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ペナントレース開幕

 

       ペナントレース開幕

 

 春休みが終わり、いよいよ五年生の新学期が始まった。おれたちの胸は希望と期待とワクワクでパンパンにふくらみ、体はやる気と情熱でメラメラと燃えていた。授業や新しいクラスに対してじゃない。野球にだ。いよいよ毎日曜日に総あたりで試合をするペナントレースが始まる。

 四年生の終業式が終わった日、各組、いや、各球団はいつものようにグラウンドに集まったのだが、ちょっとした騒動があった。

 五年生でクラス替えがあることを学校で伝えられていた。学校の慣例を考えればすぐにわかることだったが、不思議とだれも気づかなかった。まあ子どもは今に夢中で、過去や未来のことなんて考えない。今そのときがすべてで永遠に続くと思うものだ。

 各球団メンバーが今のまま未来永劫存続すると信じて球団名を決め、苦労してグラウンドを造り整備した。毎週土曜日の午後と日曜日に一所懸命練習し、キャンプもオープン戦もやった。いろんな連携プレーも、状況に応じたバッティングも練習した。おかげでチームの技量は格段に上がり、堅固なチームワークも醸成された。それがご破算になってしまう。努力や苦労が水の泡となってしまう。

 FDのメンバー全員がトレードされたくないと言いはった。でもどうしようもない。クラス替えを拒否するなんてありえない。

 チームの命名者で、FD愛のいちばん強いかっちんは泣きじゃくりながら言った。

「おれはジャイアンツやタイガースに万が一トレードに出されても、心はFDのままやきんな」

 それから口火を切ったように、みんなが次から次へと同じことを言った。涙まじりの告白を聞いて、このメンバーのFDは永遠に不滅やー、とおれは思った。みんなも思ったに違いない。

 ジャイアンツやタイガースでも同様の騒動があったとあとで聞いた。おれたちは新学年から始まるペナントレースを心配した。もう日程も決めたのに、こんなゴタゴタして、みんなこんな気持ちで、スムーズに開催できるんやろか。

 そんなことは杞憂だった。最初の土曜日の午後に集まり練習を始めたら、トレードされた全員がもともといたメンバーであるように新チームになじんでいた。だれももといた球団に近寄ることはなかった。

 かっちんまでがいきなりタイガースの帽子をかぶってきた。かっちん家【ち】は両親が手広く商売を営んでいてわりあい裕福だった。服も靴も自転車も、バットやグローブなどもよく新しい物を買ってもらっていた。試合ではFDに対し強烈な敵対心を燃やし、痛烈な野次を飛ばした。それをだれも裏切りなんて思わなかった。みんなそうだった。要は、野球さえできればどこでもなんでもよかったのだ。

 我がFDにはピッチャーハッチ、ショートゆうちゃん、レフトのおれが残留した。キャッチャー松っちゃんや三塁ワジデン、センター黒べえがトレードされたのは痛かったが、ジャイアンツからウラバンとドウリが来たし、一塁には貴重なサウスポーのでんでんがタイガースから来た。控えも含めたその他のメンバーを見ても、最強のように思えた。

 

 始業式の日、一人の転校生があった。山崎耕司君。父親の転勤で神戸から引っ越してきた、と自己紹介した。おれは一目見るなり、自分とは違う匂いをかぎとった。

 おれたちが小学校に入ったころ、S市の前の海が埋めたてられ、3、4km沖合にあるY島とI島の二島が陸続きになった。その埋立地の臨海工業団地には多くの大企業が進出していた。その中の一つに大手造船メーカーがあり、山崎君の父親はその会社のエンジニアということだった。

 たくさんの従業員が神戸から転勤してきたが、S市の南端に造られた大きくてりっぱな社宅団地に住み、子どもたちはその学区の小学校に通った。山崎君の家族は社宅に入らず、おれたちの学区にある家を借りていることをあとで聞いた。

 自己紹介の途中、最前列に座るおれと山崎君の目が合った。山崎君はニコリと笑った。さわやかな笑顔だった。おれは表情一つ変えず、おそらくムスッとしたままだったと思う。当時“愛想”なる言葉はまだ学習していなかった。

 先生があっちを見ているすきに、おれははがねで消しゴムを小さく切って、山崎君に向けて親指ではじいた。ピンッ。山崎君は顔を正面に向けたまま、飛んできた消しゴムをなんなくキャッチした。

