4.お守りと観劇
幼いということは、ある程度のお目こぼしが利くということ。
いかによくできた子といえど、失敗の一つや二つはあるもの。
「公爵家に探りを入れましょう」
「俺が言ったこと覚えてる?」
ノールが青白い顔になって、わたくしの肩を掴んだ。
「勝手に行動しないというのは?」
「だからノールに先ほど宣言しましたわよ」
「そうじゃないんだよなァ!」
一人で賑やかですわね。
ここがノールのお部屋であり、あらかじめ人払いをしていたわたくしの優しさにノールは感謝してほしいものです。
習い事や勉学の間、ちょうどお休みの日。好きに過ごしなさいという自由時間。
ならば有意義に使わなければならないというもの。
「以前と同じようなことを起こすわけにはいかないもの。リリネットお姉様からいろいろ聞いてみます」
もったいぶって、わたくしは後ろ手に隠し持っていたカードをノールに見せた。
「ちょうど劇場に誘われていますの。リリネットお姉様が、わたくしと行きたいって仰ってくださったのよ!」
「ああ……それ、俺は誘われてない奴か」
「乙女のための観劇ですもの。お母様に公爵夫人たる叔母様もいらっしゃるのよ。淑女として一段と磨かれて帰ってきますわ」
「気をつけて楽しんでおいで。無理に探るとか変なこと聞いたりせずに、普通に観劇してくれ」
なんだかいやに真に迫っている。
約束して欲しそうなので、わたくしは喜んで受けて立つことにした。
「安心して待ってなさい。驚きの成果をもたらしますわ!」
「……俺もついてこうかな」
「淑女の輪に混じっても平気なら、わたくし喜んでノールを連れて行きますわよ」
「それは後が怖そう。でもなあ」
ノールは忙しなく目をつぶったり頭を振ったりして、やがて「ああもう」と呟いた。それから部屋の本棚を探って古い地図を取り出した。
「なんですの、それ」
「俺の家の書庫から持ってきたやつ。せめての確認と、あんまりしたくないけどお守りくらいなら」
そう言うと、ノールの手が地図を目の前のテーブルに広げた。色あせてぼけたインクが滲む地図は、アンティークとしての価値はありそうだけど実用的ではない。
ノールには何が見えているのかしら。指先でつついたり、二つの指を開いて閉じたりしてから地図を覗きこんでいる。
また、トントンと軽くその場を指先で叩いたかと思えば、ポケットに手を突っこんで紙切れを取り出す。
そして大事そうに紙切れの皺を伸ばしてから、わたくしに差し出した。
「気休めだけど、たぶん効果があるはず」
縦長の手のひらくらいの紙切れに、奇妙な模様が描いてある。なんだか色合いや雰囲気が禍々しく見える。
「これを持つなら、俺を置いて行っていいよ」
「もうすこし可愛らしい見た目のものがいいですけど、もらえるのならもらいますわ」
「懐中時計の中に畳んで入れておいて」
「これ、なんですの?」
「致命回避の護符……あー、ええと、大怪我を防ぐ特別な術がかかった外国のお守り。効果が昔と変わってないなら使えるから」
わたくしが怪我を負ったことをまだ気にしているのかしら。でも譲らなさそうなので、鷹揚にうなずいておいた。
言われた通り懐中時計に畳んでしまうと、はあ、とまたノールが息を吐きだした。
こうなれば、わたくしが無事に手柄を取って戻り、その辛気臭いお顔を晴らして差し上げないといけませんわね。世話の焼ける可愛らしい人ですこと。
わたくしが慈愛の眼差しで見つめたら、目が合ったノールに「不安だ」とこぼされた。
失礼な!
*
ノールとの心温まるやり取りを終え、馬車に揺られて劇場へ。
リリネットお姉様たちと合流して、席に着く。もちろんお隣はリリネットお姉様。
舞台からほぼ真正面に近い位置のボックス席で開場を待つのもわくわくする。
「今日のシグは大人っぽい格好なのね。ノエルクの色?」
「はい、お姉様。ノールと一緒に選びました!」
自慢をしたくて元気よく答えれば、隣からお母様の物言いたげな視線が飛んでくる。声を潜めてリリネットお姉様へと話しかけた。
「それにこの色、ミルクが入った紅茶の色みたいで可愛いでしょう?」
「それにしては渋めよ。でも、シグに似合っているわ。それに首飾りも思ったより似合っていて安心したわ」
「ええ、とっておきです!」
「聞いたときは驚いたけれど、素敵ね」
リリネットお姉様が指摘したのは、わたくしの胸に飾られた懐中時計……の首飾り部分。
わたくしの快気祝いを兼ねて贈ってくださったもの。金の飾り気なしの細いチェーンは、シンプルだけれど気品があって美しい。
「用意した甲斐があったわ」
そういうリリネットお姉様の目線は私の首元ばかり。首飾りから繋げた懐中時計にはやっぱり気づかない。
わたくしとノール以外には見えない不可思議な装飾品は、誰にも感知されないのは相変わらず。
懐中時計に作用して揺れるチェーンも、中に忍ばせた紙片すらも不思議と思われない。
メッキも剥げて錆かけた懐中時計が見えていたなら、さすがの幼いリリネットお姉様でも眉をしかめてしまうことでしょうし。
「これはとっても大事な宝物に繋がっているのです。それこそ国の宝くらい凄いのです」
「ふふ、そうなの? ええ、ええ、そうね。素晴らしい宝だわ」
優しいリリネットお姉様は、わたくしのことばに笑顔で肯定した。
近くにいる叔母様も和やかに見守っているので、お母様のお説教はない様子。安心してお話できますわね。
「そういえば、ここに来ることをノールが心配していましたのよ。わたくしと離れるのが寂しかったみたい」
「シグは可愛いのだから、きっとそうね。あたくしもシグと離れるとさびしいわ」
ああ、お姉様ったら!
