12.価値の相違
楽しい時間はあっという間。
なぜかあれからノールとの交流も許可が出た。
何やらざわざわときな臭い事件が起きることもなく、平和に時間も過ぎ。
「ついに、この時が来ましたわ!」
わたくし、とうとう因縁の十五歳を迎えました。
思えば、最初にノールと出会った歳の頃。場所もここ。リリネットお姉様のご成婚を祝う、公爵家のパーティー。
そこへノールと一緒に参加することが、ついに実現した。
警戒していたセティさんからの動きもなかったので、心配のしすぎでしたわね。カシュロお兄様を無駄に押し付けただけで、逆に申し訳なかったかも。
今後ご縁があるとは思えないけれど、もし会ったら優しくしてあげてもいいでしょう。
それくらい今のわたくしはご機嫌でしてよ。
「どうかしら、チェッタ」
ドレスのスカートを摘まんで見事なターンを決める。
流行最先端の染色技術を用いた生地に刺繍糸。今、この瞬間のわたくしのために作られた素敵な衣装。
胸に躍るのは、もちろんノールから受け取った懐中時計。それから腕輪、髪飾り。
デザインだって、ノールが「こういうの、俺一人で勝手に決めていいの?」とわたくしの意見を慮ってくれて、一緒に考えた仕上がり。
お友達にも聞いたけれど、婚約者同士で仲良く衣装を決めるなんてあまりないそう。よほど仲がよろしいのねと褒められた。
そう! 順調に仲がいいのです!
気分が乗ったので、さらにもう一回りしてみる。ふわっと広がるフリルの裾のようにわたくしの気持ちも浮き立つ。
リリネットお姉様とドレスの形が似ているのも、最高!
「素晴らしくお似合いです、お嬢様」
そうでしょう、そうでしょう!
「ですが、その程度に。もうすぐお時間です」
素早くターンを止められて、化粧とお直しをされた。そのまま見送られ、お父様とお母様と共に公爵領のパーティー会場へと向かう。
きらきらしく賑やかな光景。
輝くシャンデリア。絢爛豪華な美術品を惜しげもなく並べ、財の限りを披露する。
そしてその頂点に立つのは、我が国の社交界の白百合、頂点たる淑女のリリネット・ミュステラー公爵令嬢。
隣に王弟殿下を伴った麗しいお姿とご挨拶できるだけで、幸運というものです。
それに。
「では、大事なシグちゃんを……! ぐっ、君に、この場かぎり、預けるわけだがッ……わかっているね?」
「あ、はは。はい、心しています」
「本当にぃ?」
「あなた」
お母様に宥められながらもお父様がノールに圧をかけている。
ああ、ノールがこの場にいる。それだけでわたくしの機嫌はずうっと良くてよ。
十五と十七。年回りも似合い、服装も今日のために揃いの色。深緑と暗い茶色、それに青銀に薄緑。互いの色をまとう今日一仲良しですわ。
「さあ、ノール。あいさつ回りですわよ。まずリリネットお姉様たちにお祝いを、それからカシュロお兄様、お姉様たちに披露するのです」
「君は、楽しそうだね」
エスコートを受けながら会場内を回る。
わたくしのウキウキ加減とは裏腹に、ノールはあまりいい表情ではないようだった。所作はきちんとしていても、わたくしの手と重なるその手に緊張が走る。
過ごしやすい気候だというのに、指先は冷たかった。
「ええ、楽しいですわよ。あなたは憂鬱そうですけど」
「そりゃあ、大体いつもこの日に俺は……いや、こんなときに話すことじゃない。挨拶を終わらせよう」
それきり言葉を切ると、ノールは社交上手の仮面をかぶったように薄い笑みを浮かべた。聞きたいことは 山ほどありますが、リリネットお姉様への挨拶を疎かにはできない。
わたくしはひとまず、ノールと共に挨拶を回り始めた。
時間に惜しまれながらお姉様たちにお祝いを告げて別れ、ぐるりと親族たちのところへ。一人きりよりも、婚約者がともにいるだけでこんなに会話が違うのかと感心してしまう。
そつなく会話を終わらせて、やっと一息。そのところで、わたくしはノールの手を引いて会場の外へと出た。
いつまでも辛気臭い顔をさせる婚約者を放っておくわけにもいきません。
「ノール、こっちへいらっしゃい」
せっかく綺麗に着飾ったわたくしという、グラシュープの小薔薇が傍にいるのです。もっと嬉しそうにしてもらわねば困ります。わたくしを差し置くような心配事があるのなら、わたくしをより見てもらえるようにしなければなりません。
「ほら、こっち!」
ぐいぐいと引っ張って、会場から降りて行く。
ちょうど会場では、「侯爵家のアーヴス様よ」という以前聞いたような不快な話題が出たところです。離れたほうが正解に決まっています。
「シグ、どこまで行くんだ」
