(2)
続く2回表。ふたたびおれはマウンドに立った。
おれが手に取った球は、豹摩がさんざん血吹雪をほとばしらせたせいで赤く染まってしまっている。
それにうんざりした目を向けていると、となりから誰かがやってきた。「はい、これ」
沙耶が持ってきたのは、たっぷりと水でぬらせたタオル。
おれは思わず「あ、ありがとう」と口ごもりながらそれを受け取った。
それに対し沙耶はニッコリとほほえんだ。
おれは思わず顔を真っ赤にしてひそかに周囲を見回すと、明らかに冷たい視線を投げかけられており、おれは心底恐縮した。
「5番! セカンド、クルガッ!」
打席に立つのは、目を布のようなものでおおったロン毛の男。
クルガは文字通り目は見えないものの、とてもそうは思えないほど普通の動きができる。
ヒャッパ情報によると、こいつは視覚以外の感覚が異常なほど発達しており、それを使って普通の人間の目に届かない情報までも把握することができてしまう。
つまり、他の野球部員が目に見えるような特殊能力を持っており、試合中の特能使用を禁じることができるのとは対照的に、こいつだけは能力を使用することができる、というわけだ。
そもそも禁じようにも禁じることができない。
当然、今回の試合の中で最も警戒すべき人物、というわけだ。
チアキに関しては完全な見落としだったが、おれたちは試合前から最大限の注意を払っていた。
「おらおら、来いよ。それともビビってんのかぁ?」
それをいいことに余裕たっぷりに挑発的な笑みをもらすクルガ。
当然、周囲の空気もピリピリしている。
おれは数日前にみんなからクギを刺されていたことを思い出した。
特にタタミちゃんが、
「新介、ムリに戦うことはないよ。
あいつだけは牽制球投げちゃいな」
と言っていたことが鮮明に浮かぶ。
おれはこう言ってやった。
「大丈夫だ。奴を攻略するのはむずかしいだろうけど、考えてたことはある」
おれは全く表情に出さずに、心の中を燃え上がらせた。
確かにおれの動きは完全に読まれるだろう。
だけど、心の中までは絶対に読めないはずだ。
おれは事前の打ち合わせ通り、いっさい番長にサインを取らせなかった。
頭の中のシナリオだけが、おれを投球フォームへといざなう。
手の中からすりぬけた白球が、まっすぐ番長のミットへと向かう。
どうせ変化球だろうとタカをくくっているクルガ。
見送りに徹したらしく動かない。
ところが、ボールは全く曲がらずに番長の手の中でパァンという音を立てた。「ストラーイクッ!」
クルガが「なにぃっ!?」という声をあげ、思わずミットのほうに顔を向けた。
そしてぼう然とした顔つきでこちらの方に戻した。
「なんでだっ! なんでてめえの動きが、読めなかったっっ!?」
おれはなにも告げず、奴に対して冷ややかな視線を送るだけだった。
「クルガッ! 気をつけろっ! そいつは人の心を読む達人だっ!
お前が奴の動きを読もうとするなら、相手はお前の心の中を必死に読んでいるぞっ!」
馬場がさけぶ。
舌打ちを返したクルガが、怒りをみなぎらせた表情で再び構えをとる。
ここで冷静な頭を持っているなら、最低限の言動だけで相手に動きを読まれまいとするだろう。
しかしクルガは逆に挑発的な態度で、読めるものなら読んでみろと言わんばかりだ。
望むところだ。
第2球。おれは同じようにボールをまっすぐに投げるが、やや内角を攻めた投球はクルガの目の前で真ん中に吸い込まれた。
しかし相手も野球部員、うまくタイミングを合わせてボールをバットにぶち当てた。
後ろでミノンちゃんが「打たれたっ!」と思わず叫んだ。
しかし当たりどころが悪く、ボールは真上に飛んで、クルガの足元でバウンドするだけだった。「ファウルッッ!」
クルガが「ちきしょう!」と叫ぶ。よし、この勝負、おれの勝ちだ。
「ストライクバッターアウツッ!」
この試合最も警戒すべき人物を三振に抑え、ホームの内側からも外側からも大歓声が上がった。
タタミちゃんとミノンちゃんがここまでかけよってきて、おれに抱きつこうとする。
おれはなんとかかわそうとするが、ムダだった。
「やったぁっ! あのクルガにヒットを打たせなかったぁぁっ!」
「よ、よせよミノンちゃん。ずいぶんと気が早いなぁ、まだ2回表だぜ?
