答え
運動会がいよいよ今週末へと迫り、学校中が熱を帯びてきた。授業は午前中の四時間で切り上げられ、午後の授業は全て運動会の練習に充てられることになる。オレが参加する競技は、百メートル走と棒倒し、そしてブロック対抗リレーとなる。全体参加の競技としては組体操と応援コンテストに出ることになっている。練習は各ブロックから選ばれた幹部が主導し、教師陣からの関与は一切ない。また、この指導というものが伝統的にかなりスパルタなのだ。幹部は同級生だろうとお構いなしに怒鳴りつけ、なかには練習中に泣き出してしまう生徒もいたほどだった。
オレは当初、この旧態然とした練習に少しの反感を覚えたが、「伝統」の二文字に抗う術もなく、いつの間にかそれを受け入れていた。それはおそらく他の生徒も同じなのだろう。こうしてこの伝統は現在まで受け継がれてきたというわけだ。
オレと冬弥は棒倒しの休憩時間の合間、グラウンドの隅っこの日陰に腰を下ろしていた。五月も終わりを迎え、季節は夏へ向けてどんどん滑り出していた。
「棒倒しってこんなに激しい競技なのか……」
オレは、練習中に他生徒と衝突した肩を撫でながらそう嘆く。
「お前、飛び乗り役だろ、俺よりはマシじゃないか」
冬弥は突撃役であり、相手がつくった円陣に正面からぶつかりに行く役だ。オレはそれを踏み台にしながら棒に直接飛びつく。負担は確かに冬弥のほうが圧倒的だ。
「そういえばお前、こないだの日曜はどうだったんだ?」
冬弥は白瀬さんと一緒に二回目のデートに行っていたはずだ。
「ああ、それなりに楽しかったよ」
そう答えた冬弥の表情は、どこか意味ありげだった。何かあったのかもしれない。
「どうした?」
冬弥は少し間をおいて答える。
「今度の運動会の後、呼ばれてるんだ」
いよいよ白瀬さんは勝負をかけるのだろう。ただ、あんなに臆病な白瀬さんが随分大胆なことをするなと不思議に思った。恐らくだが、このあいだの白瀬さんと冬弥の二人きりのデートも、今度の呼び出しも、全て夏帆の入れ知恵だろう。
「よかったじゃないか」
冬弥は足元を見つめている。
「……俺、断ろうと思う」
オレは自分の心臓に棘が刺さったような気持ちになった。
「楽しかったんじゃないのか?」
「そうだけどな、俺はまだ白瀬さんのことを全然知らないんだ」
やっぱり少し性急すぎたのかもしれない。オレは自分の行動を振り返って、もう少し時間を掛けるように諭せばよかったと反省する。
「そうか。まぁオレがとやかく言うことじゃないけどな」
オレは続ける。
「それは正直に伝えるんだぞ」
「……分かった」
水筒を置き、二人で立ち上がる。
「おい!棒倒し!集合!」
鳴海が怒鳴り声をあげる。が、ここ二週間ずっと叫び続けていたこともあり、声はガラガラだ。本番まで持つのだろうか?
*
放課後の練習も終わり、オレは部室で一息つく。小中学校の運動会練習とは比較にならないほどの疲労感だ。運動部はこの後も走り回ったりするのだろうから、もう人間離れした領域にいることは間違いない。
「今日もお疲れですね」
秋山さんはというと、毎日こうして会っていても全く疲れを感じさせない。見かけによらずタフだ。というより、秋山さんが見かけによったためしがない。「大和撫子」の四文字は、もう消えかかっている。今日も『美術の物語』を読んでいるが、随分読み進んでいるようで、残り三分の一まで来たところだ。
今日も二人で黙って本を読む。オレはというと、今はイギリスの作家、ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』を読んでいるところだ。ただ、今日はいつもと違ったことがあった。秋山さんが全く話しかけて来ないのだ。ただこうして毎日会っていて、話題が尽きたというだけかもしれない。が、オレは本を読みながら、オレから話しかけようかと悩み、みるみる内に不安になってしまった。
電車の時間が近づき、オレが本を閉じたそのときだった。
「遠藤くん。遠藤くんって、斉藤さんと付き合っているんですか?」
突然の質問に、オレはすぐに否定を入れることができなかった。
「……いや、ない。ていうかなんだ、それ」
しどろもどろの答えになり、逆に怪しくなってしまったかもしれない。
「きょうクラスで耳にしたんです。駅前のプラトスで二人で歩いていたと聞きました」
プラトスとは、夏帆たちと三人で会議をしたり、四人で映画を観たりした商業施設だ。映画を観て昼食をとったあと、確かに二人で行動していた。それを見られていたのかもしれない。
「それにはいろいろ事情があってだな——」
それからオレは事の顛末について説明した。冬弥と白瀬さんをくっつけようとしていること、その過程でオレと夏帆が二人で行動することになったこと。
「随分面白いことになっているんですね」
秋山さんは納得してくれたどころか、面白がってさえいた。
「ああ、だからなつ……斉藤さんはただの友達だ」
この噂がどれくらい広がっているのかは分からないが、一先ず秋山さんの誤解を解くことには成功したようだ。一安心したところで、オレは今日の冬弥との会話を思い出す。
「ただな、冬弥は断る気でいるらしい」
このことはオレの中だけに留めておこうと思っていたが、唐突に秋山さんに相談してみたくなった。彼女なら絶対に漏らさないという信頼感もあった。
「そうなんですね」
秋山さんも少し悲しそうだった。
「どうすればいいと思う?」
「遠藤くんはどうなって欲しいんですか?」
「オレはどんな結果になっても、どちらも傷つかなければいいと思ってる」
秋山さんは少し笑う。
「随分な無茶を言うんですね」
それから秋山さんは、本を閉じて両手をその上に揃えて置き、こう呟いた。
「答えは、問題にとって不幸である」
オレはその言葉を聞き、少し咀嚼してから立ち上がった。
「……誰の言葉だ?」
「私のです」