「落ち着ける場所ですわ。あなた、気分が悪いのでしょう。中にいたくないって顔をしていますわ」
「そ、それは、バグが見えたからで」
「それに面倒な輩に絡まれたら、気分も台無しですわ。さあ、きびきび歩きなさい」
わたくしの行動をノールは止めなかった。引っ張られるがままのろのろと付いてくる。さっきまでのエスコートとは違うのは業腹ですが、今は期待しても仕方ありません。
落ち着ける場所を探して歩いて、結局、公爵家のお庭へと降りることになった。カシュロお兄様をちょうど捕まえて、その経由で許可をもらえたので問題はありません。
ホールを抜けて庭先に行くには、大階段を通る。あの憎きアーヴスはまだちやほやされています。放っておきましょう。
念のため背後に気を付けながら、階段を下りて庭へ。
さくさくと整えられた庭園の芝生を踏んで歩く。広い夜の庭園、会場からも離れると静かなもの。
そんな風に思ったのもずいぶんと前のよう。後ろから同じ草を踏む音を聞いて、わたくしは足を止めた。
「ここなら少しは落ち着けるかしら」
「ここは……そうだね。ありがとう、シグ」
「何、要領を得ませんわよ。言いたいことがあるなら仰いな。ほら、たとえば!」
「たとえば?」
なぜ聞き返すのかしら。
じっと見つめる。ノールがきょとんとした顔で目を瞬かせた。
腰に手をあてて、ぐっと胸を張る。ノールは胸元まで視線をいかせたあとで元に戻した。わかっていませんわね。
くるりとターンをしてみた。これでどう!?
「あ、ああー。ごめん。よく似合ってる」
「まあ、それだけ? わたくし、ノールへの誉め言葉はもっと返せますわよ」
「いや、服は一緒に選んだからもう見慣れたし……シグが可愛いのは今に始まったことじゃないし、そのデザインは確かに似合っているけど、それじゃなくても十分綺麗だと思う」
いいことを言いますわね!
「わたくし、可愛い?」
「えっ、ああ、うん」
「そう、ふふ、そうなの!」
ノールの両手を握ってぶんぶんと上下にふる。
「さあ、とくと目に焼き付けるのです。この日の可愛いわたくしは、あなたと共に培ったものですわ!」
「それは大げさ」
ノールはやっと小さく笑った。視線はわたくしをきちんと定めて、ゆっくりと細まった。
険が取れて柔らかく変わる表情を、わたくしだけが独り占めできる。なんて良い日なのかしら。今ここで一歩進んでもよいのでは?
すっと足を前に進める。けれど。
会場の方向から、破壊音がした。
固い物が割れるような。固い物が崩れて落ちるような。そんな音がした。
それから波及したみたいに、ざわめきと悲鳴が広がる。
「え?」
わたくしが思わず見上げた会場の先に、白煙がのぼっていた。
そこからあちらこちらに右往左往する人たちが見える。もちろん、わたくしたちがいる庭園のほうへと向かおうとする人たちもいる。
けれど、ここにたどり着くより先に切り伏せられて階段から落ちてきた。
何かが起きている。すぐにわかった。
「シグ、駄目だ!」
会場へ駆けようとしたわたくしを、ノールの腕が止める。
「君には見えないだろうが、ひどいバグがあるんだ。安全確保をしよう。先にそっちをどうにかしないと、この場も危ない」
「でも、あそこには」
リリネットお姉様も、カシュロお兄様も、わたくしの家族もいる。
腕を引かれながら見上げる。そこに見知った姿も現れた。
セティさんがいる。その手を引くのは知らない男。彼女の婚約者なのかしら。でも、扱いがずいぶんと乱暴だわ。後ろには、金髪の男。
不遜な振る舞いと格好からして、アーヴスにしか見えない。
「ノール、セティさんが」
「彼女は助かる。今日は死なないはず」
「ですが、今嫌な思いをさせているのを見過ごせと? このままでは」
「あそこに行ったら、絶対に君が痛い思いをするから! いいから、こっちへ」
鬼気迫ったノールが、わたくしの手を取って走り出す。
息をきらせながら説明のようなわたくしにはわからない言葉の羅列がノールの口から出ていく。
「フラグ処理をミスった? 最近見てなかったから? 襲撃イベだぞ、なんで見落とした? そもそもなんで今起きたんだ? こんなの知らない。俺は知らない」
歩幅の違いに声をかける暇すらなく、必死で付いていく。
「やり直しだ。やらなきゃ。俺が、俺がしなきゃ、ここはもうだめだ」
不穏な言葉が耳を通り過ぎる。荒く整わない呼吸が耳の中に反響した。
森の中。暗い空を取りが飛び立った。あれは、カラスだろうか。ざわざわと嫌な感覚が内臓を通り過ぎていくかのよう。
ノールが進む道は、どことなく見覚えがあった。
いつかの、ノールと出会う間に行く道。じゃあ、その先にいるのは?
