神統断片拾遺 堅磐神 ガルド・モーン・ダグレナ その1
次に、第六の座の神について述べる。大地と山岳と鍛造を司る、堅磐神ガルド・モーン・ダグレナ。八柱のうち、最も語られること少なく、されど、最も、我らの足元を、深く支えている神である。人は、崩れぬ地の上に立つことを、あまりに当たり前と思い、その地を支える礎のことを、ついぞ、思わぬ。この神が、めったに人の口の端にのぼらぬのも、まさに、そのゆえである。バルギニア版統一神書は、次のように記す。
不動の大地の礎たる第六の座、大地と山岳と鍛造を司る男神。始原が御身を裂きたまいしとき、礎を負いて生まれ出でたまえる、八柱の第六神である。
その御姿は、一柱の、歩む山である。天を衝く八柱のいずれよりも、なお高く、いかなる巨獣とて、その足の指ほどにも及ばぬ。全身は、幾千年の風雨に鍛えられた、古き鉄の色。肌は、岩のごとく硬く、その節々は、山の稜線のごとし。髪も髭も、鉄の削り屑のごとく、黒くくすみて、ちりちりと縮れている。ただ、その双眸のみが、鉄色の面のなかに、鍛冶の炉に熾る、赤き熾火のごとく、あたたかく灯っている。御手には、山をも一打ちに砕くという、大いなる鉄の鎚を握り、そのかたわらには、常に、一つの巨大な鉄床が据えられている。古き図像は、ことごとくこの神を、この鎚と、この鉄床とともに描く。動きは、この上なく、遅い。ただ一歩を踏み出すに、幾年をもかけるとさえ、伝わる。
御声は、地の底より響く、岩鳴りのごとし。低く、重く、ゆるやかにして、ひとたび発すれば、山々が、しずかに震える。この神は、めったに、口を開かぬ。ただ一つの言葉を紡ぐに、幾日をも要するという。されど、この神が、ひとたび口にした言葉は、けして、翻ることがない。
御心は、不動、その一語に尽きる。この神には、はやる心も、気まぐれも、ない。喜びに躍らず、怒りに逸らず、ただ、負うべきものを、黙して負い、なすべきことを、時をかけて、なす。おのれを誇らず、崇めよとも求めず、世のすべての重みを、その肩に載せて、なお、一言の、不平も漏らさぬ。動くに、この上なく遅く、されど、ひとたび定めたることは、天地が覆るとも、けして、退かぬ。これを、鈍重と、あなどる者もあろう。されど、思い違うてはならぬ。嵐は、いかに荒れ狂おうと、ひと夜で去る。されど、山は、その嵐を、幾万度も見送りながら、なお、そこに在りつづける。真に頼もしきものとは、速く動くものではなく、けして動かぬもののことなのである。
御業の第一は、この世に、揺るがぬ礎を、据えたまいしことである。世のいまだ若く、やわらかかりしころ、大地は、定まらなかった。始原の裂け目より溢れし光が水となり、その深き水の面に、生まれたばかりの陸は、筏のごとく、ただ浮かび、流れ、漂い、あるものは、光届かぬ世界の縁へと、滑り落ちてゆかんとしていた。ひとたび縁を越えて落つれば、その陸は、闇界の底なき淵へと、永遠に失われる。ほかの神々が、いかに水を巡らせ、草木を茂らせ、生命を吹き込もうと、足場たる大地の、留まらぬのでは、そのことごとくは、水泡に帰すほかなかった。
これを見て、この神は、動きたまえり。おのが炉に籠り、幾世ともつかぬ長きにわたりて、鎚をふるい、途方もなく大いなる、鉄の鎖と、鉄の楔とを、鍛え上げたまえり。鎖のひと環は、それだけで、ひとつの山ほどもあったという。そして、離れゆかんとする大地を見ては、その鎖を両の陸へ打ち込み、おのが肩を入れて、幾年をもかけて、たぐり寄せ、寄り合うたその継ぎ目を、おのが炉の火をもて、鍛え、溶かし、ひとつに縫い合わせたまえり。大地を繋ぎとめた鎖と、灼かれ盛り上がりし継ぎ目とが、そのまま、天を衝く長大な山の連なりと、なった。これぞ、世に鉄鎖山脈と呼ばるる、かのどこまでも真直に、鉄色に連なる大山脈の、始まりである。大地をたぐり寄せしおり、その裾を引きずりし跡が、深く抉れて残りしものが、真一文字に走る大峡谷、曳裂の谷であるとも伝わる。
