第9話 止められたあと
レグルは、ユイがあの案件を見ていたことに驚かなかった。
その理由を確かめるため、シンは相談記録ではなく、ユイの死亡案件に残された「死亡前の接触記録」を正式な手続きで開く。
記録されていたのは、ユイが死ぬ前に行われたレグルとの面談。
そこでユイは、すでに複数のAXIA案件を並べ、何かを追っていた。
そしてレグルも、それを知っていた。
レグルの指示は、その日のうちに記録になった。
通知として届いた文面は、短かった。AXIAの相談記録を用いた、担当外の過去案件の比較および調査を行わないこと。末尾に、管理者の名前が添えられている。
シンは三度読んだ。口で言われたのは「この件は、これ以上追うな」だった。書かれているのは、それより狭い。止められているのは、相談記録を使った比較と調査で、レグルが理由として挙げたのもそこだった。記録の向こうには、相談者がいる。
ユイの死亡案件の記録は、相談者のものではない。
そう考えかけて、シンは立ち止まった。口頭の方が広い。広い方が本意なら、狭い文面に寄りかかるのは、抜け道を探すのと変わらない。けれど、どちらが本意なのかを決めるのは、自分ではなかった。自分で決めなくていい形で出せばいい。正規の手続きを通して、審査を受ける。通らなければ、そこで止まる。
確かめたいことは、一つだった。
レグルは、ユイがあの案件を見ていたことに驚かなかった。普通の説明なら、すぐに思いつく。管理側は、担当外の閲覧を確認できる。ユイの閲覧記録を見て、知っていたのかもしれない。それなら驚かない。ただ、それでは、いつ知ったのかが分からない。ユイが死んだあとなのか、前なのか。
前だったなら、どこかに記録が残っているはずだった。
確定済みの死亡記録には、参照履歴の一覧のほかにも、関連記録がいくつか付随している。そのうち、照会をかけて審査を通らなければ開けないものがあった。ユイの案件では、その中に、死亡前の接触記録という項目がある。何度も目にしていた一行だった。目にして、通り過ぎていた。
シンは照会を書いた。対象は、死亡前の接触記録。目的の欄には、故人の死亡案件に付随する関連記録の確認、とだけ書いた。管理者の指示との関係を問われたら、そのまま答えるつもりだった。
送信して席に戻ると、ミオが顔を上げた。
「呼ばれてたね」
「指示を受けた」
「何の」
「相談記録を並べて調べるな、って」
「やめるの」
「相談記録では、やめる」
ミオは手を止めた。
「今、『では』って言ったね」
シンは少し考えてから答えた。
「別のものを、手続きを通して確認する。通らなければ、そこまでだ」
「それ、止めた人が聞いたら、どう思うかな」
「聞かれたら、そのまま言う」
ミオはそれ以上は言わなかった。自分の画面に目を戻し、しばらくしてから、何でもないことのように付け足した。
「通らなかったら、ちゃんと止まってね」
「止まる」
返事が来たのは、別の相談を二件こなしたあとだった。
通知には、照会の許可と、閲覧は記録管理の窓口で行うことだけが書かれていた。窓口にいたのは、落ち着いた話し方の女性の職員だった。カウンターの奥に、小さな端末が一台、用意されている。
「審査を担当しました」
職員は最初にそう言った。
「手続きの適否を見る審査です。記録の中身について判断するのは、私の仕事ではありません」
「はい」
「今回は、記録にAXIAの管理者が当事者として含まれています。そのため、AXIA側の審査経路は通さず、こちらで見ました」
シンは、その言葉を頭の中で一度ひっくり返した。当事者として含まれている。名前が出てくるだけではなく、そこに座っていた、という意味だ。
「もう一点、確認させてください」
職員は書類から目を上げた。
「この照会は、AXIAの管理者から出ている指示と関係がありますか」
「あります」
シンは即答した。
「指示の対象は、相談記録を使った比較と調査です。この照会の対象は、故人の死亡案件に付随する関連記録です。俺は、別のものだと考えています」
「その区別が成り立つかどうかは、私が判断することではありません」
職員の声は平らだった。
「ただ、成り立たなかった場合の責任は、あなたにあります」
「分かっています」
職員は頷き、端末を彼の方へ向けた。
「写しは取れません。必要なら、メモはどうぞ」
記録は、書き起こしだった。
自動で作られたもので、無言の長さが秒で併記されている。冒頭に、出席者と目的が並んでいた。出席、レグル、ユイ。目的、AXIA相談記録の参照状況について。日付の欄には、ユイの死より前の日付が入っていた。ELPISの受付票に書かれていた来訪日よりも、前だった。
シンは、最初の一行を読んだ。
レグル:お忙しいところ、すまない。
ユイ:いえ。AXIAの管理者さんに呼ばれるなんて、俺、何かやりました?(笑)
声が、聞こえた気がした。
レグル:確認したいことがある。君は最近、AXIAの過去の相談記録を、複数の案件にわたって参照している。
ユイ:してます。正規の照会で。
レグル:知っている。一件ずつは、すべて規定の範囲内だ。(間 三秒)問題は、並べていることだ。
シンは、そこで一度、画面から目を離した。あの日、自分も同じ線引きを聞かされた。言葉は違っても、線が引かれている場所は同じだった。
ユイ:並べちゃダメですか。
レグル:ダメだとは言っていない。相談記録は、相談者が自分の人生を決めるために預けたものだ。調べる側の材料として預かったものではない。
ユイ:でも、規定上は――
レグル:アクセスの適法性と、その使途の正当性は別の問題だ。
ユイ:つまり?
