8.度が過ぎた度胸
「誰か! 大変だ!!」
「きゃーっ! いやーっ!」
毒で倒れたはずのトヨマリス侯爵令息の声が響く。
その後を、動揺しきりのセティさんによる甲高い悲鳴が上がった。なかなか伸びやかな声ですわね。
重厚なドアが開くのも時間の問題。
わたくしはトヨマリス侯爵令息が隠し持っていたナイフを預かり、ここかしらと位置を探っていた。
セティさんはまだ納得いかないようで、ちらちらとわたくしを気にしてくる。
まったく、わたくしがちゃんと説明したのに。
「どこを刺されたら無事かなんて、高位貴族なら当然の教養よ。それに、傷がついたとしても、わたくしのノールはわたくしを決して見捨てないわ」
「そんな教養知りませんよお! 本当なんですか!?」
半泣きで言うセティさんに、ドアを叩きながらトヨマリス侯爵令息……グウェンは顔面を引きつらせつつ答えている。
まだ調子が悪いのかしら。命を救ったからしっかりやれとわたくしが言ったのは確かだけど、無理をして倒れたら困る。
見ていたら目が合った。青ざめてグウェンに首を振られた。
「知識として習うが……その御年でその覚悟は普通ではない。間違いなく、絶対ない」
「わたくし、社交界の白百合の妹分ですもの。当然です」
「す、素晴らしい胆力だ」
褒められたので、その力を見せてやりましょう。
決めました。横腹と胸の隙間よ。ナイフの刃渡りはそこまで深くない。
以前に切られたときほど、バッサリはいかない。わたくしは、死なない。死んでやるものですか。
覚悟は決めたけれどやはり体が震える。ナイフが重たい。
でも、やると言ったからにはわたくしはやる。ノールとわたくしのために、やってやりますわ!
これも、わたくしたちを愚かにも罠に嵌め、罪を着せようとした報いを知らしめるため!
はらわたが煮えれば、怒りで恐怖も麻痺できる。
よし、いきます!
「ふんんぬ!」
「ぎゃーっ!! いや、いやーっ! 誰かー!!」
セティさんの渾身の叫びとともに、ドアが開いた。
それと同時に、わたくしはナイフを握ったままどさりと倒れこんだ。
慌てて駆けつけた声は、使用人の声かしら。
ついで、ノールの声がした。
「何をしたんだ君は! どうしてこんなことを!」
信用と愛と怒りを感じる。即座に抱きしめてくれたのもノールかしら。目を開けようとして、あれ、と気づいた。
おかしい。目があかない。
うまく刺したつもりだし、深くないのに。ゆっくり手を動かそうとして握られた。
「な、なんでこうなっている!? おい、誰か!」
言いながら離れていく声がした。アーヴスかしら。また逃げたんじゃないでしょうね。慌ててるのは、いい気味。
でも、やっぱり変ね。
次第に音が遠ざかる。遠くで、「ナイフに……が」と言っている。
何、ナイフまで細工していたの? 迂闊だった、かも。
「ノール」
「シグ、待て。がんばって、耐えて。お願いだ。すぐに」
ノールが励ます声もしだいにぼやけていく。
やがて、真っ暗に意識は落ちていった。
カチ……と静かに針の音がした。
気づけば、わたくしは暗がりにぽつんと立っていた。
夢ですわね。
すぐに断じることができた。だって、目の前に劇場の舞台セットのように平面の大きな絵があるのですもの。
そしてそのはるかむこうに、太陽のかわりとばかりに浮かぶ巨大な懐中時計。針が動こうとしては戻ってを繰り返している。
死んで戻ることを繰り返して、また死にかけたからこんな夢を見たのかしら。
現実のわたくしはどうなっているのだろう。
「あっ」
わたくしの横を風が吹いた。
そして大きな絵に向かって入りこんだ。
「ノール?」
大きな絵に、どう見ても小さなノールがいた。
広いキャンバスの空間で、エルマイン子爵家の広間で一家が団らんしている。近寄って見ても、動く気配もない。さっきの風はなんだったのかしら。
このまま眺めていても仕方がないので、視線を外す。
すると、今度はわたくしの後ろに同じくらいの大きさの絵が増えていた。
「んまあ」
どこかで見たことあると目を凝らせば、すぐにわかった。
三度目の人生で釣り書きを選び抜いているところだわ。よく見ようとしたら、足がもつれて絵の中に頭がめりこんだ。
けれど絵にぶつかることはなく、わたくしの頭は中へと潜っていった。
「シグちゃん、すごいわ! こんなに貴女に会いたいという人がいるのよ」
興奮冷めやらずなお母様の声が響く。
そういえばこんなことを言って、わたくしを褒めていた。
その一方で、わたくしは難しい顔つきで釣り書きを仕分けている。それでとうとうノールを見つけたのだった。
そうそう、そうでしたわ。ここでノールがわたくしに贈ってくれたから進んだ仲でした。なんて懐かしいのかしら。
