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The Second Choice of MIRA  作者: ゆぴろ ✎*


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14/15

第14話 水曜の午後

「選んだあと」に何が変わったのか。


シンとリベラは、かつて第二候補を選んで遠くへ移った八代に会いに行く。


前の人たちとは疎遠になった。けれど、それは誰かに奪われた結果だけではなかった。


新しい町で続いている、ごく普通の暮らし。水曜のパン屋。野菜を置いていく隣人。名前を知らないまま続いていた関係。


シンは、評価には収まらない「その後」を聞いていく。

リベラから返事が来たのは、連絡を送って三日後だった。以前の連絡経路で、一度だけ本人に確認した。返事は翌日に来た。話してもいい。場所はこちらで決める。文面はそれだけだった。連絡先も名前も、まだシンには渡されなかった。渡されたのは、水曜の午後二時という時刻と、海沿いの町の駅名だけだった。


「本人の希望です」とリベラは言った。「迎えに来なくていい、とも」


「あなたも同席するんですか」


「同席してほしい、と書いてありました」


リベラは少し間を置いた。


「意外でした」




駅前にタクシーはなく、バスは一時間に一本だった。二人は歩いた。駅を出てから、リベラは二度、腕時計を見た。到着予定より四分早い、と二度目に口に出した。


「早く着くのは悪いことではないと思いますが」


「早く着いて、何もせず待つのが苦手なんです」


「待つのが得意な人は、あまりいないと思います」


リベラは少し考えてから、「そうですね」と答えた。


指定された場所は、坂の途中にある小さなパン屋だった。一階が売り場で、二階には机が四つだけ置かれている。階段の手前に、手書きの紙が貼ってあった。


〈二階はセルフです。トレイはご自分でどうぞ〉


「セルフ」


リベラが読み上げた。


「トレイは私が持ちます」


結局、シンが二人分の飲み物を運ぶことになった。リベラは階段の途中でもう一度、腕時計を見た。


二階の窓際に、女性がひとり座っていた。三十歳前後。紺色の作業着の上にカーディガンを羽織り、足元の籠には、口の閉じていないパンの袋が入っている。二人に気づくと立ち上がりかけて、すぐに座り直した。


「ごめんなさい、仕事帰りで。着替える時間がなくて」


「こちらこそ、お時間をいただきました」


リベラの声は、いつもより少し硬かった。女性はそれに気づいたようだったが、何も言わず、パンの袋を机の端へ寄せた。


「八代といいます」


名乗ったのは、彼女の方だった。


リベラが一瞬、息を止めた。名前を知っている相手が、改めて名乗る。その順番が普通とは逆なのだと、シンは少し遅れて気づいた。


シンは、自分が何を聞きに来たのかを説明した。選択が正しかったかどうかを確かめたいわけではない。誰かの判断を評価しに来たわけでもない。選んだあとに何が変わったのかを、本人の言葉で聞きたい。話したくないことは、話さなくていい。


「大げさな話はできないと思います」


八代は言った。


「普通に暮らしてるだけなので」


「その普通の方を、聞きたいんです」


八代は少し笑った。


今は町の食品卸で、伝票と出荷の確認をしているという。社員は六人。昼は事務所の奥で皆と食べる。朝は自転車で坂を下りる。帰りは上らなければならないので、最初の半年はふくらはぎが毎晩痛んだ。


