6.土塊の中へ
婚約が成立したので、わたくしはとってもごきげんです。
最初こそ、お父様もお母様も良い顔はしなかった。
けれど、ノールは一味も二味も違う殿方だった。
知識が膨大。語学も堪能。植生学も地政学もここ周辺国の経済や外交状況も把握している。
よく地方で収まっていたと思うほどの博識ぶりに、お母様とお婆様はわたくし以上にご機嫌になった。なお、お父様はハンカチを噛んでいたのは置いておきましょう。
ノールが言うには、七十回も繰り返したから。暇ついでに修めたのが詰め込まれているだけとのこと。つまり努力の結果が今ということ。
我が家の婿に来る者として、ノールを選んだわたくしも誇らしいですわ!
わたくしの見る目が素晴らしいと褒められては、そうでもありますわねと返す嬉しい日課が増えた頃。
ちょうどノールと出会って一年が経過した年のこと。
わたくしの淑女力と、そのお相手の出来の良さが噂となったらしい。ミュステラー公爵家から、ぜひおいでとお招きがあった。
曰く、「シグにふさわしい評判の殿方と聞いています。連れておいで」とのこと。リリネットお姉様からのお呼び出しとあれば、応じないわけにいきません。
早速、エルマイン子爵領からノールを引っ張り出して参上する運びとなった。
急ぎなのと、わたくしがよく公爵家まで行くため、馬車は必要最低限。わたくしたちと、使用人とで分けた馬車のみ。
子爵夫妻は相変わらず心配そうな様子で、旅立つわたくしとノールを見送っていた。
わたくしの家族にも負けない愛情だと思わずにはいられない。いいご家族ではないですの。
この時期の移動ともなると、絶景が楽しめる。
『秋の道は好き。我が国の豊穣が目で楽しめるから』
リリネットお姉様のお言葉は含蓄がありますわね。もちろんわたくしも同じ気持ち。
とくに我がグラシュープ伯爵領からミュステラー公爵領までの道のりは、穀倉地帯と観光資源ともなる景勝地が点在する。
そのため、秋には見事な黄金の穀物畑と紅葉する森林が目に鮮やかに広がる。風がそよぐ様は、黄金のさざ波と詩に謳われるほど有名な光景なのです。
けれど、馬車の中。わたくしの向かいに腰かけたノールは憂鬱そうな顔ばかり。
「君といると、十回分くらいの人生が吹っ飛びそう」
「それくらい刺激的ということですわね。もっと褒めてもよろしくてよ」
「前向きすぎる」
十一才というには老成しすぎていないかしら。
ノールは窓枠に肘をついて、目を細めている。馬車内がわたくしだけでよかったですこと。
「お姉様にお呼ばれすることは光栄でしょうに。何を辛気臭い」
「光栄以上に命の危険があるとしか思えない。君はよく……ああいや、従姉妹でお気に入りなのか」
そう、わたくしこそリリネットお姉様に愛されし従妹です。わかっているではないの。
胸を張ってみせたら、ノールは溜息を吐いた。
「弱小子爵家の分際で近づける相手じゃない。機嫌を損ねたらどうなるか」
すっと自分の首を手先で切る素振りをして、身震いをする。
「何十回と繰り返したのでしょう。それくらい堂々としたらどうなの」
「そりゃあ、これまでで数回は高位貴族入りしたにはしたけど」
歯切れ悪い答え方をして、ノールが言葉を止める。ぼんやりと外の景色を深緑の瞳が追っている。目が外の光を反射してきらきら光って見えた。
「……思ったより楽しくなくて。家族みんなもしんどそうだったし、性に合わなかったんだろうな」
「ふむ。それは先導者、つまりわたくしがいなかったからね。安心してちょうだい。わたくしがなんとかしてさしあげてよ」
「君のその異様な精神性は、なんなんだ」
「生まれつきですわ」
わたくしがわたくしたる所以は、持って生まれ周りの方々によって育まれた賜物。
何一つ恥じるものはございません。
自信満々で答えると、ノールは見るからに脱力した。
「君、見てくれは可愛いのに」
「まあ! 可愛いと思っているのね!」
「いや……うん、普通に可愛いと思うよ」
「むふん。そうでしょう、そうでしょう。わたくし、可愛いのです」
自明の理ではありますが、ノールもそう思っていたとわかるとさらに気分も上がるというもの。
知れず頬も緩んでしまいそう。にこにこしているだろうわたくしを見て、ノールは気の抜けた笑みを浮かべた。
「ノールも笑うと可愛いですわ」
ぴた、と固まったノールが目を瞬かせる。それからじわじわと頬が赤くなると「こわー」と声を上げた。新手の動物の鳴きまねかしら。
なおも見ていたら、ノールは片手をぱたぱたと振って意味のない声を出す。
「あー、ええ、ああと、そのさ。ここ、ミュステラー公爵領沿いの穀倉地帯だっけ」
「ええ、その通りよ。それが何か」
「ひとつだけ、君に見せられるものがある」
そう言うと、ノールは自分が着ていた外套のポケットに右手を添える。
それからポケットに手を入れて何かを探すように動かしたあとで、手を出した。右手には黄金の麦の穂が握られている。
「まあ、どこで取ったの?」
「取ったというか、まあ見てて」
それからまたポケットに突っ込むと数度右手を出して入れる。どこからどう見ても意味不明の謎の行動を三回したかと思うと、その手をわたくしに差し出して開いた。