 おっ、こやつ、できる。テレビの時代劇で侍が言うような台詞をおれは思った。

 二個目をはじいた。山崎君は左手でキャッチした。これで両手がふさがった。次はどうとるんやろ? おれはワクワクした。

 夢中になると周りが見えなくなるのがおれの欠点だ。家族にも先生にも友だちにも言われていたし、大学や会社でも言われた。もう老齢になった今でも、妻や子どもたちに言われる。

 山崎君の動きで教室中のみんなが妙な反応をした。らしい。あとで知った。最前列のおれは背後の様子が見えない。三度目消しゴムを小さく切って指にセットしたとき、先生に頭をはたかれた。

「おまえはなにやっとんじゃ! 人がしゃべっとる最中に」

 おれは罰として直後の席替えに参加できず、そのまま教卓のすぐ前の席にいることになった。

「おまえみたいな悪そ【悪いやつ、いたずら者】はここでええ!」

 今だったら完全にパワハラのイジメで訴えられる話だ。

 休み時間におれは山崎君に尋ねた。見てくれや雰囲気は対照的でも、遊び大好き、スポーツ得意の性格を察知していた。

「な、な、野球やるん【やるの】?」

 山崎君は明るい笑顔を浮かべ、

「うん、やるよ」

 おれたちはさっそく土曜日の午後練習と日曜日の試合に誘った。

 土曜日の午後、中日球場にやってきた山崎君を見ておれたちは驚いた。ユニフォームを着ている! スパイクをはいている! アンダーシャツを着て、ストッキングまでもはいている!

 ユニフォームは全体がクリーム色で、上着のすそとズボンの横のライン部分、帽子のつばとマーク、アンダーシャツとストッキングはライトブルーだった。帽子にはTとDを組みあわせたおしゃれなマークがあった。

 前に所属していたチームのユニフォームだと言った。これは練習用で、試合用も持っていて、それにはチーム名と背番号も入っているらしい。おれたちはまた驚いた。のちに家に遊びにいったとき、山崎君の部屋でそれを着せてもらった。鏡に写る自分のユニフォーム姿を見て、おれたちは興奮した。

 おれたちの出で立ちといえば、たいがい下着のシャツと学生ズボン。せいぜいその上に汚くてくたびれたTシャツか開襟シャツを着ているくらいだった。遊びではける私服のズボンを持っているやつなんて少なかった。家が貧しいでんでんなんか、真冬以外は半ズボンとランニングシャツがユニフォームだった。おまけに素足にズックだ。

 野球のユニフォームとスパイクはおれたちのあこがれだった。S中野球部でも、ふだんの練習ではスパイクははいても服は学校の体操服だった。試合のとき、ベンチ入りメンバーだけが学校からユニフォームと背番号を貸与され、背番号を家で縫いつけて試合に臨んだ。

 ユニフォームを着ることは試合に出られることであり、試合に出られることは野球ができること、つまりユニフォームは野球そのものだった。そんなおれたちの前にユニフォーム姿で現れたのだ。しかも練習用。山崎君が光って見えた。

 くわえて、山崎君はバットを二本、グローブとファーストミットを持ってきた。おれたちはというとグローブを持っているのがせいぜいだった。持っていないやつはだれかから借りていた。

 ゆうちゃんは二人の兄ちゃんのお古で、中のクッションがぺしゃんこのペラペラグローブだった。借りてキャッチボールしたことがあるが、グローブをしているのかどうかわからないような感触だった。おれのグローブは安物で、潮で脱色されてほとんど真っ白な茶色になっていた。

 持ってきた者のバットを共用で使っていた。各チーム四、五本くらいはあったと思う。おれは小学三年のクリスマスプレゼントでもらった赤バットを、半年もたたないうちに黒べえに折られてからは持っていなかった。これも安物だったのだ。

 ファーストミットを持っているやつが一人いたが、四年生の途中で転校したためファーストミットはなくなった。そいつは試合に出られるほどの実力はなく、代わりにファーストミットだけがすべての試合にフル出場していた。

