キャンプとオープン戦
キャンプとオープン戦
冬休み中にグラウンド整備をほぼ終え、冬休み明けから自主練習キャンプに入った。チームとしての合同練習のキャンプは二月一日解禁で、二月の後半からオープン戦が始まった。
自主練習キャンプと二月からのキャンプの違いは、チーム全体で練習できるかどうか、試合形式の練習ができるかどうか。そんなばかばかしい取り決めまでプロ野球に習い、おれたちは愚直に守った。
ばあちゃんと母ちゃんはよく言った。「このエネルギーを勉強に使【つこ】てくれたらええのに」「なんで遊ぶことはこなん【こんなに】一所懸命になるんやろ」
そんなことわかっている。わかっているけど、できないのが子どもだ。だって野球は楽しくておもしろいが、勉強はひたすらつまらない。つまらないことはやらないし、やれない。熱中できないし、すぐにあきてしまう。ただそれだけの話だ。
我が中日球場の特徴というか問題はレフトの定位置の少し後ろを走る水路で、おれがレフトになったことは前述した。
おれは生活のすべてが左利きで、野球も左投げ左打ちだった。だからそれまで守備は二塁が多く、ときどき一塁を守った。
おれたちの時代、左利きはそう多くいなかった。左利きの多くは小さいころに無理やり右利きに矯正されていたからだ。おれの場合、家族のだれもなにも言わなかった。それがよかったのかどうかはわからないが、スポーツでは有利に働いたと思う。
野球でも、今のように右利きを左バッターに育てる発想はなかった。と思う。だから、左打ちはチームに一人いるかいないかくらい。おれたちの学年で野球のじょうずな左利きはおれと二組のデンデンくらいだった。
くわえて、流し打ちなんてテクニックはだれも持ちあわせていない。ライトに強烈なライナーとか生きのいいフライとかが飛んでくることはまずなかった。飛んできても、振り遅れか打ちそこないのひ弱なフライが多かった。
レフトにボールが飛んでくることもそう多くはなかった。しかし、ライトに比べれば圧倒的に多いし、また、強烈なライナーや芯を食ったフライが飛んでくる。フェンスがないため、抜かれるとまずランニングホームランになった。それで足が速くて肩も強く、ボールへの勘もよくって無茶を平気でするおれがレフトに抜てきされたわけだ。
期待にこたえるべく、キャンプでの猛特訓が始まった。
フライが上がって、水路を気にしながらバックしていたのではとうてい間に合わない。まず真後ろに一直線にバックして水路を飛びこえ、そこから落下地点に走るようにした。
やがて八歩目でジャンプすればいいことがわかり、打球を見ながら水路を飛びこえられるようになった。ときには打球音にだまされ、飛びこえたはいいがボールが思ったほど伸びず、前進してふたたび水路を越えたこともあった。
と、簡単に書いているが、そうなるまでえも言われぬ努力があったのだ。何度水路に落っこちたことか。温暖な瀬戸内海地方とはいえ、真冬の水は冷たいし北から吹く海風も強い。しょっちゅう風邪を引き、鼻水を垂らしていた。
それと、あるべき地面がないのだから派手にころんだ。手足や顔にたくさんの生傷を作った。あれだけ落っこちたのに、骨折しなかったのは奇跡だったとしか思えない。
冬の真っただ中にびしょ濡れ、傷だらけで帰ってきて、これでまたばあちゃんにしかられた。「あんたはほんまになんしょんな【なにをしているの】」夜仕事から帰ってきた母ちゃんには、「あんた、たいがいにしまいよ【いいかげんにしなさいよ】」兄ちゃんは頭突きをするか、プロレス技をかけるかのどちらかだった。
野球をしているときは夢中になってすっかり忘れているのだが、おれたちはつねに一つの不安を抱えていた。そう、大人が干渉してくることだ。今は稼働していなくてやがてつぶされるとはいえ、広大な土地のほんの隅っこしか使っていないとはいえ、おおぜいの汚いクソガキどもが遊んでいることに大人が黙っているはずがない。おれたちは経験で知っていた。
