第13話 線の途中
相談者が出会うより前から、MIRAの内部評価には第三者IDが存在していた。
シンは、その人物の正体を追わない。代わりに確かめるのは、MIRAがその識別子をどのように参照していたのか。
技術部門のヴェルが開いたのは、内部評価の参照関係を「点と線」で表示する画面。そこでシンが見たものは、本人とQだけの関係ではなかった。
Qが誰なのかを知る方法は、なかった。
あったとしても、使うつもりはなかった。日曜の公園にいたのは、補助輪を外す子どもに付き添っていた、ただの親だ。名前を探せば、その人の暮らしに踏み込むことになる。相談者のものでも、シンのものでもない、他人の暮らしだった。
だから、問いの向きを変えた。
誰なのか、ではなく、どこにいるのか。
Q74F-20K9-D3A6という識別子が、あの案件の内部評価の中で、どこから、どこへ参照されているのか。名前も年齢も要らない。見たいのは、位置だった。
技術部門には、案件の整合を確かめるための表示がある。内部評価が、どの識別子と関係を参照して組み立てられたのかを、点と線で出す。人物を探すための機能ではない。担当案件の範囲に限り、技術部門の担当が専用の端末を持って立ち会う場合にだけ、開く。
照会には、その案件のことだけを書いた。推薦時点の版。対象は、本人以外の参照。この照会も、記録に残る。残って構わなかった。
返事の代わりに、ヴェルが来た。
ヴェルがAXIAのフロアに来るのは、初めてだった。片手に、見慣れない端末を提げている。シンは、空いていた相談室を一つ、取っておいた。
白い机と、向かい合わせの椅子が三脚。ヴェルは、迷わず、相談者の椅子に座った。
「そこ、相談者さんの席ですよ」
ミオが言った。あの案件は、ミオも一緒に担当している。同席したいと言って、シンの隣の椅子を引いた。
「席に、決まりがあるのか」
「ないですけど」
「なら、いい」
ヴェルは、端末を机の中央に置いた。
「先に言っておく。人物は出ない。名前も、年齢も、所在も。出るのは、点と線だけだ。この画面は、人を調べるためのものじゃない」
「それでいい」
「範囲は、あの案件の評価が参照したものだけだ。ほかの案件は、どこにも出ない」
「分かってる」
ヴェルは頷いて、端末に触れた。
画面が点いた。
参照経路 推薦時点の版 対象 本人以外の参照
左の端に、点が一つ。本人、と書いてある。そこから、線が一本、右へ伸びていた。
線の先に、見慣れた文字列があった。
Q74F-20K9-D3A6
ここまでは、知っていた。シンは、Qが終点だと思っていた。本人と、Qと、その二つの点のあいだの一本の線。それが、あの案件の「本人以外」のすべてだと。
線は、Qで終わっていなかった。
Qから、さらに三本。右へ。三つの識別子へ伸びている。どれも、先頭の数字だけが見えて、あとは伏せてあった。
そこにいたのは、一人だけではなかった。
シンは、しばらく何も言わなかった。
目に入る点は、五つだった。多くはない。一画面で、全部が見える。それなのに、さっきまでとは別の画面を見ているようだった。Qは、答えではなかった。途中の点だった。
「この三つは、誰だ」
「分からない。出ないように作ってある」
ヴェルは、右手の親指を口元へ上げた。爪の端に、歯が当たる。
「整合確認に使う表示だ。構造を読むために使うのは、俺も初めてだ」
「つまり、MIRAは、あの男の周りの人間関係を見ていた」
「周りの、とは書いてない」
ヴェルの言い方は、平らだった。
「この評価が参照した関係が、点と線で出ている。それだけだ。三つが、あの男の周りにいるのかどうかは、この画面では言えない」
「この線は、知り合いって意味か」
「違う。この評価が、その二人の関係を参照した、という意味だ」
親指の爪が、小さく鳴った。
「知り合いかどうかは、書いていない。良いとも悪いとも、書いていない。現在の関係なのか、そうでないのかも、この画面だけでは言えない」
「つながりの途中にいる、ってことか」
シンが言うと、ヴェルが言葉を直した。
「つながり、とは書いてない。参照された関係、だ」
「……参照された関係の、途中にいる」
「それなら、画面と合ってる」
ミオは、画面を見たまま、静かに口を開いた。
「線、全部同じだね。太さも、色も。仲がいいとか、悪いとか、ない」
「ない」
「名前のつかない関係って、多いよね」
ミオの声は、独り言に近かった。
「友達でも家族でもないのに、助けてもらう人って、いるし」
「助ける、とは書いてない」
シンが言うと、ミオは少しだけ笑った。
「うん。書いてない」
それ以上は、ミオも続けなかった。
シンは、画面に目を戻した。
「なぜ、Qの先まで見る必要がある」
「それは、この画面からは出ない」
ヴェルは、端末から指を離した。
「参照されている、という事実までだ。なぜ参照したのかは、記録にない」
「分かってる」
「書面には、点と線の数を書く。意味は書かない」
ヴェルは、端末を抱えて立ち上がった。出ていく前に、一度だけ、画面の消えた机を見た。
ヴェルが出ていったあとも、シンは相談室に残った。
机の上に、さっきまで画面があった場所だけが、空いている。ミオが、椅子の背に手をかけたまま、訊いた。
「どうするの」
「分からない。ただ、見たいものが変わった」
シンは、机の上を指でなぞった。本人から、Qへ。Qから、三つへ。
「さっきまでの問いは、いつから見ていたのか、だった。今は、何を単位に見ているのか、だ」
「単位」
「人か。人と人のあいだか」