大喜びするのは後になってからにしろって……」
いいながら、抱きつくきながら飛びはねるタタミちゃんの胸のあたりにしっかりとふくらみがあることを確認し、赤面したおれは振り回されながらもキャップを深くかぶる。
遠くでなぜかマッシュルームがグローブをたたきつける音がひびく。なぜだ?
続くバッターはほとんど裸の仁蔵。
格好はずいぶん動揺させられるが、実力はほとんど大したことはなかった。やはり補欠要因なのだろう。
少し余裕があったので、おれはひそかにベンチのほうに目を向けた。
先ほどから非道丸と馬場がしきりに相談しあっているのがわかる。
……まずい状況なのかもしれない。
奴らは早くも、おれの戦略に気づきはじめたのかもしれない。
おれの読みが正しければ、今の好調は劇的に変化する。
考えているうちにバッターが変わった。
「7番! サード、暗塵っ!」
例のマッシュルームカットが出てきた。おれは気合を入れ直す。だが……
「ふあぁ……ねみぃ……」
かなりけだるげな様子だ。見たところ、かなりやる気がない。
しかし油断はできない。こいつはこのあいだの大ゲンカでタタミちゃんとやりあった相手、かなりてこずったと聞いている。
この油断っぷリもワナかもしれない。
おれはひそかに周囲をうかがった。特に敵のベンチあたり。
あれ? 妙にピリピリしているぞ?
いちおう平然をよそおってはいるが、おれの観察眼の前ではごまかしようがない。
というかあまり演技が上手ではない。
おれはニヤリとした。
「なんで一気にまるっと三振取られてんだよこのバカッッ!」
「どうしてお前はそこまでやる気がないんだよっ!
練習どころか試合にも気合いが入ってねえじゃねえかこのアホタレッッ!」
だるそうにベンチに戻ったマッシュルームに対し、チアキとクルガは殴る蹴るの暴行を加えるが、痛みを感じないせいか本人はふらつくだけで平然としている。
おかげで見事に3者凡退となり、おれたちはベンチに戻った。
ベンチに座っているヒャッパがタブレットの中身を確認している。
「ええと、2年レギュラーの暗塵は、親友のクルガになんとなくついていく形で野球部に入部。
したがって野球に対する情熱はまるでなし。
本人はそれよりも他の部員いじりにご執心とのこと」
「あ、あんまり警戒すべき相手じゃなかったってことね……」
タタミちゃんが冷や汗ぎみに言うが、おれは聞き流すことにした。その気になれば奴は……
とにかく、今度はこちらが攻める番となる。
マウンドには再び包帯姿のあいつが現れる。
「ヤッホーィッ! オレのエンジェルたちぃ、見てるかぁ~~~~いっ!」
奴が両手を振ると、取り巻きの女の子たちが大手を振って歓声をあげる。
相変わらずそいつら以外は反応がないが。
その間におれはみんなにささやいた。
「試合がこのままうまくいくとは思えない。
一刻も早く奴の魔球を攻略するんだ」
それを聞いたみんなはそろって首をかしげるが、立ち上がった影乃に対し、おれは近づいて耳元でささやいた。
その瞬間やつはおどろいた顔をする。
「……そういうわけだ。経験者のお前は、そのことをよくわきまえろよ」
影乃は目を開きながらも、うなずいてバッターボックスに向かっていく。
ベンチに戻ろうとしたおれにタタミちゃんが声をかけてきた。
「ねえ、いったい何の話なの?
