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ドブ際の魔術師


     フィールド・オブ・ドリームス IN 四国


                  夏海 コバルトブルー

 

 

――一九七〇年代、高度経済成長時代末期。

暮らしや経済をはじめ、世の中すべてが右肩上がりだった時代。戦後の貧しさからやっと抜けだせそうになった時代。人々は坂の上の青空に白く浮かぶ雲を見て、努力してがんばりさえすればそれをつかめると信じていた。

インターネットやケータイやスマホなんてまだSFの世界の話で、洗濯機や冷蔵庫がやっと普及したばかり、テレビは白黒からカラーへと変わりつつあった。マイカーなんて庶民にはまだまだ夢の夢だった。

なにかと不便で不自由で貧しかったけれど、世の中みんながそうだった。そんな中、みんなが助け支えあいながら、素朴にしあわせに暮らしていた。

子どもだって、汚くて下品だったけれど、大人に管理・干渉されることなくのびのびはつらつ自由に走りまわっていた。子どもが子どもらしく生きられた最後の時代だった。

これはそんな時代を生きた四国の瀬戸内地方の小さな港町を舞台にした男子たち女子たちの物語――

 

 

       ドブ際の魔術師

 

 ポコン。

 間抜けな打球音が響き、薄汚れた軟式ボールが春の青空に高々と舞いあがった。歓声とともに、「レフトォーー!」「コォーヘェーー!」「バックゥーーー!」三種類の絶叫が次から次へと塩田中にこだました。

 わーっとる【わかっている】。そんなん言われんでもわーっとる。頭の中でいつもの言葉をつぶやきながら、おれは真後ろに一直線に駆けだした。

 おれの打球方向を見きわめる能力は学年一との評判だ。自分でもそう思う。打球音とバットから上がるボールの角度とスピードですぐに落下地点がわかり、足が動きだす。頭で考えるんじゃない。体が自然と反応する。

 今だってそうだ。気づいたときにはバックしていた。小学校に入ってからの遊びはいちばん野球にのめりこんでいるし、冬のキャンプでレフト守備の特訓をしたし、オープン戦でもいろんなことを試した。もう体がすっかり覚えている。

 おれはどの遊びよりも野球が大好きだ。ドッジボールや鬼ごっこやインサイ【ドッジボールを手で打つネットのないテニスのような遊び。日本スポーツ協会では『天大中小』の名称】や鉄棒などの遊びもおもしろいけれど、野球にはかなわない。野球をやっているときがいちばん楽しい。ワクワクする。野球は最高だ。

「コォーヘェーー、バックバックゥーー! とってくれえぇーー!」

 ピッチャーハッチの声がおれの耳に聞こえる。ハッチが試合でおれの名前を絶叫するときはいつも哀願調だ。

 そりゃそうだろう。最終回七回表、二アウトランナー二塁。5対6で我が三組のファイティングドラゴンズ(以下、FD)が勝っている。おれがこのボールをとるとゲームセットで、抜けるとランニングホームランで逆転される。

 FDは開幕四連勝のあと二連敗を喫している。七回裏の攻撃が残ってはいるが、六番から始まる下位打線だ。期待はできない。このゲームを落とすと三連敗となって宿敵の一組ジャイアンツに追いつかれる。主将のハッチの気持ちは痛いほどわかる。それに、連敗開始はおれのせいなのだから、こいつはなんとしてでもとらないといけない。

 それよりも、だ。どうしてあの局面で内角に直球を投げた。三番三浦は直球に強いことはわかっているはずなのに。その前の外角スライダーには手も足も出なかった。あんな球、二ストライク一ボールから投げる球じゃない。ハッチの失投か、キャッチャーウラバンのリードミスか、どちらの責任かはわからない。試合が終わったら二人に問いたださないと。直球が内角に吸いこまれていったのを見たときに、きっとおれの体はもう反応していたのだろう。

 ハッチの声を聞きながら、おれはふたたび頭の中でつぶやいた。わーっとる、ハッチ、わーっとる。まかせろ。だいじょぶや。

 この時点ではそう思っていた。

 練習のとおり八歩目でジャーーンプ、軽快に水路を飛びこえた。もうこれは足下を見なくてもできる。

 一組と二組のレフトとの大きな違いはここにある。このためにおれは猛練習した。何度水路に落ちてすり傷や切り傷を作ったことか。文字どおり血のにじむ努力をした。全身海水でびしょ濡れになって何度風邪を引いたことか。それでばあちゃんや母ちゃんにどれだけしかられたことか。

