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第十一話 反抗

 監視局員に腕を掴まれたまま、レオは夜の街を歩いていた。


 手首には冷たい手錠。


 金属が擦れるたび、小さな音が鳴る。


 やがて、一つの巨大な建物が姿を現した。


 監視局。


 帝国中どこの街にも存在する、秩序を守るための機関。


 灰色の石造りの建物は夜の闇に溶け込み、まるで街そのものを見下ろしているようだった。


 重い鉄扉が開く。


 監視局員に促され、レオは中へ足を踏み入れた。


 ひんやりとした空気が肌を撫でる。


 廊下には等間隔で照明が並び、一切の無駄がない。


 行き交う監視局員たちも、誰一人として私語を交わさなかった。


 響くのは革靴が床を打つ音だけ。


 規律。


 秩序。


 その二つだけで造られたような空間だった。


(息が詰まりそうだな……)


 レオは小さく顔をしかめる。


 やがて、一つの部屋の前で監視局員が足を止めた。


 扉を開ける。


「入れ」


 部屋の中には机と椅子が一つずつ置かれているだけだった。


 窓はない。


 壁も床も灰色。


 必要最低限の物しか存在しない。


 レオは椅子へ座らされる。


 両手首の手錠が外されたと思った次の瞬間。


 机に固定された金具へ、もう一度繋ぎ直された。


 ――カチャリ。


 乾いた音が部屋へ響く。


 逃げ場はない。


 監視局員はレオの向かいへ腰を下ろした。


 帽子を脱ぐ。


 整えられた黒髪。


 鋭い灰色の瞳。


 年齢は二十代前半だろうか。


 整った顔立ちをしているが、その表情には感情らしい感情がほとんど見えない。


 ただ静かに、レオを観察していた。


 やがて男は口を開く。


「自己紹介をしておこう」


 落ち着いた声だった。


「帝国監視局特別監視隊副隊長」


 一拍置く。


「シオン・ハイゼンだ」


 レオは無言のままシオンを見つめ返した。


 シオンもまた、視線を逸らさない。


 静かな部屋に、張り詰めた空気だけが流れていた。


 シオンは机の上へ一冊の手帳を置いた。


 ペンを取り出し、静かに口を開く。


「名前は」


「レオ・アルヴェイン」


「年齢」


「十七」


「職業」


「機械修理工」


 シオンは淡々と書き留める。


 表情はほとんど変わらない。


「昨夜、なぜあの時間に出歩いていた」


「散歩だ」


「夜中にか」


「ああ」


「一人で」


「一人だ」


 シオンは手帳を閉じた。


「昨夜、この区画で鼻歌を聞いたという通報が入っている」


 レオは黙っていた。


「聞いていないか」


「知らねぇな」


「本当に一人だったのか」


「ああ」


「誰とも会っていない」


「会ってない」


 短い問答が続く。


 シオンはレオの目を真っ直ぐ見つめた。


 嘘を見抜こうとしているのか。


 それとも反応を見ているだけなのか。


 レオにも分からなかった。


 数秒の沈黙。


 やがてシオンは静かに口を開く。


「帝国は秩序によって成り立っている」


 レオは眉をひそめる。


「秩序があるから、人は安心して暮らせる」


「法律があるから、争いは減る」


「国民は秩序に守られている」


「だから私は秩序を乱す奴が嫌いだ」


 レオは鼻で笑った。


「だから夜中に歌ってるやつを追い回すのか」


 シオンは表情一つ変えない。


「秩序を乱す可能性があるなら、排除する」


「それが私の仕事だ」


 レオは思わず笑った。


「随分と便利な言葉だな」


「お前らは何でも秩序で片付ける」


「息苦しくねぇのか」


 その瞬間だった。


 シオンが立ち上がる。


 次の瞬間。


 警棒がレオの頬へ叩き込まれた。


 鈍い音が部屋へ響く。


 椅子ごと身体が揺れる。


 口の中へ血の味が広がった。


「……っ」


 レオは顔を上げる。


 シオンは静かに見下ろしていた。


「質問にだけ答えろ」


 その声には怒りも苛立ちもない。


 あるのは職務を遂行する冷たさだけだった。


 レオは血を吐き捨てる。


「断る」


 シオンは無言でレオを見つめる。


 再び警棒が振り下ろされた。


 部屋には乾いた音だけが響いた。


 ――三日後


