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第92話:紙一重の生還

大蛇の巨体が泥に沈み、源流の空間から一切の駆動音が消え去った。


滝の水音だけが、まるで何事もなかったかのように周囲に響き渡っている。


数秒前までの、一歩間違えれば命を落としていた極限の緊張感。


それが終わったのだという実感が、泥を吸った重い防具の重みと共に、二人の身体へ一気にのしかかってきた。


「……はぁ、はぁ、……終わっ、た……のか?」


ドウラが大斧の柄を両手で握りしめ、体重を預けたまま、地面の血だまりを見つめて呟く。


全身の筋肉が乳酸で焼き切れるように熱く、指先一つ動かすのすら億劫だった。


「ああ。……完全に動きが止まった。俺たちの勝ちだ、ドウラ」


ゼロは短く息を吐き出し、深く槍を地面に突き立てた。


頬を伝う血が顎から滴り落ちるが、それを拭う気力すら残っていない。


「……おい、ゼロ」


ドウラが泥まみれの顔を上げ、視線だけで相棒を見た。


「お前、よくあの状況で俺を信じて『付いてこい』なんて言えたな。もし俺が泥に足を取られて遅れてたら、お前、あの化け物の牙に真っ二つにされてたんだぞ」


「言ったはずだ。お前の大斧の威力が必要だってな」


ゼロは僅かに口元を緩め、呼吸を整えながら答えた。


「それに、里での修行を誰よりも愚直に続けていたお前なら、あの泥の中でも絶対に最高の足運びができると分かっていた。確信がなきゃ、あんな心中みたいな真似はしない」


「……へっ、買い被りすぎなんだよ、冷静沈着な優等生サマが」


ドウラは毒づきながらも、どこか誇らしげに鼻を鳴らした。


互いの実力を誰よりも理解し、信頼し合えたからこその勝利。


二人の間には、言葉にせずとも確かな絆が刻まれていた。


「……よくやった、若造ども」


泉の中から、脇腹を押さえたジンが、苦渋に満ちた、けれど誇らしげな笑みを浮かべて歩み寄ってきた。


大蛇の突進を受け止めて水面に叩きつけられた衝撃は凄まじく、まだ足元が僅かに揺れているようだったが、その眼光には戦士長としての威厳が戻っていた。


「ジンの旦那! 生きてたのかよ!」


ドウラが慌てて立ち上がろうとするが、膝が笑って上手く力が入らない。


「フン、この程度でくたばるか。だが、お前があの状況で踏ん張りきらなければ、今頃全員あの化け物の腹の中だったろう。見事な一撃だった」


ジンは無骨な手でドウラの肩を叩き、それから視線を周囲へと巡らせた。


斜面の方では、ゲンもまた痛む全身を抑え、ゆっくりと立ち上がってこちらへ歩み寄ってくる。


大蛇に締め上げられて意識を失っていたが、致命の前にドウラたちが大蛇を仕留めたおかげで、五体満足で生還することができた。


「いやあ、面目ない。あの速度を地形の罠で潰されるとはね。……位置取りだけで私の動きを完全に先読みするとは、ゼロ、君の観察眼には恐れ入ったよ」


ゲンが苦笑しながらも、感心したようにゼロを見つめる。


ゲン班全員が文字通り満身創痍、一歩間違えれば全滅していた、文字通りの紙一重の勝利だった。


「他の者も…無事か。起こせ……アレをさっさと片付けるぞ。このままほっといたら二次災害だ…」


苦笑するジンの号令の下、悲鳴をあげる身体にムチをうちながら、彼らは源流を赤く染める大蛇片付けはじめた。


「終わったなら長居は無用だ、合流ポイントへ戻るぞ」


彼らは互いの身体を支え合いながら、帰路への一歩を踏み出した。

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