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神統断片拾遺 堅磐神 ガルド・モーン・ダグレナ その4

 この逸話は多くの人気を集めており、様々な戯曲や劇、詩などに用いられ、一度ならずとも聞いたことのある話ではないかと思う。堅磐神にかかわる話は、日常に親しみやすいものが多く、様々な童話では一番よく現れる神であろうかと思う。本書を書くにあたり、堅磐神の逸話を集めてゆくうちに、筆者は一つ、腑に落ちぬことに行き当たった。


 この神の語りは、あまりに多いのである。地域を問わず、時代も問わない。鉄嶺の老石工バルドの「神の肩」もそうだが、落ちかけた坑(あな)の梁が一夜だけ持ちこたえた話、吹雪の峠であるはずのない岩陰に救われた旅人の話、迷うた子がどこからともなく現れた石の道しるべに従うて里へ帰りついた話。いずれも危うきにある者、迷える者を、名も告げずに救うたという、地味な話ばかりである。


 数の多さそのものは、驚くにあたらぬ。大地は広く、山国は多い。筆者が引っかかったのは、その時期のほうであった。


 神統学者オルグ・ロ・ヴェンダの『神現録(しんげんろく)』は、諸国に伝わる神々の顕現の記録を、ひたすら年代と土地とで仕分け、数え上げただけの書である。論も評もない。ただ数が並ぶ。この味気なさが、かえって動かしがたい。頁をめくれば、一つの傾きが誰の目にも浮かび上がる。


  王国歴以前、聖嵐神の顕現、記録に残るもの二百に近し。以後、五指に満たず。叡智神も、聖母神も、流転神も、門守神も、律天神も、いずれまた同じ。神々は戦の傷を癒すべく輝界へ退きたまい、以後この世に直(じか)に姿を見せたもうことは、ほとんど無くなった。

ただ一柱、堅磐神を除く。この神の記録のみ、王国歴の前と後とで、ほとんど減らぬ。百年を遡(さかのぼ)るも十年を遡るも、その数は変わらず、細く、絶えないのである。


 ヴェンダはこの集計の余白に、学者らしからぬ一行を書き添えている。


  この神だけは去らぬ。まるで、去りがたい何かを残してきたかのように。


 はじめ、筆者はこれを平明に読んだ。去らぬのではない、去れぬと。この神は漂う大地を鎖で繋ぎ、楔で打ち留め、いまもその重みを負うている。柱が屋根を捨ててどこへ行けよう。他の神々が家路につくなか、ただ一柱、持ち場を離れられなかった。それだけのことだと。


 この読みは、たしかに数の偏りを説明する。だが、説明しきれぬものが一つ残る。柱がそこに在らねばならぬということは、柱がなぜ落ちかかる子を受け止めるのか、その理由にはならぬ。留まる義務は、優しさを説明せぬのである。


 そこで筆者は、顕現の数ではなく、その中身を調べることにした。山国の堅磐神の石祠には、願いのかなうた者が顛末を小さな木の札に書きつけ、納めてゆく習わしがある。願解(がんほど)きの札という。鉄嶺の一社に納められたそれを、筆者は幾日もかけて読んだ。数は二千を超える。


  坑の梁、落ちかけしが落ちざりき。三人、生きて出づ。ありがとうございます。

  吹雪。道を失う。岩陰ありて一夜を明かす。翌朝、その岩、無し。ありがとうございます。

  うちの子、谷へ落ちしが、途中の岩に引っかかりて助かりました。ありがとうございます。

  橋の石、ぐらつきしが、渡り終わるまで落ちざりき。ありがとうございます。


 ここで一つ、断っておかねばならぬ。この種の札は、資料としてはすこぶる質が悪い。助かった者しか書かぬからである。岩に潰された者は、札を納めに来ぬ。ゆえに、これをもってこの神の霊験を証(あかし)立てることは、できぬ。筆者もそのつもりで読んだ。


 にもかかわらず、二千を読み通して、別のことが引っかかった。この神の助けには、ただの一つとして華がない。奇跡らしい奇跡がないのである。落つるはずの岩が落ちぬ。あるはずのない足場がある。それだけだ。そして、その多くが頼まれてすらいない。札の大半は、事が済んだあとに「そういえばあれは」と思い当たって、あとから納められたものであった。


 助かった者しか書かぬという偏りは、助かった件数を水増しする。だが、助けの中身までは変えぬ。願われもせぬのに、名も告げず、恩にも着せず、ただ岩を落とさずにおく。この振る舞いは、持ち場を離れられぬという事情からは、どうしても出てこない。


 残る問いは一つ。この神は、いかにしてその二千の場に居合わせえたのか。天から駆けつけたのでは、あの遅さである、到底間に合うまい。


 これに答えたのは、書物ではなかった。黙坐の民ダグレンの、半ば岩と化した古老である。半日をかけて、古老はこう答えた。


  ……あの方は……来られぬ。……来る、必要が……ないのだ。……地に触れておるものは……みな……あの方の、御身(おんみ)よ。……お前が、いま立っておる……その、足の下も。……あの方は……ずっと……そこに、おられる。


 この神は駆けつけるのではない。はじめから、そこに居る。人の踏みしめるあらゆる土、あらゆる石が、この神の身の一部であるならば、この神は世に生くるすべての者の足の裏に触れている。誰がいつどこでよろめいたか。その一歩一歩を、この神は感じているのだ。


 ここに至って、筆者は一つの憶測を抱かずにいられなくなった。断っておくが、これは憶測である。証し立つる術はない。


 この神は、去れなかったのではない。去らなかったのではないか。


 戦の果て、神々はそれぞれの傷を抱いて輝界へ帰った。人の世は人の手に委ねられた。そのとき、ただ一柱、この神だけが帰らなかった。帰らずに、我らの足の下に身を横たえたまま留まった。負うべき重みのゆえも、あろう。だが、あの二千の札を読んだあとでは、筆者にはどうしてもこう思われてならぬ。この神は八柱のうち誰よりも深く、我ら人を愛しておられるのではないか、と。


 愛しておればこそ、去らなかった。愛しておればこそ、口も利かず、名も告げず、崇めよとも言わず、黙って落ちかかる岩を受け止めつづけている。この神がめったに人の口の端にのぼらぬのは、恵みが少ないからではない。多すぎて、そして静かすぎて、我らが気づかぬからである。


 先に、あの札は助かった者しか書かぬと述べた。裏を返せば、我らが気づいたぶんだけが、あそこに残っている。踏み出した足の下で、崩れるはずの土が崩れなかったことが、これまで幾度あったか。誰も数えていない。この神も、数えていまい。恩に着せぬとは、そういうことである。


 繰り返すが、これは憶測にすぎぬ。神の愛など量りようがなく、筆者は証を持たぬ。ただ、ここまで検(あらた)めたいずれの読みも、この神が「去らぬ」ことまでは説明できて、この神が「優しい」ことは説明しえなかった。この憶測だけが、その二つを一つに束ねる。ゆえに、書き留めておく。証明としてではなく、次に誰かがこの偏りに気づいたときの、足がかりとして


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