(2)
「はぁ、とんだ災難だわ。
まさかこんな時に限って青紙招集がやってくるだなんて……」
夕食後、沙耶は心底うんざりした表情で机の上にしがみついていた。
「寮の清掃にはそれこそ丸一日かかる。
授業なんてどうでもいいが、オスカーの奴にコキ使われるのはたまらんな。
想像するだけで背筋が寒くなる」
「キース、あんたはテストどうでもいいと思ってるからまだその程度で済むのよ。
アタシら勉強まじめにやろうと思ってる方からしたら、授業に遅れるっていうだけで冷や汗もんなんだから」
タタミちゃんの指摘にほぼ全員が激しくうなずく。
おれは頭をかかえた。
「しかも相手は、『完璧清掃人』の異名をとるあのオスカーだぜ?
ウワサには聞いてるけど、いったいどんなシゴキが待ってんだよ……」
「そうだよ!
女子はメイドのメアリーさんが相手だろ!? あの人はまだたなごころあるからいいよ!
男子にしてみれば勉強について行けない、オスカーの地獄のシゴキの二重苦だよっ!」
ヒャッパがさけぶと、おれはまたしても頭をかかえた。
「『地獄』って言うのはやめろ。
本物の地獄に行った時のことを思い出す」
となりにいたおかっぱ少女の弥子ちゃんが、なぐさめるようにおれの肩に手をおいた。
「新介くん、まだあの時のことがトラウマになってんだねー。
わたしも思い出すだけで眠れなくなっちゃうけど、痛みを感じる新介君にとっては一生忘れられないね~」
顔を伏せたままうんうんとうなずくおれだが、弥子ちゃんは突然机の上に身を乗り上げた。
「あ~! でもわたしも明日の掃除やりたくないよ~!
一日中掃除をやるなんて疲れるよ~! テストだって心配だし~」
「弥子ちゃんとミノンちゃんも、やっぱりテストのことは心配なの?」
顔をあげたおれが問いかけると、2人はそろってうなずいた。
「わたしうっかり屋さんだから、勉強しても覚えてないこととか多いんだよぉ。
高校になったら補習があるんでしょ? 受けたくないな~」
「あたしも勉強は苦手なんだよね。スポーツ特待生だし。
成績はあまり気にしないけど、赤点だけはカンベンよね」
「はぁ、だってよ。
キース、成績のことで悩んでないのはお前くらいだぞ」
言われてもキースはふんぞり返ったように腕を組む。
「フン、知ったことか。
とにかく俺は明日の掃除をどうサボるかで精いっぱいだ」
「はあ、第1期中間テストの成績を落とすようなことがあれば、わたしの学年優等生の地位が揺らぐわ。
なんとしてでも1位をとらなくちゃいけないのに、なんてこと……」
「こっちはこっちで、ぜいたくな悩みしてんな。
沙耶が勉強得意なのはみんな知ってんだから誰も気にしねえよ」
おれは言うが、沙耶は突然立ち上がった。みんなで思わずビクリとする。
「こうしちゃいられないわっ!
授業をまともに受けられない以上、少しでも万全の準備をしておかなくちゃ!
さあ、部屋に帰って勉強するわよっ!」
そう言って、急ぎ足で談話室から出ていってしまう。
おれらはその後ろ姿を見ていっせいに肩をすくめた。
翌日、おれたちは体操着姿で横一列に並んだ。
が、1人だけ姿を見せない。ヒャッパが心配そうに寮の入口をうかがう。
「おいおい。キースの奴、本当に遅刻か?
もしオスカーの奴に知れたらそれこそ懲罰……」
「うおぉぉぉ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっっ!」
全速力で入口からかけだしてきたキースが、大あわてでおれたちの列に加わる。
完全に息を切らして、必死に呼吸を整えている。
「キース、お前大丈夫か?
死霊族が玉のような汗かいてんの、初めて見たぞ」
おれはしらけぎみに言うが、キースはまともに話を聞いていない。
「はぁっ、はぁっ。
ったくなんでこんな朝っぱらから掃除なんかしなきゃなんねえんだよ、正直やってらんねえよ……」
ちょうどそのころ、寮の入り口から例のガスマスクがやってきた。
片手には屋外用のホウキとちりとりを手にしている。
オスカーはくぐもった声で話し始める。
「よし、集まったようだな。
ではまず全員で屋外の清掃だ。ここから東の倉庫に道具がそろえてある。
まずそちらに向かうぞ」
「あのー、すみません」「なんだ結城新介」
「屋外掃除って、いつもオスカー先生やってません?
