7.しでかし
休むとなれば、淑女のお色直しが言い分としては適切。
これまでもお母様やお姉様たちがそう言って退出して、休みがてら愚痴と話題の交換、化粧直しをしているのを見てきた。なので、間違いない。
今回は侍女たちも人の目もある。さすがに大事を起こすほどの愚か者ではないでしょう。
「シグ、近くまで俺も行く」
「お願いしたいところですけど、グラシュープ伯爵家として来ているからノールは残ってもらわないと。大丈夫、すぐに戻ります。それにこれがあるもの」
わたくしは懐中時計をとんとんと叩いた。
それを見ていたカシュロお兄様が「姉上の首飾りが何だ?」と眉を寄せる。ノールさえわかればいいので、構わない。
「心配性な婚約者をお持ちだね。そこまで心配なら私が付いていこう。なに、ここにはフラヴィア様がいらっしゃる。私が抜けても問題あるまい?」
聞くだけなら魅力があるだろう爽やかな声音でアーヴスが口を挟んできた。
ちょっと、あなたはお呼びじゃないですわよ!
そう言えたらどんなに良かったか。セティさんの手を取ってしっかり握る。
「まあ! お優しいお言葉、感謝いたします。ですがゴスマンズ侯爵令息のお時間をいただくわけにはいけませんもの。トヨマリス侯爵家の優秀な者たちにお任せします」
「私も、そのように」
緊張した顔でセティさんも同意する。アーヴスはもったいぶった仕草で近くの使用人を「君」と呼び寄せると指示をした。
「ではどうぞ。何、トヨマリス侯爵家とは仲良くしていてね。私の意向も話しておいた。ゆっくり休まれるといい」
自慢を挟まないとしゃべれないのかしら。
駄目だわ。冷静になるのよ、シグエスネッタ・グラシュープ。
出そうになる言葉を喉元で抑えこんで、ほほ、と笑っておく。
「シグ」
物言いたげなノールが見つめてくる。心配ですとありありと顔に書いてある。
わたくしは十歳とまだ年端も行かない小娘であることを利用することにしました。
セティさんの手を離し、ノールに堂々と抱きつく。
「ノール、わたくしも離れるのは心配ですけれど、待ってて。遅かったらすぐに迎えに来てね」
「遅いってどのくらい? 五分?」
「早すぎません? でもノールがそう思ったら来てちょうだい。場所は……」
じっとノールと抱き合ったまま、アーヴスを見る。取り繕っていますけれど、目が笑っていませんわね。
「すぐ近くにあるさ。通路沿いに休憩室は設けていただろう」
「わかりました」
もう一度ぎゅっとしてから、セティさんの手を握りなおした。
案内に出てきた者に続いて、わたくしとセティさんは会場を後にした。
通路を進んで休憩室が並ぶあたりまで進む。
けれど、そこで足はとまらずさらに奥へと案内された。
「なぜこんな奥まで?」
わたくしの問いに、賓客でも丁重に扱う身の上でございますのでと答えられた。
丁重というのはわかりますが、それでも拭えない不信感がある。セティさんの手が震えながらもわたくしの手をしっかりと握った。
「シグ様、いざとなれば私が」
「お馬鹿さん。そこまでする愚か者は」
ぎい、と重厚な扉が開いた。
いたのは、会場で見かけなかったトヨマリス侯爵令息の姿だ。けれど様子がおかしい。
ひっ迫した息をして、部屋の床にうずくまっている。
なのに使用人たちは何も言わない。
「だ、大丈夫ですか!?」
セティさんが声をかけた瞬間。
わたくしとセティさんは、思い切り後ろから突き飛ばされた。振り向いた先で、扉は勢いよく閉められた。ガチャン、と音もする。
どうやら、そこまでする愚か者でしたわね!
舌打ちをして、床にいるトヨマリス侯爵令息を見る。この方、身内に切られたわね。トヨマリス侯爵令息は温厚な方で身内と揉めていると聞いていたけれど、ここまでとは。
セティさんは心優しくも背中を撫でている。
「どうしましょう。シグ様、この方、死んじゃう」
真っ青な顔で言うセティさんに、わたくしはそろそろとトヨマリス侯爵令息へと近づいた。
白を通り越して土気色の顔色になっている。口の端からは泡と赤い液が筋となって垂れていた。
異常を前に心臓が凍りそう。でも、嵌められたという事態がわたくしの気を急かした。
「毒を飲まされて、それをわたくしたちに被せようというのね。なんてこと」
「毒!? 吐かせないと、それに水と」
慌てるセティさんを震えそうになる手でとどめる。
わたくしの胸元の懐中時計にあるもの。ノールが言うのが本当なら、それがきっと役に立つ。嘘なんて言うはずがないもの。
罠回避にもなるなんて、さすがノールだわ。用意周到さで褒賞がもらえるのでは?
頭の中でノールが説明してくれたことを思い浮かべる。ええ、落ち着くのよ。さあ、冷静に声をかけなきゃ。
「トヨマリス侯爵令息。意識はまだあるでしょう。わたくしがあなたを助けて差し上げます。死にたくなければ、協力なさい」
「ぐぅ……ああ……があ」
茫洋とした視線で、けれどしっかりとトヨマリス侯爵令息はうなずいた。
大事な、大事な、わたくしのノールからの贈り物を与えるのです。役に立ってもらいますわ。
わたくしは勢いよく紙片をトヨマリス侯爵令息の額目掛けて、不安を弾き飛ばすべく、平手ごと叩きつけた。
パーンッ!