 水路を越えたら左翼線方向斜め後ろに一直線、おれは全力疾走した。

 途中振りかえって打球を確認した。まずいっ! 意外と伸びとる。パワーヒッター三浦のツボにはまったときの打球だ。おれは足の回転をいっそう速めた。

 おれは走ることにかけてはだれにも負けたことがなかった。鬼ごっこでは無敵を誇り、幼稚園以来運動会の徒競走でつねにテープを切るのはおれだった。それも圧倒的な差をつけて。「あの子、すごいのー」「あのメチャクチャ速い子、どこの子?」「あいつ、だれや」周囲の称賛の声を聞くのは快感だった。

 運動会の四年生から始まるクラス対抗リレーで、おれはちょっとしたヒーローになった。我が三組は一走のハッチがトップになって、二走のゆうちゃんはリードをキープした。ゆうちゃんと三走黒べえがバトンパスでもたついて一組二組に逆転された。黒べえは差を広げられた。

 いよいよアンカーのおれにバトンが渡された。差はかなりあったが、走りはじめるや二人をあっという間に抜きさった。しまいにはスピードを緩めて余裕でゴォーール。

 なかなか興奮するレース展開だったらしい。逆転したとき、盛大な拍手と歓声で校庭がどよめいた。なんや、この歓声、この騒動は! と、走りながら驚いたほどだ。

 レース終了後三組の席まで帰るあいだ、おおぜいの見知らぬ保護者から次から次へと称賛された。いつもはおれをしかることしかしない先生が興奮した笑顔でほめてくれた。ふだん口もきいてくれないクラスの女子までが、そのときばかりは満面の笑みでおれを迎えてくれた。

 五年生になってクラス替えがあったが、おれとハッチとゆうちゃんが三組に残り、一組からドウリが来て、リレーの勝利は間違いなかった。おれたちは六年生にも勝てる自信があった。

 五年生以上には秋に市内陸上大会がある。各種目で入賞しそうな生徒を選抜して出場させる。いい成績を収めると、県庁所在地のT市の県営陸上競技場で開催される県大会に出場できる。

 おれは体育教師のゴンタからはやばやと100m走の選手と言われていた。ゴンタは、「橋方をどうしょうかな。中距離でもええし、走り幅跳びでも走り高跳びでもソフトボール投げでもええし」とうれしそうに迷っていた。

 ハッチは体も大きく、スポーツ全般で学年一だった。ただ、走ることにかけてはおれが上だった。バネのあるゆうちゃんは走り幅跳びの選手と言われていた。

 おれは全力疾走を続けながらふたたびボールを振りかえった。真っ青な空のカンバスの中に、使い古した灰色の軟球があった。

 ヤバッ! 打球の伸びと速度はおれの予想どおりだったが、ラインドライブがかかっていて思った以上に左に切れていた。三浦っちゅうたらこんな球打つんやったかー? おれは走る方向をより左に微修正し、足の回転をさらに速めた。このボールは絶対にとらんといかん!

 いよいよここぞというタイミングで、ジャァァーーーンプッ! おれは小さな体を思いっきり伸ばし、右手のグローブを精いっぱい突きだした。

 ボールはなんとかグローブのネットに引っかかった。よっしゃあーー! 思たとおりやーー!

 その瞬間、おれは空中でバランスをくずした。これも思ったとおりだ。飛びつけば無理な体勢になることはわかっていた。それでもおれは飛びつかないわけにはいかなかった。逆転されてしまう。試合に負けてしまう。一組に追いつかれてしまう。理屈じゃない。ジャンプしてボールをとってアウトにすることはおれの運動選手としての本能であり、学年ナンバー1レフトとしての矜持だった。

 “向こう見ず”“無鉄砲”“無謀”“考えなし”、おれがよく形容される言葉だ。

 中学校になって国語の授業で『坊ちゃん』を勉強したとき、冒頭部分でクラスのみんなに、「おまえやおまえ」「これ、コーヘイやん」と笑われた。おれの家庭をよく知るハッチは兄ちゃんとの関係も含めて笑った。

