ハッチとコーヘイ
ハッチとコーヘイ
ハッチとの出会いは小学校の入学式の日。講堂での入学式を終えたおれたちは一年三組の教室にいた。
いちばん後ろに座るおれの前の席の坊主頭が振りかえった。そいつは遠慮のないぶしつけな目つきでおれの顔と胸の名札を交互に見たあと言った。
「モジコォーヘェー、カタナキズゥー」
おれは三歳のとき、家の縁側から庭に落っこちて植木鉢で目の上を切った。落ちた理由はわからない。たぶん一人でなにかふざけていたのだろうと思う。父親が急いで近所の医者に連れていき、左目の上を三針縫った。2、3cmほどの薄茶色ののりをはりつけたような傷あとが残った。
映画がまだ人気絶頂だった時代だ。ちょうど市川歌右衛門主演の『旗本退屈男』シリーズが流行していた。主人公の早乙女主水之介【さおとめもんどのすけ】の刀傷とは位置も形状もずいぶん違っていた。
ふだんおれは傷あとのことなんて気にしていなかった。が、初対面で、しかも最初に交わした言葉がこれだったことで、おそらくカチンときたのだろう。
また、あとで考えれば、そいつが端正で上品そうな顔立ちをしていることも原因の一つだったように思う。真っ黒なおれとは対照的に色白でもあり、本能的に「こいつは敵や」そう感じたのだろう。
おれはそいつを見て言った。
「なんや、このハゲ」
坊主頭の右前頭には、一円玉くらいのハゲがあった。
“ハゲ”。
少し大きくなって、いつの時代にも老若問わずいかなる男性に対しても言ってはならない言葉だと学習した。言われた側は平静ではいられない。女性に対する“ブス”“デブ”“ブタ”と同じ。
ニヤニヤ笑っていた男子の白い顔がとたんに無表情のはにわ顔に変わった。一円ハゲ男子が立ちあがった。ガタンといすが鳴った。
対抗してすかさずおれも立ちあがった。カタン。こちらの音は軽かった。
正直に言って、おれはそのときビビった。ほんの少しだけ。
そいつはでかかった。小学三、四年、いや五、六年生といっても通用するくらい。一方のおれは今朝出かけるとき、近所のおっちゃんに「おうおう、ランドセルが子どもをしょっとるわ」と笑われ、おばちゃんに「わー、かわいーなー。一寸法師みたいやなー」と言われたくらいのチビ。この直後にわかるのだが、クラスで並ぶとおれは前から二番目で、一円ハゲ男子は最後尾だった。
といって、そんなことでひるむおれではない。片や見おろし、片や見あげてにらみ合った。
このままやと机がじゃまや。おれは机のわきに出た。そいつもわきに出て、おれに正対した。
にぎやかなクラスが教室の後方の異変に気づき、次々と注目しはじめた。立ってにらみ合う男子二人のただならぬ雰囲気を察し、クラス中が静まりかえった。シーーン。一触即発の状態。
おれは機先を制するのが得意だった。いつでもどこでもどんな状況、状態でも、相手の考えや態勢が整う前に仕かけた。それで事態を有利に展開できた。このことはこのあともずっとそうだったし、大人になっても変わらなかった。
いよいよおれが飛びかかろうとしたとき――。
教室の前のドアが開き、担任の先生が入ってきた。教室の後ろで立っている二人の男子を黒板に書かれている席順で確認して、
「えーと、橋方君と…、門司君ね。どうかしましたか?」
続いて、後ろのドアから講堂での説明会が終了した保護者が次々と入ってきて、
「あら、ヒロ、なんで立っとんの?」
「コーヘイ、なにやっとんな?」
クラスの平和は保たれた。
それからすぐにおれとハッチは仲よしになった。どうしてそうなったのか、どんなきっかけがあったのかは今となっては覚えていない。とにかく『馬が合った』ようだ。
それから六年間ずっと三組、中学校の三年間も三組で一緒だった。ともに勉強ができ、クラスの一、二番を争った。高校は地域ナンバー1の進学校であるM高に行った。
二人はスポーツも得意だった。クラス対抗ドッジボールの選手選抜ではハッチが一番目に、おれは二番目に選ばれた。運動会のリレーでは一走とアンカー、クラス対抗野球ではエースで四番、おれは俊足好打の一番レフト、いつもコンビで活躍した。
