(3)
おれはキースやヒャッパ、そしていつの間にか声をかけていたらしき無口な蛸蔵に連れられ、無数の生徒と一緒に学食に向かう。
無頓着なのか、男子の方が圧倒的に多い。
「覚悟してのぞんじゃいるけど、なんだかイヤな雰囲気だなぁ。
正直こえーよ」
気のせいだろうか、他の連中がいないところから見える廊下や天井が、陰湿な雰囲気を放っている。
ろこつに不安になってきた。
そして開けっ放しにされた入口に入り込んだとたん、おれは思わず口を押さえ、立ち止まった。
その瞬間ヒャッパが背中に手をかける。
「おい新介っ! 大丈夫かよ!」「邪魔だぞ! どけよ!」
後ろの連中に注意され、おれはこみ上げる吐き気を押さえながら部屋のすみによる。
壁に寄り掛かろうかと思ったが、目の前の光景を見て思わず後ずさった。
「……て何だよこれぇっっ!
この食堂、くっっっそ汚ねえぞっっっ!」
あまりの大声に周囲の生徒たちが振り返る。
それを見たヒャッパがあわてておれの口を押さえた。
「静かにしろよっ! ブッチャーが気付いたら殺されるぞっ!」
おれはあたふたしてヒャッパの口をどかすと、早口でまくしたてた。
「だっておかしいじゃねえかっ!
なんだこのにおいっ! 生臭くてカビ臭くて、ついでにろこつな血のにおいも混じってんぞっ!」
ついでに壁の方にも人差し指を向ける。
「だいたいなんだよこの部屋の衛生状態!
壁にびっしりとコケが生えてんぞっ!
床もなんかヌメヌメしてて、やたらと変な肉片がこぼれおちてんぞっ!
この部屋まともに掃除とかしてねえだろっ!」
おれはすでに埋まり始めているテーブル群にも目を向けた。
男子たちはなんともなしに座っているが、その机はありえないほど汚い。まるでここでなんかの生物の解体でもしていたかのようだ。
学生たちがはしをつけるお盆も、得体の知れない生肉がぶつ切りで放りこまれ、それを男子たちは何のちゅうちょもなく楽しそうに口に入れ、ほおばる。
おれはもはや耐えきれなくなり、クルリとうしろのほうを向いた。
「おいっ! どこに行くんだよっ!」
あわててヒャッパがおれの袖をつかむが、おれは強引に振り切ろうとする。
「帰るっ! やっぱムリだここっ!
こんなところにいたら数分と経たないうちに病気になるっ! 死ぬ、死んじまうっっ!」
「おい落ち着けよっ!
キースも蛸蔵もだまって見てないで取り押さえろ!」
それを聞いて2人もおれの身柄を押さえつけ、おれはおとなしくせざるを得なかった。
「うぅ、いくらなんでも予想以上すぎるって……。
みんなよくこんなところで飯が食えるよな……」
しかなたく、おれは腹の中に詰まった昼飯を戻さないよう、口を必死で押さえこみながら、食堂のすみの方へとみんなと移動する。
キースに「ほら、座れ」とうながされた席はテーブルはもちろんのこと、丸イスにまで変な汚れが付着していた。
「ティッシュ持ってるか?
