空
そのまま競技は無慈悲にも次へと進んでいく。次に行われるのは女子の種目、綱引きの決勝。カードは赤ブロック対白ブロック。ここでオレは本部テントの得点表を確認する。すると得点表は裏返しにされて隠されており、あとは閉会式の得点発表までお預けというふうだった。そこでオレは、頭の中でそろばんを弾いてみる。騎馬戦が始まる前の得点は見ているから、そこから後の競技結果を考えていけば、現在の得点は計算できる。
「おい春樹」
突然、隣に座っていた冬弥に話しかけられる。
「なんだ急に」
「いま赤ブロックは二位らしい。ただ、この綱引きで勝って、最後のブロ対で一位を取らないと、優勝は無いって話だ」
「一位はどこなんだ?」
「青ブロックだ。結構差が開いてるらしい」
他に既に計算していた人がいるのだろう。そしてこの話は赤ブロック全体に広まっているらしかった。
グランドの中央には今までに見たことのないほどの長いロープが置かれ、その両端に赤ブロックと青ブロックから選ばれた女子生徒がそれぞれ並んでいる。実行委委員の合図で一斉にロープを持つ。
そして、ピストルの乾いた音とともに競技が始まる。グラウンド全体が歓声に包まれる。赤ブロックにとっては、優勝の有無が掛かった大事な一戦。スタンドも必然的に応援に熱が入る。試合は最初は膠着し、それから一分ほどたって少しだけ赤ブロック側が優勢を見せる。その瞬間、スタンドの応援は大きく盛り上がり、それに後押しされるように、赤ブロック側へどんどん引かれていく。試合開始から三分後、再びピストルが鳴り、時間経過で赤ブロック側の勝利となった。
その様子をじっと見守っていたオレは、肩を突然後ろからつかまれ、激しく揺さぶられる。
「おっしゃあああああ!おらああああ!」
後ろに座っていた瀬戸だ。チャラチャラしているように見えて、こういう行事はしっかり参加するタイプらしい。
「瀬戸、痛い」
そんなオレの声は歓声にかき消され、瀬戸には全く届かない。
「おい遠藤!あとはブロ対で勝てば優勝も見えてくるぞ!頑張れよお前!」
分かったから離してくれと言おうとしたが、無駄だと悟って止めた。オレは瀬戸の手を払って立ち上がり、次に行われる最後の競技、ブロック対抗リレーに出場する準備を進めることにした。
「おい春樹」
冬弥に話しかけられ、振り返る。
「頑張れよ」
冬弥は少し笑って親指を立てた。
「ああ」
*
入場門まで行くと、既に出場する生徒が集まっている。オレは列に並ぼうとそこに分け入って行ったその時だった。
「おい!遠藤!」
オレを呼び止めたのは赤ブロック幹部の鳴海だ。走ってきたようで息を切らしている。切迫の表情だ。
「事件が起きた」
その声のトーンから、ただ事ではないと察する。
「どうした」
鳴海は少し間を置いて息を落ち着かせてから説明を始めた。
「アンカーの団長が棒倒しで足を痛めて走れなくなった。そこでアンカーを急遽お前に頼みたい」
突然の頼みだったが、オレはなぜか冷静だった。
「一走はどうするんだ」
「補欠に走ってもらう」
「その補欠にアンカーを走らせたらいいんじゃないか?バトンのこともあるだろ」
バトンの練習は二走の相手としかしていないので、突然の変更は失敗のリスクが高まる。
「かといって、アンカーを補欠に任せるわけにもいかねぇだろ」
「じゃあ陸部のヤツにやらせたらいいんじゃないか?バトンも上手だろ」
「陸部は走順が決まってる。変えられない」
そうだった。オレは冷静であるように見えて、必死にアンカーを避ける手立てを考えているらしかった。
「陸部を除けば、一番速いのはお前なんだ」
鳴海は両手を胸の前で合わせる。
「頼む遠藤。時間がない。走順の報告を本部に今からすぐにしなきゃならねぇんだ」
すでに出場者は集まり始めている。もうすぐ入場が開始されるだろう。
「わかった」
「すまん遠藤。応援してるからな」
「ああ」
そう言って鳴海は急いで走り去っていった。
オレはアンカーが並んでいるところに移動し、そこに座り込む。オレの横に並んでいるのは、各ブロックのブロック長だ。軽く挨拶をしてから、入場門の向こうに広がるグラウンドを見る。広い。そう思った。
「遠藤くん」
話しかけてきたのは一走の橘だ。
「話は聞いたよ。アンカー頑張ってね」
「ああ」
オレは自分の口数が少なくなっていることに気付いた。橘はというと、この状況を楽しんでいるようだ。緊張の様子は見えない。
「あまりこういうことは言わないほうがいいかもしれないけどね」
橘は一呼吸置く。
「得点的には、赤ブロックが一位、青ブロックが三位以下なら、赤ブロックの総合優勝だ」
どうして青ブロックの橘が、赤ブロックの視点に立って話をするのか不思議に思った。橘の気遣いだろうか。
「だから赤ブロックの一位は絶対条件、青ブロックは二位以上なら優勝だ」
オレはそれを聞いて、体が脱力していく感覚を覚えた。
「遠藤くん。頑張ろうね」
「……ああ」
そう言って橘は、一走が並んでいる場所へと戻っていった。
アナウンスが入り、オレたちは立ち上がる。グラウンドは大きな歓声に包まれる。そして入場の掛け声とともに、全力で走り、グラウンドの定位置へとつく。周りを見渡してみると、何度かグラウンドには入っているはずなのに、今まで以上に広く感じる。六月の空は高い。体に汗がにじむ。梅雨はいつも、いつから始まるのだっただろうか?
一走たちはバトンを係から渡され、スタートラインへとつく。すると橘は、青ブロックのスタンドへと手を振り、歓声が沸く。あれはきっと橘だからできる事だ。オレはアンカーの印となる赤いゼッケンを係から受け取った。