中学ではある事情から二人でハンドボール部に入った。そこでもエースのレフトバックと俊敏果敢なポストとして地区で名をはせた。
コンビはM高でも続いた。
ハッチは入部してすぐに試合に出はじめエースとなり、六月の総体で注目された。夏にはK県の国体高校選抜チームに選ばれ、そこでも一年生エースとして活躍した。ハンドボールのスポーツ推薦で関東の国立大学に入学した。
ちなみに、おれは工学部の電気・電子系に進んだ。大学でも三部ながらハンドボールを続け、四年生のときには三部で優勝、二部への昇格を後輩へのお土産にして引退した。
成績がよくスポーツも得意で、明朗な性格。二人はいつもクラスの中心だった。そんなハッチとおれの違いは三つあった。
一つは体の大きさだ。
おれは前から一、二、三番目で、それより後ろになったことがなかった。ハッチはたいてい一番後ろで、せいぜい二番目だった。それは高校入学まで続いた。
ところが、おれは高校一年の二学期から急に身長が伸びはじめ、卒業するころにはハッチにほぼ追いついた。
考えてみれば、おれの父ちゃんも兄ちゃんもそこそこ大きいのだから不思議ではない。まあ、ハッチはなにかと早熟型で、おれは大器晩成型といったところなのだろう。母ちゃんがよく言っていた。
二つ目は、ハッチはまじめ優等生タイプで、小学二年生から八年間クラス委員に選ばれつづけた。一方のおれは腕白いたずら小僧の位置付けで、体育委員、園芸委員がせいぜいだった。女子にそうじをサボると担任に告げ口されて、小学四年生の二学期から六年の終わりまでずっと美化委員だった。
スポーツでもハッチはいつもリーダーで、小学校の野球でも、中学・高校・大学のハンドボールでも主将を務めた。おれはつねに主将のハッチに注意される役、しかられ役に甘んじていた。
体の大きさ、顔の造り、性格、日ごろの発言や態度や行動など、いろいろな要因が積み重なって自然とそんな構図になった。ハッチがずいぶん年の離れた二人兄妹の長男で、おれが三人兄妹の次男であることも大きく関係しているのだろう。しかし、同じ長男でもハッチはおれの三つ上の兄ちゃんとは全然タイプが違っていた。
兄ちゃんは性格粗暴で、おれにやみくもに頭突きをしたし、やたらとプロレス技をかけてきた。新しい技の習得と効果を知るための実験台にした。痛くておれが泣こうがわめこうが、技を緩めることはなかった。
ふとん蒸しもよくやられた。やられている最中に気が遠くなり、このまま窒息死すると何度思ったことか。おれが暗所恐怖症で閉所恐怖症になったのは間違いなくこのトラウマだ。
その点ハッチは温厚で人あたりもよく、だれに対しても平等でやさしかった。
でも、兄ちゃんは妹の洋子にはやさしかった。外の人に対してどうだったのかはよく知らない。ちなみに、兄ちゃんは東大に行った。しかも現役で。性格はともかく、頭はよかったのだ。
そんなハッチだが、突拍子もないこともよくやった。とくに、『歯に衣着せない物言い』は得意で、周りの人をあわてさせた。
小学二年生のとき一緒に銭湯に行った。倶利伽羅紋々【くりからもんもん】のおじさんに、「すごー、登り龍やー」なんて言って、失礼にも刺青をなぞった。おれは血を流して湯船に浮かぶハッチを想像したが、おじさんは喜々として刺青の由来などを説明しはじめた。
駅で汽車に乗るのに並んでいるとき、割りこんできた不良のお兄さんに、「おい、なにやっとんや。ちゃんと並ばんか。みんな並んどるやろが」周りは肝を冷やしたが、お兄さんは苦笑いしながら最後列に並んでくれた。小学四年生のときだった。
考えてみれば、小学校入学の日のおれへの発言と同じだ。思ったこと考えたことを素直に口にしてしまうタイプだった。王様の耳がロバの耳であること、王様が裸であることを本人の前ではっきりと言う。言わずにはいられない。
三つ目の違いは、女子にモテるかモテないか。
ハッチは頭脳明晰、成績優秀、スポーツ万能、品行方正にくわえ、端正で上品な顔立ちのイケ面で、“爽やか”“颯爽”“爽快”など“爽”の字がピッタリの好男子だった。小中高といつのときにも全校女子のあこがれで人気を独占していた。たくさんのファンクラブができ、しょっちゅう手紙をもらったり告白されたりした。バレンタインデーにはとんでもない数のチョコレートをもらっていた。