レグル:見られることと、見ていいことは別、ということだ。
ユイ:ああ。耳が痛い。(笑)
ユイは、言い換えを自分から頼んでいた。意味が分からなかったわけではないだろう。聞き返した方が早い、と思っただけだ。そういう男だった。
レグル:君が特に繰り返し開いている案件がある。内陸の地方都市への移転を検討した、四十代の男性の、生活拠点の相談だ。
シンの指が、止まった。
ユイ:……よく見てますね。
レグル:こちらからも見える。
ユイ:そっか。隠れて見てたつもりはないけど、見られてたって知ると、ちょっと嫌な感じですね。(笑)(間 二秒)あの案件、普通なんですよ。MIRAの第一推薦は合ってる。本人も、残る方を選んでる。普通なのに、残ってるんです。
レグル:何が残っている。
ユイ:……言っていいのか、分かりません。
レグル:君の判断は正しい。ここは、記録が残る場所だ。
普通なのに、残っている。あの案件を初めて開いたとき、自分が画面の前で思ったことと、ほとんど同じだった。ユイは、先に同じところに立っていた。
ユイ:結論から言うと、偶然じゃないと思ってます。あの案件だけを見て、そう思ったわけじゃないです。
レグル:飛躍だ。
ユイ:飛びすぎって、よく言われます。ちょっと待ってください。そのカップと、そのペン、借りていいですか。
レグル:……何に使う。
ユイ:案件の代わりです。並べたいので。
レグル:元の位置に戻してくれ。終わったら。
ユイ:了解です。(笑)えーと、これが一件目。いくつか並べると、同じ方向に引っかかるところがあるんです。全部が同じって話じゃない。ただ、あの案件だけを例外として捨てるには、少し多い。だから、関連がある可能性はあるでしょ?
机の上の物を、案件の代わりに並べる。ユイは、ずっとそうだった。シンの席のカップも、何度、勝手に地域Aにされたか分からない。
レグル:そう見える材料はあるかもしれない。(間 五秒)結論は、君のものだ。当たっているとも、外れているとも、俺は言わない。
ユイ:言わない、ですか。言えない、じゃなくて。
レグル:言える立場にない。
ユイ:……それ、ほとんど答えじゃないですか。(笑)
レグル:答えだと思うなら、それは君の解釈だ。
シンは、この数行を二度読んだ。
ユイ:じゃあ、ここから先は、たぶん本題で。あの案件の裏にあるのは――
レグル:待て。
ユイ:はい。
レグル:それは、この場の記録に残す内容ではない。相談者本人の知らないところで、その人について推測したことを、記録に残すな。当たっていても、外れていても、同じだ。
ユイの言葉は、そこで切れていた。続きは、最初から書かれなかったのだ。
ユイ:……了解です。じゃあ、記録に残らないところで考えます。
レグル:その言い方は、記録に残る。
ユイ:ですよね。(笑)
レグル:要請する。AXIAの相談記録を並べる調査を、いったん止めてほしい。命令ではない。君は俺の部下ではない。だから、要請だ。
ユイ:理由は。
レグル:二つある。一つ、さっき言った通りだ。記録の向こうには、相談者がいる。二つ。君が何かを見つけたとして、それを、誰が、どう扱うのか。考えたことはあるか。
(間 十一秒)
シンは、画面の端の数字を見た。十一秒。ユイが、それだけの時間、何も言わなかった。
ユイ:……まだ、考えてないです。
レグル:考えていないなら、まだ止まれる。
ユイ:止まれない、と思います。
シンは、そこで気づいた。
(笑)の表記が、ない。
最初の数行では、三つ続いていた。カップを借りたときにも、ほとんど答えじゃないですか、と言ったときにも、あった。それが、あの質問のあとから、一つも出てこない。
ユイは、本当に怖いときにだけ、冗談を言わなくなる。シンはそれを知っていた。知っていたから、自動で書き起こされただけの文字の上にも、その沈黙が見えた。
レグル:この件を、誰かと共有しているか。
ユイ:いません。
(間 四秒)
ユイ:俺だけです。
レグル:回答は、今でなくていい。
ユイ:……考えます。
記録は、そこで終わっていた。末尾に、結果の欄があった。要請。本人は、回答を保留。
俺だけです。
その「だけ」の外側に、自分がいた。シンは、腹を立てる前に、ただ事実として読んだ。ユイは、自分に話さなかった。話さなかったことが、記録に残っていた。
いつ頃からか、ユイは仕事の話をしなくなった。軽口も減った。疲れているのだろうと思って、何も訊かなかった。
廊下に出ても、手元の紙は白いままだった。メモを取る気にならなかったし、取る必要もなかった。読んだ順番は、そのまま覚えていた。
シンは、確認できたことを数えた。
レグルは、あの日はじめて知ったのではなかった。ユイの生前に、二人は実際に会っていて、レグルはユイに調査を止めるよう求めていた。記録がそう言っている。噂でも、推測でもない。
