体力測定
現在の体育の授業では、体力測定を行っている。シャトルラン、ソフトボール投げ、握力、柔軟、腹筋などなどを計測し、自分の運動能力を点数によって可視化するイベントだ。特に運動の得意な生徒にとっては、誰の運動神経が一番いいのかを競い、運動能力に関しての序列が決まる大事な授業である。
ただ、今日の種目に対しては、男子生徒はいつも以上にいきり立っていた。今日測定されるのは五十メートル走。純粋な速さによって勝敗を決めるこの種目は、運動の得意な男子にとっては、握力などに比べて勝ったときの心理的優越感も大きい。さらに今回に限ってはそれだけではなかった。来月に迫った運動会の花形種目、ブロック対抗リレーの一年生代表をこの五十メートル走のタイムを基に決めるとのことだったのだ。
「選ばれるのは誰だろうな」
隣で準備運動をする冬弥はまさしくその筆頭だろう。今のところの体力測定でも高い点を獲得している。
「冬弥も候補の内の一人だろ」
「まさか、俺は筋肉はあるけど瞬発力はてんでダメなんだ。お前こそ候補だろ、シャトルランも結構できてたじゃないか」
オレのシャトルランは百二回、休みの日はジョギングをするようにしているから、それなりに走ることができた。ただ、それ以外の種目ではほとんど平均だった。
「オレも持久力には自信はあるが、瞬発力は分からないな」
オレと冬弥以外に、足の速そうなクラスメイトを考えてみる。
「選ばれるとしたら、やっぱり神崎じゃないか?陸上部だしな」
クラスメイトの神崎徹は陸上部で百メートルを専門にしているらしい。
「まぁ神崎は確定だろうな、ただ一年からは男子は二人選ばれることになってるから、十分あり得る」
運動会は一学年十二クラスのなか、学年ごとに三クラスずつ四つのブロックに分かれ競うことになる。オレたちの一組は、二組、三組とともに赤ブロックに配属された。ブロック対抗リレーは各学年から男女二人ずつ、合計十二人で戦うことになる。冬弥もさっきは謙遜していたが、口ぶりから察するにその枠を狙っているようだった。
体育の先生の指示によって、五十メートルのスタートラインに並ばされる。宝彩高校は陸上部が強豪ということもあり、百メートルのタータンが整備されている。これほど恵まれた環境で体力測定を行う高校もなかなかないだろう。
先生の指示によれば、走る相手は三人ずつで自由に決めていいらしい。オレは冬弥ともう一人適当な生徒を誘ってスタートラインに立つ。そこでオレはある作戦を思いつく。
「なぁ冬弥。一つ勝負をしないか?」
冬弥は訝しげな表情を見せる。
「お前がそんなこと言い出すなんて珍しいな」
「気配切りのリベンジってところだ」
「勝ったら何をくれるんだ?」
「相手になんでも一つ言うことを聞かせられる」
「なるほどな、受けて立つ」
冬弥にもスイッチが入ったようで、大きくジャンプをして見せる。身長が大きい分、隣で動いたときの存在感は絶大だ。走っている途中も気圧されないように気を付けなければいけない。
「位置について!」
スターターの合図でオレたちはスタンディングスタートの姿勢をとる。五月上旬の昼間は既に蒸し暑く、風が涼しいくらいだった。
「よーい!」
次の瞬間、ピストルが鳴らされる。オレたちは一気に足を踏み出し、スタートを切る。短距離走のコツは、まずは前傾姿勢を維持することだ。焦ってゴールを見ようとして、体を起こすと加速が鈍ってしまう。自然と体が起き上がってきたら、リラックスして六十メートル付近を目指して走り続ける。五十メートルをゴールとして見定めてしまうと、無意識にその手前からブレーキがかかってしまうからだ。
オレは一着でゴールする。そのすぐ後ろに冬弥、そしてさらに後ろにもう一人の別の生徒という順番だった。
「遠藤!六秒八!」
体育教師がタイムを読み上げる。
「田中!七秒一!」