 おれには『坊ちゃん』の行動はじゅうぶん理解できたが、これがどうして名作なのかはさっぱりわからなかった。

 バランスをくずしたおれは左だか右だかわからないが片足が一瞬地面に着き、直後につんのめった。そのまま両手と顔面で、塩田の小さな玉砂利の上を激しくすべった。まぶたの裏では火花がさく裂し、鼻孔では潮の香りと焦げた臭いを感じた。口の中にたくさんの玉砂利が入ってきて、塩からい味がした。

 そのかっこうを近くで見ていた三塁ドウリは、「しゃちほこ状態やった」と言い、ショートゆうちゃんは、「けっこい【きれいな】形して、三日月みたいやったで」と言った。

 逃げきれるかどうかの三組、逆転かどうかの一組、六人の審判を出して残りは観戦の二組、全員が固唾をのんで地面に突っ伏すおれを見守った。と思う。おれはその様子は見ていない。

 ほんの数秒後、おれは上半身だけ起こして右手を上げ、グローブのネットにかろうじて引っかかっているボールを見せた。左翼線審が右手を高々と掲げて「アウトォー!」続いて、主審が「ゲームセットォーー!」

 広大な塩田に黄色い歓声がこだました。

 

 その週、おれはちょっとしたヒーロー、いやいや、スーパーヒーローだった。その光景を見た連中のだれもが、おれの超ファインプレーを学校はもちろん家でも近所でも言いはやした。

 それを聞いた学年の男子はもちろん、話をしたこともない上級生や下級生の男子、ふだんあまり口をきかない先生までが話しかけてくれた。野球などには興味がない女子までもが、ふだんおれには見せることのない温かい目をしてうわさした。

 評判は学校の外にも広がっていった。話は時間がたつにつれ、また学校から離れるにつれ、どんどん大きくなっていった。

 同じ路地に住むおっちゃんからは、「五、六回転してもボール落とさんかったらしいな。ええ根性しとるのー」と言われ、おばちゃんからは、「水路に落った【落ちた】ままボールとったんやって? すごいなー」と言われた。おれはあまりしゃべらない子どもだったから、とくに訂正しなかった。

 S中野球部一年のひろっちゃんはわざわざ家まで来て、「中学んなったら絶対に野球部に入れよ」と言ってくれた。バスケットボール部二年のおれの兄ちゃんはなにも言わずに頭突きした。目から火花が出た。

 しかし、ヒーローの代償は大きかった。左手の平、右手首、それと額、鼻、上唇、左頬を激しくすりむき、血だらけになった。帰ってすぐに、ばあちゃんにオキシドールの拷問を受け、赤チンを塗りたくられた。

 夕方帰宅した母ちゃんにまずしかられ、夜帰ってきた父ちゃんにもしかられた。言うことは同じだった。「おまえはほんまに無茶ばっかりしてからに。骨や折ったらどうすんな」「五年生になったんやきん、もう少し落ち着かな」

 この『〇年生になったんやきん』の台詞は毎年更新されていて、おれにとっては耳タコだった。高校生になるまで言われつづけた。

 翌朝は痛くて顔も満足に洗えなかった。顔と両手を真っ赤に染めたまま登校し、すれ違う人々をギョッとさせた。銭湯にも長いあいだ行けなかったが、これはふろぎらいだったから好都合だった。数日間そんな状態が続いた。

 でも、おれはそんな痛みや恥ずかしさや不自由なんて気にしなかった。おれにとっては難しいライナーを思い描くとおりにみごとにキャッチできたこと、三組FDが宿敵一組ジャイアンツに勝利しゲーム差を広げたこと、それでみんなが喜んでくれたことがすべてだった。

 そのプレーを境に、おれに『ドブ際の魔術師』との異名が冠せられた。

 水路は海水がゆっくりと流れていてドブというほど汚れてはいなかった。しかし、『水路際の魔術師』では語呂が悪いし、『水際の魔術師』ではきれいすぎておれのイメージに合わない。ということで、“ドブ”になった。

 それでもおれはうれしかった。当時活躍中の読売巨人軍背番号8、高田選手の愛称を与えられたことはたいへんな名誉だった。同じレフトとしてあこがれていた。

 

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