当時は今のように大人は子どもを管理せず野放しだったが、なにかとお節介を焼いた。知らない大人が知らない子どもに対しても平気で注意し干渉した。それがあたり前の時代だった。
「こら、おまえら、こんなとこでなんしょんじゃ【なにをやっているのか】」「こんなとこで遊んでええんか」「許可取っとんか?」
管理事務所の人でなくても、通りすがりの大人にそう注意されることを恐れていた。
二月に入ったある土曜日のこと。午前中の授業を終え、昼食をとるのもそこそこに、おれたちは練習に励んでいた。道ばたにたたずんでおれたちを見る一人のおっさんがいた。坊主頭で日焼けで赤茶けた顔をして、ねずみ色の作業服と黒のゴム長靴。どこのだれだかはわからない。
おれたちはおっさんを気にしながら練習した。おっさんの姿がいやでも真正面に見えるおれは気もそぞろになり、水路に二度も落ちてしまった。
気がつくとおっさんはいなくなっていた。
帰りがけにジャイアンツ、タイガースのみんなに話をしたら、「おお、おれらんとこも【おれたちのところにも】来た来た」「だれやろな、あのおっさん」声をそろえて言った。
翌日曜日、午前中の練習のときおっさんが現れた。服装は昨日と同じだった。
最初は昨日と同じく道ばたで立ったまま練習を見ていたおっさんだったが、シートバッティングであたりそこないのファールボールが一塁方向に飛んだ。おっさんは薄汚れたボールにゴム長靴で駆けより拾いあげた。そしてグラウンドに降りてきた。
おれたちに緊張が走った。なに言われるんやろ。おっさん、どこのだれや。おれら、もう野球やめないかんのやろか。
おれたちの視線を一身に浴びたおっさんはホームベースに近寄りながら口を開いた。ガラガラのダミ声でバッターに、
「腰で打たな【打たないといけない】、腰で。もっとこうやって、腰をグワーッとまわさな【まわさないといけない】」
立ちどまり、右手を腰の後ろにあててクイックイックイッと腰をまわしながら言った。続けて、
「手打ちになっとんや、おまえは」
今度は腰を動かさずに腕だけでバットを振るかっこうをした。
「ほやきん【だから】球が前に飛ばんのやー」
バッターはキューピーだった。体が小さく運動は苦手だった。勉強もできなかったが、これは野球には関係ない。顔はキューピーのように愛らしくかわいかった。でもやっぱり野球が大好きで、試合に出られなくても練習には必ず来ていた。勝負のついた試合で代打や守備で出ると、キューピーはたいそう喜んだ。三振をしても、ライトで守備機会が一度もなくても、幼い顔をクシャクシャにして喜んだ。
ハッチのりっぱな点はたくさんあったが、全員を平等に扱ったこともその一つだ。もともと正義と平等と博愛の精神にあふれていたが、中日対阪神戦のチケット抽選を通じてより強化されていた。補欠でもどんなへたくそでも、順番はあとになってもフリーバッティングやシートバッティングは主力と同じ時間やったし、守備練習も同じようにやった。
のちに、試合になかなか出られないメンバーのために、ジャイアンツ、タイガースと相談して二軍の試合を設定した。メンバーがたりなければ、一軍から調整とかの名目で出場した。それで全員がいっそう野球を楽しみ、好きになっていった。
呆気にとられるキューピーに近寄りおっさんは言った。
「ほれ、貸してびい【みい=みろ】」
バットを取りあげ、バッターボックスに入り足下をならしながら、
「ほれ、投げてびい」
ピッチャーマウンド手前に立つハッチに言って、素振りを始めた。一回、二回、三回。おっさんは鼻が悪いのか、濁音になる言葉が多かった。
おれくらいになると投げ方、素振りを見ただけでほぼ実力がわかる。おっさん、あんまりうまないんちゃうかー【うまくないんじゃないか】、と思った。ただ、おれたちにはない大きな体とパワーがどう作用するかはわからない。おれはレフトで一応身がまえた。
