第91話:完璧な連動
泉の水面が、大蛇の不気味な呼吸に合わせて小さく波打つ。
流れる血で赤く染まった大蛇が大きく息を吸い込んだ。次の一撃で、完全に二人を屠るつもりの挙動。
「ドウラ、俺が奴の『檻』を崩す。お前は俺の背後、一歩も遅れずに付いてこい」
「死ぬなよ、ゼロ!」
大蛇が動いた。正面から圧倒的な質量で二人を圧殺するための突進。
その巨大な顎が、まずは先頭のゼロを込み込もうと迫る。
と同時に、大蛇の尾がゼロの右側を遮るように、凄まじい速度で地面を滑った。
ゼロの移動経路を奪い、泥濘の深みへと追い込むための、完璧な野生の罠。
ゼロは動かない。牙が眼前に迫るその瞬間まで、完全に肉体を静止させた。
正式な反撃の瞬間を待つのだ。
そして──。
ゼロは大蛇の狙い通り、あえて移動を制限された泥濘の深みの方向へと鋭く跳んだ。
大蛇の意識が、完全に「仕留めた」と確信したその刹那。
ゼロは着地寸前、泥の手前にある小さな岩の角を槍の石突きで強く弾いた。
泥濘の修行で培った、極限の身体制御。ゼロの肉体は、底なしの泥に落ちる直前で強引に右方向へと軌道を反転させた。
大蛇の野生の予測が、生まれて初めて完全に狂う。
ゼロの経路を塞ぐはずだった胴体の防壁がガラ空きになり、大蛇の巨大な頭部が、誰もいない泥の中へと激しく突っ込んだ。
「ギ、チぃ!?」
突進の慣性を殺しきれず、大蛇の長い胴体が、ゼロの真横へと無防備に晒される。
「ドウラ、今だッ!! 右斜め後ろ、奴の反転の起点を断て!!」
ゼロの鋭い咆哮が、戦場に響き渡る。
その背後から、影のように飛び出したのはドウラだった。
パニックに陥った大蛇が、慌てて身体をくねらせてドウラを迎え撃とうとする。
だが、その動きは、すでにゼロの槍によって完全に潰されていた。
ゼロの槍が鋭く閃き、大蛇の残された右目を正確に穿ったのだ。
これまでの散発的な攻撃とは違い、大蛇の迎撃行動が完全に止まった瞬間を捉えた、深く、確実な一撃。
「ギチィィィアアアアッ!?」
激痛に大蛇の巨躯が大きくのたうち、二人の動きを縛っていた肉体の檻が完全に崩壊する。
大蛇の重心が、完全に死んだ。
その決定的な一瞬を、ドウラは見逃さなかった。
足元をすくう最悪の泥濘。
本来なら踏ん張りが利くはずのない難所。
だが、ドウラの肉体には、これまでの過酷な修行で叩き込まれた重心の制御が、完全に染み付いていた。
足の指先が確実に泥の底の岩を捉え、腰から背中、精度を極めた両腕へと、一切のブレなく力が伝達していく。
「これで……終わりだぁああっ!!」
ドウラが咆哮と共に、大斧を振り下ろす。
力任せの乱暴な一撃ではない。
刃が最も威力を発揮する角度──これまで浅く弾かれ、威力を殺されてきた大蛇の鱗に対して完全に「垂直」となる、寸分の狂いもない刃筋。
──ドッ、パンッ!!!
丸太を巨大な鉄塊で破砕したような、凄まじい衝撃音が源流の空間に轟いた。
完璧なフォームから繰り出された一撃は、それまでの浅い傷とは一線を画し、大蛇の頑丈な硬鱗を正面から叩き割り、その奥にある分厚い肉、そして太い骨ごと、胴体の半分を深く叩き斬った。
「ギ...、ァ……ッ……」
大蛇の巨躯から完全に力が抜け、ドサリと、泉の波打ち際へと崩れ落ちた。
溢れ出た大量の鮮血が、澄み切っていた泉の水を一瞬で赤黒く染めていく。
静寂が、三度周囲を包み込んだ。
戦いの終わりを告げる、本物の静寂だった。
「……はぁ, はぁ、はぁ……」
ドウラが大斧を地面に突き立て、激しい呼吸のままその場に膝をつく。
両腕は疲労と反動で激しく震えていた。
ゼロもまた、頬から血を流しながら、静かに槍を収める。
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