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第十四話 初仕事

 レオは広間の一角にある机へ向かい、目の前に積み上げられた住民台帳を見つめていた。


 分厚い紙束。


 一冊ではない。


 同じような台帳が何冊も積まれている。


「……これ全部かよ」


 思わず額を押さえた。


 昨日は勢いで引き受けてしまったが、改めて目の前にすると気が遠くなる。


 表紙を開く。


 びっしりと並ぶ文字。


 名前。


 年齢。


 階級。


 職業。


 住所。


 家族構成。


 経歴。


 犯歴。


 細かな情報が延々と続いていた。


「こんなの全部読むのかよ……」


 ため息をつきながらページをめくる。


 数ページ読んだだけで頭が痛くなってきた。


 似たような記録ばかりが並び、どれも同じに見えてくる。


 その時だった。


「順調か?」


 聞き覚えのある声がした。


 顔を上げる。


 酒瓶を片手に、クロイツが立っていた。


「見りゃ分かるだろ」


 レオはうんざりした表情で答える。


 クロイツは肩をすくめると、そのまま机へ近づいてきた。


「人探しってのは地味だからな」


「地味すぎるだろ」


 レオは再び台帳へ目を落とす。


 その隙だった。


 パラリ。


 クロイツが何気ない顔でページを一枚戻した。


 レオは気付かないまま読み進める。


「……あれ?」


 さっき読んだ内容がもう一度出てくる。


「気のせいか?」


 首をかしげながらさらにページをめくる。


「ははははは!」


 隣でクロイツが腹を抱えて笑い出した。


 レオはようやく気付く。


「……おい」


「お前か!」


 クロイツは笑いながら酒を一口飲む。


「いやぁ、面白くてつい」


「ついじゃねぇ!」


「こっちは本気で探してんだぞ!」


「悪い悪い」


 そう言いながらも、まったく反省した様子はない。


 その時だった。


「ダリウス!」


 広間に大きな声が響く。


 二人が振り向く。


 買い物籠を抱えた中年の女性が、険しい表情で立っていた。


 豪快な足取りで近づいてくる。


「昼間っから酒なんか飲んで何やってんだい!」


 女性はクロイツの手から酒瓶をひったくった。


「あ」


「没収だよ!」


「……はい」


 クロイツは素直に両手を上げる。


 反論一つしない。


 その様子を見ていたレオは思わず目を丸くした。


(団長なのに……)


(この人には逆らえねぇんだな)


 女性は酒瓶を抱えたままレオへ向き直る。


「新入りだね」


「私はマーサ」


「こいつが変なことしてたら遠慮なく言いな」


 そう言い残すと、クロイツを軽く睨みつけ、その場を去っていった。


 クロイツは頭をかきながら苦笑する。


「……頭が上がらないんだ」


「見りゃ分かる」


 レオは呆れたように肩をすくめる。


 エバーガーデンの団長。


 昨日は誰よりも真剣な顔で無血革命を語っていた男が、今日は酒を取り上げられて素直に叱られている。


(ほんと……)


(変な奴らばっかだな)