かなりきれいなんで、ムリにする必要は……」
「だまれ。お前らはヒヨッコだ。掃除のその字も知らん。
そのイロハを覚えさせるのに、まずは屋外掃除をさせるのが基本というものだ。
つべこべ言わず命令に従え」
あまりに理不尽な物言いに、おれたちは全員こっそりとため息をついた。
「だいたい、建築物というものは外観がまず大事なんだ。
本来なら壁、外窓、屋根の上までみっちりとやってもらうのが筋だが、お前たちのような子供にそれをさせるのはさすがに問題だと言われたし、時間もない。
だから仕方なく専門の業者を一カ月に一度定期的に呼ぶことで、こっちはガマンしてるんだ。
それだけでもありがたいと思え」
オスカーの文句を耳にしながら、本来なら放っておいてもいい土ぼこりをホウキで集めていく。
それにしてもこいつそんな話を毎回生徒に聞かせているのか? よくあきないな。
自身もホウキでていねいに地面をはいていたが、オスカーは突然キースのほうを指差した。
「そこっ! さっきから手を抜いているぞっ!
こっちは手を動かしながらもしっかり監視しているんだから覚えておけよっっ!」
さすがのキースも、これには舌打ちせずに目を丸くした。
自分が作業に没頭しているというのにどうして相手の行動を観察できるというのか。
まさしくプロのなせるわざとしか言いようがなかった。
恐ろしいことに、外掃除だけで1時間が経過してしまった。
こんな調子で寮内をすべて清掃できるというのか。
ここからは2手に分かれ、女子たちはメアリーに引き連れられ別の場所へと向かっていった。
緊張感みなぎるオスカーからの監視から逃れられるという事実に、女たちはみんな笑顔で(弥子ちゃんだけは苦笑い)手を振って奥へと消えていった。
「よし、まずはカーペットの掃除だ。
物置に掃除機が4つ用意してある。全員それを取れ」
言われ物置に向かい、ドアを開けると、おれたちは声にならない悲鳴をあげた。
「これ、ダ○ソンの最新式じゃないか。
いったい何でこんなものを……」
「なに言ってんだ。
カーペットは通常のフローリングよりもずっと掃除がしにくい。
できるだけ多くの吸引力が保てるよう、俺は常に気を使っている。
本来ならお前らのような掃除シロウトが手にするのもおこがましいが、寮は広大ゆえお前らの力を借りずにはいられん。さあ、さっさとしろ」
お高い掃除機を手にできたことにテンションがあがりつつ、おれたちはオスカーの指示に従ってそれぞれの持ち場についた。
そして電源コードを伸ばし、コンセントに差し込み、スイッチを入れる。
その瞬間にオスカーが声を張り上げた。
「おい! 言っとくがパワーは最大にしとけよっ!
このカーペットの中の汚れはそう簡単には吸い込めないんだっ!」
その前にカーペットがいたみませんかと毒ついてやりたかったが、仕方なくゆっくりていねいに掃除機を当て始めた。
「あまいあまいっ!
動きが早すぎるっ! もっとゆっくりとやるんだっ!」
「え? だってこの城広大ですよ?
時間をかけてたらいくら時間があっても……」
「後で俺も手伝う! お前は疑問を持たずに俺の言う通りに従えっ!」
早くもうんざりしてきた。
そのあとオスカーは影乃、ヒャッパ、そして最後にキースに手厳しい指導を行い、キースにいたっては張り付くように腕を組んで監視し続けていた。
いつになったら自分が掃除機持ってくるんですかと言いたかったが、あまり見込みがなさそうだったので自分の持ち場に集中する。
ゆっくり掃除機を吸いこませなければならないので、気の遠くなるような時間がかかる。
泣きたい気持ちになり、なんで自分がこんなことをしなくちゃいけないのかと何度も問いかけた。
やがてそれにも疲れ、ただ無心で掃除機を動かしているうち、とうとうめまいを起こしそうになった。
やがて気づいた。これ、死霊族でない人間には相当困難なことでは……
「よし、結城新介!
