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やのきよ①

 

       やのきよ ①

 

 一学期の野球は終業式直前の日曜日に全日程を終了し、予想どおり我がFDが優勝した。十七勝九敗。二位ジャイアンツには四ゲーム差で、最下位タイガースとは八ゲーム差だった。

 ハッチはピッチャーとして十一勝の最多勝のタイトルを獲得、バッターとしては打率二位で、MVPに輝いた。首位打者は山崎君で、ドウリはホームラン王と打点王になった。おれは打率五位で最多盗塁のタイトルを獲得した。

 計算が複雑なことやそれほどきちんと記録をとっていないことで、ピッチャーの防御率や最多奪三振、バッターの最高出塁率などのタイトルはなかった。が、最高出塁率と最多得点は間違いなくおれとの自負があった。

 ベストナインにはFDから五人が選出された。もちろんおれも選出された。

 ペナントレースはたいそう盛りあがり、大成功だった。気をよくしたおれたちは、一学期を前期として、二学期を後期とすることに決めた。前期の優勝者と後期の優勝者が対戦し、勝利したチームが年間のペナントレースを制する。

 夏休みはキャンプ期間とした。ジャイアンツとタイガースは雪辱に燃え、FDは連覇を目指して、日々練習に励んだ。

 午前中練習をして、午後はY島に泳ぎにいく毎日だった。最高に楽しく充実しており、おれたちは真っ黒に日焼けした。まあ、毎夏のことではあるけれど。

 九月一日の始業式に転校生があった。

 担任が黒板に大きく『矢野聖美』と漢字を書き、『やのきよみ』とふりがなをうった。大阪からの転校生は、「聖なる美しい子と書きます」と、強い関西弁のイントネーションで自己紹介した。

 おれは教卓のすぐ前の席で、ほんなら『聖美子【きよみこ】』やん、とどうでもいいことを考えていた。教壇に立つ転校生と目が合ったが、すぐにそらした。

 大柄な色白ポッチャリタイプの女子で、目がクリクリッとしていた。声は低目で少しハスキーがかっていた。あとで男子の多くが、「感じええなー」とか「かわいげ【かわいらしい】やなあ」なんて言っていたが、おれにはそんなことはどうでもよかった。ただ、プックラした頬が柔らかそうだとは思った。

 夏休み明け初日は、おれにとって一年でもっとも憂鬱でいやな日だった。その日も朝から気分が落ちこんでいたし、寝不足もあってとても転校生どころじゃなかった。反対に、おれのことをよく知るハッチたちには一年でいちばんお楽しみの日でもあった。

 おれは宿題ができない子どもだった。

 授業があるときの日々の宿題は頭がいいからチャッチャッチャッとすませた。ばあちゃんは宿題が終わらないと遊びにいかせてくれなかったし。間違っていても、いいかげんであっても気にしない。とにかく終わらせた。

 ところが、夏休みや冬休みの宿題はさっぱりだった。休みが始まった四、五日、せいぜい一週間しかまともにできなかった。おれは落ち着きもなかったが、それ以上に根気がなかった。目先の楽しいこと、おもしろいこと、夢中になれることに没頭してしまい、それ以外を忘れてしまうタイプだった。

 始業式にはおれのいいかげんでお粗末な宿題でクラス中が大笑いすることが恒例だった。ハッチはそれを『コーヘイ劇場』と呼んでいた。三年生のころからだ。夏休みは冬休みに比べて宿題が多いぶん時間も長く笑いも多かった。

 五年生でも一緒のクラスになったとき、『コーヘイ劇場』を続けて二年間見られることをなによりも喜んだ。『コーヘイ劇場』を知らない山崎君まで、夏休みにみんなから話を聞いて楽しみにしていた。

 四年生から繰りあがった担任の前田が言った。

「浩平、宿題、出してみい」

 いよいよ『コーヘイ劇場』の幕開けだ。

 ドリルは最初の三ページだけ埋められていて、あとはきれいなままだった。新しい紙の匂いもしたことだろう。おれは前の晩にかいで途方に暮れた。

 日記はまともに書いているのは最初の一週間だけで、以降は「なにもなし」「とても暑かった」、日曜日には「家族がいてうるさかった」など一行日記となり、終盤になると「なし」「暑い」「雨」などの一言日記になった。一昨日の晩に書いた。