開いた手の中には、濃い青の宝石があった。
わたくしが見たことのあるどんな青よりも濃く美しい。一級品で間違いない大ぶりの宝石に、思わず歓声が口から出てしまう。
「まあ! すごいわ、なあにそれ!」
「アイテムストレージバグみたいな感じ。ミュステラー領産麦の指定IDを別のIDにすり替え……って言っても難しいだろうから、不思議な手品だとでも思って」
「ねえ、それ、わたくしにもできますの? 一面の麦をすべて宝石にしたら新たな産業になりません?」
「なる前に戦争がおきると思う。でもやってみたい?」
「ぜひ!」
「やりたいならどうぞ」
そう言いながらノールが外套を脱いで渡してくる。早速右側のポケットに手をつっこんでみたけれど、中には何も入っていない。
確か三回くらい出し入れしましたわね。こうかしら。
ごそごそやってみるけれど、わたくしの手の中には何も出てこない。
おかしいですわね? もう一度よ。
繰り返してみる。やっぱり手の中は空っぽ。どういうことかとノールを見るが、曖昧に笑っているばかり。自分の手にある青い宝石を転がして遊んでいる。
「できませんわよ」
「たぶん、認識がちがうからだと思う」
認識というと、ノールが持つ転生者という記憶かしら。確かにわたくしには理解できない領分。
わたくしが持って生まれた伯爵家の血筋や可愛げ、魅力もろもろのように、ノールが持って生まれた能力ならば仕方のないことなのかもしれない。
でも悔しい。
もう一度ポケットに手を突っ込んでごそごそしている間も、ノールはほほえましそうに見てくる。こう、眼差しが保護者の目ですわね。
それもまた癪ですわね。わたくし、こう見えて三度人生を繰り返した淑女ですのよ。
まあ男女のあれそれは経験してないですけれど、サヤエッラ姉様やソーアンナ姉様から手練手管は聞いているのです。人生云十年の重み、発揮するときですわ。
そう、男女の仲はふれあいと交流!
「お邪魔しますわ!」
向かいの席から、勢いに任せてノールの隣に割りこむ。はずみで飛び掛かったようになりましたが、些細なこと。結果よければ良し。
ふれあいはどの程度かは、お父様達を参考にしましょう。多分ぴったり密着するのだわ。大人の階段を登るのも近いわね、わたくし。
「本当、いつもいきなりなんだよなァ!」
けれど、すぐさま肩を手でつかんで離された。
ノールはこういうところが堅い。だがそれがいいのです。身持ちが堅いのは良いことだとお婆様が口を酸っぱくして仰っていたもの。
「あのね、そういうことをして各方面から怒られるのは、俺なの」
「愛の試練というやつですわね」
「試練が拷問に変わる気がする……事故死したら君のせいにしていいか。ほら、これあげるから離れて」
宝石を握らされて諭されてしまった。
ノールはまだ文句を言いたそうにして、外へと視線を向けた。しかし、次の瞬間には目を見開いた。
「ここ……穀倉地帯、丘陵。あれ、今、何年だ?」
「ノール?」
さっと顔色が白く変わる。馬車の窓に顔を寄せて、外をきょろきょろと目まぐるしく視線を動かした。
何かあるのかしら。
真似をして隙間から覗いてみるけれど、何もない。丘陵からは緩やかな傾斜が山道に向かって続くばかりの道だ。山を一つ越えたら、ミュステラー公爵領の領都がもうすぐのはず。
「地盤が脆弱になって、消えた道」
ノールの言葉にわたくしの記憶もそういえばと思い出す。
いつだったか、ミュステラー公爵領と続く道が通行不可になったことがあった。一時期リリネットお姉様とお会いできなくなった……思い出してきましたわ。
原因は、先の長雨。
くしくも、ノールと向かう前に数日に及ぶ大雨があった。
「まずい、表層が綻んでる」
ノールは窓からさらに身を乗り出す。
外はすでに山の中だ。曲がりくねる道と木々ばかりしか見えない。
「御者は……だめだな、間に合わない」
そしてまた席に戻ると、置いてけぼりのわたくしに向き合って言った。
「次があって、もし君が懲りなかったら。俺に会ってくれ」
瞬間。ガタン、と大きな音がした。
馬車が揺れた。そのまま一気に斜めになる。
馬の嘶きと御者の悲鳴。踏ん張ろうにもどうしようもない。
ふわっと浮き上がる体を、ノールが庇ってくれた。外套でわたくしをくるんで、ぎゅうと寄せられる。
宝石が車体の底を転がっていく。
「祖父の懐中時計、宝物箱。これを伝えれば俺は確認するはずだ」
「ノール、あなた」
「俺のミスだ。覚えていたはずなのに、忘れていた」
ノールの謝罪はふわっと車体ごと浮き上がってから落ちる瞬間まで続いた。
「ごめん」
自分のせいだ。悪かった。
そんな戯言をわたくしの耳元でずっと。抗議の声を上げようと思うのに、そんな暇もなかった。
叩きつけられる前に、またあの懐中時計の針の音がした。
カチコチ、カチ、コチ。
ノールの心音が、それを追いかけるように響いている。
まあ、今回は、そこまで悪い終わりでもないかもしれない。
いいえ、死ぬのは嫌だけど。それでも。
わたくしからも手を伸ばして、ノールの背に触れようとした。
でも、それをするよりも前に、目の前は真っ暗に塗りつぶされてしまった。




