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甲子園という名の熱狂と狂気(1)

 甲子園。

 それは数多くの男たちの夢をかき立てると同時に、数多くの汗と涙を際限なく飲みこんできた。


 全国4000以上にわたる出場する高校のうち、この地の土を踏むことができるのはたった49校のみ。

 あまりに高いハードルにもかかわらず、全国各地の高等学校はこりずに自身の野球部をあいも変わらず大会に送り出していく。

 ほとんどの確率で、涙をのむ結果になるにもかかわらず。


 負けることを覚悟でいどむ高校もあれば、死に物狂いで甲子園を目指す高校もあり。

 しかし悲願を断たれれば、その苦しみは余人の想像をはるかに絶する。

 それがわかっているにもかかわらず、人々はあいも変わらず野球の聖地を目指し続ける。


 かつておれも、いつかは甲子園を。

 そう思っていた1人だった。だけど……





『そうか、うちの娘がそんなことを……』


 最近いろいろバタバタしていたので、倉鴨(くらかも)さんに電話をするのを忘れてしまっていた。

 ようやく連絡がついたとき、予選大会は中盤に差し掛かっていた。


「正直、そこまで思いつめているとは思わなかった。

 いや、気付くべきだったな。父親として、きちんと彼女と向き合うべきだった」


 俺は相手に見えているわけでもないのに、首をふってしまった。


「きっとおれたちと一緒にいたせいだと思います。

 死霊族と一緒にいれば、不可解な気持ちがわいてくるはずですから。

 そのせいで、心の中に閉じ込めていたものを一気に吐き出してしまったんだと思います。

 でなかったら、あそこまでとりみだすなんて普通あり得ませんですから」


 我が野球部を送迎してもらっている倉鴨さんの娘、レイカさんは幼少時、父親にまともに相手にされていなかった過去がある。

 それを気に病み続け、果てには嫌っているはずの警察に入ってその憎しみを本人にぶつけるようにまでなってしまった。

 なんとも悲しい人だ。


『娘には、本当にすまないことをしてしまったと思っている。

 あの頃の自分はおかしかった。

 娘が一番自分を必要としているときに、私は自分と、自分の仕事のことしか考えていなかった』

「いったい、何があったんです?

 倉鴨さんほどの人が、そこまで思いつめるなんて……」

『すまん、事情はあまり聞かないでくれ。

 ひょっとしたら知る機会はあるかもしれないが、それまでは下手な詮索(せんさく)をしないでほしい。

 きっと君に大きな迷惑をかけることになるかもしれないからな』


 機密事項に関わることなのだろう。

 興味はあるが、自分はきっと知ってはいけないことだ。


 だけど、もし彼と深くかかわることになれば?

 もしおれがこの先ずっと死霊族と関わり続けることになれば、公安との関係は避けられないだろう。

 それどころか、おれ自身が……


 いや、今は深く考えなくてもいいことだ。

 そんなことより大事なことは他にある。

 今はどうやって野球部を甲子園に出場すればいいか、考える時だ。


『ところで腕の調子はどうだね。このあいだの試合ではまた登板したようだが』


 俺は腕を軽く振り回しながらうなずく。


「ええ、たまにはおれがちゃんと投げないと。

 おれからすれば、影乃も豹摩もまだまだですから」

『ハハハハ、なかなか辛辣(しんらつ)だな。

 しかししょっちゅう登板しては、腕に差しさわりがあるんじゃないかね?』

「どうせ今年だけです。

 野球部が甲子園に出場を果たせば、おれの役目は終わりますから。

 その頃には影乃も豹摩もまぎれもないエースピッチャーになってるはずですし」

『君自身は、どうなんだ?

 いったんはあきらめていた、甲子園をふたたび目指すことに関しては?』


 すぐに答えることができなかった。

 倉鴨さんが『どうしたんだ?』と問いかけるのを聞き、おれはなんとか声をあげた。


「かつては、そう思っていた頃もあります。やっぱり男の夢ですから。

 ですけど、今は怖いです」

『怖い?

 野球部に素性を隠させて、人間たちのチームを打ち負かすことがかね?』

「それもありますけど、おれ自身がピッチャーとして投げ続けることに不安があるんです。

 おれが打ち負かしていくことで、相手チームの希望を踏みにじることになりますから」


 今度は倉鴨さんがだまり込んだ。

 おれはじっと耳をかたむける。


『そんなことで、本選に出場できると思っているのかね?

