第68話:牙を剥く霧
リュウイチが放った言葉とほぼ同時に、霧の奥から這い出してきた影は、一頭や二頭ではなかった。
それは、湿地帯のぬかるみを進んできた大蜥蜴の群れだった。
赤黒く濁った瞳が、霧の向こうで無数に明滅する。
「まともに相手をするな! 数が多すぎる!」
ゲンが鋭く叫び、腰の短刀を抜くと同時に、周囲の太い蔓を一本叩き切った。
「リュウイチ、左の斜面だ! 巨木の根の隙間に獣道がある、そこへ誘導しろ!」
「わかった! ──全員、俺の足音に続け! 1歩も遅れるな!」
リュウイチの聴覚が、うねる大蜥蜴たちの這いずる音と、霧の奥にある僅かな空間の広がりを完全に捉えていた。
ゲンとリュウイチの二人が先頭に立ち、互いにサインを交わしながら、的確に群れの裏をかくルートを選定して一行を導いていく。
一方で、背後から迫る執拗な追撃を食い止めるため、即座に殿が形成された。
「テツ、森の民を連れて左右を固めろ! ここは通さん!」
ゼロが引き締まった声で叫び、愛用の槍を構える。
その言葉に応じるように、テツ、そして槍を手にした里の精鋭たちが、一糸乱れぬ動きで防衛線を敷いた。
元より冷静沈着なゼロとテツ、そして実戦慣れした森の民の戦士たちだ。
彼らはリーチの長い槍を霧の奥へと突き出し、隘路へ突っ込もうとする大蜥蜴たちの出足を、最小限の動きで確実に潰していく。
「抜けるぞ、踏ん張れ!」
前方をゆくゲンの声と共に視界が急に開け、一行は森の中にぽっかりとある、少しボコボコとした歪な広場へと滑り込んだ。
殿を務めていたゼロたちも、敵を十分に引き付けた後に鮮やかに後退し、広場へと合流する。
だが、彼らが稼いだ僅かな時間をも食いつぶすように、大蜥蜴たちが執拗に広場へと現れた。
息を整える間もなく、先頭の一頭が凄まじい勢いで突進してくる。
その標的となったのは、ドウラだった。
「ドウラ、退け!」
レイジが叫び、前に出ようとする。
だが、ドウラは逃げなかった。
大蜥蜴の突進に対し、自ら進み出るようにして正面から立ち塞がる。
その表情に、かつての怯えはない。
一週間の過酷な修行が、彼の肉体と精神を完全に変えていた。
「──俺様を舐めるなよ。今なら、いける」
ドウラは低く身構えると、愛用の大斧をどっしりと構えた。
異能こそ宿っていないものの、師匠の下での血のにじむような訓練により、彼の身のこなしと武器の扱いは見違えるほど鋭くなっていた。
無駄のない洗練されたフォームから、大斧が振り下ろされる。
ドォォォンッ!!!
大蜥蜴の頭部へ、ドウラの大斧が正確無比に炸裂した。
一週間の修行で極限まで高められた純粋な身体能力と戦闘スキルが、大蜥蜴の突進の威力を完全にねじ伏せ、その巨体を一撃で地面へと叩き伏せた。
地響きを立てて動かなくなる一匹目。
「……なっ!?」
里の戦士長であるジンが、驚愕に目を見開く。
森の民の精鋭たちですら正面から受けるのを躊躇する大蜥蜴の突進を、異能も使わず、ただの戦技だけで完璧に叩き潰してみせた。
しかし、群れはまだ止まらない。
ドウラの左右をすり抜けるようにして、さらに二、三匹の大蜥蜴が牙を剥いて躍り出てくる。
「次が来るぞ!」
ドウラが大斧を構え直しながら叫ぶ。
「よくやった、ドウラ! ──レイジ、合わせろ!」
カイの右腕が、待ってましたとばかりに激しい熱を帯び、パチパチと青白い火花を炸裂させる。
「おうよ!」
突進してくる二匹目の足元へ、レイジが電光石火の踏み込みで滑り込み、その前脚の関節を鮮やかに切り裂いた。
バランスを崩し、大きく姿勢を崩した二匹目の脳門へ、カイが跳躍の勢いを乗せた拳を真っ直ぐに叩き込む。
暴走ではない。
完全に制御された、一転集中の衝撃波。
ズガァァァンッ!!!
強烈な閃光と爆音が広場に響き渡り、二匹目の巨体が激しく吹き飛んで、背後にいた三匹目を巻き込みながら地面へと激突した。
完全に制御された異能と、無駄のない二人の連動。
その一撃で、躍り出てきた大蜥蜴たちはまとめて物言わぬ肉塊へと変わった。
残りの大蜥蜴たちも、一行の圧倒的な実力に恐れをなしたのか、蜘蛛の子を散らすように霧の奥へと逃げ去っていく。
「はぁ, はぁ……。やった、か?」
レイジが武器を引きながら息を吐く。
ジンをはじめとする森の民の戦士たちは、ドウラの圧倒的な戦技と、若者たちの隙のない見事な連携に、完全に言葉を失っていた。
ゲンもまた、ふっと口元を緩め、彼らの実力を認めざるを得ないといった様子で頷いた。
「見事な連携だ。だが、騒ぎが大きすぎた。すぐにここを離れるぞ」
ゲンの促しにより、一行は武器を収め、再び移動を開始した。




