところを何度か見たくらいだ」


「絵を描いていたかどうかは?」


「弟子なんだから描いてたんじゃないか?」


「俺は見たことないけどな」


「なるほど」


 テルは最後まで書き留めると、手帳を閉じた。


「ありがとうございます」


「助かりました」


 二人は額縁店を出た。


 外へ出た瞬間、レオが口を開く。


「弟子なんていたのか」


「みたいだね」


 テルは歩きながら手帳を開く。


 そこには今まで集めた情報が並んでいた。


 優秀な画家。


 数々の受賞歴。


 高い評価。


 スランプ。


 一年前、監視局に連行。


 そして――


 弟子、リリア。


「どうする?」


 レオが尋ねる。


「探すよ」


「そのリリアって奴を?」


「うん」


 テルは頷いた。


「ヴィクトルの弟子だったなら、俺たちが聞いてきた人たちよりヴィクトルについて詳しい可能性が高い」


「でも名字も分かんねぇんだろ?」


「だから調べる」


「またかよ……」


 レオはうんざりした顔をする。


 テルは気にせず歩き出した。


「名前が分かっただけでも十分だよ」


「リリアって名前の画家を探せばいい」


「弟子だからって画家とは限らなくねぇか?」


 その言葉にテルの足が止まった。


「…………」


 レオも止まる。


「なんだよ」


「いや」


 テルが振り返った。


「その通りだなと思って」


「お、おう」


 素直に認められ、レオの方が戸惑った。


 テルは手帳へ何かを書き足す。


「じゃあ条件を広げよう」


「ヴィクトルと関係があった、リリアという女性」


「それで調べる」


「結局やること増えてんじゃねぇか」


「そういうものだよ」


「やっぱこの仕事向いてねぇわ、俺」


 二人は再び歩き始めた。


 しばらくして、テルがふと口を開く。


「でも、少し進んだ」


「あ?」


「朝はヴィクトルの住所しか分からなかった」


「今は、ヴィクトルを直接知っていた人の名前が一つ分かった」


 テルは手帳を軽く持ち上げる。


「こうやって一個ずつ繋げていくんだ」


 レオは横目でテルを見る。


「……地味だな」


「地味だよ」


「面倒だし」


「面倒だね」


「時間もかかる」


「かかるね」


「何が楽しいんだよ」


 テルは少し考える。


 そして笑った。


「誰も知らなかったことが、少しずつ見えてくるところかな」


「…………」


 レオには、やっぱりよく分からなかった。


「変な奴」


「よく言われる」


 テルは笑いながら歩いていく。


 レオもその後を追った。


 手掛かりは、名前だけ。


 いくつかの画材店を回り、ヴィクトルの弟子だったリリアという女性を知らないか尋ねていく。


 すると、三軒目の店で店主が「ああ」と声を上げた。


「リリア・アステルじゃないか?」


 テルがすぐに手帳を開く。


「知っているんですか?」


「知ってるも何も、あの子も画家だよ」


「画家?」


「ああ。まだ若いけどね」


「ここにもたまに画材を買いに来るよ」


 テルがレオを見る。


 レオも小さく頷いた。


「ヴィクトル・ローゼンさんの弟子だった人ですか?」


「そうだよ」


 店主は何でもないことのように答えた。


「昔はよく二人で来てたからね」


 名前だけだった情報が、一つ繋がった。


 ――リリア・アステル。


 ヴィクトル・ローゼンの弟子。


 そして現在も絵を描いている。


「その人がどこにいるか分かりますか?」


「家までは知らないよ」


「でも、あの子ならこの辺りに住んでるはずだ」


「ありがとうございます」


 二人は店を出た。


 レオが大きく伸びをする。


「やっと見つかったな」


「まだ名前が分かっただけだよ」


「十分だろ」


「ここから所在地を調べないと」


「……まだあんのかよ」


 レオの顔が曇る。


 テルは気にする様子もなく手帳を閉じた。


「リリア・アステル」


「ここまで分かれば、あとは難しくない」


 二人はいったんエバーガーデンへ戻った。


 住民台帳からリリア・アステルの名前を探す。


 ほどなくして、該当する人物が見つかった。


 ――リリア・アステル。


 十八歳。


 階級――コモン。


 職業――画家〖公認〗


 テルは記載されている住所を紙へ書き写した。