 少し甘く見過ぎじゃないか?』

「痛いところをつかれましたね。

 でも大丈夫です。おれには非道丸主将に甲子園の土を踏ませるという、立派な夢があります。

 それがあればいくらでも闘志がわいてきますから。

 ですけど、かりに腕のことがないにしても甲子園を目指すのは今回が最初で最後です」

『そうか。まあいい、とにかく野球部の連中を失望させることがないようにな。

 それじゃ仕事を続けるんで、これで失礼する』

「おいそがしいところ失礼しました」

『いや、娘のことは感謝する。これからも彼女のことを見守ってやってくれ。

 いそがしいわたしの代わりにな』


 電話が切れた。おれは見えない相手にうなずきかけた。

 本当は彼自身が責任を持ちたいのだろうが、それができないからこんな小僧に頼みごとをするのだ。

 それを思うとなんとも悲しくなる。


 もう1つ悲しくなる事実が。

 先ほど電話でも話した通り、おれの中で甲子園への情熱は冷めかけているからだ。

 主将に甲子園の土を踏ませる。それに対する意欲があるのは本当だ。

 だけど、それと同時におれの中でこれ以上勝ち進むことに対する不安があるのだ。


 事実を隠して多くのチームを踏みつける。それに対する負い目もある。

 だけどそれとともに、おれの中では高校野球の本質がなんなのか、妙なところで悟ってしまっているところがある。


――高校野球、それは夢と希望と言うハリボテで彩られた、狂気の巣窟(そうくつ)――


 妙なことを考えはじめてしまった。

 それを振り払うためにおれは肩を軽く振り回す。


 ほんの少しだが、違和感が生じはじめた。

 やがてこれが痛みになり、うまく動かせないようになるだろう。

 そう思うと、いかにして力をセーブして決勝まで間に合わせるか、慎重にならなければならない。


 あせりはある。

 今まではみんなのポテンシャルに助けられたが、対戦相手はおれたちの本性に気づくごとに警戒心を増してくる。

 そのうちいろいろ対策をたてられるようになるだろう。


 果たして、本当に甲子園に行けるだろうか。悪いとはわかっていてもそんなことを考えてしまう。

 もし甲子園に出場できなかったとしても、それはあくまで目標が高すぎただけだ。おれのせいではない。

 だけど、もしそうなったとしたら先輩たちは……


 やはりあきらめるわけにはいかない。

 負ければ、先輩たちはアンガクにいる限り野球ができないのだ。

 おれと違って野球をこよなく愛する彼らにとって、それはまぎれもなく悲劇だ。

 生徒会になんか負けてたまるか。

 沙耶達だって必死で頑張っているのだ。おれがその輪に加われなくてどうする。


 自分を奮い立たせ歩いていると、向こう側から数人のユニフォーム球児が現れる。

 ここは球場の廊下、おれが帰宅するところを試合に向かうチームと鉢合わせしたということだ。

 しかも、おれはこの相手を知っている。


「おお、結城じゃねえかっ! ずいぶん久しぶりだな!」

「お前、『繁野(しげの) 』かっっ!?」


 「繁野栄峻(えいしゅん)」。リトルリーグ時代のおれの同期だ。

 中学でも一緒になった(くさ)れ縁だが、ずいぶん立派な体格になったのを見てかなりおどろかされた。

 目の前までやってきた繁野は、おれの顔を見てずいぶんとおどろいた。


「まさかお前が野球に戻ってくるなんて、ムチャクチャおどろいたぞ。

 ひょっとしたらと思うと夜も眠れなくて、調子が悪い。どうしてくれる」

「こっちもずいぶんおどろいた。まさか東京に行ったお前が西大会に出るなんてな。

 しかも順調に勝ちあがって来やがる」


 そう言ってお互いに相手の腕を叩いた。

 こうやってバッチリタイミングが合うのは昔ながらだ。

 ただ体格は向こうの方が勝っている。ブランクの差だろう。


「お前の学校、ずいぶん話題になってるぞ。

 お前以外の情報はすべてシャットアウトなくせに、めちゃめちゃつえぇみたいじゃねえか」

「ワケアリの連中ばっか集まってんだよ。

 見りゃわかるだろ? こっちはそれほどでもないから代わりに矢表に立たなきゃいけない。