「し、ししし、シグ様ァー!? なんてことを!」
みるみるうちに、トヨマリス侯爵令息の容体が安定し始めた。
「御覧なさい、セティさん。わたくしが気合を入れて差し上げたわ」
「ええっ、えええ!?」
押し付けられた紙片が、トヨマリス侯爵令息の額からはらりと落ちていく。効果を終えて真白な紙切れへと変わったみたい。
「意識はあります?」
わたくしが問いかけると、トヨマリス侯爵令息はおもむろに動き出した。
よだれを垂らして、肩で息を吐いている。それでも血泡はもう吐いていない。顔色も土気色から回復していた。
「感謝……します……そ、それで、私は」
「今からわたくしが腹を切りますから、それを大仰に騒いでちょうだい。あと、毒がこの部屋にあれば急いで探してあなたが持つのよ」
わたくしが仁王立ちで言うと、トヨマリス侯爵令息はゆっくりと頭を下げた。
セティさんはわたくしと侯爵令息を見比べながら、改めて内容を咀嚼し直したのか、驚いたように叫び声をあげた。
***
殿下にも用意できない大事な品物。
さぞや高価で、代えようのない信頼の証だろう。
話を聞いたときは、何も知らない無知な子どもに不相応すぎると苛立ったものだが、今はそれさえも都合がいい。
小さな淑女二人が離れるのを見送って、アーヴス・ゴスマンズ侯爵令息として完璧に俺は振舞った。
才能にあふれ、魅力があり、素晴らしい令息。それこそがふさわしい評価だ。
何を間違って、田舎の出の、王家の血も祖先にもたない年下の弱小貴族へその評価をもたされたのか。非常に不愉快だった。
グラシュープ伯爵の小娘と抱き合っていた、元子爵家の気弱な少年。世間は美談だ、すばらしいと褒めたたえるが、それが憎らしい。
だってそれは、本来自分が得るべきだったものだ。
見合う地位、容姿の良さ、上へと昇る才覚。何が貴様に劣るのだ。
「ゴスマンズ侯爵令息、せっかくの機会だ。君とも話を聞いてみたい」
じっとりとエルマインを眺めていたつもりはないが、気に障ったらしい。カシュロが俺に声をかけてきた。爵位を超えた友情だとも聞いた。くだらない。
「喜んで。エルマイン伯爵令息も、ウィットレ伯爵もどうでしょう」
「儂はかまいませんとも。どうかなノエルク君」
「はい、私でもよろしければ」
能面のように辛気臭く変わらない取り繕った表情も気に入らない。
もちろん、その相手も。あの小娘、俺を馬鹿にしてのうのうと幸運を当たり前に享受しているのが気に食わない。
でもいい。
俺はこうして当たり前の評価を得られる位置にやっと登り始めた。
もっとできる。俺なら。この血があるなら、もっと。
――アーヴス、君なら我が侯爵家のもとでより大きく羽ばたける。時の王も夢ではない。
王家が秘匿するやつというのも、そうなれば自由にできる。
俺が上に立てる。やっと正当な評価を受けるのだ。
それならくだらないこの時間も、そのための試金石のようなもの。どいつもこいつも俺の糧だ。ざまをみろ。
適当に話して、引き留める。俺に頼まれたことはそれだけだ。
深海蒼石という金になる権利も、伝統的な古い名家のグラシュープ家も、この会でこちらの手の者がどうにかする。
失敗したとして、俺は養子。知らぬ存ぜぬで通してしまえばいい。
何かがあればゴスマンズ侯爵家に弱みを握られたトヨマリス侯爵家が悪い。ゴスマンズ侯爵家はただこの会を協賛し、手助けしただけ。証拠なんて、出やしない。
相手はただの小さな令嬢が二人。
「……あの、そろそろ」
「ノエルク、まだそんなに時間は経ってないぞ」
時間が気になるとエルマインが言う。カシュロはその気弱さを呆れたように指摘した。俺はもちろん、親切にその感情を肯定してやった。
「休憩室は通路の先にあったはずだ。よほど大事と見える。迎えに行きたまえ」
大事だと大勢の前で恥も外聞もなく抱き合った相手が、無残になったなら。エルマインたちの顔が青ざめるのを想像する。なんて心地いい気分か。
周囲にはさぞ話題を楽しんでいると見えるように、俺は愛想よくできていたに違いない。
ああ、楽しみだ。
お辞儀をして向かう少年の背中を言葉で押して、見送る。
「それなら、俺も」
「カシュロ様は、わたくしどもとこちらに」
フラヴィアが言う。ウィットレ伯爵夫人との言論も一区切りついたらしい。
ゴスマンズ侯爵曰く、頭でっかちの気の利かない娘らしいが、やろうと思えばできるではないか。
「アーヴス殿は、他の方のところへ。ほかにも話をしたい者はいるのですから」
羽扇子を動かしてトヨマリス侯爵たちのほうを指す。反王派閥で集まって和気藹々と話している。
なんだ? 俺に何かあるのか。面倒だが仕方ない。
「では、またの機会に」
余裕たっぷりに口にして、俺はお辞儀をしてその場を離れた。
明るい照明を床が反射する。輝かしい道が続いているかのようだ。
歩いて合流したしばらく後に、予定通りの合図があった。
そして会場の外、通路の先から女の悲鳴が上がった。
さあ、ここからだ。
「どちらへ?」
聞かれる声に答えず、俺は急いで足を動かした。
どこへなんて決まっている。俺の栄光への道だ。