「この人で間違いなさそうだ」


「じゃあ行くか」


 レオが立ち上がる。


 テルは少し意外そうに顔を上げた。


「今日はもう嫌なんじゃなかったの?」


「ここまでやって明日にすんのも気持ち悪ぃだろ」


「へえ」


「なんだよ」


「いや、少し仕事に慣れてきたのかなって」


「違ぇよ」


 レオは即答した。


「さっさと終わらせたいだけだ」


「はいはい」


「絶対信じてねぇだろ」


 テルは笑いながら立ち上がった。


 二人は再び地上へ向かった。


 ◇


 リリアの住所は、ヴィクトルの家からそれほど離れていなかった。


 住宅と小さな商店が並ぶ静かな通り。


 人目を避けながら歩いていた二人は、一軒の建物の前で足を止めた。


 テルが手元の紙を確認する。


「ここだね」


 レオは建物を見上げる。


「普通の家だな」


「何を想像してたの?」


「画家なんだから、もっとこう……」


 レオは両手を動かす。


「変な形してるとか」


「偏見じゃない?」


「うるせぇ」


 テルは苦笑しながら扉へ近づいた。


 コン、コン。


 扉を叩く。


 返事はない。


 テルがもう一度叩こうとした時。


「……はい」


 小さな声が聞こえた。


 しばらくして、扉がわずかに開く。


 隙間から一人の少女が顔を覗かせた。


 どこかおどおどとした様子で、二人を交互に見ている。


「……どちら様ですか?」


 テルが柔らかく答える。


「突然すみません」


「リリア・アステルさんですか?」


「……はい」


 少女は小さく頷いた。


「少し聞きたいことがあるんです」


 テルが言った。


「……何でしょう」


「ヴィクトル・ローゼンさんについてです」


 その名前が出た瞬間だった。


 リリアの表情が固まった。


 ほんの一瞬。


 だが、レオにも分かるほどだった。


「あなたがヴィクトルさんの弟子だったと聞きました」


 テルは続ける。


 リリアは少し間を置いてから答えた。


「……そうです」


「いつ頃まで一緒に?」


「…………」


 リリアは答えない。


 テルは急かさず待った。


「俺たちはヴィクトルさんについて調べています」


「一年前に監視局へ連れていかれたという話を聞きました」


 リリアの指が扉を強く握る。


「何か知っていることがあれば、教えてもらえませんか?」


「……知りません」


 短い返事だった。


 レオが眉をひそめる。


 テルは表情を変えない。


「監視局に連れていかれた理由も?」


「……知りません」


「その後、ヴィクトルさんと会ったことは?」


「ありません」


「じゃあ――」


「もういいですか?」


 テルの言葉を遮るように、リリアが言った。


「え?」


「……帰ってください」


 声は小さい。


 だが、はっきりと拒絶していた。


 テルは少し黙る。


「分かりました」


「突然すみませんでした」


 それ以上は聞かなかった。


 二人が離れると、リリアはすぐに扉を閉めた。


 バタン。


 レオは閉じられた扉を見つめる。


「…………」


 そして小声で言った。


「なんだよ、あいつ」


「突然知らない男が二人来たんだから、警戒するのは普通だよ」


「それにしたってさ」


 レオは扉を指差す。


「ヴィクトルの名前出した瞬間、明らかに変だっただろ」


「うん」


 テルはあっさり認めた。


「お前も気付いてたのか」


「取材してれば、ああいう反応はよく見るからね」


「じゃあ、なんか隠してんじゃねぇの?」


 テルはすぐには答えなかった。


 手帳を取り出す。


 今日集めた情報へ目を落とした。


「分からない」


「またそれかよ」


「でも」


 テルはリリアの家を見る。


「もう少し調べてみる価値はありそうだ」


「何を?」


 テルは歩き出した。


「今度はヴィクトルじゃない」


「リリア・アステルについて」


 レオは閉ざされた扉をもう一度振り返る。


 それから、テルの後を追った。


「結局また聞き込みじゃねぇか」


「そうなるね」


「明日は休みにしようぜ」


「駄目」


「即答すんなよ!」

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