 絵は画用紙の下半分が濃い青で、上半分が薄い青、ところどころに絵の具がにじんだ白い線や吹き出しがあった。前田はそれを掲げてみんなに見せながらおれに尋ねた。

「なんや、これは。ゆうてみい」

 おれは答えた。

「…夏の海の風景…です…」

「おまえ、去年もおんなじ絵やなかったか?」

 絵を描きあげたとき前田の顔が浮かんだ。去年の宿題を覚えていないことを願ったが、無情にもしっかりと覚えていた。おれは答えた。

「…去年は空…やったです…」

「ホッコ【アホ】か、おまえはー。おんなじ絵やないか」

 教室で小さい笑いが起こった。その中に、「アハハハハ」とハスキーがかった笑いが混じっていたのをおれの耳は敏感にとらえた。

 ちなみに、三年生のときの絵は、緑系の絵の具を一面に塗りたくった夏の山の風景だった。担任は前田じゃなかったから、そっちにしたらよかった、と描きあげたときに思ったがあとの祭りだった。この絵は六年生の夏に描いた。

 工作は竹の一節を真っ二つに割った物を提出した。前田は言った。

「なんや、これは」

 おれは答えた。

「…『はし置き』…です……」

「ああん? はし置きぃ? 目的はなんや」

 目的ゆうてはし置きははし置きやんか。はし置き知らんのか。と思うが、そんなことは言えない。火に油を注ぐ。

「…食べとる最中にはしを置いても、食卓やはしが汚れんように思て…」

「どなんして【どうやって】使うんや」

 おれは教卓の上にある半分の竹に持参していたはしを置いた。しかし、竹が傾いてはしがころげ落ちた。何度やっても同じだった。おれの顔と耳が熱くなり赤くなった。だが、色黒だからみんなにはわからない。

「全然置けんやないか。『はし置き』やのうて、『はしころがし』やないか」

 言われずとも、昨夜これが完成した時点でそんなことはわかっていた。しかし、もう時間がなかった。さらにいうと、当初の構想では竹を緑色に塗る予定だった。その時間もなかった。

 教室に中くらいの笑いが起こった。後方からの「アハハハハ」はより大きく強くなっていた。

 前田が静かに言った。

「コォーヘェー、自由研究は?」

「……忘れました…」

「忘れたんちゃうやろ。覚えとったけど、やる時間がなかっただけやろが」と、図星を言った。去年と同じ台詞だった。

 ここでまた笑いが起こった。こうなるとおれはもう前田の顔を見ることができなかった。ただ、教卓の背中と机の上を見つめるばかりだった。

「ほんまにおまえっちゅうやつは…。毎年毎年ぃ」

 前田が言いながら、白い部分ばかりの日記帳をパラパラとめくった。途中ページをめくる手が止まった。

「なんや、これは。八月十三日ゆうたら、すごい台風の日やったやないか。なんで晴れなんや。なんが『今日も暑かった』や。メチャクチャやないか!」

 日記でおれの頭をはたいた。

 それをきっかけに大爆笑がさく裂した。おれは真っ黒な顔を真っ赤にしてさらにうつむくばかりだった。大爆笑の中で、ハスキーがかった「アハハハハ」がやたらと耳について仕方なかった。

 やっと笑いが収まりかけたとき、大きな声がした。

「あー、おかし。なんやの、これー。こんな子、前の学校でも見たことないわー」

 いちばん後ろの席に座った転校生だった。ふつう転校初日の転校生は緊張して遠慮して萎縮して、そんなことは言わないし言えない。はずだ。山崎君ですら最初は標準語でしゃべっていたくらいだ。

 転校生はそう言った直後、「アハハハハ」とふたたび高らかに笑った。それは静まりかけた教室にとどろいた。

 前田が大きなため息をつきながら、

「まあええ。でもおまえ、もっと計画的にやる習慣をつけんと、将来いろんなことで困ることになるど」

 そんなことわかっている。だから、毎回休みが始まったらすぐに綿密な計画を立てる。ドリルは一日四ページやると盆休み中に終了する、絵はいついつまでに、工作もいついつまでに、自由研究もいついつまでに完成する。すると八月の後半は遊んで暮らせる。もちろん日記は毎日きちんとつける。