点と線。ネットワーク、という言葉が、先に浮かんだ。浮かんだだけだった。画面は、そうは言っていない。
「決まったわけじゃないでしょ」
「決まってない。あの関係が、評価の中で参照されているなら、の話だ」
シンは、指を止めた。
「選んだあと、人との関係がどう変わるのかを見ないと、参照している意味が分からない」
選んだあと。
第二候補を選んで、遠くへ移った女性のことを、シンは思い出した。前の人間関係から、まるごといなくなったみたいだった。リベラは、そう言った。
「リベラさん?」
ミオが訊いた。
「あの人を、探してほしいとは言わない」
「うん」
「本人が話してもいいと言うなら、選んだあと、何が変わったのか。それを聞きたい」
その夜、シンは、短い文面を書いた。宛先は、あの部屋の、公開されている連絡先。リベラ宛て。
探してほしい、というお願いではありません。
かつて担当された方が、話してもいいと言うなら、選んだあとに何が変わったのか、聞かせてほしい。
断られたら、そこで終わりにします。決めるのは、本人です。
受付票の件は、急ぎません。
書き終えて、読み返した。頼んでいるのは、一つだけだった。
送信した。
選んだあと、人とのつながりは、どう変わるのか。
(第13話 了)
一つの点だと思っていたQは、線の途中にいた。その先には、さらに三つの点。
誰なのかは分からない。なぜ参照されたのかも分からない。線にどんな意味があるのかさえ、画面には書かれていない。
それでも、問いだけは変わった。
MIRAが見ている単位は、人なのか。それとも――人と人のあいだなのか。
『MIRA』
進学、就職、居住地など、人生の大きな選択を支援する推薦システム。「第一推薦」「強く非推奨」「許容」「条件付き代替案」などの評価を示す。新しい情報が加わることで、推薦順位や条件が変わる場合がある。
『AXIA(人生選択調整部門)』
MIRAの推薦と本人の希望が大きく食い違った際の相談窓口。本人に代わって答えを決めるのではなく、本人の価値や事情をMIRAが評価できる形で正確に伝える。
『VIA』
職員が業務上の記録や評価情報を扱うシステム環境。利用できる情報や操作の範囲は、所属や業務上の権限によって異なる。
『BOUND(境界監査)』
VIA内で、職員の権限や操作範囲が制度上許される範囲にあるかを監査する部署。シンによるAUX-17の全案件横断照会を停止した。
『ELPIS』
MIRAの推薦とは違う選択をした人などの支援に関わる人々や活動。シンが訪れた場所では、住居や手続きなど、選択後の生活を支える活動が行われている。
『内部評価』
MIRAが選択肢を評価する際に用いる内部情報。利用者向け説明には出ない参照や評価情報も含まれる。
『本人以外の参照』
内部評価に表示される場合がある項目。世帯や勤務先などの既存の関係項目とは別に置かれ、第三者IDが記録される場合がある。
『第三者ID』
「Q74F-20K9-D3A6」と表示された識別子。相談者が本人申告上初めて会った人物の識別子と一致し、その人物に会う前の内部評価から存在していたことが確認されている。なぜ事前に参照されていたのかは不明。
『参照経路』
内部評価がどの識別子と関係を参照して組み立てられたかを、点と線で表示する機能。人物特定のためではなく、案件の整合確認に使用される。担当案件の範囲に限り、技術部門の立ち会いで確認できる。
『Qの参照経路』
第13話で確認した参照経路では、本人からQへ線が伸び、さらにQから三つの識別子へ線が続いていた。Qは参照経路の終点ではなく、中間に位置していた。
『参照経路の線』
二者の関係を内部評価が参照したことを示す。知人関係、好悪、支援関係、現在の関係などの意味は示さない。Qの先にある三つの識別子が誰なのか、なぜ参照されたのかも不明。
『シンの現在の問い』
MIRAが評価している単位が「人」なのか、「人と人のあいだの関係」なのかを考え始めている。ネットワーク自体を評価していると確定したわけではない。
『AUX-17』
内部評価に使われていた「補助評価参照」。詳細はシンの現在の参照範囲では確認できない。これまでに二件のAXIA案件で確認されている。第三者IDや参照経路との関係は確認されていない。
『最終監査』
案件の確定に伴い、記録の保全や事後確認を行う処理。ユイの最終監査は死亡確認より三十四分前に始まっている。
『開始参照』
最終監査が何を根拠に開始されたのかを後から辿るための参照情報。ユイの記録では「詳細を表示できません」となっており、中身を確認できない。
『シンとミオ』
ともにAXIAで相談対応を担当。第13話では、シンが参照経路を確認する場にミオも同席した。
『レグル』
AXIAの管理者。生前のユイにも、相談記録を横断的に調べることの問題を指摘し、調査をいったん止めるよう要請していた。
『リベラ』
元AXIA職員で、現在はELPISに関わっている。シンは第13話の終わりに、かつてリベラが担当した相談者本人が同意する場合に限り、「選んだあと何が変わったのか」を聞かせてほしいと依頼した。
『ユイ』
シンが調査部門にいた頃の相棒。公式記録上の死因は「自殺」。死亡前には複数のAXIA相談記録を調べ、ELPISに関わる場所にも「選んだあとの人の話が聞きたい」という目的で訪れていた。
『ヴェル』
記録や参照履歴を扱う技術部門の職員。第13話では参照経路の表示に立ち会い、画面から確認できる事実と解釈を厳密に分けている。




