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9.お忍びの企て


「もうそろそろ次の段階に進めるべきだと思いません?」


 ティーカップを置いて、ふうと息をつく。

 わたくしが問いかけた言葉は、茶席の淑女たちの手を止めさせるのには十分だった。

 同い年の伯爵令嬢のペペル。一つ年上の男爵令嬢、ウィニー。今回も順調に文通やこうした茶会で交流をかさねたお友達。

 ほかに仲のいい子はいても、同世代の淑女の頂点にいらっしゃるリリネットお姉様公認のお友達は彼女たちだけ。思えば、これまでもペペルとウィニーは毎回わたくしのお友達だった。


「シグ様は、情熱的ですわねえ」

「でも淑女としていかがなものかと。外聞は大事にございます」


 おっとりとわたくしを肯定するのはペペル。眉をしかめて苦言を呈するのがウィニー。

 相変わらずの二人に、わたくしは言って聞かせるように人差し指を立てた。


「でもわたくし、齢十一を迎えました。四つでノールと出会い、もう人生の半分以上も共にいるのです」

「あの出会いからもうそれほど経ったのですね。仲睦まじくて素敵……!」


 恋愛話が大好きなペペルはいつもわたくしの話を嬉しそうに聞いてくれる。話し甲斐がありますわね。

 反してウィニーは、わたくしにしっかりと現実を突き付けてくる。


「仲がよろしいのは素晴らしいですが、王国法では婚姻はまだできませんよ」

「そうなのです!」


 ぐっとこぶしを握る。動かしようのない事実に唸りも出ちゃいますわよ。そんなわたくしに、ペペルも「愛は困難なほど燃え上がるものですわ、シグ様!」と応援してくれている。

 応援を背に、悔しさを堪えて口を動かす。


「わたくしには法を動かすことはできません。だから、ほかに代案はないかしら」

「代案ですか」


 ウィニーは途端困ったように身をそわそわさせた。行儀よくティーカップに添えた指先がぴくりと動いている。

 恋愛事には興味ないと勉強にかじりついているけれど、彼女もまた乙女。気になる話題なのでしょう。わかりますわよ。

 まごつくウィニーがペペルへ視線を向ける。ペペルはハシバミ色の垂れ目を興奮に見開いて言った。


「はい、シグ様。わたくしに、名案がございます。ぜひぜひ、伯爵子息様とお試しくださいませぇ!」

「よろしい。聞きましょう」


 指先を組んで、聞く姿勢もばっちりです。わたくしが促せば、ペペルは意気揚々と話し出した。


「お忍び旅行はいかがでしょう」


 なるほど、続けて?

 わたくしが身を乗り出すと、ウィニーが額に手を当てた。でもわかっていますわよ。ちょっと楽しく思っているでしょう。わたくしたちはお友達。あなたも協力者ですわよ!


「昨今流行りの劇場で観劇したのですけどお、身分を忍ばせて領地を歩くのです!」

「ふむ」

「身分が身分ですから、市井におりれば浮いてしまいます。そこを助け合い芽生える絆」

「ふぅん?」

「貴族の仮面が外れ、垣間見える心情、そして深まる愛!」

「いいですわね!」


 のせられた気もしなくはない。けれど、以前ノールとチコラ男爵領へ行ったとき、ろくな観光もできなかった。

 そう考えるとありでは? やってみてもいいのでは?


「お待ちを、シグ様」

「何かしら」


 ウィニーは背筋を伸ばして言った。セットされたテーブルクロスくらいピシッとしている。


「せめて場所はグラシュープ伯爵領で行いますよう。伯爵子息は、婿入りの身。領地の見聞とすれば、許可も得やすいでしょう」

「ええ、その通りね」


 この調子で建前を作ってしまいましょう。この会からお母様やリリネットお姉様の権力を経由すれば容易いはずです。

 待ってらっしゃい、ノール。素晴らしいお忍び歩きを提供して差し上げてよ!







