閑話 ささやかな裏方作業
ノエルク・エルマイン。
この名前に馴染んでからどれくらい経ったのだろう。
もう元の名前も覚えていない。ただおぼろげな前世や繰り返した過去の記憶と、半端に覚えたバグ技の知識があるばかり。
というより、この世界が単なるゲームだと思ってはしゃぎたおしたかつての俺のせいで、バグ関連の知識は忘れないようにしないといけない。
次第にゲームなのかそうでないのか、はっきり自信が持てなくなってきた今でも。ゲームならゲームだったと分かれば良いのに。
もし、そうでなかったら。まったく関係のない普通の世界なのなら。
……考えてしでかした罪を直視するのが恐ろしい。やめよう。
とにかく。
俺がしてしまったことは、俺がどうにかしないといけない。
バグが見えるのは、どうにかできるのは俺だけだ。
半ば強迫観念の域だと我ながらに思う。
七十一回目の人生。
年数は、大体九百年を超えた。実感はあるようなないような。気にし過ぎたら頭がおかしくなるから、実感はないほうがいい。深く考えないようにするのが、穏やかに生きるコツだ。
まあ、ただ、穏やかに生きるのは今回も無理そうだと思う。
「ノエルク、招待状だ」
規則正しいノックの後、書庫のドアが開いた。
やってきたのは兄のベルサーク。俺とは違う、艶やかな茶髪を丁寧に撫でつけて、涼やかな緑の目をしている優秀な兄。
「ありがとう、兄さん」
豪華になった旧子爵家の邸宅。書庫にこもって過ごすのが、俺の一日の使い方だった。必要にかられたら外出するから、いつもというわけでもないけれど。
「少しは外に出たらどうだ。そうして学んで役立とうとするのは助かるが」
「向いてないんだ。兄さんのように多くを学ぶには、俺は足りないから」
「足りないと誰が言った。お前は……よくやっている」
硬い表情に見える兄の眉は下がっていた。
几帳面で神経質気味な兄は、優しい。さらに言うなら、俺の家族は信じられないくらい善良で優しい。
変なこと言ってもやっても、過去の回帰でひどいことをしても、最後まで俺のことを信じてくれているほど。
この家族のためなら、道を踏み外さないように生きられた。
「事実だ。兄さんは王太子殿下に見出されたから、それに恥じないよう努めたいからさ」
「そうか。根を詰めすぎるなよ」
「兄さんもね」
招待状を渡すと、忙しい兄は静かに部屋を出て行った。
宛名を見るでもなく、誰からかはデザインでわかる。
シグエスネッタ・グラシュープからの招待状だ。
一応裏返して、明かりに透かして確認する。偽造もなし、細工もなし。
シグと婚約してから、足を引っ張ろうとする諸侯貴族が後を絶たない。同時におもねろうとする者も。
敵対しないように、それでいて味方になりすぎないようにしないといけない。
派閥の動きは覚えている。傾向と、弱みも。
十七歳くらいまで生きて繰り返したとシグには言った。
けれど、それ以上生きたこともなかったわけじゃない。寧ろ、回帰の終わりを探るために年数をかけたことも何度となくあった。その副産物で俺が晩年になるくらいまでの出来事はなんとなくわかる。
「贈り物記念日として祝賀会……?」
なんだその記念日。
シグに関しては、いつも予測が不可能だ。わけがわからない。
過去の俺よ、頭が半ばおかしくなっていたとはいえ、その場のテンションでどうしてシグに懐中時計を押し付けてしまったのか。
もう二度と同じような代物は出来ないのに。どうやってあれが出来たのか弄りすぎて再現なんて無理だ。試すのも恐ろしい。
そんな物をシグに……今だったら……いや、するな。
あの懐中時計が、回帰するたびに目の前に転がっているなんて日々はもうごめんだ。
シグには悪いけど、どうしても嫌でないなら持っていてほしい。
本人は手放す気がさらさらなさそうなのが、幸運だった。
そのまま招待状をくるくる手首で回す。
「ああ」
中の文字に、責任とってわたくしに付き合うのです、という言葉を見つけたので呟いてみる。
「責任」
シグにした責任は取らないといけない。
懐中時計を押し付けて、強制的に回帰する人生に巻きこんだ。
頭痛と吐き気に襲われて回帰する朝を、彼女はきっと恨むだろう。そう思っていた。直接、出会うまでは。
「なんで好きでいてくれるんだ?」
疑問が口をついて出る。ずっと思っていた。
彼女は俺との出会いを、恐ろしいまでのポジティブさで運命と解釈している。何故。
擦り切れてくたくたの俺の中を、鮮烈かつ無遠慮に掻き回してくる。新鮮な感覚を思い出した。
こんな俺に、あれほど熱烈にきてくれる。それも可愛らしい子が。正直今も嘘だと思うことがある。
シグは黙って大人しくしていれば、本当に、可愛らしい少女だ。喋って動いて行動しさえしなければ。
「どうしよ」
下手に返事をすると、間違いなく一歩どころか百歩進んだ展開にさせられる。俺の首が飛ぶ。
シグには、怖い保護者がたくさんいる。
攻略難易度で表すなら、数回選択肢を間違えたらデッドエンドにいくタイプだ。
「……ええと」
背後にある書棚から古びた地図を取り出す。その途端に、棚にあるはずのない捻じれが走る。それでもまだ、ここはテクスチャ揺れが少ない場所だ。
下手に触らなければ問題ない。
見ないふりをして、地図を机に広げる。インクがかすれて古ぼけた紙面は一見なんの変哲もない。
決められた動作で、一定の箇所を指先で叩く。それから地図を畳んで、開くのを繰り返す。
パキン、と頭の中にヒビが割れるような音がした。
「よし」
起動した。
こういうことができてしまうから、やっぱりゲームの世界ではと考えてしまう。
地図上に俺には読めない文字が浮かび上がる。この世界の本でも見たことがなく、前世にもない文字。
恐らくなんらかの言語だが、激しくブレることもあるので読み取りも難しい。それでも、どういうものかはなんとなくわかっていた。
国名とシンボルアイコンらしきもの。そこにいくつか箇条書きのような項目がある。
「いつものやつは……」
確認するために声を出して指さしをする。
他国からの侵略フラグとイベント、謀略関係の項目が成立していないか。ついでに大災害のフラグもないか。順々にチェックをしていく。
フラグはオフのままだ。
「平和なのは、そっか。そうだった」
いくつだっけ。四歳より前だっけ。回帰するときより前にしたのは確かだ。
俺がそうした。忘れそうになっていた記憶を掘り起こす。
直さなくても、気づいたらフラグがアクティブになっていることもあった記憶も思い出す。
安易に手を出して大丈夫なのかと思いながらも、この国が戦地になるのは嫌でつい手を伸ばす。問題なさそうだ。
特に、シグが行きそうなところはよく見ておかないと。
細かな指定、それこそ人の命運も決められるのではと思ったこともある。
けれど、そんなバグ技を俺は知らない。試すのも、過去の馬鹿な俺がした。無理だった。
だから、弄るのはこれだけ。
「大丈夫だ」
自分に言い聞かせるように呟く。
何もない。平和な世界だ。俺がバグを気にしすぎさえしなければ。致命的なバグを俺が逃げずにどうにかしさえすれば。
同じ手順を繰り返して、地図から呼び出したデータを見えなくする。
「大丈夫」
ゆっくり呼吸をして、地図を畳む。
それからいつも通りに。書庫の隅に浮かぶ、ちぐはぐに切り貼りされた景色を見ない振りをした。