ここではみんなそいつを使ってる」
そう言いながらおれ以外のみんながポケットからティッシュを取り出す。おれもそれに従う。
「うぅ、どおりで寮でポケットティッシュが無料配布されてるわけだ……」
なんとか表の汚れをふき取り、おれと蛸蔵が座る。するとキースとヒャッパは立ったままだ。
キースがおれの肩に手をかける。
「おれとヒャッパは先にメシをとりに行ってくる。
蛸蔵、新介を頼んだ」
ずんぐりむっくり体型は無言でうなずき、2人はおれたちから離れていく。
彼らが向かう先に目線を向け、さらにげんなりする。
生徒たちがおとなしく列を組んでいるその先に、開かれた厨房がある。
そこにはおびただしい数の巨大な生肉が吊り下げられ、中で何者かが作業し続けている。
かなり大柄な体系だが、生徒が邪魔でおれは目をこらさざるを得ない。
そいつが振り向いた瞬間、肝を冷やした。
そいつは本来真っ白なはずのコック服にはおびただしい血で染まっており、顔にはおそらく本物であろうブタの顔マスクをかぶっている。ブタマスクのなんだか笑っているかのような表情が恐ろしい。
おれは目線をそらそうとしたが、そのとたんブタの顔がこちらを向いた。
おれは顔をそむけることができず、そのままブッチャーと目を合わせ続ける。怖い。
しかし彼の前に立っていた生徒が「ちょっとぉ~」といったそぶりで盆を軽く叩くと、ブッチャーは無造作に生肉が盛られた器を載せ、背中を向ける。
手にしたナタをおもむろに高くかかげると、それを思いきり目の前にある肉塊に叩きつけた。
おれはその瞬間にブッチャーから目をそらす。
ところがまたしてもおれはのけぞってしまった。
目の前には微動だにせずこちらをじっと見つめるまなざし。なんとなくブッチャーに似ている。
「……なんだよ蛸蔵。
ぶっちゃけ、そうやって無言で視線送られるとこっちもビビるんだって」
するとおれの言いたいことが通じたのか、蛸蔵は目だけを動かし、ブッチャーのいるほうを見つめた。
やがてキースとヒャッパが戻ってきた。
入れ替わりに蛸蔵が立ち上がり、2人がイスに座る。
しかしおれは立ち込めるにおいに思わず顔をそらした。
横目で見ると、盆にのせられた皿や器にはヌメヌメとした感じの赤い肉の塊が堂々と盛られている。
ヒャッパは手を合わせてから箸をとり、キースにいたっては何も言わずに手づかみで堂々と赤々とした肉にかぶりつく。
「まったく。お前らよくそんなもん食えるよな。
こっちは血なまぐさくって仕方がない」
キースが口の中のかたまりを飲み込んでから、うなずく。
「まあな。おれらは人間と違って身体が丈夫だから、肉の衛生状態とかあまり気にしなくていいのよ。
向こう側にしてみれば調理に手間がかからなくてすむし、その分こちらは食費が軽くなる。まさしく一石二鳥だな」
「ソースやしょうゆみたいな簡単な調味料さえあれば、おれらにはそれで十分なのさ」
ヒャッパの声を耳にして、おれは鼻をつまんでお膳を見る。
よく見ると肉にはハエがたかっており、ヒャッパはそれをはしで追い払いながら、なおもうまそうに肉をほおばる。
おれは今度こそ完全に視線をそらした。
「おやじぃぃ! 失礼するぜぇぇぇっ!」
聞き覚えのある声に振り向くと、学食のもう1つの入り口から何かがかがんで入り込んできた。
扉よりも大きな図体をした屈強な化け物。
「あ、番長だ」
ヒャッパもそれに気付いてそちらの方を見る。
おれは鼻をつまんだまま顔を寄せた。
「番長、こっちでメシを食うのか。
あの人がケンカ以外で現れるところ初めて見たぞ」
番長が厨房に近づくと、他の学生の相手をしていたブッチャーが作業をやめ、奥へと消えた。
すると番長も厨房の出入り口へ立つ。
するとそこから何かが現れた。なにかと思いきや、ブッチャーが両腕に巨大な肉のかたまりをかかえている。
それを片手で軽々ととり上げた番長が、振り返るとこちらと目があった。
「……おうっ! お前らも来てたのか!
ずいぶん久しぶりじゃねえか!」
いそいそとこちらへ寄ってくる番長に対し、おれは身を隠そうとしたが、無駄な努力だった。
「おう人間のぼうやじゃねえか!