女子に対しても『歯に衣着せない物言い』は同じだった。本人を目の前にして、「太【ふと】ー」とか、「目ぇ、ちっちゃー」とか、「たらこ唇」とか平気で言った。今の世なら完全にセクハラ発言で訴えられる。
それでもハッチは女子には大人気だった。真意はどうだったか知らないが、言われた女子も、「いやー」とか、「そんなこと言わんといてー」とか、「泣くよー」とか言いながらも喜んでいた。そんなことでもハッチが自分にかまってくれるのがうれしかったのだ。
子どものときだけじゃない。成長してからもそうだった。大学や実業団でプレーしているときも、プレーのみならずイケ面でいつも注目されていたし、女性に大人気で本格的なファンクラブもあった。雑誌やスポーツ用品メーカーのモデルをやっていたし、芸能界からのお誘いの話も少なからずあったらしい。ハッチは歯牙にもかけなかったけれど。
一方のおれは女子にはさっぱり相手にされなかった。もっとも、おれのほうも興味はなかった。中学までバレンタインデーは義理チョコ以外もらったことはなかったが、甘い物が苦手なハッチのチョコレートをたらふく食べていた。
たまに女子が話しかけてきても、話題はいつも一緒にいるハッチのことばかり。「橋方君て、好きな子おるん?」「食べ物、なにが好きなんやろ」「うちのこと、なにかゆうてなかった?」「この手紙、渡してくれん?」
もしおれが「太ー」とか「目ぇ、ちっちゃー」とか「たらこ唇」なんて言ったら、めちゃくちゃ怒られた。たたかれた。
高校一年で身長が伸びはじめたとき、同時に成績とハンドボールの技術も伸びはじめた。すると、どういうわけか女子にモテはじめた。二学期早々登校中の汽車で他校の女子に手紙をもらい、それを皮切りにM高、他校問わず女子に告白されるようになった。
一年生のバレンタインデーでは七個のチョコレートをもらった。義理チョコ以外をもらうのは初めてのことだった。そのうちの一個がそれから交際を始めるガールフレンドからだった。
ハッチは、「リヤカーでもないと持って帰れんぞ」「いやいや、ありゃトラックやないと無理やろ」と言われるくらいの戦果だった。
おれのガールフレンドは図書部所属で、その中で映画鑑賞会の世話役をしていた。試験が終了した節目のときなどに、T市に二人で映画を見にいった。
あるとき、ジョージ・ロイ・ヒル監督の名作『明日に向かって撃て』を見ておれは驚いた。ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの関係は、ハッチとおれの関係そのものだった。片や頭脳派で沈着冷静な指令塔、片や武闘派で無鉄砲な実行役。
それよりなにより驚いたのは、ポール・ニューマンがハッチにそっくりだったことだ。いや、この表現はおかしい。二人の順番を入れ替えなくてはいけない。
色は違えど少し巻き毛の短髪で、真っすぐに伸びたやさしそうな眉、少し垂れ気味の形のいい目、通った鼻筋。全体的に色白で端正で上品。
もっとも、そう思ったのはおれだけで、ガールフレンドは二人の関係については同意したが、ハッチが似ていることについては、「そうかなあ? 私はそう思わんけど」
のちに妻となった女性も、「まあ、言われてみれば、って感じやろか」
まあ、ガールフレンドはおれを三船敏郎か阪東妻三郎に似ていると言い、妻は高倉健と評したくらいだから、ともに男性を見る目はなかったのだろう。男子の友人でそんなことを言うやつは一人もいなかった。
だれに似ているかはともかく、おれがロバート・レッドフォードとは真逆の純正和風顔で短髪だったことは間違いない。
少し学年が上がって“親友”という言葉を習ったとき、真っ先におれはハッチを思った。向こうもそう思ったと思う。教室で二人の目が合ったから。
“無二”の言葉を知ったときも、おれはハッチを思った。向こうもそう思ってくれたに違いない。