冬弥は息をほとんど切らさずオレの肩を叩いてきた。オレはというと、膝に手をつき息を整えていた。シャトルランとはまた別の持久力が求められているのかもしれない。
「お前、足速いじゃねえか」
「……さすがに疲れた。お前の足音が……怖すぎたよ……」
後ろから迫る巨体の足音は、ほとんど巨人に追われているような感覚だった。
「で、俺に何をしてほしい」
「そうだな……」
オレは今考えている素振りを見せるが、お願いする内容はこの勝負を挑んだ時点で既に決めていた。
「今度の日曜、暇か?」
「まぁ暇だけど」
息が整ってきたところでオレは体を起こして、冬弥と歩き出す。
「斉藤さんと白瀬さんに遊びに誘われてるんだが、男子一人じゃ行きづらくてな。一緒に来てくれないか?」
冬弥は驚いた表情を見せる。
「別にいいが……お前、なかなかやるな。女子に遊びに誘われるなんて、しかも二人に」
無論、二人の目的は冬弥であって、オレはキューピット役に過ぎない。が、そのことを伝えると冬弥が白瀬さんと話し辛くなると思い、あくまで誘われたのはオレという体で話を進める。
「まぁな。じゃあ決まりだ」
すべての生徒が測定を終え、タイムが出揃う。下馬評通り、オレのクラスで一番早かったのは神崎で、六秒四というタイムだった。オレはそれに次ぐ二位となったが、神崎以外に他のクラスにも陸上部はいるだろうから、リレーメンバーに選ばれる可能性は低いだろう。冬弥は四位だったが、その他の種目でも高得点を取っているから、体力測定全体ではオレは冬弥に敗北を喫するだろう。
*
放課後、いつものように文芸部室で本を読む。今日は火曜日なので、一時間だけ九条部長兼生徒会長も居た。
「遠藤は何ブロックになったんだ?」
部長はクイっと眼鏡を上げる。部長は部室に居ても全く本は読まず、勉強をしながら雑談に興じることが多い。
「オレは一組なんで赤ブロックになりました。二人はどうなんですか?」
「俺も赤ブロックだ。よろしくな」
部長は立ち上がって握手を求めてきたので、オレもそれに応じる。
「秋山さんは?」
「私は四組なので青ブロックです。敵ですね」
何故か嬉しそうに笑っている。悪役みたいだった。
「話によれば、今年の赤ブロックは運動部が少ないらしい。とりわけラグビー部が少ないから、騎馬戦と棒倒しは苦戦を強いられるかもな」
そんな種目もあるのか。オレはほとんど運動会について知らない。
「運動会ってどんな種目があるんですか?」
「そうだな……男子だけあるのは棒倒し、女子だけあるのは綱引き。あとは男女別で騎馬戦といろいろ走る系のやつだな」
かなり体を酷使しそうな競技ばかりだ。
「演技系のやつは何があるんですか?」
「男子は組体操、女子はダンスだな。それに全体で応援コンテストもある。ただこれらも先生方に採点されるから、競技の一つだな」
「なるほど……」
一通り種目を聞いてみたものの、見たことが無いのでまだあまり想像がつかなかった。
「運動会は六月初週の土曜日にあるから、練習はその二週間前の五月後半から始まる。が、普通はどのブロックも五月中盤から練習を始めるから、来週からは始まるだろうな。覚悟しておけよ」
部長は脅し口調でにやりと笑う。そんなに大変なのか。
「花形は何になるんでしょう?」
秋山さんがそう質問をする。見かけによらず、運動会を楽しみにしている人の一人だ。
「まぁ最後のブロック対抗リレーだろうな。去年はそのせいで俺のブロックは逆転負けしたんだ」
部長は思い出すかのように目を閉じ、口を真一文字に結ぶ。
「ふふ、楽しみです」
秋山さんはきっと、勝つことよりも楽しむことを目的としているタイプだろう。
運動会まで残り一か月、この前、既に運動会関連の役職は決めたので、見えないところでは既に準備が進んでいるようだった。オレはというと、何の役職にもつかず、運動会そのものもよそに、今週末のキューピット作戦のことばかりを考えていた。