ハッチがボールを投げた。初球は空振りだった。おれは思った。ああ、やっぱり。思たとおりや。シートバッティングの打ってくださいと言わんばかりのボールを空振りする人はそうそういない。
二球目はしょぼいファールチップだった。力のない小フライが間抜けな音を残してウラバンの頭を越えていった。
あれっ? おかしいのう。今日は調子が悪いのぅー。なんでじゃろ。おっさんはそんなことを言っているような感じで何度も首をかしげながら、二度三度素振りをした。
三球目はボテボテの三塁ゴロだった。ワジデンが軽快にダッシュして捕球し、ファーストに矢のような送球をした。タイミングは余裕のアウト。
それからもおっさんは凡打を繰りかえした。さすがに空振りはなかったものの、せいぜい内野ゴロ。外野へのフライはおろか、内野へのライナーすらもなかった。コントロール抜群のハッチが打ちやすそうな球ばかり投げているにもかかわらず。ボールを上げようと、遠くへ飛ばそうと極端なアッパースイングになり、ボールの上っ面ばかりをこすっていた。それでもおっさんは悪びれることなく打席に立ちつづけた。
おっさんの素人そのもののバッティングにレフトのおれはすっかりあきてしまった。最初の緊張感はどこへやら、近くに寄ってきたなじみの野良犬に玉砂利をぶつけて遊びはじめた。
S港から塩田にかけて数匹の野良犬がすみついていた。そのうちの一匹だった。平行四辺形の目が体育教師のゴンタに似ていたので、おれたちは『ゴンタ2号』と呼んでいた。
すると、パコン。少しましな打球音が聞こえた。見るとボールがレフトに飛んでくる。平凡なレフトフライだ。水路を越えるほどの飛距離もない。少し右へ寄れば楽々捕球できる。ところが、おれは完全に出遅れてしまった。しかもゴンタ2号がじゃれついてきた。おれはとりそこね、ボールはワンバウンドして水路にころがり落ちた。
おっさんのダミ声が飛んできた。
「コルァァーー!」叱責は巻き舌だった。「デフト、油断すなぁ【するな】ー!」
おれの油断はそれまでの凡打の山を帳消しにして、おっさんの自尊心をいたく満足させたようだ。うれしそうに、「大人のパワーがどんなもんかわかったじゃろがい」などと自慢した。ハッチやおれやゆうちゃんやワジデンのほうがよほどいいあたりを打てる。
それでもおれたちはあいまいな笑顔を作っておっさんをほめたたえた。きげんそこねたらなにゆわれるか、なにされるかわからんし。このままごきげんのまま帰ってくれたらええのに。だいたいこのおっさんどこのどいつや。だれなんや。どんなやつなんや。みんな思っていても言えない。やぶをつついたらヘビが出てくる可能性がある。
おれたちの希望も空しく、おっさんは言った。
「次の練習はなんじゃ?」
ハッチが力なく答えた。
「次はシートノックです…」
おっさんはバットを高々と掲げて意気揚々と言った。
「よっしゃー、わじがノックしたるぅー!」
タハハハハハ……。
このノックがまたひどかった。勢いのある球が全然こない。外野なんか全然フライが飛んでこない。せいぜい打ちそこないのゴロくらい。到達するのにずいぶん時間がかかる。
「おーし、三塁いくぞー。しっかりどれよー」と言いながら一塁ファールのときもあったし、「ショートォ!」と言って一塁ゴロのときもあった。とにかく、予言したポジションにボールが飛んでくる確率は低かった。
おっさんは威勢がよくて、口だけは達者だった。大きなダミ声で擬音を多用した。いや、乱用した。グワァー、バアー、バシッ、シュワッなどなど。ショートのゆうちゃんに数少ないライナーが飛んだとき、「タイミングをびて【見て】、ブッパァーととるんや」
みんなで頭をひねった。『ブッバァー』ゆうてなんなんや、いったい。どなんしたらええんや。ゆうちゃんは軽快にさばいていた。
それでも、おれたちはなにも言えずに付きあわざるをえない。ちっともボールが飛んでこないおれはふたたびゴンタ2号と遊びはじめた。
