4.公爵領のタウンハウスにて
「ふぇっくし!」
くしゃみと同時に目が覚めてしまった。
パッと視界に入ったベッドの天蓋は馴染みのない色合い。ああ、そういえばここは伯爵城ではないのでしたわ。
のそのそとベッドから這い出て、部屋のカーテンを手で探り開ける。景色もグラシュープ伯爵領ではない。遠景に見える市街地は、ミュステラー公爵領のお膝元の街だった。
「タウンハウスがあるとは……盲点でしたわ」
そう。タウンハウス。
王国内は広いといえど、各領地の貴族の別荘がある領地はそうない。王都とこの公爵領だけ。
従姉弟で仲良しだからと、いつも公爵家のお城に泊めてもらっていたから考えもしなかった。タウンハウスの存在は知っていたけれど、そこにいるとは思わなかった。
これまでノールは、公爵家のガーデンパーティーが始まる前には公爵領に家族で来ていて、下位貴族のタウンハウス街で過ごしていたという。
幼かったわたくしのすぐ近くにノールが居たなんて!
グラシュープ伯爵家のタウンハウスから、馬一頭あれば駆けつけられる距離。それもさほど時間をかけず。
「いつでも会いにいけるようなものじゃない!」
窓の向こうに見える街のどこかにノールがいる。なんてすばらしいことかしら。
昨日、しぶしぶ別れてから、しばらく休養するということを聞いた。すなわち、ここで気軽に交流できるということに違いない。
思わず動き回る足で、ステップを踏む。軽やかな足取りは湖畔を渡る水鳥のダンスのよう。今日の調子も抜群に良いわね。さすがわたくし。
くるりと回って飛ぶ。足腰の鍛錬がてらにもっとやってもいいですわね。よし、次はもっと高く。
「お嬢様、先ほどから大きな物音が……」
ドアから入ってきたチェッタと目が合った。
「おはよう、チェッタ」
取り繕って、さっと居住まいを整えてみる。誤魔化されるかしらと思ったけれど、そうもいかなかった。チェッタの頬が引きつっている。
「おはようございます。奥様から落ち着くようにと言われたばかりでは?」
「あら、わたくし落ち着いていますわよ。この上なく」
小言に微笑んで返すもむなしく、チェッタは困った子どもを見るように眉をひそめた。
「そうでしょうか。子爵家のご子息と面会のご予定でしょう」
「そうなのよ!」
表情が自分でもわかりますわ。ぱあっと明るく輝くように動いてしまう。
チェッタはますます眉を寄せた。
「お嬢様、奥様にご注意されることがないようにしてくださいませ。この間のようなドレスの汚れなど、わたくしは気が遠くなりました」
「ノールの情熱が出て、わたくしのドレスを彩ったのよ。必要な代償でしたわ……ともかく、素敵なドレスを選んでちょうだい。ノールに会いに行くの」
「……本当に、いつ見初められたのでしょう」
途方に暮れたような声で呟くと、チェッタは見事に切り替えてテキパキと準備を始めた。
子爵家のタウンハウスは、以前見た子爵領のお屋敷からさらにこぢんまりとしている。
家と立地を見ればどの程度の財力があるかはわかる。子爵家や男爵家のお屋敷が立ち並ぶ区画は、どれも似たような造りに見えた。
それでも、ノールがいるというだけで宝石鉱山ザクザクの価値がありますわね。
昨日の今日ということで、お母様に加えてお婆様も付き添いに参加した。
わたくしの教育も兼ねてということですが、お婆様を呼ぶ必要はあるのかしら。わたくし何もして……していますわね。自覚はあります。いたしかたありません。
