神統断片拾遺 流転神 セレ・ミウ・ターリエ その4
最後に、この民をめぐる噂を、一つ書き留めておく。
ただし、これは世の人の口にのぼる類のものではない。市井の者にとって、リーグデの民は町へ来て占い、去ってゆく者たちにすぎず、その者たちがどこでどのように死ぬのかを考える理由は、そもそもないのである。
これに対し、この民を長く調べた者は、いつか必ず同じ壁に突き当たる。墓がないのである。リーグデの民の墓を見たという者はおらず、聞いたという者すらなく、諸国の記録をいかに掘っても一件として出てこない。葬りを見たという者もなく、死んだところを見たという者に至っては、筆者はついに一人も見つけられなかった。
この空白を埋めるものとして、ある話が語られている。書物には一行も記されておらず、学者の口から口へ渡るだけの話であって、それも、たいていは夜更け、酒が切れて議論の尽きたころに出るものである。筆者はこれを三度聞いているが、いずれも別の土地の、別の者からであった。三人が三人とも、人から聞いた話だがと前置きしたうえで語り、その出所を問うと、誰も答えられなかった。
話の骨子はこうである。リーグデの民には、ただ一つ、留まることを許された場所があり、生涯にただ一度、そこでのみ足を止めることができる。死をもって放浪の罰は解かれ、彼らはその場所へ帰って終わるのだという。ただし細部は、話す者によってまるで異なる。湖だと言う者があれば、山あいの泉だと言う者もあり、道はリーグデにしか見えぬのだとする説も、商会のみがその場所を知っているとする説もある。筆者の聞いた三度にかぎっても、三度とも中身が違っていた。
筆者がこの噂を退けきれなくなったのは、ある夜の座がきっかけであった。ハルドの手記を見つけた話をしたところ、居合わせた民族学者の一人が、祝言の日の問答に食いついたのである。名は伏せておく。噂を真に受けたと知れて困るのは、向こうであろう。その男は、あの一言をもう一度読んでみろと言った。祖をたどれば、わたくしどもは、みな、同じところへ行き着きますので。あれは血筋の話をしているのか、それとも、行き着く「ところ」の話をしているのではないか、というのである。座は静まり、筆者も、宿へ帰ってからしばらく寝つけなかった。
むろん、深読みであろう。祖をたどれば、というのは血筋の言い回しにすぎず、行き着く、も言葉の綾である。ハルド自身、要領を得ぬと書き捨てているし、あの席にいた者は、みな酔っていた。
墓がないことにも、味気ない答えはありうる。何ひとつ持たず、どこにも留まらぬ民が、石を積んで標を立てるとは考えにくい。亡骸は水へ返しているのかもしれず、それならば、かの神の御心にはむしろよく適う。噂を持ち出すまでもないのである。
ただし、一点だけ片づかぬことが残る。誰も葬りを見ていないという一事である。水へ返すのであれ、土へ埋めるのであれ、人が一人この世から消えるときには、たいてい誰かが見ているものであって、町の者なり通りすがりなりの目に触れる。それが一件もないというのは、いささか説明しがたい。
もっとも、この噂は、できすぎている。こちらの望むところへあまりにぴたりと収まり、話に終わりを与えてくれるからであって、筆者もそれを承知のうえで書いている。それでも、もしそのような場所があるのだとすれば、筆者は、そうであればよいと思う。これは学問ではなく、ただの願いである。証はなく、ただ、そうであろうと語られるだけの話である。
もっとも、葬りのことであれば、この世に誰より詳しい者たちがある。あらゆるものの最期を見送ることを代々の生業としてきた人々であり、次節では、その廻水葬礼会について記していきたい。