いくつになっても、何度繰り返そうと敬愛すべき方からの言葉は嬉しいもの。沸き立つ心地を覚えていたら、わざとらしくお母様が咳払いした。慌てて立ち上がりかけた腰を下ろす。
「それでですね? ノールったら、お父様やお義兄様たちからあの組織のことを聞いて気にしているみたいなのです。ねえ、お姉様、もう悪い人たちは捕まったのかしら?」
「まあ、それは……」
リリネットお姉様が叔母様を見た。
叔母様は周りの視線に安心させるように微笑み、穏やかに答えた。
「ええ、大丈夫です。陛下も御心を砕いていますから、もう大事は起きませんよ」
「もうみんな仲良しですか?」
わたくしが突っこんで聞けば、叔母様は相変わらず完ぺきな微笑みでうなずいた。
くう、うまいかわしかたですわ。肯定も否定もしない。でも、そうするってことは、怪しいところがあるということ。
「シグちゃん、そろそろお話はやめましょう。劇が始まるわ」
「はあい」
わたくしとノールが幸せな結婚生活を送るには、まだ不安要素がある模様。これは気が抜けませんわね。
やがて、劇場開始を告げる音楽が鳴り響いた。舞台袖から司会役が現れる。
ひとまずのおしゃべりをやめて、わたくしは存分に観劇を楽しむことにした。
楽しむこと数時間。
わたくしは感動に身を震わせていた。
まさに愛の物語。
以前のいつぞやにペペルが話していた愛の劇はこのことだったのかしら。数年後も再演で賑わいそうな素晴らしい題目でしたわ。
「いいお話でしたわね」
「あそこの騎士様が素敵で」
「ええ、貴女もそうお思いに? わたくしもですのよ」
周囲の会話も感嘆まじりに盛り上がっている。
会場には男の方もいるみたいで、演劇や歌の上手さ、設定の考証を談笑まじりに話しだしている。
隣のボックス席は高位貴族かしら。どこかで見たような人たちがいる。侯爵家あたりだと思うけれど、見覚えのある人物がいますわね。
金髪に薄茶色の目。なんだか気に食わない胡散臭い美しい顔つき。
またアーヴスですわ。先日に続いてここでも会うなんて。
警戒しつつ、わたくしの耳はリリネットお姉様の麗しいお声を聞き分ける。
「ねえシグ。劇も素敵だったけれど、やっぱりあたくし、貴女がしたことのほうがとっても刺激的ですごいと思うの」
「わたくし?」
「敵地から逃げて、ノエルクと出会って助けられるなんて」
確かにそう聞くと話題性にことかかない出会い。お出かけしても、あのだとかウワサのだとか言われますもの。
それはそれとして、アーヴスはブロイ子爵家から侯爵に入るのだったと思い出した。となると隣はゴスマンズ侯爵家? この時期だった?
いいえ、以前の……それこそ最初にわたくしが懐中時計で戻ったときは、この時期よりもうすこし後だったはず。それが早まっている?
それにゴスマンズ侯爵家はミュステラー公爵家に反発する家だったはず。伯母様はご存知だったのかしら。
なんだか嫌な感じですわね。
わたくしの手はいつの間にか懐中時計に触れていた。
「首飾りをそこまで気に入ってくれて、嬉しいわ。ノエルクが新しいのを贈っても、大事にしてね」
「はい! だってとっておきですもの」
「そうね。殿下にも簡単に用意できないものよ。だってね」
こそっとリリネットお姉様がわたくしに耳打ちした。
「あたくしの愛がこもっているのですもの」
「嬉しい!」
きゃっと声を上げてリリネットお姉様に抱き着く。
その拍子に、隣のボックス席のアーヴスがこちらを向いているのに気づいた。まるでわたくしたちを値踏みするような気に食わない目。
何かしら。わたくしとお姉様の仲に割って入るつもり? にらみつけるのも癪なので、無視してぎゅうと抱き着いた。