やっぱりノールは釣り書きをあえて地味に描いていますわね。
この年頃のノールはもっとすらっとして愛嬌があって、はにかむと可愛らしいのに。あら、今もそういう癖があるわね。訂正しましょう。ずっと可愛らしいのよ、そこにいるわたくし。
これから気合を入れて捕まえるのよ。
エールを送って満足したので、縁に手をかけて起き上がる。
すると絵の中から、体は簡単に離れた。
「んん?」
振り向くと絵が増えていた。なるほど、のぞける過去の記憶なのかしら。
夢だとしてもわたくし以外の、例えばノールの記憶も想像して見られるのなら面白いかもしれません。だってノールの絵画もある。
起きるまでの暇つぶしですわね。
わたくしはいそいそと次の絵画へと足を向けた。
***
扉が開いて、駆け寄った。
シグが血濡れで倒れていた。
「ノエルク様! シグ様が!」
知ってる。見えてる。うるさい、かまうな。
他に映るものなんて気にせずに縋りつくようにシグを抱き起こした。
血が流れている。
白い肌はいっそう白く、唇は青ざめている。
血が流れている。
「シグ」
俺の名前を呼ぶ、あの声は返ってこない。
シグの細い腕がだらんと垂れて床を叩く。青いドレスはまだらに赤黒く侵食していた。
「まだ息が……シグ、何をどうして」
シグの手に握られたナイフが原因だとわかった。なら、シグは自分で刺した。そこまで理解できるのに、どうしてとばかり頭に浮かぶ。
周囲を見た。
トヨマリス侯爵家のグウェンと泣いているセティ。落ちた見覚えのある紙切れ。グウェンの具合もなぜか悪そうで、それから察した。
「君の行動力が、嫌いだ」
早く治療をしないと。周りが邪魔だ。いっそのこと。
まるごと隔離できたなら。
「ノール」
思考はあえかな声にさえぎられた。はっとしてシグの耳元に口を寄せて声をかけた。
「シグ、待て。がんばって、耐えて。お願いだ」
カチ、と懐中時計の音がした。
時間が、ない。
「エルマイン伯爵令息、シグ様を医師に」
「触るな!」
反射で叫んで、シグを抱えたままにらみつける。セティがひどい顔色でよろめいた。その後ろの、開いた扉からカシュロ様たちが駆けつけてきた。
「俺が治す。何をしてでも、周りが壊れようと、知らない」
早口で呟く。
もう周囲など知ったことか。シグがこのまま回帰をしてしまう前に、回復をさせないといけない。
何ができる。
俺がもっとちゃんと取り組んでいたなら、この訳の分からない言語も読み取れたんだろうか。自分の手のひらを開いて、片方の手で中心に触れる。
そこから上の空間がひずむ。テクスチャがはがれるようにぱらぱらと落ちて、窓のように違う景色が現れた。
俺がコンフィグ画面と呼んだ、本当かどうかもわからない代物。そこに未知の言語が目まぐるしく巡っている。
時折流れる見覚えのある言語やアイコンのようなもの。これまでの俺の古い記憶をたどりながら触れる。
何をしているのかと聞かれた。
うるさい。
気がおかしくなったのかと同情の声もあがった。
とっくになってる。だからうるさい。
シグの懐中時計に触れて、周囲には見えない画面と比べて夢中で手を加える。
行くな。戻るな。
ここにいてくれ。懐中時計なんて、もういらないから。
「ノエルク」
また声がかかった。
なんで誰も彼も邪魔をする。それどころじゃないのがわからないのか。
「誰も来るな。俺たちに触るな。世界を救えなくても、めちゃくちゃにするくらいはできる。そうされたくないなら」
「あら奇遇ね。あたくしも、何より大事なお砂糖ちゃんが失われたなら、世界をめちゃくちゃにするわ」
いつの間にか、俺の前に青いドレスのリリネットが立っていた。
こんなひどい状況でも凛とした佇まいで、扇を口元に当てて目を細めている。
「それで、シグは治るの? もし駄目だったら、あなたの首をきっと刎ねるわ」
当然のように言われた言葉に温度はない。
でも、今の俺にとってわずらわしいばかり。答えるのにも億劫な愚問だった。
「治す。そんなこと言う暇も惜しい。口を挟むな」
「貴様、リリになんて口を」
「ガームンド殿下。あたくしは外にいます。区切りがついたなら、ミュステラー公爵家へ」
青いドレスの裾が目の前から消える。コツコツと鳴るヒールが遠のく。
気づけば、周囲は驚くほど静かになっていた。
遠くでどっかと腰を下ろした音がした。殿下だかなんだか知らないが、邪魔をしないならいい。
見られたって、どうせ何を行われているのかわからないのだから。理解もしようがないのだから。
思いつく限りのコードを探って、回復コマンドを試す。懐中時計の機能に加え、変化させ、そうして。頬や下あごを伝って、涙も血も落ちていくほど頭も疲れさせて。
最後はシグの手を握って、祈るようにその胸に耳を当てた。




