7.見聞、チコラ男爵領
ノールと心温まる交流をし続けること早一年。
楽しいことってあっという間ですわね。同じことの繰り返しとノールは言うけれど、相手がいるのならいつだって新鮮で楽しいものではないかしら。
繰り返しの回数のしすぎで疲れているのかもしれないけれど、今の体験は今にしか感じられないものだわ。
というわけで、わたくしは我がグラシュープ伯爵家に訪れたノールを待ち構えている。
「二人でお買い物するのお? シグちゃんとノエルク君とでえ? お父様、反対だなあ」
などとぐちぐち文句を言っていたお父様は、つい先日、エルマイン子爵家が伯爵に陞爵したことで多忙。助言と各種手配などで仕事におわれてしまっている。
つまり、今が好機。
お母様もお婆様もノールとなら良いと許可が出たので、公然とできる。それもこれも、この一年の間にベルサーク・エルマインが王太子殿下の側近入りしたこと。それを事前にノールから教えてもらったおかげです。準備はばっちりでしてよ。
「エルマイン伯爵令息がいらっしゃいました」
エントランスホールから前よりも身なりが整ったノールが現れた。
泥のようだった茶髪にも艶がでて、肌の血色も良くなっている。相変わらずの三白眼に充血もなし。十二歳のノールの姿は初めて見る。
ずっと貴公子らしくなって素敵になったわ。わたくしの審美眼は正しかった!
ソーアンナ姉様にお願いして、商会を呼び寄せて着飾らせた甲斐がありましたわ。
いそいそとノールに駆け寄る。
「ようこそ! さあノール、街へ出かけますわよ!」
「シグ、挨拶くらいさせて」
「あら、どうぞ」
「エルマイン伯爵が次子、ノエルク・エルマインがシグエスネッタ・グラシュープ伯爵令嬢にご挨拶申し上げます。類まれなる小薔薇のご機嫌伺い叶うこと、光栄に存じます」
ノールは美しいお辞儀をして、形式通りの口上を述べた。
すっかりわたくしの見張り役となってしまったチェッタから、ほう、と息がこぼれた気がした。それくらいノールの礼儀に感心したのだと様子を見てわかる。
それに負けない態度を示すべき。そう思うけれど、わたくしが我がままを通して街に急いだというほうが色々と都合がいい。
ノールがわたくしに付き合い、御していると見做してもらったほうが、婚約の説得力というものが増しますもの。わたくし、策略もできるのです。
というわけで、あえて、簡略してわたくしは返すことにした。
「ええ、ごきげんよう。ノエルク・エルマイン伯爵令息。さあ、挨拶も終わりましたわね」
「わっ、ちょ、ちょっと腕引っ張らないでくれ。ちゃんとエスコートするから」
言いながら、ノールは我が伯爵家の使用人たちに目礼する。そういうところが高位貴族らしくなくて、人気らしい。同時に変わり者と評されるのもそういうところに違いない。
馬車に乗りこんで向かい合って座る。ここ数年で目覚ましい発達を遂げた座席のクッションはふかふかと身を包む。
「場所はチコラ男爵領でしたわね?」
「本当に行くの?」
「ノールが見たとしても、わたくしは見たことがないもの。それに、十になるまで外出はやめてと言ったのはあなたよ」
「そうなんだけど……君のことだから、てっきり待ちきれずに一人で行くかと思った」
それは聞き捨てならないですわね。
わたくしが、ノールとの約束を守らない人物と思ったということかしら。場合によりますが、真摯で一途ですのよ。まったく。
わたくしという人物をわかっていないようですわね。こんなに一緒にいるのに。悔しいわ! なので、隣に座ってしまいましょう。
押しのけるようにノールを窓際に移して、無理やり隣に座る。ノールも失言を自覚したのか、大した抵抗もなくそっと距離を開けようとしたので、さらに詰め寄る。
「あーあー、心外ですわ。わたくし悲しくて胸がしくしくと痛みます」
「ご、ごめん。ごめん、シグ。俺は別に君を信用していないわけじゃなくて、いや性格的にそうだと思ったのはそうなんだけどそうじゃなくて」
そうそうそうそう、よく回る口ですこと。
焦ると思ったことをつらつら語るのはわかっていましたけれど、正直すぎではないかしら。誠実ね、と褒めたいところですが。今、押すなら今!
「はーあ、人肌恋しくて慰めてほしいですわー」
「……はい。大変失礼なことを言いました。今日は案内とお相手をがんばります」
頭を肩に傾けて身を預ける。これまでなら押しのけられていた体はそのまま。肩口の堅い骨の感触を頭で感じつつ、ノールの顔を見つめてみる。
口元を引き結んでいるけれど、今ならわかります。これは照れの予兆!
