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1.やり直し、みたび


 ふわーって、きゅうーってなりましたわ!

 意識がはっきりしたと同時に感じる、猛烈な頭痛。けれどそれと同じくらいの、この胸の高鳴り。動悸に息切れ。


 ――これは、恋! いいえ、愛!


「んきゃー!!」


 ごろんとベッド上を転がっていたら、盛大にベッドサイドテーブルにぶつかった。


「ダァッ!」


 淑女にあるまじき悲鳴が出た。しかし、そのおかげで目の前にある懐中時計が視界に入った。

 規則正しく動いていたはずの針は、ぎこちない。数度ぶれながら、やっと進む針の音も鈍い。金メッキも前見た時よりも摩耗が激しくなっているように見える。

 手を伸ばして触れてみる。ざら、と錆びた感触がした。

 なんてこと。せっかくノールがわたくしにくれたものだというのに。

 手繰り寄せて胸元に抱く。ああ、痛みがすっと引いていくかのよう。

 ……いえ、待って。

 このことも大事だけれど、ノール。そう、ノールですわよ!


『次があって、もし君が懲りなかったら。俺に会ってくれ』


 会いに行かなくては。今、すぐにでも!

 でも、この後にはお婆様とチェッタが訪れる。

 取るべき行動を冷静に考えるのよ、シグエスネッタ。もう四度目の人生よ。最初よりも、その次よりも、うまく行動できるはずです。

 後を引く痛みを気にせずベッドから這い出る。

 髪は後。まずは服。室内靴はそのままでもいい。

 チェッタが用意した服は、着付けがすぐできるように室内の椅子近くにかけてあるはず。あった。

 自分一人で着るのはなかなかに難しいですわね。今度はこれも極めないと。それに、あの馬車のこともあるから、馬術も修めて損はない。やることがたくさんありますわね。


 四苦八苦しながらなんとか着替え終わったところで、控えめなノックの音がした。

 さあ、これからですわよ。


「お嬢様。エタングル夫人がいらっしゃいました」

「シグエスネッタ。朝から行儀の勉強をすると伝えていましたが、早速寝坊ですか?」


 髪を適当に流して、鏡の前へ走る。橙色の明るいドレスがふんわりとひろがる。フリルもたっぷり、リボンもたっぷりのこのドレスはこの時期ばかりの特権ですわね。

 ええ、ええ。四歳のとっても可愛らしいわたくしですわ。

 背中のボタン留めは見なかったことにしましょう。


「はあい。ごめんなさい、準備をしていたの」


 お父様譲りの明るい薄緑の真っ直ぐな髪を指先でいじる。それから、取り繕った声を出してドアの外にいるだろう二人を招いた。

 すると、戸惑ったようなお婆様の声がした。


「準備? シグが?」


 それから躊躇いがちにドアが開かれた。

 お婆様が鏡の前に立つわたくしをみて、目を見開く。チェッタが驚き声を漏らしそうになって堪えている。それほどのことかしら。


「お、お嬢様。お一人でご準備を? ほかの者はお呼びにならなかったのですか。わたくしには何も……」

「一人前のしゅ、淑女は、するべきことを人に任せることも大事とわかっています。ですが、それがどの程度の仕事なのか、一度我が身で知ることもっ、ひつよーかと思ったのです」


 舌足らずの口をもどかしく動かして、嚙みながら伝える。ちょっと失敗したほうがいいですものね。


「お嬢様?」

「あなた、何を」


 素早く歩いてきたお婆様が、わたくしのまえに膝を曲げて額に手をあててきた。今までに見たことないくらい動揺した顔をしていらっしゃるわ。


「妖精憑き? そんな荒唐無稽なことが? シグ、どうしたというの」

「いいえ、いたって普通ですわ。お婆様、わたくしは目覚めましたの」

「目覚めた?」


 わたくしは腹から力を入れ、ずん、と足を床に踏みしめた。真剣なまなざしでお婆様を真っ直ぐに見つめる。


「わたくし、愛に生きます!」


 途端、お婆様の顔はホッと変わった。


「そう。ええ、そういう夢を見たということですね。そこのあなた、いつも通り始めるので準備を」

「かしこまりました」


 そのまま、行儀の勉強をする部屋へと向かわされた。おかしいですわね。わたくしの本気が、幼子の戯言に思われてしまいますわよ。

 納得いきません。

 顔をしかめると、扇を鞭のようにしならせたお婆様が恐ろしい形相に変わりました。今生でもオーガは変わりなく健在のようですわね。ちっとも嬉しくありません。

 咄嗟に、積み重ねた淑女の知識で挽回したものの、久々の恐ろしい思いをしてしまった。

 しかし勉強時間は恙なく終わった。


「マダム。いいえ、お婆様、お聞きしたいことがあるの」


 勉強が終わった後は私的な時間。帰り支度をするお婆様に声をかけて引き留めた。

 四度目とはいえ、幼いときの婚約事情はまだ不明。ノールと縁を結ぶにはどう動けばいいか、聞くならば早いにこしたことはありません。

 まずは情報収集ですわ。情報がいかに尊いか学びましたから。


「エルマイン子爵領はご存知? わたくし、地方のことについて知りたいのです」

「エルマイン? 地方の田舎貴族に? どうしてです」

「ええと……ほ、ほら! 分家の子が地方にいるし、サヤエッラ姉様は地方に向かわれたでしょう? ソーアンナ姉様も、地方へのお仕事もすると申していました」

「ああ、そういうことですか。エルマインは、ケーン男爵領とも近い地ですからね。それで名前を知ったのかしら」


 そういうことにしておきましょう。

 わたくしは楚々としてうなずいた。お婆様は見るからに目をやわらげて言った。


「そうですね、近々ミュステラー公爵家のガーデンパーティーがあるでしょう。そのためにも、そういう知識をシグに教えてもいいでしょうね」

「まあ、本当ですか? うれしい!」

「確かに、ケーン男爵家はグラシュープ伯爵家の分家にあたりますから、一族交流も視野にいれてもよいかもしれません。年回りの近い子もいますから、ちょうどいいわ」

「ウィニーですね!」

「あら、あなたもう知っていたの?」


 しくじりましたわ。まだ紹介されたことはなかったですわね。ほほ、と適当にはにかんでおきましょう。

 お婆様はいぶかしそうに片方の眉を上げている。でも、ただただ微笑みを保つ。

 わたくし、可愛い四歳。何も知りませんわ~!

