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8.続・見聞、チコラ男爵領


 それからしばらくチコラ男爵令嬢の様子を探ってみたけれど、一切不審な様子はない。

 貴族らしからぬ感じは新鮮だけれど、礼儀もきちんとしていて真面目に勉強もしている。善良そうな一般的王国民といって差し支えない少女だった。

 そのことを口にすれば、ノールはもっともらしく頷いて言った。


「おそらくの仮説を話していいかな。聞いてくれ。これはきっとちゃんとしたゲーム世界、由緒正しい正統派乙女ゲームだと思うんだ」

「なんですの急に」

「悪役っていっても、普通のライバルしか出ない正統派で、主人公は真面目に経験を積んで上を目指していくんだ。たぶん領地経営要素もあるんじゃないかと踏んでいる。ミニゲームはつきものだろう、そういうのって」

「知りませんわよ。あなたって、時々早口になって何言っているのかわからなくなりますわね」


 半分、いえ、ほとんどよくわからない言葉を浴びせられた気分です。

 わたくしが半眼でにらみつけると、ノールは我に返って「……まあ、多分、なんだけど」と言葉を濁した。


「そもそもノールがチコラ男爵令嬢を主人公と断じた理由は?」

「ああ、それは……あ、今。見て」


 ノールがまた指さした。

 チコラ男爵令嬢が席について教本をめくっている。すると不意に立ち上がって物を拾った。その上を別の窓から入りこんだ鳥が凄まじい勢いで滑空していった。

 偶然避けたように見えるだけだが、騒ぎはそれで終わらない。

 鳥に騒然とした教会内で、チコラ男爵令嬢は鳥をうまく逃がした。そしていつの間にか、鳥が落としたのを拾ったのか手に輝く石を持っていた。


「あれ、渡り鳥の御石だよ」

「まあ! 希少鉱石ではありませんか。わたくしだってなかなか手にしたことがないのに」


 奇妙に色変わりする石を不思議そうに眺めて、チコラ男爵令嬢がそれを握りしめたまま席に着く。

 また、教会は何事もなく習いごとの時間を始めた。


「ああいうことが頻繁に起こる。彼女は運が良すぎる。あと見た目とか性格とかがそれっぽくて」


 それはノールの主観ではないかしら。

 でも真面目にノールが言うのだから、もっともらしい理由なのかもしれない。その情報を知っているのはノールしかないのだから、わたくしに反証するものはない。


「ふうん、良い子そうね」

「そうだね。場合によっては公爵夫人に据えられそうになる子だし。成功事例は見なかったけど、婚約までは数回見たことがある」

「公爵、夫人? 男爵家なのに? リ、リリネットお姉様を差し置いて!?」

「そう。相手はカシュロ様だった」

「まあ……まああ」


 ついつい、チコラ男爵令嬢をまじまじ見つめてしまった。

 上位貴族に見初められて、ということはあるにはある。わたくしのこれまでを振り返ってもそういう家はあった。

