第十二話 脱出
取調室を出ると、クロイツは何も言わず廊下の奥へ歩き始めた。
迷いがない。
「団長」
後ろを歩くノーラが声を掛ける。
「本当にどこへいくんですか?」
クロイツは振り返らない。
「少しな」
「でも早く脱出したほうが――」
ノーラは小さくため息をつき、それ以上は何も言わなかった。
ミレナも黙ったままクロイツの後をついていく。
レオはその三人の背中を眺めながら歩いていた。
廊下を曲がる。
そこには監視局員が倒れていた。
床へ横たわり、静かな寝息を立てている。
さらに奥へ進む。
また一人。
また一人。
廊下のあちこちで監視局員たちが眠り込んでいた。
レオは思わずミレナを見る。
「これ全部、お前がやったのか?」
ミレナは小さく頷いた。
「うん」
そのまま前を向いて歩きながら続ける。
「でも」
「そんなに長くない」
「かかりにくい人もいる」
レオは思わず目を見開いた。
「それを先にいえ!!」
思わずクロイツを見る。
「じゃあ、なんであいつはのんきに散歩してんだよ!!」
ミレナは首を傾げた。
「しらない」
「しらないじゃねぇよ!」
レオが頭を抱えた、その時だった。
「……待て」
背後から低い声が響いた。
四人が同時に足を止める。
ゆっくり振り返る。
廊下の向こう。
一人の男が壁へ手を付きながら立っていた。
シオンだった。
顔色は悪い。
足元もふらついている。
それでも真っ直ぐこちらを睨んでいる。
「何を……した」
掠れた声だった。
レオは思わず息をのむ。
「うそだろ……」
「まだ起きてたのか」
クロイツだけは表情を変えなかった。
「大丈夫だ」
落ち着いた声で言う。
「起きてられたのはすげぇが」
「じきに眠る」
シオンは歯を食いしばり、一歩踏み出した。
「レオ・アルヴェイン」
その声だけははっきりしていた。
「これで終わると思うな」
「秩序を乱す奴を私は許さない」
さらに一歩。
足が大きく揺れる。
「必ず、お前を……」
言葉が途切れる。
「捕ま……え……て……」
そのまま力が抜け、前のめりに倒れ込んだ。
廊下へ鈍い音が響く。
完全に動かなくなった。
クロイツはその姿を見下ろし、小さく肩をすくめる。
「おっかないね」
レオは倒れたシオンを見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「なぁ」
「これで俺も、お尋ね者ってことだよな」
クロイツは一度だけレオを見た。
「あぁ」
短く、それだけ答える。
そして何事もなかったように前を向き、再び歩き始めた。
レオはその背中をしばらく見つめる。
クロイツの後を追いながら廊下を進む。
やがて、その足が一枚の扉の前で止まった。
扉には小さな金属製の札が掛けられている。
そこには、
資料室
とだけ書かれていた。
(ここが目的地か)
レオは小さく首を傾げる。
監視局へ忍び込んでまで来た理由が、この部屋にあるらしい。
クロイツは扉へ手を掛ける前に振り返った。
「お前ら、ここで少し待て」
「何かあったらすぐ教えろ」
それだけ言うと、扉を開けて一人で中へ入っていく。
部屋の中は薄暗く、すぐに扉が閉まった。
ノーラは周囲へ鋭い視線を向ける。
いつでも動けるよう腰を落とし、廊下の両端を警戒し始めた。
静かな時間が流れる。
その時だった。
くいっ。
袖が小さく引っ張られる。
レオが振り向くと、ミレナが自分の服を掴んでいた。
「どうした?」
ミレナは少しだけ目を伏せる。
「……ありがと」
その一言だった。
その表情は、子どもの頭を撫でていた時と同じだった。
ほんの少しだけ柔らかく笑っている。
レオは照れくさそうに頭をかく。
「別に」
「大したことじゃねぇよ」
ミレナは静かに頷いた。
ノーラはそんな二人へ視線を向け、小さくため息をつく。
「礼を言うのは後にしてください、ミレナ」
「私たちはまだ敵の本拠地にいるんですよ」
二人は同時にノーラを見る。
