練習
月曜から、運動会の練習が始まった。まだこの週は、放課後に各ブロックが自主的に練習を行うという体であり、本格的な練習はさらに次の週から始まる。昼休みには、運動会の委員に選ばれた人が慌ただしく教室を出ていき、オレの知らないところで、運動会は着々と近づいているようだった。
オレと冬弥は食堂へ行き、オレは唐揚げ定食を注文する。冬弥はいつものお手製弁当である。
「いま思えば、春樹、お前、いろいろ謀ってたんだな」
「なつ……斉藤さんに頼まれてな」
冬弥はすでに、オレたちが白瀬さんとくっつけようと画策していたことに気付いているようだった。夏帆の行動もかなりあからさまだったし、無理もない。
「それで、その後はどうだ、なんか進展があったか」
「また今週の日曜日に誘われてな。二人で遊んでくるよ」
「そりゃよかった」
オレはキューピットの才能はあるのかもしれない。そう安心していた時だった。
「いたいた、おい遠藤」
箸を止め振り返ると、立っていたのは、一組の赤ブロック幹部、鳴海翔だった。柔道部らしく、がっちりとした体つきだが、オレよりも身長は小さい。長身でスラっとしている冬弥とは対照的だ。
「どうした?鳴海」
「お前はブロック対抗リレーのメンバーに選ばれた。おめでとう」
そう言って鳴海は握手を求めてくる。オレはそれを見ながら、頭にいくつもの疑問が浮かぶ。
「なんでだ、神崎とか陸上部がいるだろ」
「……知らないのか?陸上部は各ブロック、男女二人ずつまでしか走る競技には出せないんだよ。三年と二年の陸部が出ることになっているから、神崎も出ない」
初耳だった。
「そうなのか……」
確かに、陸上部が無制限に出れるようにしてしまうと、陸上部が多いブロックが圧倒的に強いことになってしまう。考えてみれば当然のルールだ。
「お前には一走を任せたいと思ってるんだ、いけるか?」
一走という大役にオレは返事をためらうが、これは断れるものでもないだろう。
「わかった」
そう言ってオレは手を伸ばし握手に応じた。
「ナイス遠藤!今日の放課後から早速練習があるからグラウンドに来てくれ」
「わかった」
そう言って鳴海は慌ただしく何処かへ行ってしまった。
「……よかったじゃないか春樹」
冬弥はそう言いつつ、少し悔しそうだ。
「一走はさすがに心理的にキツイけどな」
今後の放課後は運動会の練習で忙しくなるから、部活に行くのは遅れるかもしれない。秋山さんにメッセージしておこう。
*
宝彩高校のグラウンドは、サッカーコート約三面分の広さがある。野球の内野を除けば全面が人工芝化されていて、公立高校としては異例の環境といえる。これもおよそ百五十年の歴史を持ち、地域の顔として歩んできた宝彩高校だからだ。放課後、グラウンドに行ってみると、既に競技ごとに集まっていたようだった。オレもブロック対抗リレーの集団に合流したが、知り合いは全くいない。いるとすれば、取りまとめ役としてみんなの前に立っている鳴海だけだ。
鳴海は拡声器を持つ。
「全員集まったようなので。いまから練習を始めまーす。今日はとりあえず試走会ということで、当日の流れを確認しながら実際に走って戦ってみたいと思いまーす」
ということは、今日で各チームの大まかな戦力が分かるということだ。今後の練習のモチベーションにも関わってくるだろう。
みんなで入場から整列までの確認をした後、いよいよ試走という段になった。運動会では一周四百メートルのトラックが用意され、一人半周の二百メートルずつ走ることになる。オレは五十メートルでもかなり息切れしてしまっていたから、その四倍の距離はキツイかもしれない。
オレはスタートの位置に着き、合図を待つ。その時、隣に立っていた青ブロックの生徒が話しかけてきた。
「君が遠藤くんでしょ?」
少し癖のある茶髪のマッシュに程よく焼けた整った顔立ち。全体的にスリムだが、明らかに運動をしているという引き締まった体だ。そう言えば冬弥が、六組にすごいイケメンがいると話していたのを思い出した。
「僕は六組の橘結希だよ。よろしく」
握手を求められ、オレは応じる。とてもさわやかな男子生徒だ。
「オレのこと知ってるのか?」
「そりゃ知ってるさ。宝彩模試の学年一位じゃないか」
案外オレの名前は広まっているのかもしれない。少し億劫だ。
「一走、一緒に頑張ろうね」
「ああ」
とはいえ、一走という大役に同じ一年生が居るのは心強かった。
「では位置に着いて下さーい」
合図があり、一走者は各々スタートの準備をする。今気づいたが、トラックの周りには観戦している人がかなりいる。
