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(3)

 移動中、階段に座り込んでいる弥子ちゃんとミノンちゃんを発見した。

 弥子ちゃんはヒザをかかえるようにして顔を隠し、しくしくと泣いている。


「お、おい。どうしたんだよ……」


 おそるおそる声をかけると、弥子ちゃんが顔をあげた。

 目を真っ赤にはらして、ほっぺたがかなりぬれている。

 うらめしげな目を向けたあと、すぐに顔を伏せた。


「わぁ~~~~~~んっっ! 新介くんのイジワルぅぅ~~~~~~~~~っっ!」


 横でひたすら背中をさすっていたミノンちゃんも同様の目を向けてくる。


「新介!

 この大掃除ってアンタが提案したんでしょっ!? まったくどうしてくれんのよっっ!」


 となりの沙耶が遠慮ぎみに「どうしたの?」と聞いた。


「どうしたもなにも、あたしら3階のトイレ掃除だったのよ。

 そしたらもうすごいことになってて、ゴミとか落書きとかは良いんだよ?

 問題は便器の汚れっ! これホントに女子トイレ!? って思ったもん!

 全体が黄ばんでてさ、黒いシミとか茶色いシミとかいっぱいこびりついてたんだもん!

 もうほんっっっとサイテーだったっっ!」


 ふと顔をあげた弥子ちゃんが、気の抜けた表情をくしゃくしゃにゆがめ、また顔を伏せた。


「……うわあぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~~んっっっ!」


 見かねたミノンちゃんがふたたび彼女の背中をさすりはじめる。


「ほらぁ、この子なんかすぐに根をあげちゃって、全然立ち直れないんだから!」

「そ、それは気の毒でしたね……」


 女子トイレなのにそんだけ汚れてるってどういうことだよ……





 気落ちしたまま次の部屋へ。

 いよいよ恐れていた場所の1つ、和室へと侵入する。

 沙耶がカギ穴を回すと、今度はすんなりと開いた。これはこれで恐ろしい。

 引き戸を開ければ、今度は湿ったにおいがなだれ込んできた。

 沙耶と一緒に中に入り、またしても絶望感がおれをおそう。


「今度はこれかよ……」


 当然のごとく薄暗い部屋のなか……

 床の(たたみ)、ざらっとした壁、黒い柱、木張りの天井にいたるまで、

 ありとあらゆる場所が緑色のカビでおおわれていた。

 中にはコケとしか思えない物が生えている場所まである。

 当然、湿っぽい空気が全身にまとわりついてくる。


「こっちの方も、汚れが落ちるとは思えないわね」


 沙耶までもが引きぎみに告げると、おれはもはや力なく笑うしかなかった。


 予想するまでもなく、クラスメイトの大部分を使ってぞうきんで和室じゅうをこすっても、汚れはほとんど落ちなかった。


「やだぁ~! この緑色の奴ドロドロするぅ~! 気持ちわるぅ~っっ!」


 タタミちゃんたちをはじめ女子たちはみんな泣き言ばかりだった。

 おれは心の中でひたすら謝罪し続けた。


「定期的な掃除がいかに大事か、よく勉強になったわね。

 もっともわたしはこんな部屋とても使う気にはならないけれど」


 ヤマトナデシコである沙耶にまでこのような言い方をされると、この部屋が再び使われる可能性は皆無と言える。





 次の部屋へ移動中、しばらく見なかった連中と合流する。


「お、ネクロくんのB組じゃないか。調子はどうだ?」


 陽気に手をあげても、向こうは心底うんざりな顔をしただけだった。


「調子はどうだじゃねえよ。なんとかしてくれよ、あれ」


 以前事件があった時に話をした奴が後ろを親指で指すと、その事件の当事者であった髪の毛ぼうぼうで首に赤いスカーフを巻いた奴がやたらとポーズを決めまくっている。


「あいつ掃除中ずっとあんな調子だぜ? 手伝ってくれるどころか邪魔ばっかりだよ。

 ホントなんとかしてくれ」


 おれは一計を案じ、ネクロ、もといハヤタとは対照的に今までだまって掃除に参加してくれていた男を意識した。


「影乃! 指令だ!」「はっ!」


 相手は妙な返事をした。おれはネクロを指差す。


「ネクロの相手をして来い! ただし誰もいないところで、変身はナシだ!