 しかし、実行できるのは二、三日だけ、一週間もたてば計画なんてすっかり忘れてしまう。遊びに、楽しいことに夢中になって、宿題なんか手につかなくなる。結果、八月の終わりまで遊んで暮らして、最後の三日が地獄の日々となる。

 おれは罰としてその直後にあった席替えに参加できず、二学期も引きつづき教卓の前の席になった。それを前田に言われたときにも、大きな「アハハハハ」が聞こえた。

 矢野聖美は朗らかで活発で物おじしないタイプの女子だった。転校してきたばかりだというのに、早口の流れるような関西弁でだれかれかまわず話しかけてきた。

 笑い方に特徴があった。口を思いっきり開けるため、のどの奥も奥歯も丸見えになった。すると、おれたちのような治療のあとがない、白いきれいな歯が見えた。それと、腹の底から心置きなく大きな声をあげた。かすれ気味の声はよく通り、とても目立った。

 笑いが高じると、「やだぁー」とか「いやぁー」とか「もぉー」とか言いながら、相手の背中や肩や腕をはたいた。その後、おれはしょっちゅうはたかれるようになった。

 それともう一つ。怒りや不満の表情を見せるのに、丸い顔のふくよかな頬をプクーッとふくらませ、口をパクパクさせた。エサを食べるときの金魚や鯉のように。ときにはそのパクパク音が聞こえた。

 おれたちにはそれらの行為や仕草が新鮮だったこと、またあっけらかんとした性格と積極的な行動で男女を問わず人気が出た。白いふっくらかわいらしい顔立ちもあって、すぐに多くの男子が好意を持つようになった。

 当時流行していた映画から、男子の中では『やのきよ』があだ名になった。

 長編推理小説が原作の映画は有名監督や大物俳優の起用、また、映画制作会社の大々的な宣伝もあってかなり評判になっていた。戦後間もない信州の大旧家を舞台に連続殺人事件が発生するという全般的に陰惨でおどろおどろしいストーリーなのだが、早朝湖から死体の両足が浮きでたシーンが連日テレビのCMで放映され、おれたちに衝撃を与えた。

 復員した主人公は戦争で顔にひどい負傷を受け、つねに首から上に白いゴム製のマスクをかぶっていて不気味だった。陰気な雰囲気に包まれており話すことはめったになく、たまにボソボソと話す声は負傷の影響でひどくしわがれていた。その主人公の名前が『助清【すけきよ】』だった。

 間違いなくダークヒーロー由来だから、ふつうなら、とくに女子ならいやがるかと思ったが、やのきよは気にすることもなく、呼ばれても平気で返事をしていた。そんな堂々とした態度がまた人気を呼んだ。

 やのきよの関西弁は山崎君の関西弁とは全然違っていた。二人の会話を聞いていると、やのきよの言葉はきつく強烈な印象を受け、山崎君のは柔らかく上品な感じがした。が、それはおれたちが持つ二人の印象のせいだったのかもしれない。

 やのきよが怒ったときなどに口をパクパクさせながら早口でまくし立てたときには、おれたちはなにを言っているのかわからなかった。山崎君のそのようなしゃべりはついぞ聞いたことがなかった。

 転校初日の『コーヘイ劇場』のせいか、やのきよはなにかとおれにちょっかいをかけてきた。

 休み時間のことだった。友だちとふざけているおれのところにやのきよがやってきて尋ねた。

「ちょっとコーヘイ、あんた、クラスの委員なにやってるん?」

 すでにやのきよはおれのことを名前で呼ぶようになっていた。おれは答えた。

「美化委員や」

 おれたちの学校はみんななにか委員をやることになっていた。自薦他薦で、人数が多ければ選挙かくじ引きになる。おれはそうじをふざけてばかりでまともにやらないと女子に言いつけられ、前田に強制的に任命された。四年生のときからずっとだ。教卓の前の席がおれの指定席であるのと同じだ。

 そのときはどうしてそんなことを聞くのか疑問に思わなかったが、翌週やのきよは美化委員になっていた。前田になにをやりたいか聞かれたらしい。

 やのきよはなにかとおれに話しかけてきたが、おれはほとんど相手にしなかった。そんなおれをキューピーはじめ多くの男子がうらやましがった。ウラバンがその中の一人であることに気づくのはもう少しあとになってからだった。