「だから帰りは、このパン屋に寄ることにしました。上る前に何か食べないと」


「それで、ここを」


「水曜は閉店が遅いんです。火曜と木曜は五時で閉まるから」


籠の中のパンは、毎週水曜に買う売れ残りの割引品だった。袋の口が閉じていないのは、さっき階段で一つ食べたからだという。


リベラが何か言いかけてやめた。シンは気づかないふりをして、紙のコップを口へ運んだ。


「お隣の方が、よく野菜をくれます」


八代は続けた。


「いらないって言っても置いていくので、最近は先に台所を空けておくんです」


「空けておく」


「冷蔵庫の野菜室です。来る曜日が、だいたい決まってるので」


誰かを自慢するような言い方ではなかった。毎週同じ頃に来る人のために、冷蔵庫の棚を一つ空けておく。それだけの話だった。


飲み物が半分になった頃、シンは尋ねた。


「前の人たちとは、今は」


八代はすぐには答えなかった。机の端に置いたパンの袋を、指先で少し動かした。


「年に二回くらい会う人が、二人います。電話は、月に一度あるかないか。母とは毎月一日に話します」


「以前は」


「毎週のように会ってました。仕事のあとで。何も用がなくても」


「それは、なくなった」


「なくなりました」


八代は否定しなかった。


「寂しくなかったと言えば、嘘になります。最初の一年は、週末が長くて。誰からも連絡が来ない日が続くと、自分だけ名簿から消されたみたいな気がして」


リベラの手が、コップの上でわずかに動いた。


「でも、連絡が来なかっただけじゃないんです。私も返さなかったので」


「返さなかった」


「返せなかった、の方が近いかもしれません。移った直後は、何を書けばいいのか分からなくて。元気ですって書くと嘘みたいで、元気じゃないですって書くと、戻ってこいって言われそうで。そのうちグループの通知を切って、それきりになりました」


八代はそこで言葉を切った。責めるでも、弁解するでもなかった。自分がしたことを、そのまま並べているようだった。


「だから、私の周りから人がいなくなったっていうのは、半分だけ合ってます」


八代は言った。


「残りの半分は、私が離れました」


リベラが小さく息を吐いた。


「私には、まるごといなくなったように見えました」


「そうでしょうね」


八代はリベラを見た。責める目ではなかった。


「そちらからは、そう見えたと思います。見えなくなったのは、本当ですから」


リベラはしばらく黙っていた。それから、膝の上で手を組み直した。


「あの時、私は二つの候補を説明しました。第二候補も、あなたに合っている可能性は高かった。第一候補との差も小さかった。でも、それは評価の話で、あなたの毎日の話ではなかった」


「はい」


「そのあと連絡が途切れたと知ったとき、私は、自分が何かを持ち去ったような気がしました。あなたから、前の暮らしを」


「リベラさん」


八代は、名前を呼んで遮った。机の上のコップを、少しだけ自分の方へ引き寄せる。


「選んだのは、私です」


声は低く、落ち着いていた。


「あなたに騙されたとは思っていません」


リベラは動かなかった。


「それは、あなたを庇って言ってるわけじゃないんです。あの時、ちゃんと両方の話を聞きました。残る場合のことも、移る場合のことも。聞いた上で、私が選びました」


「……はい」


「ただ、良かったですって言い切るのも、違う気がして」


八代は窓の方を見た。坂の下には屋根が並び、その向こうに海が見えた。曇った空と同じような色で、低く一本の線になっている。


「ここで暮らして、朝が好きになりました。仕事も嫌いじゃない。隣の人のことも、たぶん好きです。でも、前の人たちと過ごした夜が、全部なくなってよかったとは思いません」


少し間を置いた。


「両方あります」


「両方」


「両方です。どっちかにまとめようとすると、嘘になるので」


リベラは、ゆっくり息を吐いた。


「私は、あなたの毎日の方を知りませんでした」


「話してませんでしたから」


「そうですね」


その返事には、少しだけ笑いが混じっていた。シンは、リベラのそういう声を初めて聞いた気がした。


店を出る前に、八代は一階でパンを三つ買った。一つずつ紙に包んでもらい、シンとリベラにも渡した。


「帰りの電車で。今日の売れ残りじゃなくて、さっき焼けたやつです」


レジの奥から、エプロン姿の年配の女性が顔を出した。


「今日は、お客さん連れ?」


「仕事の関係の人です」


「そう。階段、滑るから気をつけてね」


それだけ言って、女性は奥へ戻った。八代が、小さな声で言った。


「あの人の名前、実は去年まで知らなかったんです。もう三年通ってるのに」


「三年」


「でも、水曜に来ると、最近は何も言わなくても同じパンを一つ取っておいてくれるんです」


そう言って、少し照れたように肩をすくめた。




帰りの坂は下りだった。リベラは何も言わなかった。駅まで十分。腕時計は一度も見なかった。


ホームで電車を待つあいだ、シンは手帳を開いた。


〈以前の関係:減った。変わった。〉


そこまで書いて、ペンが止まる。減った、と書くのは正確だった。けれど、それだけで八代の今の暮らしまで「減った」と呼ぶのは違う気がした。


その下に、一行だけ足した。


〈名前を三年知らなかった人は、どの関係に数えられるのか。〉


電車が来た。


包みの紙は、まだ温かかった。


(第14話 了)