 さらに驚いたのはプレーだった。

 最初にハッチが尋ねた。

「前のチームのポジションはどこな?」

 山崎君はさわやかな笑顔で答えた。

「いろいろやらされたけど、多かったのはセカンドかな」

 セカンドの守備練習を始めた。すぐにみんな呆気にとられた。“華麗”“あざやか”“スマート”の言葉がピッタリなのだ。しかも、動作がとんでもなく速い。おれたちはグラブトスやバックハンドトスを初めて目のあたりにした。それまではテレビの中でしか見たことがなかった。

 山崎君は打撃でもおれたちを魅了した。フライでもライナーでもゴロでも左へ右へと打ちわけた。とにかく手首の使い方が柔らかで器用だった。その後、おれをはじめ学年全員が打ち方を見習うようになった。

 山崎君のプレーが終わり全員が集合したとき、おれたちは少々気まずい雰囲気に包まれた。みんななにも言わずに地面や遠くの景色や空を見ながら、ハッチの言葉を待っていたと思う。突然セカンドのピーが沈黙を破った。

「山崎君、セカンド頼むわな」

 ピーにしてみれば、開幕戦を明日にしてポジションをゆずるのはさぞかし無念だったと思う。キャンプ、オープン戦を通じて猛練習してきたのだ。しかし、攻守走すべてにおいて山崎君がはるかに上であることはだれの目にもあきらかだった。

 おれはピーの潔さに感動した。と同時に、山崎君の前のポジションがレフトだったら、と思った。それは、ゆうちゃんもでんでんもドウリもウラバンも、みんな同じだったとあとで知った。

 山崎君は翌日からユニフォームを着てこなくなった。さすがに下着や学生ズボンではなかったが、私服で野球をした。私服も一目見ておれたちの物とは質も値段も違うのがわかった。おれたちも安物ながら私服は持っていたが、たいがいよそ行きの一張羅で、ふだんの遊びには使えなかった。いつもは家のたんすにしまわれていた。そんな高級な衣服を平気で汚し、ひじやひざに穴をあけるのを見て、「あー、もったいなー」と思ったものだ。

 バットとグローブとファーストミットは自由に使わせてくれた。唯一のファーストミットは試合中みんなに使われた。

 おれが高校を卒業するまでに“君”付けで呼んだのは山崎君ただ一人だ。あとはあだ名か名字か名前の呼び捨てだった。

 理由はよくわからない。山崎君が持つ雰囲気がそうさせたとしか言いようがない。確かにナイスガイで、だれにもやさしく好かれたと思う。そういう意味ではハッチと同じタイプだった。

 実際ハッチと女子の人気を二分した。バレンタインデーのチョコレートはほとんど二人に集まった。おれは山崎君のチョコもたくさん食べた。おれがひんぱんに歯医者に通うようになったのは、二人が大きな原因だったと思う。

 山崎君は二、三日おれたちと標準語でしゃべっていた。転校前の小学校で、関西弁をしゃべるといじめられると聞いていたようだ。が、すぐに関西弁でしゃべるようになった。おれたちにしてみれば、山崎君をいじめるなんてとんでもないことだった。

 

 思いがけず学年ナンバー1のセカンド、いや、内野手を獲得したおれたちFDは、二週間で開幕四連勝を果たした。ハッチがジャイアンツに二勝、ドウリとでんでんがタイガースに一勝ずつ。

 おれは打撃好調で打率は五割以上、出塁率はなんと八割で、しっかりリードオフマンの役割を果たしていた。守備も猛練習の甲斐あって、『ドブ際の魔術師』の異名をいかんなく発揮していた。

 だが、不満が一つあった。ピッチャーはハッチ、ドウリ、でんでんが先発要員で、リリーフ要因として山崎君とゆうちゃんとおれがいた。山崎君とゆうちゃんはときどきリリーフや抑えをやったが、おれに出番はなかった。理由は一つ。「おまえ以外にだれがレフト守るんや」確かに、水路のあるレフトの守備でおれは突出していた。

 第三節、二位ジャイアンツとの三回戦で、おれたちFDは二対七で勝っていた。最終回の七回表におれはピッチャーを強く志願した。おれは春休みに覚えたばかりの、親指と人差し指で挟むフォークボールを実戦で試したくてウズウズしていた。