 であっても、それがミュステラー公爵家という権威ある家というのは驚いてしまう。


「カシュロお兄様のお相手? あの方が? ええー……お兄様のお小言に耐えられるかしら」

「それ、言われるのはシグだけだと思う。カシュロ様はお優しいんだ、本当に」


 まるでわたくしが話も聞かないワガママ娘のように言うじゃありませんの。

 カシュロお兄様がわたくしの邪魔をするからいけないのよ。

 しかし言い返すと認めたみたいで癪ですわね。話を逸らすことにしましょう。


「ところで、ノールはチコラ男爵令嬢とお付き合いしたの? 攻略対象だと言っていたわよね」

「過去に一度だけ。でも、付き合ってもバグが見えたから、結局俺が駄目になって」


 窓枠から離れて、手を下ろす。

 ノールもそこから数歩離れて、うなだれる。かくっと落ちた頭が、違うと横に揺れている。


「すごくいい子だったよ。でも、俺が」


 重たい息を吐き出して、ノールは顔を両手で覆ってしまった。


「……夜会から耐えられなくて。ひどい思いをさせてしまった。それから、直接かかわってない」


 声はひどく沈んでいる。ぶる、と震えた指先が白い。きっとその下の顔色も悪くしていると思わせるほど。

 沈黙が降る。

 今日の天気は明るい晴天。陽の光に反射した懐中時計の盤面がぴかぴかと光る。指先で触れて、握りしめる。

 それから、黙ってうずくまりそうなノールの肩を力強くわたくしは叩いた。


「情けないですわね。ほら、今はわたくしがいます。頼もしく思ってちょうだい」

「頼もしく……ううん」


 ゆっくりとノールの顔が上がる。深緑の瞳がわたくしの胸元の懐中時計を捉える。すかさずわたくしはさらにもう一度叩いた。

 力強く、しっかりと。景気付けにさらにもう一度。


「わたくしが! 今の婚約者ですもの! ねーっ!」

「うわっ、痛いって! わかってるってば、君が俺の今の婚約者だって!」

「ええ、そうよ。それがわかっているなら、結構」


 今日のところの情報は十分でしょう。

 ノールを引っ張り、姿勢を正させる。


「じゃあ、帰りましょう。わたくし、お腹が空いたわ」

「ああ、俺も」


 それから手を握るとノールはまた来た時と同じように歩き出した。

 わたくしはもう一度教会の窓のほうを振り向いた。ふと気になっただけ。それだけ。

 ただ、偶然なのか、そこには換気をするために窓に手をかけるチコラ男爵令嬢がいた。

 目が合ったわけではないけれど、自然と吸い寄せられるような奇妙な引力があると思えてしまった。







 同じ手順で足を進めると、グラシュープ伯爵家御用達の店に戻るのは瞬く間だった。

 先ほどまでの民家が立ち並ぶ景色はもうない。

 ビロードの絨毯に樹液から生成した特殊なコーティングをした机。丁寧になめした革の一人用ソファが三つ。その他、貴族をもてなすに値する調度品の数々。見慣れたわたくしの景色の一つだった。