八代は、前の人たちを失った。けれど、それだけではなかった。


自分から離れた部分もある。新しい町で増えたものもある。そして今の暮らしが好きでも、前の時間までなくなってよかったとは思っていない。


「両方あります」


どちらか一つにまとめれば、嘘になる。


シンの手帳に残ったのも、答えではなかった。


名前を三年知らなかった人は、どの関係に数えられるのか。



『MIRA』

進学、就職、居住地など、人生の大きな選択を支援する推薦システム。「第一推薦」「強く非推奨」「許容」「条件付き代替案」などの評価を示す。新しい情報が加わることで、推薦順位や条件が変わる場合がある。


『AXIA(人生選択調整部門)』

MIRAの推薦と本人の希望が大きく食い違った際の相談窓口。本人に代わって答えを決めるのではなく、本人の価値や事情をMIRAが評価できる形で正確に伝える。


『VIA』

職員が業務上の記録や評価情報を扱うシステム環境。利用できる情報や操作の範囲は、所属や業務上の権限によって異なる。


『BOUND(境界監査)』

VIA内で、職員の権限や操作範囲が制度上許される範囲にあるかを監査する部署。シンによるAUX-17の全案件横断照会を停止した。


『ELPIS』

MIRAの推薦とは違う選択をした人などの支援に関わる人々や活動。シンが訪れた場所では、住居や手続きなど、選択後の生活を支える活動が行われている。


『内部評価』

MIRAが選択肢を評価する際に用いる内部情報。利用者向け説明には出ない参照や評価情報も含まれる。


『本人以外の参照』

内部評価に表示される場合がある項目。世帯や勤務先などの既存の関係項目とは別に置かれ、第三者IDが記録される場合がある。


『第三者ID』

「Q74F-20K9-D3A6」と表示された識別子。相談者が本人申告上初めて会った人物の識別子と一致し、その人物に会う前の内部評価から存在していたことが確認されている。なぜ事前に参照されていたのかは不明。


『参照経路』

内部評価がどの識別子と関係を参照して組み立てられたかを、点と線で表示する機能。第13話では本人からQへ、さらにQから三つの識別子へ参照が続いていることが確認された。


『参照経路の線』

二者の関係を内部評価が参照したことを示す。知人関係、好悪、支援関係、現在の関係などの意味は示さない。


『八代』

リベラがAXIA時代に担当した相談者。第一推薦とは異なる遠方への移転を選び、現在も移転先の町で暮らしている。前の人間関係は減ったが、本人自身が連絡を返せず距離を取った部分もある。


『八代の現在の暮らし』

移転先では食品卸に勤め、隣人や近所のパン屋などとの日常的な関係が生まれている。現在の暮らしを好意的に受け止める一方、以前の人たちとの時間を失ってよかったとは考えていない。


『名前のない関係』

第14話では、三年間名前を知らないまま、水曜に来ると好みのパンを取っておいてもらえる関係が描かれた。このような関係がMIRA上でどのように扱われるかは不明。


『シンの現在の問い』

MIRAが評価している単位が「人」なのか「人と人のあいだ」なのかを考えている。第14話ではさらに、明確な名前や分類を持たない関係をどう捉えるのかという問いが加わった。


『AUX-17』

内部評価に使われていた「補助評価参照」。詳細はシンの現在の参照範囲では確認できない。第三者IDや参照経路との関係は確認されていない。


『リベラ』

元AXIA職員で、現在はELPISに関わっている。八代の選択後の人間関係が途切れたことを長く気にしていたが、第14話で本人から当時と現在の暮らしを直接聞いた。


『ユイ』

シンが調査部門にいた頃の相棒。公式記録上の死因は「自殺」。死亡前には複数のAXIA相談記録を調べ、ELPISに関わる場所にも「選んだあとの人の話が聞きたい」という目的で訪れていた。


『ヴェル』

記録や参照履歴を扱う技術部門の職員。確認できる事実と解釈を厳密に分ける。

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