「乙女ゲームとやらの女の子をお相手するというのなら、わたくしをうまく口説けなくてどうするのです」
「はい、仰るとおりです」
言外に褒めて、と誘導したつもりなのに。
なおもじっと見ていたら、ノールは目をつぶってじわじわと耳を赤くさせた。そしてまた「コワー」なる呪文を唱えている。
「ノール」
「君は大変まっすぐで素晴らしいです」
「それだけ?」
さらに詰め寄ろうとしたときに、馬車が止まった。
「ついたみたいだ」
あからさまに安心したノールの膝を軽く叩いておいた。
逃げましたわ、この男。
まあ名前を思い出すも腹立たしいアーヴスと違って可愛らしい逃げです。そういうところも良しとしておきましょう。
馬車から下りたノールが手を差し出したので、遠慮なくその手を重ねた。
到着したのは、グラシュープ伯爵家御用達の店。
ノールが言うには、ここから瞬く間にチコラ男爵領まで向かえるという。お付きの者は、あらかじめ金銭でしっかり動く者という条件でノールが見出した人物たち。
給金以上のお金を握らせて、数時間見ない振りをするよう契約した上でのお忍び。
今までにない冒険に胸が高鳴るというもの。
店に入ってしばらく静かに考えたいからと個室に案内してもらう。
ドアの前に、事前に頼んでいた見張り役たちが立ったのを確認して奥へ。
「じゃあ、移動するけど安定しないと危ないから。大人しくしていて」
ノールは右手の指先を虚空に滑らせた。個室の調度品を指すように動かして、ある方角でぴたりと止めた。そこに向かって数歩進むと、立ち止まって何もないところを見つめた。
傍から見たら不審極まりない行動ですわね。
「エリア移動、チコラ男爵領は……各座標軸入力良し、アドレス書き換えをして出現位置操作……」
ぶつぶつ呟くよくわからない言葉も奇妙さが増すばかり。
ただの壁に何があるのかしら。ノールは足先で壁の一か所を突いた後で振り返った。
一瞬、ノールの後ろで壁が真っ黒に染まった気がした。瞬きをする間に戻ったので、やはり目の錯覚だったのかもしれない。
「シグ、手を。ついてきてくれ」
言われるままに手を結ぶ。そのままノールはさっきの壁に向かって歩いた。
ぶつかるより前に、ノールの体はすり抜けた。わたくしの眼前に壁が迫る。
手は繋がれたまま。ノールの手首も沈むように壁の中に入っていく。
何の変哲もない壁なのに、水の中に入るみたい。
ノールが行けたのなら、わたくしも行けるはずよね。絵面は驚くものだけれど、手を握ってくれたのだから応えなければ。
息を吸って、思いっきり足を踏み出した。
すると、耳に喧騒が届いた。
覚えのない匂いが鼻先をくすぐる。品のいい料理とは違う、刺激的で口の中を直撃するみたいな香り。
肌を撫でる湿った風は生温い。そのせいもあって、チコラ男爵領は海岸沿いにあると思い出した。
しっとり汗ばんだノールの手の感触が緩む。
ノールは私が後ろにいることを確認して、ぎこちなくはにかんだ。
「ついた。エリア移動データ書き換えのワープバグ、これだけは失敗なくできるんだ」
「ここは? もうつきましたの? 本当にあっという間なのね」
ノールの言葉を流して聞けば、こくりと頷いて返された。
「チコラ男爵領だ」
見える景色には、素朴な街並みと庶民向けの店が並んでいた。
*
そもそもノールとここに来た理由は、乙女ゲームの主役たる少女を見聞するため。
ノールが主役にふさわしいと認めた人物というわけでしょう、要は。ならば、わたくしも検めずしてどうしようというのか。
「よく見えませんわね」
ノールの案内で移動して、男爵邸ではなく近くの教会施設をのぞきこむ。
どこの領地にも存在する教会は、領民の教育と就労を促進するための施設。伯爵領ほどの規模はなくとも、しっかりした造りはいざというときの避難場所としても機能する。
「この時期のこの時間帯なら、ここで勉強しているはずだ」
「領民と共に勉強するなんて、奇矯な方なのね。危なくないのかしら」
「治安はどうだろう……そういえば、この国妙に平和なんだよな」
こそこそと話して、教会の窓から揃って視線を動かす。
現在はノールの周囲の人から気づかれにくくなる奇術がかかっている。人からいても奇妙に思われないみたいなそんなものらしい。
ただ、この奇術が掛かっていない人から話しかけられたりするとバレてしまうそう。
「あ、いた。あの子だ」
そう言ったノールが、一人の少女を指さした。
さらさらと流れる髪は、明るい橙の花弁がお茶に溶けたような色。柔らかな色合いに似合いの赤茶の瞳。美しいというよりも可憐な素朴さのある顔立ち。
まあ、確かに可愛らしいとは思う。一見した限りでは穏やかで落ち着いた印象。
あれが、チコラ男爵令嬢。
ですが。
「リリネットお姉様のほうが、ずっと美しいわね」
「超然とした美しさは主人公に不要な要素だ。最初から完成しているんじゃなくて、成長していくことがいいんだ。努力していくのを見たくないと言う人もいるけど、俺はそれに異議を唱えたい」
「ええ、存分に唱えてちょうだい。んんー? 普通の子のようだわ。あら、今は昼食時?」
「ここでは早めに取るらしい」
何度か調べたのか、ノールは先を予測しているように言う。
わたくしが知る食事よりも信じられないくらい質素な料理が並ぶ。それに喜んで子どもたちが食事の席につく。
男爵令嬢の名前は、セティというらしい。領民たちとずいぶんと馴染んでいるようで、にこやかに会話をしている。
「貴族にしてはずいぶんと慎ましやかね?」
わたくしの知る貴族令嬢の姿とちっとも合わない。同じ男爵令嬢のウィニーもこんな生活はしていなかった。ふわふわとして寛容なペペルでも領民とこうも近しくない。
何よりわたくしの目指す究極の令嬢像はリリネットお姉様。まったく異なる存在を目にした気分だった。
ノールの使った移動は、いわゆる座標軸書き換えバグのようなやつです。
座標値がわかるのは、バグが見えてるおかげ且つ七十回分の人生の産物とひとまず思ってくださいませ。