 ずいぶんこっぱずかしい目にあわされて、そりゃ大変だって」

「そういうお前だって、ずいぶん活躍してるみたいじゃねえか。

 こないだの試合、昔を思い出してビビったぞ。

 ところで、腕の調子はどうなんだ?」


 突然繁野は心配する目になった。

 おれは腕を振りまわす。


「今のところ大丈夫だ。

 他の2人のピッチャーをうまく使って、なんとか決勝にまで間に合わせるよ」

「決勝か、俺たちが対戦するにはそこまで行きあたらなきゃなんねえな。

 ま、お前がいればしばらくは大丈夫そうだが」

「そっちこそ、いくら強豪校だからって油断すんじゃねえぞ。

 絶対、決勝にまで当たろうぜ」


 そう言って、おれと繁野は互いの拳を合わせた。

 これもリトルリーグ時代からの習慣だ。


「それじゃ、負けんじゃねえぞ」「お前もな」


 そう言って笑顔で別れた。

 おれは楽しそうに仲間と話す繁野を見ながら、どこかホッとしていた。

 昔からの親友と、決勝と言う大舞台で戦えるかもしれない。

 大きな楽しみが1つ増えた。それだけで、おれの心に巣くっていた暗雲が晴れていくような気がした。





「……くっせぇぇっっ! なんじゃこのにおいはっ!

 夏になっていっそうにおって来たぞっっ!」


 おれは鼻を必死につまみながら、周囲をなめまわすように見る。

 当然、見られた相手はみんな不機嫌だ。

 かくいうタタミちゃんでさえそうだ。


「仕方ないじゃん! アタシらゾンビみたいなもんなんだから!

 こっちだって必死でデオドラントやってんだよ!

 にしたって新介デリカシーなさすぎっっ!」


 責められらるのは重々承知でおれはモンモンと頭をかかえる。


「ガマンしてたよ……必死でガマンしてたよ……

 でももう限界だぁぁっっ!」


 沙耶は黒髪ロングに張り付くほどの、汗びっしょりの顔を扇子(せんす)(!?)であおぐ。


「空調設備がないのも問題ね。

 今までは死霊族しかいなかったから気にしなかったのかもしれないけど、わたしたち女子生徒に配慮がなさすぎるわ」


 一方キースはと言えば、あまり気にしていない様子で汗だらけの顔を向けてきた。


「ま、予算がつかない限り空調は絶望的だな。

 新介、お前はとりあえず別の対策を考えないと」

「それならもう茶太良先生に相談した。

 そのうちなんかいい方法考えるだろ」


 言うなり、ガラガラと扉を開けて当の歯グキのっぺらぼうが入ってきた。


「おお新介。すまんが今はこれしか用意できんかったぞ」


 数分後、顔にガスマスクをかけ続けたおれだったが……


「あちぃぃぃぃぃぃぃっっ! なんじゃこの暑さはぁぁぁっっ!

 ただでさえムシムシすんのにこれじゃ余裕で脱水症状じゃねえかっ!」


 立ち上がってノドをかきむしったおれの声はくぐもっていた。


「ガマンしろ新介。

 例の空調設備だが、今学期中は用意できんのだ。

 夏休みになれば魔界から業者を呼べるが、それまではこの暑さが続くから何とかこらえろ」


 おれはガスマスクをはぎ取って叫びあげた。


「もういい!

 脱水症状で死ぬくらいならくっさいニオイぐらい必死でガマンしたほうがましだっ!」


 沙耶とタタミちゃんが思い切りペンを机に叩きつけてこちらを涙ながらににらみつけた。


「もうっっ!

 こっちだってニオイを気にしてるってのに新介君ったら最低っ!」

「新介の薄情モンッ!

 もうなにを話しかけられてもガン無視してやんだからっ!」

「そんなこと言われたってよぉ! こっちの身にもなってみろってんだっっ!」


 おれはイスに座り、鼻をつまみながら必死に授業に取り組むことにした。





 そういうわけで、授業終了後の部活は完全にいやしの時間になってしまった。

 おれまで他の部員のように授業をさぼって練習に集中してしまいそうだ。


「新介、ドンカンなおれでもわかる。あれは言いすぎだ」


 影乃がボール2個を片手でジャグリングしながらおれにいいかける。なんて器用な。


「んなこと言われてもさぁ、こっちは人間なんだぜ?