アタシたちには話せないわけ?」
「そのうちわかる。今はまだ奴の胸のうちにだけ納めさせてほしい」
しかし、影乃の打球はいまいちさえなかった。
たしかに豹摩の魔球が猛威をふるっているのは確かだが、影乃の戦いぶりには、それだけではない違和感が感じられた。
「教頭、影乃の動き、なんだかおかしくないですか?」
「言われてみれば、なんだかそうだね。
でもまだよくわからない。もう少し様子を見ないと」
おれはうなずいたが、なんとなく察しはついていた。
しかし真相を暴くにはまだ早い。
影乃はあっけなく三振を奪われた。
申し訳なさげな顔でこちらに戻ってくるのを、おれは真剣な顔でうなずくことで返す。
影乃はヘルメットを脱がず、むしろ深くかぶりなおした。
おれのとなりがすくっと立ち上がった。
沙耶はしっかりとヘルメットを直し、さっそうとした足取りでバッターボックスに立つ。
そして豹摩に向かって真っすぐバットの先を向けたあと、グルグル回していつでも打てる構えになる。
「いまや校内で話題持ちきりの、学園一のアイドルか。
剣のほうはめっぽう強いらしいが、バッティングのほうはどうかな?」
そう言って顔面包帯はペロリと舌をなめる。
あきらかに下心丸見えの挙動に、沙耶の横顔は眉をひそめた。
豹摩はボールを振りかぶる。
おれからしたらあきらかにやる気がない感じだったが、沙耶は見抜けるか。
あきらかなボール球を、沙耶は見送った。
変化球かと思えばそうではないとわかり、おれはほっとため息をついた。
しかしこれは、明らかに相手には例の魔球で勝負するという意図が見て取れる。
豹摩はいびつな笑みを浮かべた。
「調子に乗ってるお前を、骨抜きにしてやるぜ。見てな」
わざわざ宣告して、握ったボールをまっすぐ前に向ける。
わかっていても魔球は打ちとれないとみなしているようだ。
しかし、おれにはわかる。
沙耶は明らかに、これをチャンスとみなしている表情だ。
あらかじめ勝負球を投げてくるとわかれば、必要なのはそれを確実に射ぬこうとする覚悟だ。
沙耶にはそれがきちんと備わっている。もっとも野球経験者である華鷹や番長がそれでも打てなかったのだから、話は簡単じゃないが。
それでも、美しい横顔には覚悟がみなぎっている。
遠く離れたおれですら鋭利な刃を突きつけてられているような感覚を覚える。
しかもその刃で突き刺されてもいいと思えるような、なんとも不思議な感覚。
豹摩が動いた。
あきらかに無理のあるフォームで、恐るべき速さで球が弾き飛ばされる。
その瞬間、沙耶のただでさえ大きな瞳が、さらにカッと見開かれた。
つられて彼女の全身がすばやく動く。
野球経験者のおれですら、見事だと思うほどの完璧なフォーム。
カァァァァァン。
透き通るような美しい音を立てて、白球は青空の中に消えた。
芝生の上のチアキが大きく首をあげて必死に追うが、後ろにふりむいた時にはネットの向こうに白球が現れ、集まっているギャラリーたちの背後に消えた。
大歓声。
ゆっくりとバットを落とした沙耶が、喜びを表すこともなくさっそうとグラウンドを走りはじめた。
ベンチの中にはあんぐりと口を開ける者もいたが、おれはむしろ見とれるようにして走り抜ける彼女の姿を見つめた。
あらためて、おれのとなりには常に最高の美人がいるんだということが信じられない気持になった。
まるですべてが幻の中にいるようだ。
野球部員たちがするどい視線を向けているにもかかわらず、沙耶はヘルメットの下からのびる黒髪をなびかせ、グラウンドをかけぬけた。
「新介チーム、一点先制!」
戻ってきた沙耶をおれたちはハイタッチで迎える。
教頭の次に両手をたたきあわせたおれは、なんのちゅうちょもなく触れ合ったことにとまどいつつも、そのやわらかくて温かな感触の余韻にひたる。
やがて彼女はおれのとなりに座ろうとする。
いつもは感じていなかった緊張感にツバを飲み込みそうになったとたん……
「ハイ~ッ! 今度はアタシの番ねっっ!」
と言ってタタミちゃんが強引に割り込んだ。
沙耶は少ししらけた視線を向けながらも、おとなしくタタミちゃんがいた空席に腰かける。
そして入れ替わった本人は得意げな笑みをこちらに向けてきた。
「んふふ~。本日のMVPのおとなりを占拠しちゃった!」
おれはいちおう眉をひそめてはみたものの、バツが悪いことにまったく残念だとは思えなかった。
これならこれで、タタミちゃんの身体から舞うふわっとした香水のにおいにやられ、浮かれた気分になってしまう。
ところが、意外なことにタタミちゃんの表情はどこか浮かなかった。
「おいおい、どうしたんだよ?」と問いかけると、彼女はパステルカラーの腕時計に目をやった。
「う~ん、おっそいなぁ~。もうじき出番が回ってくんのに……」
「わぁ~~~っ! 遅刻だ遅刻だぁ~~~~~~~っ!」
グラウンドの階段から、誰かが大急ぎでかけおりてくる。
この小柄なおかっぱの少女は……
「おっそぉ~~いっ! あんたなに遅刻してんのっ!