「レフトはだれがやるんや?」に対し、おれは答えた。「しんいちでええがい【いいだろう】。ときどき練習しとるきん」

 センターのしんいちはまずまずの外野守備を見せていた。おれはピッチャーをやりたいがために、しんいちにときどきレフトの守備練習をさせていた。

 守備につくしんいちに言った。

「ええか、水路ギリギリで守っとけ。レフト前の単打やったらそれでええ。まあ、球が飛んでくることはないやろ」

 フォークを覚えたおれは自信満々だった。相手は下位打線だったし。

 先頭バッターはフォークボールで空振り三振だった。ウラバンがキャッチできず振り逃げとなったが、ファーストで難なくアウト。ウラバンはパスボールの照れ隠しもあったのか、「すごい落差や。ありゃあ絶対打てへんわ」とほめてくれた。

 おれから見てもボールはよく落ちた。よっしゃー、今日は調子がええど【いいぞ】。

 ジャイアンツはこれで観念したのか代打を送ってきた。

 代打は外角直球を引っかけ、ボテボテのサードゴロ。ドウリが勢いよく前進したが、勢いのない球をつかみそこねてランナー一塁。

 ドウリは右手を立てておれに謝った。「ワリイワリイ」言葉ほどに思っていないことはあきらかだった。

 これがけちのつき始めだった。

 次打者も代打。ポコン。あたりそこないのポップフライがレフトに上がった。おれは、よっしゃー、と思いながら、「レフトォー」と叫んで振りむいた。すぐに、あかん!

 必死の形相でしんいちが突っこんできた。ゆうちゃんが懸命にバックした。無情にもボールは二人のあいだに落ちた。しんいちが定位置だったら楽勝でとれたボールだった。ランナー二塁一塁。

 それでも五点差ある。ここでホームランが出てもまだだいじょうぶ。

 次は九番バッター。この試合はノーヒット。ジャイアンツはまた代打を送ってきた。代打はおれの速球に完全に振り遅れてセカンドフライ。審判がインフィールドフライを宣言して二アウト。

 よっしゃー、これでええこれでええ。おれがそう思ったとき、ナインやベンチから次から次へと声がかかった。「よーし、二アウトォー」「あと一人あと一人」

 おれもナインを振りかえり左手でVサインを作って、「二アウトォー」と叫んだ。キツネサインはまだ知らなかった。

 次は一番バッター。今日も強烈なヒットを放っている。おれは気を引きしめた。とはいえ、点差が開いていることもあって引きしめ方が緩かったのだろう。

 直球とフォークで二ストライク、ウラバンのサインどおり外角低目スライダーを見せ球にして一ボール。

 よっしゃー、あと一球で終わりじゃい! と思いながら、おれは渾身の内角直球をウラバンのミットをめがけて投げこんだ。

 パカン。レフトフライが高く上がった。よっしゃー、これやったらしんいちでも楽勝やー。おれはゲームセットと思いながら振りかえった。

 落下地点に入ろうとするしんいちとともに、ゴンタ2号がおれの目に入った。キャッチしようとするしんいちに元気いっぱいにほえた。ウワン、ワン、ワンと三度。塩田中にこだました。

 驚いたしんいちが落球した。フライが高いだけあって滞空時間はじゅうぶん。二アウトでスタートを切っていたランナー二人が楽々ホームイン。四対七となり、ランナー三塁。

 オープン戦でゴンタ2号を含む野良犬が数匹乱入してきたことがあった。そのとき小さいころ犬にかまれて犬嫌いになった二組のレフトが逃げだし、そこにボールが飛んだ。

 みんなで協議した。当時のおれたちにとって野良犬は大切な遊び仲間だった。犬なんかにビビッとったらあかんやろ。この意見が圧倒的に多かった。それで、犬が乱入してもボールインプレーと決めた。ついでに、犬にボールがあたったときは石ころ扱いということも決めた。かっちんが審判にボールがあたっても石ころ扱いとなるルールを教えてくれ、それにならった。

 ゴンタ2号を追いはらった。気を取りなおしたおれは再度Vサインを高々と掲げて、「二アウト、二アウトォーー。あと一人、あと一人ぃーー」まだ三点差ある。

 とはいえ、やはり動揺していたのだろう。二番バッターに初球いきなりデッドボール、続く三番バッター三浦には二ストライク三ボールから二つファールで粘られて、結局外角スライダーを見きわめられてフォアボール。ランナー満塁。