 人間の嗅覚は敏感なんだから腐ったニオイはよけいに反応しちゃうんだよ。

 いくら相手がかわいくてもそれはガマンできねえって」

「人間も大変だな。

 もろさに加えて、様々な危険にうまく対応しなきゃいけないんだから」


 言われ、おれは深いため息をついた。


「生徒会にいろいろ邪魔されて、やっとおれが最初の1人になったんだよな。

 よりによって初めての実験に参加させられた自分を呪いたくなるよ。

 もちろんみんなに会えたことを悪く言いたかないけど……」


 おれが遠くを見ると、チアキ先輩がイヤフォンをつけながらノリノリでキャッチボールをしている。

 そう言えば先輩たちは校内で大人気の重軽音部の音楽を聴かないのだろうか。

 ライブハウスにも姿を見せたことがないし、なんかあるのだろうか。今度ちょっと聞いてみよう。


「そうだ影乃。

 お前、おれが組んだ練習プログラムにちゃんと従ってるか?」


 問われ相手はこっくりとうなずいた。


「もちろんだ。

 それより問題は豹摩だろ。あいつはなんでもいい加減だからな」


 おれは難しい顔で短髪をかきむしった。


「大会も終盤に近づいて来たんだから、もっと真剣にやってくんないと。

 おれだっていつまでも投げ続けられるわけじゃないんだから」


 影乃はそっと、おれの右腕に目を向ける。「大丈夫なのか?」


「その辺はうまく考えてるよ。それよりお前は自分の練習に集中しろ。

 今大会はともかく、秋の大会はお前の方が主役になるんだからな」


 しっかりとうなずいた影乃を横目に、おれは自分の腕を見た。

 このごろは腕のしびれがだんだん増している。間に合うだろうか。





 とある試合。

 その日もおれは登板し、そこそこの強豪校相手に奮戦していた。


 この頃になると、相手もかなり慎重にわがチームに立ちむかってくる。

 先輩たちの得意技をうまく封じ、こちら側のルールによく通じていないのをいいことにうまくミスを誘ってきたりする。


 おれの出番も増えてきた。

 次第に気になりだしていた腕の痛みを、あまり気にする余裕がなくなってきた。


「新介っ! 俺らにかまうな!

 調子が悪くなったらいつ変わってもいいんだぞ!」


 主将にそう言われても、おれは気を抜けなかった。

 試合が進むにつれおれの出番が多くなっていく。それは仕方のないことだった。


 それでもおれは数々の強敵相手にボールを投げ続け、うまくかわしていく。

 この時も我ながらなかなかのフォームでボールを投げつけたのだが……


 突然閃光が走った。その瞬間、手元がほんの少し狂った。

 よりによって投げたボールはど真ん中。

 すかさず相手バッターはフルスィングし、ボールは高々と大空に舞った。


 振り返ったおれは、それがなんとかセンターのチアキがうまく受け止めるのを見届けた。


「スリーアウトチェンジッッ!」


 ちょうど回が終わったので、主将と葬也がこちらまでわざわざ駆け寄ってくる。


「大丈夫なのか? だいぶ顔をしかめてたみたいだが……」


 おれは必死に平静を取りつくろい、うなずいて見せた。

 しかし、葬也は容赦なく痛くない方の肩を叩いてくる。


「交代しろ。次の回は豹摩にやらせる」


 仕方なくおれは何度もうなずいた。

 腕の痛みは気にしなければならないほど強くなっている。





 バスに戻ると、相も変わらず不機嫌な表情をしたレイカが運転席にいた。

 初日の送迎以来、彼女は自分の心情を暴露してしまったことを後悔してると言わんばかりの表情ばかり見せる。

 おれもまたそれをうながしてしまったことを後悔しながら、ステップを上っていく。

 そこで声をかけられた。


「……正直、おどろいたぞ。

 てっきり奴らをなぐさめるための出まかせかと思ったら、いつの間にかこんなところまで勝ち進みやがって」


 おれは思わず彼女を2度見した。

 しばらく声さえかけられなかったので、まさかこんなことを言われるとは。


「なにをボサッとしてる。早く座れ、出発するぞ」


 目も合わせないレイカに言われ、おれは思わず笑みを浮かべた。

 そして同じく笑い顔になっている監督のとなりに座る。

 運転席からわずかに舌打ちの音が聞こえてくる。

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