お前の区画は終わりだ! しばらく休んでいいぞっ!」
言われ、おれはすぐに掃除機を止め、深く息を吸いこんだ。
周囲を見れば、他のみんなはまだ自分の作業に没頭していた。
ていうかオスカーの奴いつの間にか自分の掃除機で持って作業してるんですけど!?
しかし、安心もしていられない。
「次は1回から3階にかけての廊下におけるカーペット掃除だ。
それぞれ等間隔に分かれ、同じように掃除機をかけてもらう。
女子生徒たちには女子寮の左翼をやってもらっているので、お前らは当然右翼だけをやればいい」
が、それでも全校生徒ほとんどを宿泊させることができる寮の廊下は、限りなく長い。
これを1階から3階までこなさなければならないというのは、正直気がめいる。
それでもやるしかない。
このころにはさすがのキースも危機感を覚え、まじめに掃除に取り組むようになっている。
こんなキース初めて見た。
これまた気の遠くなるような時間がかかり、おれは再びめまいにおそわれた。
3階廊下の途中で等々フラフラになり、倒れ込もうとしたところを、影乃に支えられた。
「だいじょうぶか!?」「あ、うん。大丈夫だ……」
影乃は難しい顔をして廊下の先をにらむ。
「だいたい、人間である新介に死霊族と同じ作業量をこなせって言うのがムチャだ。
よかったらオスカーに報告してやろうか?」
「いいや、大丈夫だ。
だけど本当にヤバいと思ったら言うから、なんとかしてくれ」
影乃はわかったとうなずき、ふたたび自分の作業に没頭する。
その時、おれたちの様子を見ていたキースが、掃除機をつけたまま壁にもたれはじめた。
「おいキース虚堀っ!
こっちが廊下の先にいるからって監視の目から逃れられると思うなっ!
俺なら掃除機の音の変化だけで状況を見きれるんだっっ!」
曲がり角の先から突然現れたオスカーに、キースは飛び上がってふたたび作業に集中した。
「よし、これで廊下と階段の清掃作業は終了だ。
次は各生徒の部屋の清掃に入る」
おれたちはドキリとした。
実は入学当初、寮長のリサからこのようなことを言われていたのだ。
「部屋の荷物は、常に片づけておくこと。
もし他の生徒たちに都合の悪い物を見られたくなかったらね」
こういう意味だったのだ。
寮生活を送るのだったら当然かもしれないが、今まで実家住まいでプライベートを守り続けてきた思春期の少年にとっては、あまりに残酷な現実だ。
「とはいえ、お前らにやってもらうのはカーペット掃除のみだ。
まったく、本当は机の清掃もするべきなのに、寮長は人が甘すぎる」
ため息まじりに言うオスカーだったが、この時ばかりは幼げなドレス姿の寮長に心底感謝した。
「お次はフローリング掃除だ。
お前たち男子には食堂を担当してもらう。まずは机を移動しろ」
そして5人がかりで、1つずつ巨大なテーブルを移動していく。
5人もいるのに机はかなり重たく、この作業だけでだいぶ汗をかいてしまう。
そのあと、同じようにダ○ソンで吸引していく。
しかしフローリングは比較的清掃が簡単なので、スピードを多少上げても問題がない。
「はき掃除、終了しました」「よし、次はこれだ」
おれたちはオスカーが手にしているのを見て、がく然とした。
校舎のふき掃除に使うものと言えばモップなのだが、今彼の手にあるのは、小学校でしか使ったことがない「雑巾」であった。
「あの……モップは使わない、んですか?」
「ああん? モップ? そんなもの俺は嫌いだ。
ここに来る前は確かに使っていたが、日本に来てぞうきんのほうが清掃効率が高いということを知った。
つべこべ言ってないで早くぞうきんを持て」
文句をつけたくなる気持ちを押し殺し、おれたちは雑巾を手にした。
そして広々とした食堂を目にして、心底根をあげたい気持ちになった。
いまからおれたちは寺の修行僧のごとく、この広大なる大広間を昔ながらの床に張り付いてのぞうきん掛けできれいにしなけらばならないのだ。
「新介、つらくなったらいつでも言えよ」
影乃がそばでささやき、おれはうなずくしかなかった。