 やのきよは勉強は上の下か中の上といったところだったが、運動は好きで得意で、上の上だった。男子ではおれやハッチや山崎君の位置付けだ。

 ドッジボールは女子では群を抜いており、転校生なのにずけずけと男子の中に入ってきて強いボールを投げた。動きののろいキューピーなんかいつもかっこうの餌食になっていた。が、キューピーはやられて喜んでいた。ポートボールでも次々とシュートを決めたし、ピンポンもインサイも男子より強かった。

 走りも速かった。鬼ごっこの速さとすばしっこさにはおれから見ても目を見はるものがあった。大柄で白く太目の体が校庭を駆けまわる姿は躍動感にあふれていて、空気がパンパンにつまったドッジボールが勢いよくはじけているようだった。

 体育教師のゴンタは十月上旬にある市内陸上大会の100m走の選手におれを選抜した。四年生のときの予言どおりだったが、実力からいって当然だろう。女子の代表は転校間もないやのきよになった。

 放課後、おれとやのきよを含む選手たちはゴンタの指導を受け練習した。ゴンタがソフトボール投げのハッチや走り幅跳びのゆうちゃんや山崎君の指導に行っているあいだ、やのきよはもっぱらおれに話しかけてきた。おれはあまりしゃべらなかったが、やのきよは早口の関西弁でいろんなことをしゃべり続けた。

 帰る方向が一緒だったので、練習後二人で帰ることもあった。そのときにもやのきよはたくさんしゃべった。それで、おれはやのきよのことをよく知るようになった。

 大阪の激しい祭りで有名な町から引っ越してきたこと、そこは大阪の中でも男女ともに気性も言葉も荒いこと、S市が父親の故郷で、父親が駅前の料亭で板前として働くために戻ってきたことなどなど。

 はっきりとは言わなかったが、どうやら父親と二人暮らしのようだった。そんなうわさも聞いていたが、こちらから尋ねることはできなかった。さすがのおれでも。

 市内陸上大会でおれは優勝し、やのきよは四位入賞だった。おれが決勝戦で走っているとき、大きな口に両手をあてて応援しているやのきよが見えた。一位でゴールすると、おれに駆けよってピョンピョン飛びはねて喜んでいた。

 大会は終わったが、それをきっかけにやのきよはいっそうおれをかまうようになった。

 いつしかやのきよはおれたちと一緒に帰るようになった。帰宅するのは男女別々が暗黙のルールだったが、方向が同じだったこと、同方向の女子がいなかったこと、それと他人の目なんか気にしない性格でちゃっかりグループに入ってきた。おれと山崎君とウラバンとゆうちゃんとやのきよの五人だ。

 やのきよも賢いもので、山崎君の了解を先に取った。そうなるとおれもゆうちゃんもなにも言えない。やさしくて気のいい山崎君が断らないこともわかっていたのだろう。女子には素気ないゆうちゃんならきっと断っていたはずだ。おれだったら微妙だった。

 一緒に帰ることを聞いたときのウラバンの喜びにおれは驚いた。隠そうにも隠しきれない感じで顔をにやつかせた。長い付き合いでウラバンのそんな顔を見るのは初めてだった。一緒に帰るときはずっとハイテンションで、よくしゃべった。それで、おれたち三人はウラバンがやのきよに好意を持っていることがわかった。

 教室でもやのきよはなにかとおれに話しかけてきた。ハッチと山崎君はそんなおれたちを見てやたらとニヤニヤしたし、ウラバンのジトーッとした湿った視線は痛かった。

 秋のある日、そうじ中にふざけたことをしていたおれは前田から居残りそうじを言いつけられた。いったんおれを除く四人で帰ったのだが、やのきよが戻ってきて言った。

「手伝ったげる」

 早く帰りたい一心のおれはそれを受けいれた。やのきよはおれよりもはるかに精力的にそうじをしてくれ、おかげで早く終了した。

 帰っている途中、やのきよに誘われた。

「な、な、公園寄ろ」

 アーケード街を少し小道に入ったところに小さな児童公園があった。ブランコ、すべり台、シーソー、ジャングルジム、砂場のあたり前の遊具ばかりのふつうの公園だ。

 おれは早くそうじから逃れたかっただけで、用事があるわけではなかった。それに、そうじを手伝ってくれた感謝の気持ちもあって、おれは首を縦に振った。

 ブランコに座っておれたちは話をした。といっても、もっぱらやのきよが話しかけ、おれは相槌を打ったり質問に答えたり、流れにまかせて軽い質問をしたり。いつものパターンだった。