 奴には互いの魔力を封じる空間に連れ込んだと言えばいい!」


 言うなり影乃が飛び出した。

 かけながらハヤタの肩をたたき、奥へと消えていく。

 叩かれた本人がきびすを返すように影乃の後ろ姿を追った。


「待てっ! 魔鬼眼(まきがん)使いの影乃っ!

 貴様だけは絶対に逃がさんっっ!」


 影乃の後を追って姿を消したハヤタを見て、B組の連中が苦笑いしながら感心する。


「お、お前よくもまあそんなことを思いつくな……」

「フフン、モノと人は使いよう、ということだ」


 おれは腕を組んで不敵に笑うが、ヒャッパとキースあたりは首をかしげる。


「あ、そうだ!

 オレらさっき図書館やってたんだけどさ、なかなかおもしろそうな本があったぞ!

 ほら、これ見ろよ!」


 B組が取り出した本は古めかしい革製の表紙ながら、うっすらと金箔(きんぱく)風の文字がはりついている。


「もったいねえよな。寮にある本は寮長好みの英文ばっかでさ。

 どうせならうちの図書室解放したほうがよくねえか? ホコリまみれでなかなか読みづらいけど」


 まじまじと表紙を観察していた沙耶が、突然乱暴にそれをつかみ取った。


「こ、これは谷崎潤一郎(たにざき じゅんいちろう)の『細雪(ささめゆき)』の初回本っっ!?