もう2回裏だいぶ過ぎてんだよっ!?」
立ち上がり両手の甲を腰につけたタタミちゃんに、休日はいつも巫女さん服姿の弥子ちゃんが、息を切らせながらあやまる。
「ごめんなさ~いっ!
今日は朝から寝坊しちゃって、家の手伝いが遅れちゃったんだよぉ~!」
「あんたホント危ないところだったわね!
もうすぐあいつの出番が回ってくるところだったのに」
タタミちゃんが視線を向けると、弥子ちゃんの後ろから親友の小麦肌少女が肩を叩いてくる。
「ドンマイドンマイ。
本当の見せ場はこっからだから安心しなよ」
タタミちゃんはさらに、うっとうしげに沙耶から向こうのメンバーに向かって手を振り仰いだ。
「ほらっ! 男どもっ!
弥子ちゃんが座るんだからみんなあっち行ったっ!」
チラリと視線を向けると、指図された男たちはうっとうしげな視線を向けながらも、おとなしく横にスライドしていく。
タタミちゃんのとなりに弥子ちゃんが座ることになるが、必然的に沙耶もまたおれから離れていくことになるのでなんとも複雑だった。
「それにしても、あんた残念だったね~。今日は序盤から名場面ばっかだったんだよぉ?
ま、いっか。弥子ちゃんにとってはこれからが本番だかんね」
タタミちゃんが意地わるげに言うと、弥子ちゃんは泣きそうな顔でアゴを持ち上げた。
「うわぁ~んっ! 最初っから見たかったよぉ~っ!
夜緊張で眠れなくなるくらいならもっと早い時間に寝とけばよかったぁ~っ!」
いつも通りの弥子ちゃんに、沙耶はゆっくりとしたペースで肩をポンポン叩く。
相変わらずこのおかっぱ少女は他のルームメイト3人に育児させられているらしい。
「7番! セカンド、ミノン!」
それを聞いたとたん、弥子ちゃんは泣き顔を変えて悲壮感すらただよう真剣なまなざしでホームベースに顔を向けた。
まるでここからの場面はなに1つ見逃さないと言わんばかりだ。
「「「「ミノンちゃぁ~~~~~~~~~~~~~~んっっっ!」」」」
その時、場外から大歓声が上がった。
みんなそろってそちらに目を向けると、グランドの一角を占める大軍団が大はしゃぎしている。
「あれ? 彼女ってあんなに大人気だっけ?」
おれがとぼけた声をあげると、タタミちゃんが小バカにした調子で言う。
「なに言ってんの新介。ありゃミノンが所属してる部活のメンバーだよ」
「あんなにたくさんいるのっ!?
ミノンちゃんどんだけ部活かけ持ちしてんだよっ!」
「ええと、『陸上部』でしょ? 『水泳部』でしょ?