 いつものドレスではなく、市井を歩く娘が着るような簡素なワンピース。

 素材もごわごわで肌が荒れそう。このような服を着る生活はまるで修行のよう。わたくしが貴族子女にしては日々体を鍛えていてよかったですわね。

 目立つ髪も大きな帽子に詰めこめば、どこからどう見ても可愛らしい平民のお嬢さん。


「完璧ですわね。わたくしだって領民の生活にとけこめますわ」

「そうかなあ」


 ぼんやりとノールが言う。

 わたくしの変装に文句でも。チェッタが文句を言いつつも仕上げた力作なのに。でも、その視線はわたくしを間違いなく可愛いと見ている。文句は引っこめましょう。

 それに、変装はノールほどには及ばない。


「悔しいけれど、ノールの馴染み具合には負けますもの」

「誉め言葉と受け取っておく」


 荒いリネンシャツにズボン、ノールの色合いと相まってさらに埋没した印象になる。

 あら、またノールの良いところを見つけてしまったのでは? 周囲に溶けこめる才能だわ。


「さあ、これでお忍びをしつつ買い物もできますわね。領民たちの生活も見られる良い機会です」


 何か言いたげな深緑色の目を見返す。

 ノールは「じゃあ」と手を差し出した。いつものエスコートとは違う。


「手を。はぐれたらいけない。それにエスコートは目立つ」

「では、腕を組むのは?」

「いざって時に動きにくいから、駄目」


 不満はあるけれど、仕方ない。代わりにしっかり握っておきましょう。

 お父様の手やカシュロお兄様の手とは違う。細くて骨ばっていて、ごつごつと関節が目立つ。

 わたくしが大人しく指示通りにすると、ノールはゆっくりと歩き出した。


 グラシュープ伯爵領の城下町は商売が盛んで、他の領地からの売買も取り行われている。特に多いのは、ミュステラー公爵領から。

 わたくしが学んできて知った情報も、ノールは当然知っているようだった。実際の城下町を歩くのさえ、知っている様子で進んでいく。

 ちょうど露店が広がるところを見つけた。我が領地の繁栄ぶりにふさわしい盛況さ。うんうんと満足しそうになりましたが、今はそうしている場合ではない。それはそれ。

 ノールに「寄っていこうか」と誘われるまま、喜んで通りに踏み入った。


 菓子らしきものや、肉を焼いたもの、パン。食品の屋台が多い。

 わたくしたちの完璧な変装により、威勢のいい呼び声がかけられてくる。

 領民の生活を見聞するという建前上、賞味せねば。ノールの手をくいくいと引っ張ってみれば、わかっているとばかりに革袋を掲げられた。

 いくつか金銭と交換して買い集めては進む。

 ノールったら、わたくしに与えるばかりで自分はあまり食べない。もらえるならもらうけれど、いいのかしら。

 でもそういうタイプということね。


「これもまた学びでふはへ」

「シグ、食べながら喋ると危ない」


 それにつけても領民の食事情、なかなか侮りがたし。

 わたくしは感銘を覚えましたわ! こういう、品ある味わいと違うなんだか野性味あるもの、悪くないですわよ。たまには食べたいお味です。

 ノールと交流も出来たし、わたくし満足しました。

 さあ次はと店を探す。

 食品が並ぶ露店の次は、装飾品や服を取り扱う店が並んでいた。

 本物の宝石やいつも手に取る生地ではない代物ばかり。けれど、味わいのある手作りはある種の美しさを感じさせる。


「お若い恋人さん。揃いの腕輪や耳飾りはいかがかな」


 お揃い! なんて素敵な言葉!

 わたくしが足を止めると、ノールはわかっているとばかりに革袋に手を伸ばす。

 どれがいいかしら。重たいと疲れちゃうから、細い紐に美しい石を結んだものがいいかしら。この中では一番価値がありそうな石ですもの。


「あら、ではこれはどう?」

「いいと思う。君にも似合いそうだ」


 ノールの言葉に、そうでしょうと自然と笑顔で頷く。

 それならと思って、いそいそ素朴な造りの腕輪を手に取ろうとした。

 その瞬間。

 目の前で、その商品は鮮やかに奪われた。


「は?」

「悪いな、ノロマ!」


 無遠慮で、無作法で、空気の読まない輩によって、わたくしとノールの絆と記念を表す装飾品が奪われてしまった。

 は?