止めた理由は、どれも筋が通っていた。相談記録の使い方。調べる側の都合と、預けた側の都合。見つけたものを、誰が、どう扱うのかという問い。自分が言われたことと、ほとんど同じだった。自分が言い返せなかったところまで、同じだった。
確認できないこともあった。レグルが、ユイの何を知っていたのか。ユイが、何を見つけていたのか。レグルは、当たっているとも外れているとも言わなかった。知っているから言わなかったのか、言える立場になかったから言わなかったのか。記録は、どちらとも言っていない。
そして、止められたことは、見つけたことの証明にならない。
頭では、分かっていた。
それでも、記録は順番を教えていた。面談が先で、あの部屋への来訪が、あとだった。
ユイは、止めるよう求められたあとで、人の話を聞きに行った。
何を見つけていたのかは、どこにも書かれていなかった。
(第9話 了)
ユイは、シンより先に同じ場所まで辿っていた。
複数の相談記録を並べ、偶然ではない何かを疑い、レグルから止まるよう求められていた。
そこで何を見つけていたのかは、記録には残っていない。
ただ一つ、残っている順番がある。
レグルに止められたのが先。
「選んだあとの人の話」を聞きに行ったのが、そのあと。
ユイは、止まらなかった。
『MIRA』
進学、就職、居住地など、人生の大きな選択を支援する推薦システム。「第一推薦」「強く非推奨」「許容」「条件付き代替案」などの評価を示す。新しい情報が加わることで、推薦順位や条件が変わる場合がある。
『AXIA(人生選択調整部門)』
MIRAの推薦と本人の希望が大きく食い違った際の相談窓口。本人に代わって答えを決めるのではなく、本人の価値や事情をMIRAが評価できる形で正確に伝える。
『VIA』
職員が業務上の記録や評価情報を扱うシステム環境。利用できる情報や操作の範囲は、所属や業務上の権限によって異なる。
『BOUND(境界監査)』
VIA内で、職員の権限や操作範囲が制度上許される範囲にあるかを監査する部署。シンによるAUX-17の全案件横断照会を停止した。
『ELPIS』
MIRAの推薦とは違う選択をした人などの支援に関わる人々や活動。シンが訪れた場所では、住居や手続きなど、選択後の生活を支える活動が行われている。
『内部評価』
MIRAが選択肢を評価する際に用いる内部情報。利用者向け説明には出ない参照や評価情報も含まれる。
『AUX-17』
内部評価に使われていた「補助評価参照」。詳細はシンの現在の参照範囲では確認できない。これまでに二件のAXIA案件で確認され、どちらも遠方への移転という第二候補に付いている。
『最終監査』
案件の確定に伴い、記録の保全や事後確認を行う処理。ユイの最終監査は死亡確認より三十四分前に始まっている。
『開始参照』
最終監査が何を根拠に開始されたのかを後から辿るための参照情報。ユイの記録では「詳細を表示できません」となっており、中身を確認できない。
『死亡前の接触記録』
確定済みの死亡案件に付随する関連記録の一つ。ユイの記録には、死亡前にレグルと行われた面談の書き起こしが残されていた。
『レグルからシンへの指示』
正式な文面では、AXIAの相談記録を用いた担当外の過去案件の比較および調査を行わないよう指示されている。
『ユイとレグルの面談』
ユイの死亡前に行われた面談。レグルは、ユイが複数のAXIA相談記録を参照し、特に一件の生活拠点相談を繰り返し見ていることを把握していた。
ユイは複数案件に「同じ方向に引っかかるところ」があり、偶然ではないと考えていた。レグルは調査をいったん止めるよう要請したが、ユイは回答を保留した。
『シンとミオ』
ともにAXIAで相談対応を担当。シンは以前、調査部門に所属。ミオとは当時から面識があった。
『レグル』
AXIAの管理者。シンだけでなく、生前のユイにも相談記録を横断的に調べることの問題を指摘していた。ユイが何を見つけていたのかについては、肯定も否定もしていない。
『リベラ』
元AXIA職員で、現在はELPISに関わっている。以前担当した相談者のその後を長く気にかけている。
『ユイ』
シンが調査部門にいた頃の相棒。公式記録上の死因は「自殺」。
死亡前には複数のAXIA相談記録を調べており、その件についてレグルから調査を止めるよう要請されていた。この件を誰かと共有しているかと問われ、「俺だけです」と答えている。
レグルとの面談後、ELPISに関わる場所を「選んだあとの人の話が聞きたい」という目的で訪れていた。
『ヴェル』
記録や参照履歴を扱う技術部門の職員。シンが調査部門にいた頃から面識があり、システム仕様について相談できる相手。