 おれの話題になった。

「コーヘイゆうたら、兄ちゃんと妹おるんやろ? ええなあー」

「…うん、まあ…」

「うち、一人っ子やからうらやましいわぁー」

 おれは凶悪な兄ちゃんとおしゃべりの洋子の顔を思いだした。そして思った。全然ようないけどな…。ほしいんやったら、いつでもやるけど…。兄ちゃんならお金つけてもええわ。貯金ないけど。

「な、な、塩田で野球やっとんやろ? 今度見にいってええ?」

「…うん、かまへんのちゃう?」

 と答えたものの、その後やのきよが野球を見にくることはなかった。当時は男子の聖域に女子が足を踏みいれることはタブーだった。逆もしかりだ。いかに物おじしないやのきよといえども、学年男子の半分以上が集まる場所の敷居は高かったようだ。

 野球の話題でウラバンの名前が出た。おれはやのきよと話しているときのウラバンの視線が痛かったし、申しわけない気持ちが少々あった。そのこともあって、前から聞きたいと思っていたことをおれは尋ねた。

「なんでおれんこと、そなん【そんなに】かまうんな?」

 ウラバンの気持ちに気づくくらいなら、やのきよの思いにも気づいてもいいはずだった。しかし、当時のおれは男女の恋愛感情にはいっさい興味がなかったし、女子の考えることなんか異次元の世界のように思っていた。

 やのきよはブランコを止め、おれの顔を見つめて言った。

「うち、コーヘイのこと、メッチャ好っきゃねん」

 それはとてもリズミカルな関西弁で、校庭のやのきよと同じくドッジボールのように宙をはずんだ。顔を見ると、目が輝いていた。クリクリクリッと。

 予想もしない回答に、おれの真っ黒な顔はたちまち真っ赤に染まり耳が熱くなった。やのきよにはわからなかったと思うが。

 照れ隠しもあっておれはあわてて言った。

「なんやってぇー! おれみたいなんのどこがええんや。ハッ」

 ハッチと言いかけてやめた。いつぞや、「うち、ハッチのこと、好かん」と言っていたのを思いだしたからだ。そのとき、たぶんハッチが『太い』とか『デブ』みたいな言葉をずけずけ言ったのだろうと思った。

「山崎君がおるやん。山崎君のほうがよっぽどかっこええやろが」

「なにゆうてんの。コーヘイ、かっこええやんか。ハッチや山崎なんかより、あんたのほうがよっぽどええよ。わからんの? 顔もうち好みやし」と、しれっと言った。

 目の前でそんなことを言われてもおれは全然ピンとこなかった。こいつ、なにゆうとんやろ、くらいにしか思わなかった。当時、おれと女子とのあいだにある河はとてつもなく黒くて深かった。

「あんた、自分で思てる以上にかっこええんやで。自分で気づいてへんだけ」

 同じようなことはハッチにも山崎君にも、さらには山崎君のお父さんやお母さんにも言われたことがあった。だが、そんな言葉は右の耳から入って、すぐに左の耳から出ていっていた。興味がないことだったから。

 ずいぶんあとになって、高校ガールフレンドからも同じようなことを言われた。このときは天にも舞いあがる気持ちになった。おれも多少は成長、成熟したということなのだろう。

 それからの会話はよく覚えていない。ふたたび学校や友だちや勉強や遊びなど、すぐにいつもの話題になったのだと思う。途中心が落ち着いて少し余裕ができたとき、山崎君といいやのきよといい、転校生の行動や発言はおれをたいへん驚かせる、と思った。

 公民館の五時のメロディーが鳴った。童謡の『七つの子』。太陽は西の空の雲に隠れ、あたりは薄闇が広がりかけていた。それを合図におれたちはブランコから降りた。

 別れ際にやのきよが言った。

「な、な、な、Y島ゆうたら楽しらしいなあ」

「うん」

「な、な、今度連れてってくれん?」

 思いがけない告白におれの頭は混乱していて、気も動転していたのだろう。よく考えることなく、「うん」と素直に返事した。

 

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