第12話 先にあった文字列
相談のあと、夜勤の男性は娘と公園へ行き、そこで初めて会った相手と新しい関係を持つ。
その相手を案件へ登録すると、表示された識別子は「Q74F-20K9-D3A6」。相談の日から内部評価に残されていた、あの第三者IDと同じ文字列だった。
問題は、一致したことだけではない。どちらが先だったのか。
シンは、技術部門のヴェルに記録の順番を確かめてもらう。
通話の画面の隅に、小さな自転車が映っていた。
補助輪が、付いていない。
夜勤の男性は、仕事に出る前の時間に出てくれた。台所らしい背景で、椅子に浅く腰かけている。保留で帰った相談者には、期限の前に一度だけ連絡を入れる。ミオと決めた、二人だけの決まりだった。
「公募の締め切り、来週でしたね。その後、どうされていますか」
シンが尋ねると、彼は少し笑った。
「まだ、決めてないんです。ただ、娘には聞きました」
「何と言っていましたか」
先に訊いたのは、ミオだった。
「『補助輪、外したい』って。それだけでした。夜勤のことは、全然答えてくれなくて」
「外れたんですね」
ミオの視線が、画面の隅に向いている。彼は振り返って、自転車を見た。
「先週の日曜に、公園で。休みの日だったので」
「工具は」
「それが、合わなくて。結局、通りがかりの人に借りたんですけど」
「通りがかりの人」
シンが繰り返すと、彼は頷いた。
「同じ公園で、やっぱり補助輪の練習をしてた子の親で。六角のレンチを持ってて。借りて外したら、そのまま子どもたちが一緒に走り出しちゃって。親も、なんとなく話し込んで」
「いいですね」
ミオが言った。
「来週も同じ時間に来るなら、って、連絡先も交換しました」
シンは、手元の案件を開いたまま、尋ねた。
「その方とは、以前からのお知り合いですか」
「いえ、全然。あの日が初めてです。名前も、その日に知りました」
「それ以前に、顔を見たことも」
「ないと思います。学校も違うみたいですし。向こうも、『初めてですよね』って笑ってました」
シンは、その言葉を、聞き取りの欄にそのまま写した。初対面。本人の申告。
「その方を、この案件の新しい関係として記録してもよろしいですか。名前や連絡先は残りません。識別子だけです」
「ああ、はい。どうぞ」
彼は端末から、受け取った連絡先の情報を送ってくれた。案件の画面に、それが一行になって現れた。
関係(追加) 相談後に生じた関係
識別子 Q74F-20K9-D3A6
シンの手が、止まった。
最初の四字で、分かった。分かってから、一字ずつ、確かめた。四字、四字、四字。
画面の向こうで、彼が何か言っている。ミオが、それに答える声がした。
「娘さん、乗れるようになったところ、見せてくれたりしました?」
「あ、見せたいって言ってます。夜、仕事に行く前に見せるって。夜勤でも、日勤でも」
笑い声が聞こえた。ミオがシンの様子に気づいているのは、横顔の動きで分かった。気づいているのに、通話を止めなかった。自分の声で、間を埋めてくれている。
通話は、そのまま穏やかに終わった。
切れた画面の前で、シンは、すぐには動かなかった。
目で確かめられるのは、文字列までだ。シンは、同じ案件の内部評価を開いた。相談の日の版。本人以外の参照の欄に、第三者ID。
Q74F-20K9-D3A6
追加された関係の識別子と、並べた。一字一句、同一だった。
次に、順番を考えた。相談者は、日曜の公園で初めて、この相手に会ったと言っている。その申告を聞いたのは、識別子を見る前だった。申告が識別子に引きずられた可能性は、ない。内部評価の版は、相談の日のものだ。日付は、日曜より前だった。
そこまでは、目で分かる。分からないのは、一つだけだった。その版が、日曜のあとで、書き換えられていないかどうか。
書き換えられていないことは、記録の側にしか証明できない。
「何か、あった?」
