神統断片拾遺 叡智神 クロル・ファナ・シーデリ その1
神統断片拾遺 叡智神 クロル・ファナ・シーデリ
暗き第二の座を経て、ここに第三の座の神について述べる。真理と知識を司る、叡智神クロル・ファナ・シーデリ。我ら人にとって、これほど近しく、これほど恩深き神は、八柱のうちほかにない。我らがいま手にする魔導の一切は、もとをたどれば、この神より授けられたものだからである。バルギニア版統一神書は、次のように記す。
輝かしき英知の才人たる第三の座、真理と知識を司る神。始原が御身を裂きたまいしとき、知を負いて生まれ出でたまえる、八柱の第三神である。男にもあらず、女にもあらず。そのいずれでもなく、またいずれをも内に含む、性を超えたる御身であり、見る者はこの神を、兄とも姉とも、父とも母とも、ついに定めかねるという。
御姿は、ひとことで言わば、青である。深き淵の水のごとく、晴れわたる天のいと高きところのごとく、澄みて底知れぬ蒼を、その身にたたえたもう。まとう衣は瑠璃の色、流るる髪は青みを帯びた銀、そのまわりには、たえず細かな文字が、青き光を帯びて浮かんでは消える。瞳は、いかなる偽りをも見透かす、底澄みの青。老いてもおらず若くもなく、千古変わらぬ静けさを、その面にたたえている。常に、片手には一巻の書を、いま片手には、いまにも消えそうな小さき灯を携えたもう。古き図像は、ことごとくこの神を、この書と、この灯とともに描く。
御声は、低く、よどみなく、書を読みあぐるがごとし。声を荒げることはなく、ただ静かに、ひとつひとつ理を解きほどくように語りたもう。
御心は、ただ真理への、尽きせぬ慕わしさである。されどこの神は、知ることを誇らず、知らぬ者を侮らず、求むる者へは、惜しみなく知を分かちたもう。富や位の高下を問わず、賢愚の別を問わず、問う者あらば、等しく答えたもう。ある日、この神の御許に、一人の大王と、一人の乞食とが、同じ日に、同じ問いを携えて参ったことがあった。神は、二人に、寸分たがわぬ同じ答えを、同じ言葉で返したもうた。大王は、おのれが特に重んぜられぬを怒り、去った。乞食は、生まれてはじめて人と等しく扱われしを、泣いて喜び、去った。真理は、問う者の貴賤を選ばぬ。これがこの神の、寛にして公平なる徳である。
御業の第一は、我ら人への、魔導の授与である。いにしえ、人がいまだ力なく世を生きていたころ、この神は、世界の真理の一端を、人に分かち与えたもうた。これぞ魔導の始まりである。あわせて、天稟なき者にも真理を扱いうるよう、原初の呪文体系をも授けたもうた。一語にして多くを言い当てる、かの原初の言葉は、もとはこの神の知の結晶である。
いまひとつの御業は、世のあらゆる知を、忘れず、失わず、束ね、納めおくことである。世界の図書館とも称さるるこの神の御許には、過ぎし世の、今の世の、来る世の、ありとあらゆる真理が、青き文字となって納められていると伝わる。
されど、心せよ。あの片手の灯は、知の灯である。正しく掲げれば、闇を照らし、道を示す。されど、掲げ方を誤れば、掲げた者の手をも焼く。この神が人に授けたるは、知そのものと、同時に、この一つの戒めであった。すなわち、知は、希望であると同時に、絶望でもある、と。
この「知の灯」が、掲げ方を誤った者をいかに焼くか。その戒めを伝える話は、数多い。なかでも名高いは、王国歴1188年、賢者オルゲンの末路である。世のあらゆる学を修めてなお飽き足らぬオルゲンは、この神の大社にこもり、「真理のすべてを、ひと目に見せたまえ」と、幾夜も祈り続けた。神は、再三、それは身を滅ぼす、とおしとどめたもうたという。されどオルゲンは退かなかった。ついに願いはかなえられ、一切の真理が、青き光となって、いちどきに彼の前へ開かれた、その瞬間。オルゲンは、灯にかざした蛾のごとく、その光に灼かれ、二度と口をきかなくなった。生涯の最後まで、彼はただ、虚空を見つめて微笑んでいたという。あまりに多くを知ることは、何も知らぬよりも、人を壊すのである。
いっぽうで、この神が最も愛したもうたのは、賢者ではなく、問いをやめぬ者であった、とも伝わる。知った事柄が、ひとりでにその肌へ青き文字となって浮かぶという、銘肌の民シーデルン。彼らの最も古き書庫は、この神の御許へと連なる、地上のただ一つの入口であるとされ、かの万語の魔導士ウィエレム・グランドが、失われし原初の言葉の数々を復元しえたのも、ひとたびこの書庫への立ち入りを許されたがゆえであった。学びとは、答えを集めることではなく、問いを絶やさぬことである。問うことをやめぬかぎり、人はこの神に、つながっている。これが、この神の、もっとも深き教えであると伝えられる。
これが、統一神書の伝える、叡智神の姿である。中性にして青き、真理の神。我ら人に魔導を授けし、最も恩深き恩寵の神。八柱のうち、悪しき影をほとんど持たぬ、稀なる神として、この神は古来あつく敬われてきた。