高校を卒業し大学に進んでからも、お互い就職して遠く離れてからも、結婚してからもなにかと会っていたし、なんでも相談し合っていた。シュガーとカフェインを含めて。
M高ハンドボール部のおれたちの学年は結局四人だった。おれとハッチは合格発表の日に、カフェインは入学式の日に、シュガーはその翌日に入部した。途中何人かが入部したが、長くて一ヶ月、あとは一、二週間でやめていった。校内では『ハンドボール部四人組』と呼ばれ、なかなか有名な存在だった。
ハッチの葬儀は真夏の太陽が照りつけ、耳をつんざくセミの鳴き声に包まれてとりおこなわれた。写真の中で穏やかに笑うハッチを見て、おれたちは泣きに泣いた。中学生と小学生の息子が二人いた。上の子が顔も体も声もしぐさもハッチそっくりで、それでおれたちはまた泣いた。
悪性のガンで助からないことはわかっていた。初夏にシュガーと名古屋の病院のハッチを見舞ったとき、余命半年から一年とは聞いていた。それが二ヶ月で急逝した。享年四十六歳だった。
喪失感は大きかった。六歳のときからずっとコンビを組んできた親友だ。家庭を持ち仕事が多忙になっていく中でも、年一回は四人の飲み会を開催して会っていた。だれかが海外でいるときは三人で集まった。
そのとき必ず出た話題が、引退後にみんなで年一回旅行をすることだった。北海道一周だ、東北温泉めぐりだ、地中海クルーズだ、南極だ、マチュピチュだ、ガラパゴスだ、と話はいつも盛りあがった。四人が三人になってしまった。老後の楽しみが四分の一、いや、半分以上欠けてしまった。
月並みな表現だが、おれの心にはポッカリと大きな穴が空いた。なにをするにも力が入らず、空虚で味気ない日々が過ぎていった。これじゃあかん、立ち直らんとハッチにしかられる、と思いながらも、心も体もどうにもならなかった。仕事や家庭の多忙でごまかしていたものの、完全に鬱状態だったのだと思う。
それでも世の中は変わることなく動いていく。おれは会社で働きつづけ、次から次へと重大な仕事をまかされるようになっていた。成果をあげると昇進し、さらに重要な仕事をまかされた。家庭では三人の娘たちはスクスクと成長し、順調に進学していった。妻は忙しく日常をこなし、家族のめんどうをよく見てくれた。待ったなしで日々は刻々と過ぎていった。
即効性はないが、“悲しみ”の唯一にして最高の良薬である“時間”がおれにも効いてきたのだろう。
晩秋のある夜夢を見た。
野原とも海辺ともつかない奇妙な真っ白い風景の中に、ハッチとおれは体育座りをしていた。二人ともなにも話さない。ただ一緒にいるだけだった。ときどきハッチを見ると、穏やかな顔をして前を見ていた。その顔を見るだけでおれはうれしくなって笑った。風がさやかに吹いていた。
ただそれだけのなんでもない夢だった。
朝目覚めたとき、ふとおれは思った。
「うん、しゃーない。これが人生や、人の世や。しっかり生きていかんと」
目から涙がぶわっとあふれた。と同時に、それまでおれの胸に鎮座していた大きく重い石がすーっと消えていくのを感じた。おそらく心の傷がやっとふさがり、かさぶたになり始めたということなのだろう。
おれはハッチにお別れを告げた。
「のう、ハッチ、おれ、がんばるわ。ハッチ、バイバイな。いつかまた会おな」
やがて厚く大きなかさぶたもゆっくりとゆっくりとはがれ落ちていき、おれは日常を取りもどしていった。でも、傷あとは消えることなくしっかりと残った。今だってしっかりと残っている。
のちに、ハッチとの違いがもう一つできた。
おれの左目上の傷あとは隠しようがなかったが、ハッチの一円ハゲは髪を伸ばすと隠れて見えなくなった。バドミントンのラケットがあたってできたハゲはずっとあったはずだが、おれたちの中学校進学のタイミングで坊主刈りが廃止となり、その存在を知るのはわずかな男子だけとなった。
おれはというと、大きな石をぶつけられて鼻の下を切り、木の枝に引っかかって右耳がちぎれかけ、M城の堀に自転車ごと突っこんであごを切り、いつしか首から上に十数針の縫いあとを持つ男になっていた。
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