「泥棒だ! 捕まえてくれ!」


 店の主人が叫ぶ。その声にハッと我に返った。

 ノールが慌てて声をかけてくる。


「シグ、怪我はない?」

「……追いますわよ」


 心配するノールをよそに、わたくしは盗人の背を睨みつけた。痩せぎすのわりに、なんて機敏なのかしら。絶対に逃がさなくてよ。

 今こそ鍛えた脚力を活かすとき。


「待って待って! 気持ちはわかるから、待って!」

「早くしないとわたくしたちの証が失われてしまうじゃないですの!」

「証って何!? いや、えっと、だから」


 ノールがわたくしの手を引いて露店通りから離れる。

 人気がいないあたりまで進んで、ノールは辺りを見回した。辺りには家屋の壁が挟んであるばかりだ。

 何重に塗りこめては適当に増築していっているのか、もはや壁の意味をなさない衝立になったものもある。まるでそういうオブジェみたい。


「確か、伯爵領はここが」


 そう言うと、ノールはその無意味な壁の一つに向かって立ち止まった。

 きっと前に見たノールのやったようなことをするのね。なら、手順はわたくしも覚えていてよ!


「そこですわね!」


 ノールの横から、その壁を手で叩いてみる。

 変わりませんわね? 刺激が足りないのかしら。もっとやってみましょう。


「シグ? おい、何をして……危ないって!」


 ノールの注意で手を止めるよりも前に、急に壁の感触が消えた。すかっと手が勢いよくからぶる。


「あっ、消えた? 消えましたわよ、壁!」


 手の先から感触が消えたと思ったら、何もなくなっていた。きれいさっぱりだ。


「なんでえ!? もっとバグった!」


 ノールが頭を抱えている。


「困りましたわね」

「君ねえ! 勝手に動いたら危ないって俺言って……いやまだ言ってなかったっけ……ああいやこのバグもそもそも俺のせいだし」


 文句を言っているはずが、勝手にしょんぼりしだす。器用ですわね。

 ですが今は急がなくては。壁の代わりにノールの丸まった背を叩いて促す。


「もうっ、今そういうのは後にしてくださる? 泥棒よ泥棒! わたくしたちの愛の証をひったくったのよ!」

「いた、痛いって……てか、証はそういう……それよりこのバグどうしたら」


 弱弱しくノールは言うが、わたくしにそのバグとやらは見えない。叩いたらいつの間にか壁が消え去った場所があるばかり。


「仕方がありませんわね。衛兵を……いえ、護衛もいるはず。助けを呼ぶのはありですわね? 誰かーあ!!」

「ちょ、ちょちょっと、ちょっとシグ! 騒ぎが大きくなるって!」


 結局そのまま声を上げて歩いていたら、チェッタが手配した護衛たちがぞろぞろと雑踏から現れた。

 そしてそのまま、わたくしたちは神妙な様子のチェッタに迎えられて伯爵家の居城に戻されたのだった。




 家に帰ったわたくしたちを待っていたのは、渋い顔の身内。

 それに、知らせがあったのかノールの兄までいる。


「君たちに外遊びは早いのではないか」

「兄さん」


 ノールの兄、即ちわたくしのお義兄様ベルサークが言う。常より二本くらい眉間の皺が多い。ノールには甘さを見せるけれど、わたくしに見せる顔は厳しい。


「しばらく距離を保つのが、互いのためでは?」


 お小言は甘んじて受けるとして、接触禁止令と出ているのには断固抗議したい。愛に障害はつきものといっても、別離はよくない。今すぐ説得をしないと。

 わたくしが勇ましくお義兄様を見上げたところで、にっこり笑顔で武装したオーガと目が合った。

 扇子をしならせ怒りを燃やすお婆様だ。ヒッと息を呑んだのはわたくしか、それともノールか。


「お話を、聞きましょうか」


 冷静な声が何より恐ろしいと、わたくしとノールは身をもって知ったのだった。

 ああ、ここにノールとの記念の品があったら心が慰められたのに。

 でも代わりに、そっと手を握ってくれた。それだけで、ひとまずは堪えられそうと息をついた。




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