家で作ってくれたおむすびや店で買ったパンと牛乳とかの昼食をとったあと、各球団総あたりのオープン戦が始まる。初戦は中日球場でのタイガース戦。ジャイアンツから六人の審判を出す。試合が始まる直前に、どこかで昼食を終えたおっさんが戻ってきた。緊張するおれたちにおっさんは大きなダミ声で言った。
「おっ、試合するんか。よーし、わじが主審やっちゃる」
おれたちはホッとした。さすがに試合に出せとまでは言わなかったから。あのセンスでピッチャーなんかやられたら必ず負ける。いや、それどころかストライクが入らず試合にならない。ピッチャーでなくとも、サードやショートやレフトなどキーとなるポジションにつかれたら、間違いなくそこが穴になる。バッターでは確実に1アウト、ランナーがいればダブルプレーだ。主審でよしとしないと。
主審がまたひどかった。とんでもないボールをストライクにしたし、同じコースを平気でボールにした。おっさん、目ぇ悪いんちゃうかー、とみんな思ったはずだ。
盗塁で二塁塁審がアウトを宣告しているのに、こっちの方角がよく見えると言ってセーフにした。パスボールを主審みずからとってサードに投げた。とんでもない暴投になり、セカンドランナーがホームに帰ってきていいのかどうかとまどっていた。ハチャメチャだったが、やっぱりだれもなにも言えなかった。
結局おっさんは三試合すべて主審をして帰っていった。帰り際おれを呼んで、「おまえ、野球せえよ。ええ選手になる思うわ」と言ってくれた。
二年後に中学生になりおれはハッチとともにハンドボール部に入ったのだが、そのとき長く会っていないおっさんの赤茶けた顔とダミ声を思いだした。M高の合格発表の日、中学の先輩に言われるままにおれとハッチはハンドボール部の部室をノックしたのだが、そのときも三年ぶりにおっさんの顔を思い浮かべた。
おれたちが野球をやっていると、おっさんのみならずいろんな人が立ちどまり見物した。その中に、大きな体をした若いお兄さんがいた。おっさんと同じように足下にころがったファールボールを拾いあげ、投げかえしてくれた。スナップの効いた伸びのある球だった。それだけで経験者、しかもかなりの上級者だとおれはピンときた。
シートノックのファールライナーが飛んだとき、お兄さんは素手の逆シングルで華麗にキャッチし、すばやく投げかえした。
ハッチが恐る恐る尋ねた。
「野球やっとったんですか?」
「ああ、高校までやっちょった」
強いなまりがあったが、おれたちにはどこのなまりかまではわからなかった。
お願いして臨時コーチをしてもらった。お兄さんの指導は的確で理にかなっていた。守備練習のノックでもとれるかとれないかギリギリの打球が飛んでくる。外野フライも自在に打った。高いキャッチャーフライを何度も繰りかえしたときは、おれたちはぽかんと口を開けて見守っていた。野球のみならず人あたりや性格も含めて、すべての点でおっさんの対極にいた。
練習終了後、おれたちをS港に停泊している貨物船に招待してくれた。お兄さんは国内航路のコックをやっていた。狭い厨房で船特有のペンキの匂いをかぎながら、出してくれたおやつを食べジュースを飲んだ。
おれたちは高校について尋ねた。野球ファンならだれしも知っている南九州の甲子園常連校の出身で、サードで五番打者、県大会の決勝戦で敗れて甲子園は逃したと言った。おれたちはますますお兄さんにあこがれた。しかし、そのときが最初で最後の出会いだった。
その後もおっさんとゴンタ2号はときどき現れ、いつもおれたちをしっかりかき乱して帰っていった。おっさんは春休みに入ったばかりに、ゴンタ2号は新学年の一学期中に姿を消した。結局おっさんがどこのだれだかわからないままだった。
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