まさかお前がこんな場所にやってくるとはな!」
そう言って番長はおれらの座る長テーブルの横に立つと、巨大な肉を乱暴に上に置いた。
そしていきなり後ろを振り向いたかと思ったら、おもむろに複数の椅子を取り寄せ、それを固めてからようやく座る。どうやら1つのイスでは彼の体重を支えられないらしい。
「まったく、お前ひょっとして女子どもにこっぴどく嫌われたか?」
「そんなんじゃないですよ。
番長こそ、昼間はいつもここで?」
恐縮ぎみに問いかけると、相手は巨大な拳でこれまた分厚い胸板を叩いた。
「おうよ! オレほどの図体じゃ、なかなか見合ったメシを用意してもらえなくてな」
そう言って両手で軽々と巨大肉をつかみとると、大口を開けて思い切りかぶりついた。
食いしばった歯で思いきり肉を引きちぎり、もぐもぐと口を動かす。
「そういえば、番長めったに姿を見せないですね。
授業とか出なくて大丈夫なんですか?」
そもそも教室の中に入れるのかどうかすらあやしいのだが。
「ははっ! 授業? 悪いがオレにゃそんなもんは性に合わねえんだよ。
ケンカと応援、その2つに命をかけるのが、オレの生き方よ!」
「大丈夫なんですか?
そんな調子じゃ留年ばっかで卒業なんかできませんよ?」
「言ってくれるじゃねえか! おうよ!
オレ様はかれこれ7年間、ずっと留年したままだぜ!」
「やっぱりそうなんだ……」
どおりで巌のような顔をしているわけだ。
場合によっては老け顔に見えないこともない。
「まったく。お前はよくそんなずけずけと質問し続けていられるもんだな。
お前、まさか本命を忘れたわけじゃねえだろうな」
ヒャッパに言われ、おれははっとして周囲を見回す。
お目当ての相手は……
……いた。食堂の一番すみ、誰も座っていない長テーブルの端に、身をちぢこまらせまずそうな顔をしながら口をもぐもぐさせる影乃の姿を発見した。
「やっぱりいた。
本当にいつもあんな感じで1人なんだ……」
おれのつぶやきを聞いたキースが思い出したように問いかける。
「そう言えばお前、昨日は教室でも寮でもいろんな奴に聞き込みしてたよな。
それで奴の素性はどこまで判明した?」
おれはそんなキースに顔を寄せてささやきかける。
「おどろくなよ。
あいつ、普段は裏学生寮に寝泊まりしてるらしい。どおりで城の中であいつを見かけないわけだ」
「そう言えばあいつの学生服、なにげにこぎたねえしな。
頭の中身はまともそうなのに、そこまで気を使うか? 普通」
「おいおい、お前ら何をヒソヒソ話し込んでんだよ?」
2人して顔を向けると、番長は少しご機嫌斜めで肉を骨ごとボリボリいわしている。
「ったく、このオレ様を差し置いていったい誰の話をしてやがるんだぁ?」
おれは申し訳なさげに、影乃のほうを指差した。
番長は難しい顔をして振り向くと、とたんに鼻で笑いはじめた。
「はんっ! なんなんだあのしけた野郎は。
お前ら、あんなよわっちい奴と仲良くしてえってのか? アホらしい」
「そう思えるのは今のうちだ。
野郎、ああ見えて恐ろしい本性を隠してるらしい」
キースの声に振り返り、番長は信じられないと言わんばかりの表情で「本気か?」とたずねる。
おれたち3人は真面目にうなずいた。
「けっ! 上等じゃねえか。
それじゃ1つ、おれがお相手してやろうか?」
おれたちはいっせいにしまったという顔になった。どうやら火に油を注いでしまったようだ。
あわてて「ちょっと待って!」と呼びかけたが、その時にはすでに番長は立ち上がってしまった。
急いでそのあとを追おうとするが、すぐにヒャッパが肩を押さえ出した。
「まてっ!」
「なんだよ、邪魔すんな。
下手すりゃこの食堂が大変なことになりかねんぞ!?」
意地になって振りほどこうとするが、キースからも制止が入る。
「ヒャッパの言うとおりだ。
ここは1つ、様子を見てみようじゃないか」
おれは不安になりながらも、影乃のもとへ向かう番長を静かに見守りつつ、おれたちも近寄っていく。
「……よう、今日も1人で食事か?
ずいぶんさみしそうじゃねえか」
そして番長は「オレも混ぜろよ」と言い、その場にあぐらをかいた。
対する影乃はちらりと視線を送りながらも、すぐに目の前の生肉に視線を戻した。
「一体何の用なんだ?