また、いかにしても留まらず、ひとり縁へ滑りゆかんとする頑なな大地には、この神、その巨大な鉄の楔を、天より、まっすぐに打ち下ろしたまえり。楔は、その大地を貫き、はるか底の、動かぬ岩の骨にまで、深々と突き立ちて、かくて、その大地は、二度と動かなくなった。山脈のひとつもなき平らかな野の、ただなかに、ぽつりと、ひとつだけ、鉄色の鋭き独り峰が、天を突きて聳ゆることが、ときに、ある。世に楔嶽と呼ばるる、かの孤高の峰は、山にあらず。この神が、流れゆく大地を、この世に打ち留めし、あの楔の、地上に残りし頭なのである。
かくのごとくにして、この神は、漂うばかりの世界を、鎖で繋ぎ、楔で留め、はじめて、動かぬものと、なさしめたまえり。水も、草木も、獣も、人も、その営みのことごとくは、この神の留めたる、動かぬ大地の上にこそ、乗っている。我らが、朝ごとに、崩れぬ地の上に目覚めうるは、この神が、その下で、けして動かず、世の重みのすべてを、黙して負うていてくださるがゆえなのである。もし、いつの日か、あの鉄鎖の山脈が崩れ、あの楔の峰が抜け落つることあらば、そのときこそ、大地はふたたび漂いはじめ、世界は、その縁より、崩れゆくであろう。
今一つの御業は、鍛冶である。かの千年の闘争において、この神は、ただの一度も、戦場に、その身を現さなかった。されど、神々が、反逆神とその眷属に立ち向かいえたのは、ひとえに、この神の、ゆえである。神々の手にせし剣も、槍も、鎧も、そのことごとくは、この神が、おのが鉄床の上で、鍛え上げたものであった。闘争のあいだ、千年ものあいだ、この神の炉の火は、ただの一度も、消えることがなかった。昼も夜も、この神は、ひたすらに、鎚をふるいつづけた。今も、山のいくつかが、頂より煙をあげ、時に、赤き火を噴くのは、この神の、いにしえの炉が、なお、熾火を残しているのだとも伝わる。この神の鍛えしものは、けして、折れず、けして、欠けぬ。急いで打たれしものは脆く、時をかけて打たれしものこそ、強い。この神が、ただ一つの武具を鍛えるに、百年を惜しまなかったのも、そのためである。ゆえに、この神と結びたる約定は、山のごとく、動かぬ。堅磐神が、しかと肯いし約束は、天地の続くかぎり、けして違えられぬと、古来、信じられてきた。
この神が、人の世に、その姿を垣間見せたという語りは、山国のあちこちに、細々と、残っている。なかでも名高きは、王国歴1042年、鉄嶺の麓に生きた、一人の老石工の話である。名を、バルドといった。バルドは、生涯をかけて、鉄嶺の中腹に立つ、堅磐神の古き石の社を守り、崩れれば積み、傷めば繕い、ただ黙々と、その務めを果たしてきた。ある年の春、雪解けとともに、鉄嶺の山肌に、大きな亀裂が走った。見上げるほどの、巨大な岩の壁が、いままさに、麓の村めがけて、崩れ落ちんとしていたのである。村の者は、われ先にと、山を捨てて逃げた。ただ、バルドひとりが、逃げなかった。老いた石工は、崩れかけた社の前に、膝をつき、どうか、この山を、この人らを、お支えください、と、夜もすがら、祈りつづけた。その夜半、地の底から、ずうん、と、腹に響く、重い岩鳴りが、ひとつ、聞こえたという。そして、朝が来た。あれほど崩れかけていた岩の壁は、崩れて、いなかった。その割れ目の下に、ひと晩のうちに、見たこともない、鉄色の巨大な岩の出っ張りが、せり出し、まるで、大きな肩で、崩れゆく壁を、下から支え止めているかのように、そこに、あった。鉄嶺は、それきり、ついに、崩れなかった。人々は、その鉄色の岩を、いまも、神の肩と呼び、手を合わせる。ひと晩で、あの巨大な岩を、支える肩を、寄せうる者。それが、誰であったかを、村の者は、けして、忘れなかったのである。
これが、統一神書の伝える、堅磐神の姿である。歩む山のごとき、鉄色の巨神。口重く、動き遅く、されど、ひとたび負いしものを、けして手放さぬ、不動の礎。この神は、華やかな奇跡も、恐ろしき神罰も、めったに示さぬ。ゆえに、人が、この神を、日々、口にのぼせることは、まことに、少ない。されど、思い返してみるがよい。我らの足元の、この崩れぬ大地こそ、我らの手にする鉄の、ことごとくこそ、この神の、黙したる恵みなのである。