 机には本来眺める用の装飾品や宝石がボックスに入れられて置かれている。行く前と変わらない位置。誰かが入った痕跡はまだないようで、ホッとした。

 それが伝わったのか、また繋いでいた手の力を緩めてノールは一人用ソファへとわたくしを案内した。


「君には慣れないものばかりで、疲れなかった?」

「驚きはしたけど、好奇心はくすぐられましたわ。ノールは?」

「俺は平気」


 そう言うわりに、ノールは空いたほうのソファに腰かけ肘に手を置いた。肩が丸まって、小さく呼吸を繰り返している。

 平気というわりに、疲れているように見えるけれど。

 本当に? と聞いてもノールが「平気」と言うか、返事を曖昧に濁すかのどちらかでしょう。わたくしは理解ある婚約者ですもの。

 視線を机に向けると、敢えての話題逸らしにちょうどいいものを見つけた。


「あら、見てノール。この時計、ちょっとこれと似ているわね」

「……本当だ。さすがグラシュープ、簡単に貴重品が集まる」


 ボックスに丁寧に詰められた装飾品の中に、規則正しく音を立てる時計があった。小さくて女性が好みそうな彫金細工のもの。

 わたくしが常にチェーンだけの首飾りをしていることは有名だもの。それに合う金や銀の装飾品が多いのは当然でしょうね。


「ねえノール? この時計にも同じようなあなたの奇術は使えますの?」

「嫌だ。出来たとしても、使わない」


 即答だった。

 それはノール自身も予想外だったようで、目を丸くして口元を抑えた。それからのろのろと口元から手を下ろして所在なさげに膝に置いた。


「ごめん。極力、安定しないものはもう使いたくない。何が起こるか、俺はそこまで責任を持てない。これ以上は潰れてしまうと自分でもわかるから」


 嘘を言う態度ではない。

 まあそこまでしてほしいものでもない。ノールが嫌がるなら強制したくはない気持ちもある。


「そうね。わたくしが軽率でした。あなたがバグを厭わしいと思っていたのを失念していましたわ」

「……俺は、転生者であることに胡坐をかいて、安易な考えでたくさんやらかしたんだ。君が知らない過去で、何度も」


 急に何の話なのかしら。

 ノールは膝で手を組んで、俯いている。

 まるで罪を告白するみたいな姿。ノールはそれも気づいていないみたいで、その過去を探すのに必死なようにわたくしの目に映った。


「君が懐中時計で、回帰することも俺のせい。そもそもバグを俺が見えるようになって、おかしなことが起きるのも。俺が」

「そもそもノールが原因?」


 わたくしの言葉に、ノールは一層深く俯いた。

 ノールが懐中時計に施した前後で何かしたのか、それとも七十回を超える人生でしでかしたのか。わたくしにはどちらかはわからない。わたくしの目の間にあるのは、過去を悔やむノールだけなのだから。


「そう思う。多分、いや、きっとそうだ。過去の俺のせい。何も考えなかった馬鹿な俺のせいだ」


 うなだれてそのまま床に埋もれてしまうのではないのかしら。それくらいずんと背中が丸まっていく。

 ちょっと、わたくしの前でしょんぼりしすぎないでほしいものですわね。これで二回目よ!

 チコラ男爵令嬢に出会って、過去のことを思い出して繊細になっているのかもしれないけれど。それはそれ。


「ああもうしゃんとなさい! わたくしの男でしょう!」

「……そう、そうだった。そうしなきゃ。責任はとるよ、もちろんだ」


 何か妙な責任を感じていませんこと。ノールの目は茫洋として、こちらを見ない。

 まったく、世話の焼ける人ですわね。

 わたくしはノールの前に回って、しゃがんだ。ノールと視線を合わせると、両手を振りかぶる。

 そして、その辛気臭い顔めがけて盛大に音を立てるほど強く挟みこんだ。


 スパァン!


「いっだァ!!」

「それなら、前向きに色々決めていきますわよ! ほら、顔を上げなさい」

「今、おかげで強制的に上がったよ……なんでそう力業なんだ君は」


 赤くなった両頬を手で擦ってノールがぼやく。涙目でじと、とわたくしを見る。さっきの視線よりは断然マシですわ。


「まずは式の日取りからですわね」

「早い早い早い。そういうのは、シグのお父様を説得しきってからしてくれ。俺が殺される」


 見慣れた様子に安心して立ち上がる。

 ノールもわたくしに続いて立ち上がると、手を差し出した。エスコートに従って、わたくしは歩いて部屋を出た。



 後日。

 わたくしのもとへ贈り物が届いた。いそいそと部屋で開けてみる。

 丁寧な宛先と模範的な言葉が記されたカード。中を改めたら、ノールの神経質な細い字が(つづ)られた手紙があった。


 先日の礼と、あの時ちゃんと贈り物ができなかったからとお詫びの言葉が重ねられている。気にしいのノールらしいと眺めていたら、一文に目を見開いてしまった。


「まあ、ノールったら」


 わたくしの髪を春の芽吹く風と謳い、わたくしの目を冴え冴えと夜に光る鏡と称す。

 そしてわたくしの気質を尊く思うという褒めに加えている。そんなイメージの装飾品を見つけたからという贈り物だった。

 三色の宝石があしらわれた髪留め。いえ、違うわ。裏の両側にひっそりと深緑の色合いが美しい控えめなサイズの宝石がはめ込まれていた。


「……本当に、真面目で面倒で、素敵ね」


 思わず、わたくしは言葉にして呟いたのだった。

 そういうところがたまらなく好きだわ。また会ったときに伝えてあげましょう。

 手のひらで髪留めを転がす。楕円のころんとした形が手のひらを動く。

 気づけば、ひんやりとしたはずの宝石がじんわり温かな感触に変わるまで、わたくしはずっと眺めてしまっていた。



精神分析(物理)

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