そんでもって『バレー部』。合計3つかけ持ち」
「大丈夫なのかよそれで……」
ややあきれぎみに言うと、タタミちゃんはむしろ得意げな表情になった。
「あいつなら大丈夫だよ。だってほら」
彼女はアゴをしゃくり、バッターボックスに立つ小麦肌の少女に目を向けた。
ミノンちゃんもまた不敵な笑みを向けて、対戦する野球部のルーキーをまっすぐ見つめる。
一方の包帯グルグルは、大歓声にしっとしているのかかなりご機嫌ななめだ。
「3つの運動部かけ持ちの天才少女か。
こりゃまた厄介な奴が敵側につきやがったな」
「やっかいどころじゃないよ。見ててごらん……」
ミノンちゃんが目つきを鋭くさせると、彼女の小麦色の肌が様々な色に変化する。
特殊能力を使う際のサインだ。
ミノンちゃんには相手がどんな技術、能力を持ち、どんな考えをしているかを即座に見抜く力がある。
さらには相手の動きをまるまるとコピーすることすらできる。
これが、彼女がいくつもの部活をかけ持ちしてもまったく支障がない理由だ。
「……ローディング完了。幻豹摩、あんたの技と知識は全部吸収した。
あんたがあたしに対してなにを考えているかなんて、全部お見通しだよ」
もはや勝ったと言わんばかりにつぶやくミノンちゃん。
それを緊張のまなざしで見送るおれたち。
ところが、次の瞬間には彼女の目が大きく見開かれ、その足が後ずさった。
「やだぁっっ! なにこれぇぇぇぇぇっっ!」
思わずタタミちゃんが立ち上がる。
「どうかしたのっ!?
ひょっとして、豹摩がまた別の魔球使おうとしてるわけっ!?」
言われ、ミノンちゃんはおびえた表情でマウンドを指差す。
「こいつ、まだとんでもない隠し玉持ってやがる……」
彼女は自分の能力を使った際に、どうやら対戦相手の恐ろしい能力を垣間見てしまったようだ。
おれはマウンドに目を移した。
指し示された包帯の男の顔には、獲物を虎視眈々と狙う不気味な笑みが浮かんでいた。
「さっきも言ったはずだぜ。
オレ様の手の内がわかったところで、簡単に攻略できるようなもんじゃないってな……」
そして豹摩は、握りしめたボールをまっすぐ前に突き出した。
「行くぜ、『ディストラクションボール2号』!
お前にこいつが打ち抜けるかっ!?」
言うなりボールを投げる挙動に入った豹摩。
ミノンちゃんは少しあわてぎみにバットを構える。
おれは思わず「落ち着けっっ!」と叫んだ。
しかし次の瞬間、おれの目は豹摩の動きにくぎ付けになった。
先ほどの魔球1号の時よりも、よりフォーミングが力強い。
もはやその身体が壊れそうなほどの勢いで、強引にボールが投げだされる。
いや、今度は腕の骨が完全に外れた。
その異変をまったく気にしていない豹摩の手から投げ出された白球は、ものすごい剛速球で、目にもとまらない。
ちがう。わずかに動きにブレがあった。
しかしそれを確認する間もなく、ボールは大柄なホッケーマスク男の手のうちに消えた。「ストラーイクッ!」
「何て力なの……?
球があまりの速さに空気抵抗を受けるあまり、重心が確かにブレた……」
おれは思わず声をあげた沙耶を見た。
どうやら見間違いではなかったらしい。頭の後ろから教頭がつぶやく。
「ただ速い球を投げただけじゃないね。おそらく握り方にも工夫を凝らしたんだろう。
ボールの回転数が少なくなれば空気の逃げ道がなく、ぶつかって位置が移動してしまう。
それでも肩の骨が外れるほどの力があるためにあれほどのスピードが出るというわけだ」
教頭のほうに目を向けると、シルクハットの下の顔が感心した表情でアゴをさする。
「あれがディストラクションボール2号か。
なるほど、まさにブレる魔球、というわけだな……」
普段の言動からは信じられないほど冷静な態度の教頭。
よほど野球のことが好きらしいことが、これだけでもわかる。
一方マウンドに目を戻すと、音を立てて骨を戻した豹摩がしきりに肩を回している。
「ただ、弱点がある。
あんな毎回骨が外れるような球を投げていれば、痛みを感じなくても何らかの異常が起こる可能性がある。
この試合中であれが使用できるのは、1試合中にそれほどの数ではないね」
教頭はそういうものの、先ほどの魔球で精神的なダメージを負ってしまったミノンちゃんのバッティングは精彩を欠き、あっけなく三振をとられることになってしまった。