ノーラは廊下の奥から視線を外さないまま続けた。
「そろそろ最初に眠らせた人たちが目を覚ます頃です」
その言葉に、レオは思わず背筋を伸ばす。
「……そういや、そうだったな」
緊張が戻る。
廊下には静寂だけが漂っていた。
ガチャリ。
不意に資料室の扉が開いた。
三人が一斉に振り向く。
クロイツが何冊もの紙束を抱えて立っていた。
満足そうな笑みを浮かべている。
「目的達成だ」
紙束を軽く持ち上げる。
「さっさと逃げるぞ」
そう言うや否や、クロイツは駆け出した。
三人もすぐ後を追う。
レオも走り出すが、全身の痛みで思うように足が動かない。
「っ……!」
息が上がる。
頬も脇腹も痛む。
三日間の尋問で傷だらけの身体は、まだ悲鳴を上げていた。
その横へノーラが並ぶ。
「遅いですよ、レオ」
「私が担いでいきましょうか?」
レオは苦笑しながら首を振る。
「女に担がれて走るくらいなら、いっそのこと置いて行け」
ノーラの足が一瞬止まる。
「女……」
小さく呟き、耳を赤くした。
レオは首を傾げる。
「どうした?」
「何でもありません」
ノーラは軽く咳払いをした。
「担がれないなら、もっと早く走ってください」
「でないと、本当に監視局の人たちが起きてしまいます」
その言葉が終わるか終わらないかのうちだった。
――ウゥゥゥゥゥン!!
監視局中へ甲高い警報が鳴り響く。
レオは思わず顔をしかめた。
「……やばいな」
直後。
廊下の向こうから複数の足音が響いてくる。
次々と監視局員たちが姿を現した。
クロイツは小さく舌打ちする。
「ちっ……」
「起きてきやがったか」
そして後ろを振り返る。
「ノーラ!!」
「はい!」
ノーラは一歩踏み込み、一気に前へ飛び出した。
次の瞬間。
監視局員の一人が宙を舞う。
続けて二人目。
三人目。
流れるような体術で、次々と監視局員を床へ沈めていく。
レオは思わず足を止めた。
「すげぇな、あのねーちゃん」
思わず感心して呟く。
「これなら何とか脱出できるんじゃないか?」次の瞬間だった。
――バァン!!
一発の銃声が監視局の中へ響き渡る。
「っ!」
ノーラの身体が大きく揺れた。
肩から鮮血が飛び散る。
倒れていた監視局員の一人が、最後の力を振り絞るように拳銃を構えていた。
銃口の先にはノーラがいる。
ノーラは肩を押さえ、一歩後ろへ下がった。
「っ……!」
「ノーラ!」
クロイツが駆け寄る。
ミレナも顔色を変えた。
「ノーラ!!」
ミレナが震えていた。
ノーラは歯を食いしばりながら首を振る。
「大丈夫です」
「弾は抜けています」
そう言って立ち上がるが、左腕は思うように動いていなかった。
その時だった。
廊下の奥から、再び足音が響く。
今度は一人や二人ではない。
何人もの監視局員が拳銃を構えながら駆け寄ってくる。
ノーラはその姿を見て、小さく息をのんだ。
「団長」
「応戦は無理です」
「早く撤退しましょう」
クロイツは一瞬で答えた。
「あぁ」
そして出口へ続く扉を指差した。
「お前ら!」
「あの扉から外へ出たら、一斉に四方へ散れ!!」
クロイツは振り返らない。
「死ぬ気で走れ!!」
「生きろ!!」
四人は一斉に出口へ飛び出す。
夜風が身体を包み込む。
次の瞬間。
クロイツは右へ。
ノーラは左へ。
ミレナは細い路地へ。
それぞれ違う方向へ駆け出した。
レオも痛む身体を引きずりながら走る。
背中では怒号が響く。
「逃がすな!!」
「追え!!」
石畳を蹴る。
肺が焼ける。
足が重い。
それでも止まらない。
振り返れば追いつかれる。
だから前だけを見る。
角を曲がる。
また曲がる。
知らない路地へ飛び込む。
どこを走っているのか、自分でも分からなかった。
ただ、生きるためだけに走る。
息が切れる。
視界が白く霞む。
それでも足だけは止めなかった。
どれほど走ったのか。
ようやく足を止め、荒い息を吐く。
恐る恐る後ろを振り返る。
そこにはもう、追ってくる者の姿はなかった。