おれはお前と知り合ったつもりはないぞ」
「チッ、先輩に対してずいぶんな口のききようだな。
さっすが、あいつらが見込んだだけのことはあるようだぜ」
そう言って番長がこちらにあごをしゃくると、影乃の視線もこちらに向いた。
そして深いため息をついて、「またあいつか……」とつぶやく。
「そういうわけだ。で、お前どうしてやたら左腕をかばうんだ?
その腕にお前の特殊能力が隠れているのか?」
「あまり挑発しない方がいい。
おれの『魔鬼眼』は、常にお前たちを見張っているぞ」
「マキガン? ずいぶん妙な名前じゃねえか。
どれどれ、ちょっと見せてもらおうじゃねえか」
すると番長は、調子に乗って影乃のはしを持つ腕をとり上げた。
「やめろっ! 触れるなっ!」
「そういきがんなって! ちょっと見せてもらうだけだからよ」
そう言って番長は反対側の、包帯でぐるぐる巻きになっている左腕までとり上げようとする。
影乃は必死で抵抗するものの、単純な力勝負では分が悪いようで、あっけなくそちらの方もつかまれてしまった。
「……んおっ!? なんじゃこりゃぁ」
番長の言うとおり影乃のグルグル巻きの包帯は、指さえまともに動かせないほどにがんじがらめになっていた。
それどころかところどころ黒いものが吹きだし、思わず目をそむけたくなるほどの異様な雰囲気に満ちている。
「やめろっっ! やめるんだっ! 離せっ!」
巨大な両手による力強い握力で握りしめられながらも、いまだジタバタもがく影乃。
「なんなんだよ。見苦しいぞ?
そうやって必死になってると、逆にこっちはかわいらしく見えちまうんだよ」
番長が言っているうちに、影乃に異変が起こった。
グルグル巻きの包帯からしみ出る黒い何かがジュワッと広がったのだ。
とたんに影乃が両目を見開く。
「まずいっ! 手を離せっっ!」
そう言われてもまったく理解していない顔をする番長。
左腕など見向きもしない。
そうこうしている間に、包帯の中から何かが現れた。
なにか、黒い粘液のようなものが勢いよく飛び散る。
「やめろぉぉぉっっ! やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!」
ようやく異変に気づいた番長がすばやく両腕を離すが、包帯から飛び散る粘液の勢いは止まらない。
影乃は左腕を必死に押さえ、左腕に向かって大声で呼びかける。
「やめろぉぉぉっっ! 暴れるなっっっ!
こんなところで暴れるんじゃないぃぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!」
怖いもの知らずの番長でさえ、あまりにも必死な影乃の姿を見て思わず後ずさる。
左腕から飛び出す粘液は、心なしかまるで触手のようにうごめいていた。
思わず周囲を振り返ると、学食中の生徒まで食事を止めてこちらを警戒している。
立ちあがっている奴も多い。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」
最後の叫びで、黒い粘液の動きが止まった。
そして一瞬で包帯の中に引っ込む。あとには元通りの左腕だけがあった。
食堂じゅうが静まり返るなか、影乃の荒い息づかいだけが聞こえていた。
激しく肩を上下させるのを、食い入るように見つめる番長。
「……すまねぇっっ!」
そう言って逃げるように立ち去っていく大巨漢。おれはそれを見守ることしかできなかった。
が、しかしすぐに別の方向から異変が起こっているのを目がとらえた。
ブタマスクの血まみれコックが、厨房から出て静かにこちらを見つめている。
その手には使いこなれた大きなナタが……
「……あぶねえっっっ!」
それが勢いよく投げつけられたのを見て、おれはとたんにヒャッパの後ろに隠れた。
次の瞬間ヒャッパがよろめく。
「……いっだぁぁっっっ!?」
勢いでこちらを向いたヒャッパの右腕に、深々とナタが突き刺さっている。
全体がくたびれ、刃はあちこちがサビついている。おれは頭が真っ白になった。
「やっぱり来るんじゃなかったっっ!
3人とも、逃げるぞっっ!」
おれはキースとヒャッパの腕を引っ張ると、急いで入口に向かって走った。
2人も気まずかったらしく素直に従う。あ、蛸蔵人ごとのようにまだ飯食ってる……
影乃がどんな状況に置かれることになるか、気を使う余裕はなかった。