 なんでこれがこんなところにあるの!?」

「そう言えば沙耶って、昔の小説が大好きなんだよな。

 それもそうなのか?」


 おれがたずねると沙耶はその本を大事そうに抱え、あやしげな笑みを浮かべた。


「ええ。わたし、この人の小説の大ファンなの……」


 そのほほえみがなんとも妖艶(ようえん)で、おれは引きぎみに「あははは」と笑った。

 突然すそを引っ張られ、かなりの距離まで連れていかれた。

 見ればタタミちゃんをはじめとした女子たちが妙に深刻そうな顔をする。

 あまり話をしたことがない女子がつぶやく。


「あのさ、沙耶ちゃんにすすめられた谷崎潤一郎って作家だけどさ、何冊か読んでみたらどれもすごい内容なんだよね。

 直接的じゃないんだけど、読んでてなんだかエロイ感じ」

「え、エロいっ!?」「しっ!」


 女子はおれに顔を近づけて声をひそめた。


「なんとなくエロイの。沙耶ちゃんそんな小説の大ファンなんだよね。

 新介クンちょっと気をつけた方がいいよ?」


 タタミちゃんを含む女子たちがいっせいにうなずいた。

 おれはツバを飲みこみ、振り返って沙耶のほうを見る。

 彼女は両手に取ったその本を見て、なんともうっとりした表情になっていた。

 見ていてゾクゾクするようなゾワゾワするような、なんとも言えない気持ちになった。


 そんなうわついた気持ちを引きずってしまったせいで、現実を忘れていた。


 お次に我々が訪れたのは、理科室。

 どことなく威圧感のある幅の広い表構えに思わず立ちすくんでしまう。


「ううぅ……とうとうここに着ちまったのかよ。

 イヤだなー、中には入りたくないなー」


 それを聞いてタタミちゃんがため息まじりに言った。


「それはどうかなー。ヤバいのは教室じゃなく準備室のほうでしょ。

 いくらなんでも本教室のほうにヤバい奴があるわけが……」


 言いながら自分でカギをすんなりと開け、ガラガラと扉を開けたタタミちゃんの動きが止まった。

 つられて中をのぞき込むと、勢いで一緒に中を見てしまったことを痛烈に後悔しながら、おれは思い切り顔をしかめた。


 窓ガラスが割られていたせいか、くたびれ切ったカーテンからはひたすら雨水が舞い込む。

 泥で真っ黒に染まった床。

 そして固定式のテーブルのど真ん中に、なぜか牛のような動物の白骨死体があった。

 その周囲には大量のハエが飛び交っている。


「いったい全体どうやったらこんなことになるんだよっっ!」


 おれはショックのあまりふさぎこんでしまい、しぶる仲間たちに作業を丸投げして後から教室に入った。

 教室内の泥の上にはコケだのキノコ類だのが自生しておりカエルなどの小動物がやたらとウロウロしていてそれはそれはもうひどい有様だった。


 白骨を片づけ、小動物を野外に放り出し、泥をひたすらかき集め、残った汚れをぞうきんでふきとっても生臭い匂いは落ちなかった。

 広間は大量のシミだらけでひたすら陰鬱(いんうつ)としている。


 あまりに衛生状態の悪いものを見すぎてすっかり気分が悪くなったおれは、蛇口をひねると水道から赤い水が垂れ流されるのを、ぼう然と見ていた。


「だ、大丈夫?

 あまりに気分が悪いのなら、保健室に行ったほうがいいんじゃない?」


 大丈夫とはとても言えなかった。

 沙耶の忠告に従うかどうか本気で迷っているおれに、


「おいおい、カンベンしてくれよ。校内の大掃除しようって言ったのはコイツだぜ?

 言いだしっぺが逃げ出すなんてどうかしてるぜ」


 クラスメイトの発言におれは若干ムキになり、蛇口をひねって「大丈夫だ」とつぶやく。


「ちょっと待ってよ! それはそうかもしんないけど、新介は人間なんだよ?

 人間と死霊族じゃ清潔観念もちがう。きっと新介のほうが刺激が強いはずなんだよ。

 その証拠に、新介が完全にノックアウトしてた時もアタシたちはなんだかんだ言って作業できたじゃない」


 タタミちゃんが食い下がると、女子たちは「それはそうだけど……」と口ごもる。

 いくら死霊族でも今までの光景は刺激が強すぎたらしい。

 見かねたおれは姿勢を正して彼女たちにうなずきかけた。


「大丈夫だってタタミちゃん。

 責任は最後までとる。ノルマの実験室までちゃんと付き合うよ」


 そう言って、沙耶にうなずきかけた。

 彼女は不安いっぱいの表情でカギを取り出し、奥にある準備室のドアのカギ穴に差し込んで、回した。


 沙耶でさえ、「行くわよ」と緊張感みなぎる声でつぶやく。

 ギギギと言う不気味な音。

 ドアをゆっくりと開いた瞬間、おれはドアの下の部分から何かが糸を引いてねばりついているのを見た。


 準備室の床は粘着質の物質でおおわれており、その上に散乱したガラスや原型のわからない動物の死がいがあった。

 それを見た瞬間、おれの視界は見事に暗転してしまった。





 気がつけば、おれの身体はベッドではなく固い何かの上に寝かされていた。

 後頭部や背中、尻に若干の痛みを覚えつつ、おれはゆっくりと身を起こす。

 理科室のテーブルの上だ。相変わらずすえた臭いがする。

 気絶していた時間は短かったらしく、後ろではまだ作業している音が聞こえる。


 振り返るよりまず、教室中に何人かがうなだれているのが見えた。

 女子の大半と、耐性がないらしく根をあげてしまった一部の男子たち。

 何人かがおれを力なく見上げた。


「ゴメン……おれが変なこと言いだしたせいで……」


 申し訳なく思い自分の頭をなでると、みんながゆっくりと首を振った。


「新介君のせいじゃないよ。

 あたしたち、正直ここまでひどいとは思わなかったし……」

「これ、反省点だよな。

 いくら使わない部屋だからってこんなになるまで放置するだなんて、おれら死霊族ってどうもこういうことに無頓着(むとんちゃく)なんだよな~」


 仲間たちのフォローに感謝しながら、おれは机から起き上がり、黒いシミだらけの床に足を下ろした。

 振り返れば、ちょうど準備室からタタミちゃんが出てきた。

 心底うんざりした表情で、片手には中身がなんとも言えない色に染まったいっぱいのゴミ袋をかかえている。


「これ、毎年の恒例行事にしたほうがいいよね……

 もう創立30周年分の汚れをかきだすのはコンリンザイ一切イヤですっっっ!」


 まったくの同感だった。

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