そこで、ノールは何をしていた?
「ノール!」
全力でノールの腕を反対側に引っ張った。ぐっと体が進もうとして、つんのめる。
いつかの、ぎらぎらとした眼差しになったノールが振り返った。
「ノール、どこまで行くの? 何をするの」
「何って、バグを直すんだ。襲撃はどうにかできなくても、これならできるから」
急いでいた様子とはちぐはぐで、ノールはひどく冷静で淡々とした口調で言う。
「どうやって」
「いつも通りなら、この先に俺がいる。ひどいバグは多分そのせい。だからまず直さないと」
「ねえ、バグなんて後にできないの? 起こっているのは襲撃でしょう!」
「わかんないかなあ! 今、起きているんだよ!」
ノールは声を荒げた。浅い息であたりを見回す。暗い森のなかでも青白い顔は薄く光るようで、不気味に映る。
「あそこ! テクスチャが崩れて、何もない。空も、がらんどうが俺には見える。宇宙なんてない! あるのに、ないんだ。何も、何も! 壊れきる前に直さないと」
「だから、もう!」
まだバグとやらを探そうとするノールの手を振り払い、耳を思いっきり引っ張った。わたくしの声をよく聞こうとしない耳はこの扱いがふさわしいわ。
「シグ……」
ノールはわたくしの行動を悲しそうに見つめた。青ざめた顔で、視線を震わせている。
「君の顔がいつかバグに歪むのが、俺は何より怖い。だから、直させてほしい。大きなバグを直せば、ましになるはずだから。襲撃をしのぐのも、あそこなら安全で」
「それであなたがバグを直すのをただ見ていろというの? この先ですること、わたくしは知っていますわよ」
ノールと会ったとき、自分で自分を埋めていた。その後のノールがどうなったかも見て知っている。
それと同じことを、ノールはきっとする。
善意だとしても放っておかれるのは、わたくしじゃない。それに、あなたが怖いものがあるようにわたくしにだって怖いものはあるのよ。
「わたくしは、死んで忘れさられることより怖いことはないわ」
死に戻って繰り返しても、死の瞬間を迎え、なかったことになるのは恐ろしい。今のわたくしがきれいに消えてしまうことが悔しい。でも、ノールはそうではないなんて。
「でも、今の君なら死んでもやり直せる。そりゃあ、恐ろしい痛みや苦しみは避けられないけど、やり直しは」
「今のわたくしは、今のわたくしだけ! ノールだって」
「引継ぎできる。これまでの俺と君が証拠だ」
もっと耳を引っ張って、なんなら捻って差し上げましょうか。ノールのわからずやぶりに、腹が立って仕方ない。
「次があっても、それは今のわたくしではないって言っているでしょう!」
どんなに同じ記憶があっても、同じ感情を抱いても。継続した意識と心があっても。
今この瞬間にノールに怒るわたくしとは、隔てている。わたくしにはそう思える。
それまでの環境もすべて、やってきたことも空になるのよ。それなら同じとは絶対に言いたくありません。
話を聞かないノールをひっぱたいてやりたい。でも、思ったところで見てしまった。
息をひそめてこちらに振りかぶる、武装した人の姿。
剣を掲げてノールに切りかかろうとした姿を見て。わたくしは。
わたくしは!
「ノール!」
ノールを思い切り、突き飛ばした。鍛えてきたおかげで反射で成し遂げることができた。あとは、少しでも時間を。
それで、取って返して立ち向かおうとしたところで。
「あ」
上から下に、切られた。
力任せに叩き切られて、それ以上先に進めなかった。前のめりに倒れて、顔の横に懐中時計が転がり出た。
「──!!」
ノールが叫んでいる。知らない言葉。うまく聞き取れない。
襲撃者はどうなった? ああ、もういない。逃げたのね。じゃあ、ノールは?
ぼやける視界で、どうにかノールを探す。意外なほど、近くにいた。
「なんで……庇う必要なんて、なかったのに」
なんですって?
わたくしが庇ったのに、そんなふうに、泣きそうになるの?
「俺なんか、無駄なことして……こんなの、こんな」
無駄?
文句を言おうとしても、舌も動かない。
その代わりに、懐かしい針の音がした。
カチ、コチ。カチ、コチ。
待って。
せめて、目の前のわからず屋に、わたくしが怒っていることを伝えなきゃ。
駄目。暗くなって、何もわからなくなって。
しん、と静かになった。