 大ピンチ! ランナーがみんな帰ると同点、ホームランが出ると逆転される。しかも相手の四番バッターは剛腕強打で鳴らす松ちゃん。ほんの少し前までFDでキャッチャーをやっていた。おれのピッチャーとしての球筋やくせをだれよりも知っている。おれの性格や行動パターンもだ。

 内野陣が集まった。ウラバンとゆうちゃんが同じことを言った。

「コーヘイ、代わるか?」

 と同時に、みんなが山崎君を見た。山崎君はなにも言わなかった。

 そんなことを言われて首を縦に振るおれじゃないことはみんなわかっていたと思う。ハッチも含めたベンチのみんなも、一組の連中も二組の連中も。期待どおりおれは言った。

「だいじょぶや。あと一人や」

 楽勝の局面でアンラッキーが続いてすっかり頭に血が昇っていたおれだったが、このタイムでかなり冷静になっていた。

 おれはウラバンに言った。

「初球、フォークいくで」

 今日数球投げたフォークボールはコントロール、切れ味とも抜群だった。ウラバンは一瞬、えっ! という顔をしたが、すぐにうなずいた。

「うん、わかった」

 おれは松っちゃんの裏をかくつもりだった。おれをよく知る松っちゃんは、熱くなったときのおれは強引に直球で攻めてくると思っている。はず。くわえて、満塁だから後逸の可能性のあるフォークは絶対にないと思っている。はずだ。

 それに、FDで一緒に特訓をしていたころのフォークボールは未完成だった。松っちゃんにその切れ味、成長を見せたかった。精神的にも技術的にも一段高みに上ったおれの姿を見せたかった。

 おれたちの野球のキャッチャーは過酷だった。ヘルメットもマスクもプロテクターもレガースもなにもない。松っちゃんなんかキャッチャーミットさえ持っておらず、だれかから借りていた。そんな状態で、目の前でバットが振られ、速球や変化球を受けなくてはいけない。ワンバウンドが股間や向こうずねを直撃し、強烈なファールチップが顔面を直撃した。軟球とはいえ間違いなく痛い。おれも生傷が絶えなかったが、おれ以上だったのが松っちゃんやウラバンたちキャッチャーだった。ポジションがキャッチャーというだけで勇気があるとみなされ、尊敬されていた。

 松っちゃんはどちらかというと守備よりも打撃が評価されていたが、ウラバンは守備の人だった。キャッチングには目を見はるものがあったし、強肩で盗塁阻止もいちばん多かった。腹にひもで座ぶとんをくくりつけて、ワンバウンドのボールを体で前に落とす練習もよくしていた。おれはそんなウラバンを全面的に信頼していた。

 おれは残る力を振りしぼってフォークボールを投げた。松っちゃんは直球がいちばん好きだ。必ず振ってくる。これでファーストストライクの空振りをとるつもりだった。ところが、抑えが効かずに高目に入っていった。しかも落ちない。こうなるとフォークは打ちごろの球になる。おれはとっさに思った。あかん! たぶんウラバンも思ったはず。

 読みどおり松っちゃんは初球の直球に山を張っていた。ためらうことなくバットを一閃! ボールはレフトに高く舞いあがった。

 松っちゃんがバットを放り投げながら言った。

「しもたぁー【しまったー】!」

 大きなフライだったが、高く上がりすぎていた。打球を見たおれは水路の少し向こう側に落ちると判断した。よっしゃー、これやったらとれる!

 ところが、しんいちは先ほどのプレーのショックから立ち直っていなかったようだ。おれのアドバイスを忘れて、レフトの定位置で立っていた。それを見ておれは思った。わっ、そっから【そこから】やったら間に合わん!

 案の定しんいちは水路を気にしながらバックした。ノロノロと水路を越えるしんいちをあざ笑うかのように、ボールは気楽な音を立てて地面を跳ねた。ポーーン。ころがるボールにしんいちが追いつき、中継のショートゆうちゃんにボールが帰ってきたときには、松っちゃんはホームベースを踏んでいた。

 七回裏、FDの攻撃はランナーを一人出したもののダブルプレーでゲームセット。連勝が途切れた瞬間だった。

 もちろんすべての責任はおれにあった。しかし、気の毒だったのはしんいちだ。いろんな事情があったにせよ、自分の守備ばかりで六点をとられ逆転された。試合後、顔は青ざめており、一言も言葉を発しなかった。

 おれはその日を境にピッチャーをあきらめ、レフトに専念するようになった。

 

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