「本当に、子爵家と婚約を? 貴女、いくら娘が可愛くても甘やかすにも程々にしなくては」
お婆様が顔をしかめてお母様に小言を言う。
お婆様はノールを知らないからか、侮りが見える。対してお母様は、あの場でのノールの振る舞いを見たからかいくらか好意的な様子。
「そうは仰いますが、シグちゃんがああいう行動を公でしたのですから、仕方がありません」
「向こうがそう望んだと?」
「いいえ、むしろ」
わたくしに大人二人の視線が降りかかる。そこで怯むわたくしではありません。
「わたくし、ノールと結婚するの」
子どもらしく愛嬌たっぷり、にっこり微笑んで言ってみせた。
「こう言って聞きませんので」
「はあ……頑迷なのは、誰に似たのかしら」
「お母様とお父様の血ですわ。だから娘のわたくしが生んだサーヤもソアも、ああなのです」
お母様がお婆様をやりこめた。我が家の女性は愛に生きる者が多いのですもの。身内に証明できる人物がいるから説得力抜群です。
「せめて、教育できるような人物でないと認めませんよ。将来性も見なければ。シグはグラシュープ伯爵家の跡取りなのですからね」
「ええ、それはもちろん」
「ノールなら大丈夫ですわ」
わたくしが口を挟むと、二人して同じように視線を動かして息をついた。そっくりな親子ですこと。
子爵家のタウンハウスへ入ると、すでにエルマイン子爵と夫人が揃って待ち構えていた。
以前の記憶通り礼儀正しい姿。お婆様をちらっと見ると、満足そうに小鼻を動かしていた。
お母様がまず声をかけた。
「突然の訪問を受けていただき、感謝します。我が夫、ギリアム・グラシュープに代わり、エタングル伯爵夫人をお呼びしています」
「ごきげんよう。ディアンサ・エタングルですわ。我が孫、シグエスネッタが世話になったと聞いています」
お母様の紹介でお婆様が話し、順々にエルマイン子爵夫妻が挨拶をする。
大事なことですが、わたくしはすぐにでもノールと会いたいのに。時間がもったいない。
けれど、お母様がしっかりとわたくしの肩に手をあてている。動くこともままなりません。良い子のシグちゃんでいなければいけないのが、つらいところです。
ノールはどこにいるのかしら。一緒に出迎えをして……あっ、いましたわね!
夫妻の後ろで限りなく存在感を消そうとしていますが、わたくしの目は誤魔化されませんわ。
というより、その地味な格好はなんですの。もっとオシャレをするべきでは?
わたくしが会いに来たんですのよ。まったく、仕方ありませんわね。わたくしという存在で、より目立つようにして差し上げましょう。
目配せしてみたら、ノールはぎょっとしてみせた。
そしてそのまま後ろの壁に背を持たれて、埋もれた。
体が足先までビクンと驚きに動く。頭は遅れて目の前の出来事を処理し始めた。
何。何、何!? ノールが壁に! ああっ、通り抜けていきましたわ!
「ノール!? ちょっと!」
「シグちゃん、静かに」
お母様に怒られてしまった。
理不尽ですわ。というか、わたくし以外にあの光景を見なかったのかしら。
周りを見たら、エルマイン子爵が躊躇いがちにわたくしへ声をかけてきた。体を屈めてわたくしの視線に合わせる子爵は、ノールと似た深緑の目をしている。
「ノール、とはノエルクのことでしょう。今、部屋で待たせていますが……お会いになりますか」
じゃああのノールは?
いつか見た宝石のように、不思議な術を使った?