「よーい」
次の瞬間、ピストルが鳴り、オレたちはいっせいに足を踏み出す。二百メートルでも、基本的には五十メートルと同じ要領で走ればいいはずだ。前傾姿勢を意識し、加速する。自然に体が起き上がってきたら、リラックスし、トップスピードを維持する。しかし、三十メートル地点でも四ブロックは横一線だ。耳のすぐ横で風を切る音と、三人の息遣いが聞こえる。五十メートルの地点でカーブに入り縦一列となるが、オレはスタートが最も外側だったこともあり、最後尾に位置していた。すぐ目の前は橘だ。そのまま誰も離されることはなく、百五十メートル地点に到達し最後の直線に入る。橘は全くスピードを落とすことなく爽快に走り続けている。そしてオレは、自分が激しい息切れを起こしていることに気付き、全身に力が入る。その瞬間、少しずつ橘との距離は離れていき、オレは最下位で第二走にバトンを渡すことになった。
オレはゴールした後その場で座り込み、息を必死で整える。予想はしていたが、五十メートル走とは比較にならないほどのキツさだ。
「お疲れ様、遠藤くん」
橘はオレの肩に手を置き労う。息切れはしているが、澄ました顔をしている。
「……橘は……何部なんだ……?」
細切れにオレは質問をする。
「僕はサッカー部なんだ。だから体力にはある程度自信があるんだ」
オレは起き上がり、腰に手を当てる。
「にしても、黄色と赤ブロックの一走者、速かったね。なんでもバスケ部と野球部の先輩らしいよ」
文芸部のオレが一時横並びだったというだけでもきっと上出来だろう。
「だから一走はその二人と、僕たち二人の戦いになりそうだ。遠藤くん、本番も頑張ろう」
「……ああ」
橘は勝ち誇ることなく爽やかにオレの肩を叩く。性格までイケメンらしかった。
とにかく、このままではダメだとオレは思った。休日はジョギングしているといっても、長距離に求められる持久力と、短距離に求められるそれは違うものらしい。本番に恥をかかないように、個人的に練習をしておこう。
結局その後、赤ブロックは巻き返し、二位で終わることになった。一位は青ブロック、三位は黄ブロック、四位は白ブロックだった。そしてこれは今日知ったことだが、陸上部の走順は決められていて、中盤に固められているらしい。つまり陸上部と競わされることは無いということだ。そしてアンカーは各ブロックのブロック長が務めることになっている。赤ブロックのブロック長はラグビー部なので、ひとまずは安心といったところだ。
*
いつもより一時間ほど遅れて文芸部室を訪れると、そこには秋山さんがジャージを着て本を読んでいた。秋山さんも練習のあとらしい。
「お疲れさまです。遠藤くん」
秋山さんは本を閉じ、立ち上がってお茶を淹れる。
「ああ、お疲れ」
今日は本当に疲れた一日だった。この部室に来た途端、疲れがどっと押し寄せそれを実感した。
「さっきのリレー見ましたよ。負けてましたね」
秋山さんはふふと笑う。
「周りが運動部ばっかりなんだ。文芸部員のオレが食いついてただけでも大健闘だろ」
「まぁ相手が橘くんなら、仕方ないかもしれませんね」
秋山さんは煽るような物言いでオレにお茶を差し出す。オレは感謝を伝えながら、少しムッとする。そう言えば秋山さんは橘と同じ青ブロックだった。
「そういうお前はどうなんだ?」
秋山さんは席に着き、一口だけお茶を飲む。
「私は今日は騎馬戦の練習でしたね。戦ったわけではありませんが」
秋山さんなら体格も小さめなので、きっと騎手だろう。
「それになんと、作戦立案を任されることになりました」
得意げにコップを置く。
「へぇ、そりゃ楽しみだな」
騎馬戦は、その存在を知りつつも今までやったことはないので、どんな戦略があるのか分からない。ただ、戦略性の高い競技だろうことは十分に察せられる。秋山汽船の経営者の一人娘なのだから、軍師としての才能はあるのかもしれない。
オレと秋山さんは本を手に取り、各々読み始める。オレはこの放課後の時間をひどく気に入っていた。西向きの窓からは夕日が射し、部室を照らしている。外からは野球部のノックの掛け声や、吹奏楽部の奏でる音楽や、陸上部のピストルの音が日替わりで聞こえてくる。二人は黙って本を読み、時々、秋山さんが読んでいる本の内容について話をする。電車の時間になると、オレは先に挨拶をして部室を出る。秋山さんは車で送迎をしてもらっているから、最終下校の時刻まで残り、職員室に鍵を返してから帰るらしい。