 レオは椅子に座らされたまま、小さく息を吐いた。


 頬は腫れ上がり、唇は切れている。


 腕にも足にも鈍い痛みが残っていた。


 まともな食事も睡眠も取れていない。


 それでもシオンは毎日同じことを聞いた。


「誰といた」


「鼻歌の主は誰だ」


 レオの返事は変わらない。


「知らねぇ」


「一人だ」


「散歩してただけだ」


 その度に警棒が振り下ろされる。


 乾いた音だけが部屋へ響いた。


 何度目かも分からない尋問の後。


 シオンは部屋を出ていった。


 レオは机へ突っ伏す。


(何やってんだ……俺)


 体は限界だった。


 痛い。


 眠い。


 腹も減った。


 全部投げ出してしまえば楽になる。


 知っていることを全部話してしまえば、この時間も終わるかもしれない。


 それなのに。


(なんで俺は黙ってる?)


 エバーガーデンを守るため。


 最初はそう思っていた。


 だが違う。


 違う気がした。


 レオはゆっくり顔を上げる。


 脳裏に浮かぶのは、あの男の顔だった。


 秩序。


 何を聞いても同じ言葉しか返ってこない。


 人を殴っておきながら、それすら秩序だと言い切る男。


 レオは小さく笑った。


「……そういうことか」


 守りたいからじゃない。


 あいつが気に入らない。


 だから話したくない。


 ただ、それだけだった。


 その時だった。


 どこからともなく、優しい歌声が聞こえてきた。


 静かで。


 穏やかで。


 まるで母親が子どもへ歌いかける子守歌のようだった。


【子守の声】《眠誘歌(セイレーン)》


 レオは眉をひそめる。


(歌……?)


 部屋の外も妙に静かだった。


 廊下から聞こえていた足音が、いつの間にか止んでいる。


 不思議な安心感が胸へ広がる。


 張り詰めていた意識が、ゆっくりほどけていく。


 瞼が重い。


(なんだ……これ)


 抗おうとしても体に力が入らない。


 視界がぼやける。


 最後に見えたのは、勢いよく開く取調室の扉だった。


 そこでレオの意識は途切れた。


 (遠くで俺を呼ぶ声がする)


 重たい瞼をゆっくりと開く。


 ぼやけていた視界が少しずつはっきりしていく。


「……ここは」


 取調室だった。


 だが、様子がおかしい。


 机へ繋がれていたはずの手錠は外されている。


 部屋の扉も大きく開いたままだ。


 廊下から物音ひとつ聞こえない。


 レオはゆっくり立ち上がる。


 体中が痛む。


 それでも歩けないほどではない。


 廊下へ出ようとした、その時だった。


「よう」


 聞き覚えのある声がした。


 振り向く。


 そこには黒いマントを羽織った三人が立っていた。


 深く被ったフードで顔は隠れている。


 だが、その声だけで十分だった。


「……クロイツ」


「ミレナ」


「ノーラ」


 三人はゆっくりとフードを下ろした。


 クロイツはいつものように笑っている。


 ミレナは無表情のままレオを見つめていた。


 ノーラは周囲を警戒しながら立っている。


 レオは三人を見回し、小さく笑った。


「まさに悪役って感じの格好だな」


 クロイツは肩をすくめる。


「そんだけ軽口叩けるなら、助けに来なくてもよかったか?」


「それは困る」


 レオは苦笑した。


「殴られて喜ぶ趣味はねぇからな」


 ノーラが小さく息を吐く。


「団長」


「早く脱出しましょう」


「眠らせているとはいえ、いつ目を覚ますか分かりません」


 クロイツはにやりと笑う。


「いや」


「せっかく監視局まで来たんだ」


 一拍置く。


「少し寄り道していこう」


 ノーラが眉をひそめる。


「なに言ってるんですか!?」


 クロイツは振り返らない。


「すぐ終わる」


「来い」


 そう言うと、一人で廊下の奥へ歩き始めた。


 ノーラは呆れたように肩を落とし、それでも後を追う。


 ミレナも静かについていく。


 レオだけがその場に立ち尽くした。


「……監視局に忍び込んでまで寄り道って」


 小さく呟き、苦笑する。


「本当に何考えてんだ、あの団長」


 レオは頭をかきながら、三人の後を追った。

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