ミオが、静かに訊いた。
「順番を確かめてくる」
「うん」
ミオは、それ以上は訊かなかった。
窓際の席に、ヴェルはいた。画面から目を離さないまま、シンが近づくのを待っている。
「お前が来るときは、たいてい、直す言葉がある」
「今回は、順番だ」
シンは、案件の範囲だけを話した。前の照会と同じ、夜勤の男性の案件。相談の日の内部評価に、第三者IDが一つあった。その案件が更新され、新しい関係が一つ追加された。追加された識別子が、同じ文字列だった。相手は、推薦のあとに、本人が初めて会った人間だと、本人は言っている。
あの紙のことは、言わなかった。話す必要がなかった。
ヴェルの右手の親指が、口元へ上がった。爪の端に、歯が当たる。
「順番を確認する。前提から」
ヴェルは、画面を二つ並べた。
「照会は、お前の担当案件の範囲。比較するのは、内部評価の推薦時点の版と、更新で追加された関係の記録だ。確認済み」
左手の指が、一本ずつ立つ。
「一つ。推薦時点の版に、当該の第三者IDが存在する。二つ。その版は、作成後、書き換えられていない。変更履歴は空だ。三つ。前回の照会の時点で、この案件の登録関係に、その識別子はなかった。四つ。今回追加された関係の識別子は、当該のIDと同一。五つ。その関係の登録は、推薦より後。接触の日付も、本人の申告では、推薦より後だ」
ヴェルは、手を下ろした。
「以上が、確認済みだ」
「未確認は」
「二つ。本人の申告の裏づけ。その人物と本人に、過去の接触がなかったことは、俺の側からは確かめられない。それから、推薦時点の評価に、なぜその識別子が入っていたのか」
親指の爪が、歯の間で小さく鳴った。
「推論は、俺はしない。結論も、ない」
シンは、画面の二つの日付を見た。左が、先。右が、後。
「推薦のとき、本人は、その人間にまだ会っていなかった」
シンは、自分の口で、並べた。
「それでも、その人間の識別子は、推薦のときの内部評価にあった。その後、二人は実際に会った。識別子は、同じだ」
ヴェルは、黙って聞いていた。
「推薦のとき、MIRAの内部評価には、まだ会っていなかった人間の識別子があった」
「本人の申告を前提にするなら、そこまでは記録で言える」
ヴェルの声は、平らだった。
「その人間を、会う前から参照していた。そこまでは確認できる。なぜ参照していたのかは、記録にはない。接触を予測していたのか、可能性として並べていたのか。それとも別の理由なのか」
「会うこと自体を、評価していたとは言えない?」
「そこから先は、お前の文だ」
「たまたま、は」
「ある。一件だ。偶然の可能性は、数字にすれば小さい。だが、小さい、と、ない、は違う」
親指が、口元から離れた。
「書面は、今日中に出す。結論の欄は、空のままだ」
「それでいい」
シンは、そう答えた。
席に戻ると、ミオが待っていた。
椅子を少しこちらへ向けて、何も訊かずにいる。シンは、案件の範囲だけを話した。相談の日の内部評価に、第三者IDがあったこと。日曜の公園で、相談者が初めて会った相手の識別子が、それと同じだったこと。初対面は、本人の申告であること。
ミオは、すぐには何も言わなかった。それから、小さく訊いた。
「MIRAが、会わせたってこと?」
「分からない」
シンは、画面の二つの日付から、目を離さなかった。
「予測していたのか。会わせたのか。たまたまなのか。順番からは、どれも言えない」
「そう」
ミオは、画面を見なかった。
「あの人、娘さんの補助輪を外しに行っただけなのにね」
「ああ」
シンは、もう一度、二つの画面を見た。左は、相談の日の内部評価。右は、日曜の公園のあと。同じ文字列が並んでいる。左の日付の方が、先だった。
会う前から、そこにいた。
(第12話 了)
相談の日の内部評価は、あとから書き換えられていなかった。そこにはすでに、Q74F-20K9-D3A6がある。