 やがて根負けしたお婆様は扇を口元にあてて、腑に落ちなさそうではあるものの視線を逸らした。


「まあ、よろしい。あなたは少々お転婆でしょうから、真面目な子がいると良いわ。あとで話を通しておきましょう」

「はい、お婆様」


 にこにことお婆様を見送る。

 その背がいなくなってから、なるべく早足で部屋に戻る。次にすることは決まっている。

 リリネットお姉様にお手紙を書いて、ガーデンパーティーに入れるように確約し、仲良くするのです。そしてあわよくばお姉様のお姿を目に焼き付ける時間を増やすのです。

 ウィニーがエルマイン子爵領と近いところに住んでいるのなら、自然と近づけるはず。それもガーデンパーティーで、やっと!

 うきうきと次第に弾む足取りで、部屋に向かう。


「チェッタ! お手紙を書きたいわ。リリネットお姉様に出すの!」


 可愛らしい声でおねだりをして、跳ねるように自分の部屋にわたくしは駆けこんだ。







 ミュステラー公爵家とのやり取りも、これで三度目。

 ですが。

 リリネットお姉様とお話できる機会が増えるのは良いことに違いない。ええ、何度となく同じ会話をしたって、わたくしは笑顔で聞けますわ。

 カシュロお兄様のお子様加減は、ノールを知った今ならもっとご遠慮したいことになりましたけど。

 パーティーが楽しみね、と会話を交わして、その後も密な交流を取りつつ。

 そしてきたるは、一か月後のガーデンパーティー!


 お母様とお父様と連れ立って、聞き覚えのある会話を耳に流す。


「さて。シグちゃんもあそこに行ってらっしゃい」

「女の子のお友達を作るんだよ。男の子はまだ早いからね、シグちゃん」


 背中を押すお母様と、大人げなく注文をつけるお父様。いつも通りで何よりです。

 目の前の人の流れを視線で追う。

 色とりどりの花々と、招かれた人々の華やかな装い。くるりと回る日傘。目に鮮やかな珍しいお花たちと優雅に回る給仕たちが配るお茶の芳香。

 ああ、還ってきたとしみじみ思ってしまう。


「わたくし、今日は大事な人を見つけにきましたもの。大丈夫ですわ」

「シグちゃん?」


 お父様の声が裏返る。


「それに、お婆様が今日はケーン男爵家からわたくしのお友達を連れてきてくれるって」

「あら。そうね、よく覚えていたわね。シグちゃん、では先に会っておきましょうか」


 お母様が目くばせすると、お母様の侍女がすっと離れる。

 わたくしに「シグちゃん、大事な人って? お父様知らないよ?」としつこいお父様をいなしている間に、ウィニーはやってきた。歩きがどこか角ばっている。

 緊張した様子でも、六歳の娘にしては上出来な仕草でお辞儀をしている。黒髪をひっつめているのも、以前の記憶のままの姿だった。

 いつ見てもしっかりものだわ。感心しながら微笑んで受け入れる。


「ウィニー・ケーン男爵令嬢。よく来てくれました。我が家の末娘、シグエスネッタよ。仲良くしてちょうだいね」


 お母様が声をかけると、お父様もスッと格好良く決めた。今更ですわよ、お父様。でも、ウィニーがお母様をきらきらした眼差しで見つめていてよかったですわね。

 ウィニーはお婆様とお母様を尊敬していますからね。しょうがありません。


「はい、グラシュープ伯爵夫人。光栄でございます! シグエスネッタ様、どうかよろしくお願いいたします。末永く、お供いたします」

「ふふ、ありがとう。シグと呼んでくれると嬉しいわ。わたくしもウィニーと呼ぶわね」

「はい、シグ様。どうぞ思うように」


 ウィニーと引き合わせて、お母様は安心なさったようですね。わたくしとウィニーに「楽しんでね」と告げると、お父様を伴って歩いていった。

 残されたわたくしに、ウィニーは畏まった様子でついてくる。まあ、今は仕方ありません。もっと仲良くなって自然になるには時間がかかる子ですもの。


「ウィニー。リリネットお姉様とカシュロお兄様に挨拶をまずしましょう。それから、ペペルにも」

「はい。ですがペペルとは……シグ様の姉君のところの御方でしょうか」

「そうです。よくご存知ね。同じ年頃だから、ウィニーとも仲良くなれると嬉しいわ」

「シグ様がそうおっしゃるなら」


 言いながら歩き出す。ウィニーがいることで、子どもらしくかつおしゃまな少女たちとみられて、多少の無茶は怪しまれませんわね。ここまでは順調よ。

 名残惜しみながらリリネットお姉様と別れ、簡単に愛想よくカシュロお兄様と挨拶を済ませる。それからウィットレ家に親族として顔合わせを済ませてから、ペペルを連れ出す。


 そうして、もう一度カシュロお兄様派閥の近くを探して休憩をとることにした。


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