 レオは小さく息をつき、再び住民台帳へ視線を落とした。 


 しばらくして。


「団長に遊ばれたんだって?」


 聞き慣れた声とともに、テルが机の向かいへ腰を下ろした。


「笑い事じゃねぇよ」


 レオは疲れたように住民台帳へ突っ伏す。


「こんなの何日かかるんだよ……」


 テルは苦笑しながら椅子を引いた。


「安心しなよ」


「俺も手伝うから」


 レオは顔を上げる。


「お前が?」


「うん」


「団長から頼まれたんだ」


「レオの仕事を手伝ってやってくれって」


 レオはクロイツが去っていった方へ目を向けた。


「あいつ、そんなこと言ってたのか」


「団長なりに気を遣ってるんじゃない?」


 テルはそう言って笑うと、一冊の住民台帳を開いた。


「まず全部読む必要はないよ」


「え?」


「目的に関係ある情報だけ探せばいいんだ」


 テルは指で項目をなぞる。


「職業」


「経歴」


「犯歴」


「家族構成」


「この辺りが重要かな」


 レオも台帳へ目を落とした。


「絵描きなら職業欄か」


「そうそう」


「でも非公認の絵描きなら、別の仕事をしている可能性もある」


「だから犯歴や経歴も見る」


 テルは慣れた手つきでページをめくる。


「例えばこの人」


「表向きは家具職人」


「でも犯歴を見ると、違法な彫刻を作って捕まってる」


「こういう人は候補になるかもしれない」


「なるほどな……」


 レオは少し感心したように頷く。


「情報っていうのはね」


「書いてあることより、書いてあること同士を繋げる方が大事なんだ」


 テルは穏やかに笑った。


「俺は楽しいんだこの仕事が」


 レオは小さく息を吐き、もう一度住民台帳を開く。


「よし」


「もう一回最初から見るか」


「その意気」


 二人は並んで机に向かう。


 広間には紙をめくる音だけが静かに響いた。 


 気付けば、壁に掛けられた時計は昼を指していた。


 しばらくすると、どこからともなく香ばしい匂いが漂ってくる。


 テルが顔を上げた。


「もう昼か」


 その直後だった。


「ご飯だよー!」


 広間にマーサのよく通る声が響く。


 あちこちで作業していた団員たちが、一斉に手を止めた。


「腹減った!」


「今日はシチューか?」


「パン多めにくれ!」


 さっきまで静かだった広間が、一気に賑やかになる。


 テルも立ち上がった。


「行こう」


「休憩も仕事のうちだからね」


 レオは住民台帳を閉じる。


「はいはい」


 二人は食堂へ向かった。


 長机には温かな料理が並んでいる。


 マーサが手際よく皿へ料理を盛り付けていた。


 レオの前にも一皿置かれる。


「新入り、飯だよ」


 レオは首を横に振る。


「腹減ってねぇ」


「そうかい」


 マーサはそれだけ言うと、次の団員のところへ向かった。


 レオはその皿をぼんやり眺める。


 向かいではテルが嬉しそうにパンを頬張っていた。


「食べないの?」


「……そのうち」


 その時だった。


「ミレナ」


 ノーラがトレーを持って隣へ腰掛ける。


「ちゃんと食べましたか?」


 ミレナは小さく頷く。


「……うん」


「水は?」


「飲んだ」


「デザートいりますか?」


「……大丈夫」


 その様子を見ていたレオが小さく笑う。


「過保護すぎねぇ?」


 ノーラは真顔で答えた。


「当然です」


「昨日あんなことがあったんですよ?」


「心配しない方がおかしいでしょう」


 テルが苦笑する。


「毎日あんな感じだよ」


「へぇ」


 ミレナは少し照れくさそうに視線を逸らした。


「……ノーラは心配しすぎ」


「そんなことありません」


 即答だった。


 レオは思わず吹き出す。


「ははっ」


 ノーラは首をかしげる。


「何かおかしいですか?」


「いや」


「別に」


 食堂には団員たちの笑い声が響いている。


 他愛ない世間話。


 食器の触れ合う音。


 マーサの怒鳴り声。


「ほら! 食べ終わった食器はちゃんと運びな!」


「はいはい」


「はい、は一回」


 誰もが当たり前のように返事をする。


 レオはそんな光景を静かに眺めた。


 ふと目の前を見る。


 いつの間にか冷めかけたシチューから、まだ湯気が立っていた。


 レオはスプーンを手に取る。


 一口食べる。


「……うまい」


 小さく呟くと、マーサが少し離れた場所から満足そうに笑っていた。


 昼食を終えた二人は、再び住民台帳の山へ向かった。


 テルは椅子へ腰を下ろすと、手慣れた様子で一冊を開く。


「午後からは絵描きを中心に探そう」


「ああ」


 レオも台帳を開き、ページをめくっていく。


 紙をめくる音だけが静かに響く。


 時折、テルが何かを書き留める音だけが混ざった。


 どれくらい時間が経っただろうか。


「……あれ?」


 テルの手が止まった。


「どうした?」


 レオが顔を上げる。


 テルは一人の名前を指差した。


「ヴィクトル・ローゼン」


 レオも身を乗り出して台帳を覗き込む。


 記録にはこう書かれていた。


 職業――国家公認画家。

 犯歴――非公認絵画の制作、所持、販売。


 非公認絵画を扱う闇オークションの運営。

 判決――銃殺刑。


「……死んでるじゃねぇか」


 レオは肩を落とした。


 だが、テルは首をかしげたまま動かない。


「いや……おかしい」


「何が?」


「この名前、見覚えがあるんだ」


 テルは腕を組み、記憶を辿るように目を閉じる。


 そして、はっと顔を上げた。


「思い出した」


「少し前に帝国新聞で読んだんだ」


「帝国美術コンクールの記事」


「入賞作品の作者が――ヴィクトル・ローゼンだった」


 レオは眉をひそめる。


「同姓同名じゃねぇの?」


「それも考えた」


「でも画家で、同じ名前」


「偶然にしては出来すぎてる」


 テルは住民台帳へもう一度目を落とした。


「もし同一人物なら」


「銃殺されたはずの人が、生きていることになる」


 レオは腕を組む。


「ますます分かんねぇな」


 テルは静かに台帳を閉じた。


「調べる価値があるかもしれない」


「情報だけじゃ答えは出ない」


 レオが苦笑する。


「結局、現場か」


「うん」


「情報って最後は、自分の足なんだ」


 しばらく沈黙が流れる。


 レオは目の前の住民台帳を閉じると、大きく伸びをした。


「……よし」


「明日から本番だな」


 テルも笑って頷く。


「ああ」


「ヴィクトル・ローゼン」


「まずは、その人から調べてみよう」


 二人は顔を見合わせ、小さく頷いた。

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