その後、相談者は公園で一人の人物と出会う。本人の申告では初対面。そして、その人物を登録したときに現れた識別子も、同じ文字列だった。
予測していたのか。会わせたのか。偶然なのか。どれも、まだ言えない。
それでも日付だけは動かない。
文字列の方が、先にあった。
『MIRA』
進学、就職、居住地など、人生の大きな選択を支援する推薦システム。「第一推薦」「強く非推奨」「許容」「条件付き代替案」などの評価を示す。新しい情報が加わることで、推薦順位や条件が変わる場合がある。
『AXIA(人生選択調整部門)』
MIRAの推薦と本人の希望が大きく食い違った際の相談窓口。本人に代わって答えを決めるのではなく、本人の価値や事情をMIRAが評価できる形で正確に伝える。
『VIA』
職員が業務上の記録や評価情報を扱うシステム環境。利用できる情報や操作の範囲は、所属や業務上の権限によって異なる。
『BOUND(境界監査)』
VIA内で、職員の権限や操作範囲が制度上許される範囲にあるかを監査する部署。シンによるAUX-17の全案件横断照会を停止した。
『ELPIS』
MIRAの推薦とは違う選択をした人などの支援に関わる人々や活動。シンが訪れた場所では、住居や手続きなど、選択後の生活を支える活動が行われている。
『内部評価』
MIRAが選択肢を評価する際に用いる内部情報。利用者向け説明には出ない参照や評価情報も含まれる。
『本人以外の参照』
内部評価に表示される場合がある項目。世帯や勤務先などの既存の関係項目とは別に置かれ、第三者IDが記録される場合がある。
『第三者ID』
「Q74F-20K9-D3A6」と表示された識別子。第12話では、相談後に新しく登録された人物の識別子と完全一致した。推薦時点の内部評価にも同じIDが存在し、その版には変更履歴がなく、後から書き換えられていないことが確認された。
『第三者IDの時系列』
相談者本人の申告では、IDと一致した人物とは推薦後に初めて会っている。前回の照会時点でも、その人物は登録関係に存在していなかった。本人申告を前提にすれば、その人物に会う前から、MIRAの内部評価には同じ識別子が存在していたことになる。
『未確認事項』
本人と相手に過去の接触が本当になかったかは外部から確認されていない。MIRAが接触を予測していたのか、可能性として参照していたのか、接触に影響したのかも不明。一件のみのため、偶然の可能性も残っている。
『AUX-17』
内部評価に使われていた「補助評価参照」。詳細はシンの現在の参照範囲では確認できない。これまでに二件のAXIA案件で確認されている。第三者IDとの関係は確認されていない。
『最終監査』
案件の確定に伴い、記録の保全や事後確認を行う処理。ユイの最終監査は死亡確認より三十四分前に始まっている。
『開始参照』
最終監査が何を根拠に開始されたのかを後から辿るための参照情報。ユイの記録では「詳細を表示できません」となっており、中身を確認できない。
『シンとミオ』
ともにAXIAで相談対応を担当。シンは以前、調査部門に所属。ミオとは当時から面識があった。
『レグル』
AXIAの管理者。生前のユイにも、相談記録を横断的に調べることの問題を指摘し、調査をいったん止めるよう要請していた。
『リベラ』
元AXIA職員で、現在はELPISに関わっている。以前担当した相談者のその後を長く気にかけている。
『ユイ』
シンが調査部門にいた頃の相棒。公式記録上の死因は「自殺」。死亡前には複数のAXIA相談記録を調べており、レグルから調査を止めるよう要請されたあと、ELPISに関わる場所を訪れていた。
『ヴェル』
記録や参照履歴を扱う技術部門の職員。第12話では推薦時点の内部評価が後から書き換えられていないこと、新しい関係の登録が推薦より後であることを確認した。推論は行わず、確認済みと未確認を分けている。