わけがわかりませんわ。でも、案内してくれるというのなら、勿論応じます。わたくしはまだ逸る動悸を抑えながら、勢いよく頷いた。
すると、後ろからヒヤリとした声音が挟みこまれた。お婆様だ。
「わたくしが付いていきます。マリアンナ、あなたは子爵夫妻と話を」
しかし大丈夫かしらと心配はしません。前回、ノールは見事にお婆様を唸らせる知識と作法を披露したのですもの。愛の信頼ですわ。
お婆様に手を取られて、ノールの部屋へと向かう。
簡素なドアをくぐれば、狭い部屋。
こんなに物も少なくて退屈しないのかしら。きょろ、と辺りを伺う間に、ノールはこちらに来てお辞儀をした。物をすり抜けたりはしない。さっきのはなんだったのかしら。
お婆様が先ほどの通りに挨拶しているのを待ってから、わたくしはノールに詰め寄った。
「ノール。あなた、壁にすーって!」
「……ああ、ええと」
「シグ、はしたないですよ」
ぐぬぬ。お婆様が立ちはだかる。精神的にも物理的にも阻むとは、なんというオーガ。
けれど、ここで喚いても分が悪くなるばかり。悔しいけれどお口を閉じないと。
わたくしが大人しくすればするほど、お婆様はノールの魅力と有望さに気づくのが早くなるはず。ああ、手伝いができないのを許してちょうだい。
じっと見つめていたら、きまり悪そうに視線がそらされてしまった。照れているのだわ。
「孫が迷惑をかけましたね」
「いいえ、そんな」
「貴方の立場ではそう言わざるを得ないでしょう。大変なことですからね」
お婆様の温和な会話に見せかけた、辞退なさい圧力が始まりましたわね。
けれどノールは控えめに答えながら、のらりくらりと交わしていく。
「伯爵領に利するには、足りない身ではあります」
「そうでしょう。年は?」
「六つです。エタングル夫人にこの年でお会いでき、光栄です」
「物言いは達者ですね。六つというなら、王国貴族名鑑は見ましたか」
「はい。一通り」
「よろしい」
お婆様が本腰に入った。それから、諳んじるように名前を上げ始めた。
「ウェンティ・ホルック卿の生家と現在の仕事は?」
「キャスデン子爵家です。王宮で吟遊詩人として名を馳せています」
「ふむ……? ではかの家の派閥は?」
それは名鑑に乗っていない質問だった。石の裏にいる虫を見つけるくらい、面倒なちくちくとした問題ではありませんか。
けれど、ノールは顔色を変えることなくすんなりと答えた。お婆様の試すような顔に、一層真剣味が増す。
その次も、その次も。注意すべき勢力などきな臭い話題まで、なんてことのないように答える。
「……よく知っていること」
「兄が、よくしてくれているもので」
「貴方、座学は得意と申告したとカシュロ様から聞いています。他、語学はどうなのです」
「王国と交友のある国の簡単な会話なら可能です」
これにはわたくしも目を丸くしてしまった。
我が王国に隣国は三つ。特に東部側の国には公用語が三つあり、共用語も複数ある。煩雑な多様性国家で、わたくしも勉強に手間取ったものです。
他にも交友がある国を上げると、さらにあるはず。
そういえば隣国で思い出しました。
我が国の王太子殿下は、北の海を隔てた島国の姫君と婚約なさっていたのでしたわね。
「ふむ、噂はあてになりませんね」
わたくしがいけ好かない王太子殿下の顔を不可抗力で思い出してしまっている間。お婆様はノールの見識に合格点を見出したらしい。
ぼうっとしている裏側で、言語のやり取りをしたのでしょう。
「シグエスネッタ。貴女の目は確かに良いようです」
「そうでしょう、お婆様!」
ではもうノールの元へいってもいいのでは。
期待をこめて見上げれば、お婆様はわたくしとノールを見比べ、ノールへと声かけた。
「ノエルク・エルマイン。この子とは節度を持って会うように。わたくしのことはマダムと呼びなさい」
「はい、マダム・エタングル」
「よろしい。では、貴方にする教育についてですが」
お婆様はノールに一目置いたようです。加えて、ノールの有能さに目を付けて教育魂に火がついてしまった。
お婆様の様子でわかります。この優秀な若者を逃がしてなるものかと考えていますわ。
いつかの茶髪男ばかり会わせてきたお婆様の姿が、目に浮かぶようです。
ノールがちら、とわたくしを見てきます。
わたくしのために頑張るのです。前回もしたでしょう。握りこぶしを両手で作って上下に振る。
ノールは計画を話すお婆様に、殊勝にうなずきながら促しだした。婚約の壁がまた一つ下がりましたわね。いいことですわ。
「お婆様、わたくしもノールと一緒にお勉強したいわ」
「考慮しておきましょう」
もう近寄ってもお咎めはない。
わたくしはノールの傍によって、逃がすものかとまだ頼りないその腕を組んだ。
シグのいる王国は、北側に海があり東から西にかけて二つの国と隣接しています。




