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神統断片拾遺 律天神 オルダ・ヴェム・カノーレ その2

 この神が世に遺したまいしものは、目に見えぬ世の律のみではない。ただ一度だけ、この神は、人の世へ、直(じか)に、言葉を授けたことがある。今に『根源律典(こんげんりつてん)』と呼ばれる書となり、その核(かく)をなす、律天神が授けし八つの律を、根源八法(こんげんはっぽう)と呼ぶ。まずは、この律典の、生まれし経緯(いきさつ)から、語らねばならぬ。


 聖母神より生み出されて間もなきころ、人は、まだ、おだやかであった。諍(いさか)いは少なく、奪い合うこともまれで、世は、牧歌の色に満ちた、善き時代であったと伝わる。されど、人が数を増し、村が町となり、町が国となり、栄え、発展してゆくにつれ、いつしか、諍いが生まれるようになった。土地をめぐり、水をめぐり、位をめぐって、人は争い、その争いを鎮めるために、人みずからの手で、決まり事としての法を、こしらえるようになった。かくて、数限りなき法が、生まれた。


 されど、人の作りし法は、しょせん、人の作りしものである。作る者の心ひとつで、いかようにも、ねじ曲げられた。その最も甚だしき例が、古代において、後の世に悪法王と呼ばれる、第2フィルマーナ朝クルナガン国の王、ダータナル・クルナガン6世である。この王は、おのれの悪逆をはばかる法のことごとくを憎み、ついに、恐るべき一事を唱えた。「王は、法を超える。なんとなれば、王の位は、神より授かりしものなればなり」と。おのれを、あらゆる律の、外に置いたのである。法を超えたる王のふるまいに、際限はなかった。悪逆無道の限りを尽くし、その惨禍に巻き込まれた民の、嘆きと悲鳴は、日ごと、夜ごと、絶えることがなかった。


 地上のいかなる法にも、いかなる王にも、救いを求めえなくなった民は、ついに、ただ一柱、人の作りしものならぬ律を司る神、律天神へと、祈った。釣り合わぬこの世を、どうか、釣り合わせたまえと。そして、この神は、それに答えた。


 答えは、まずかの悪法王の上に下った。「王は法を超える」と唱えたその口へ、返されたのは、一言であったと伝わる。秤の上に立たぬ者は、一柱も、無い、と。真昼の空に、あの白き大天秤が、音もなく浮かび、王のふるまいのことごとくを、量りにかけた。王が民より掠め取りし栄華は、傾いた皿を戻すべく、根こそぎ、取り立てられた。地より生い出でし茨が、玉座もろとも、王を搦(から)め捕った。おのれを律の外に置かんとした者が、誰よりも重く、律に、縛られたのである。


 されど、この神は、ひとりの悪王を挫くだけでは、済まさなかった。同じ過ちが、二度と、地上に立たぬよう、この神は、身分の別なく、あらゆる生命が、ひとしく守るべき律を、人に授けたのである。これが、根源八法である。人の作りし数限りなき法の、そのすべての根(ね)に、置かるべき、八つの律。『根源律典』は、これを、次のように記す。



  第一、均(きん)の律。

  与えずして奪うことなかれ。なれば、この世に、ただにて得らるるものは一つとしてなく、奪いしものは、いつか必ず、その分だけ、奪い返さるるがゆえなり。


  第二、名(な)の律。

  なにごとも、実(じつ)より重くも軽くも、偽ることなかれ。なれば、名とは、そのものの真(まこと)の本質であり、これを偽る者は、みずからの秤を狂わせ、その狂いの分を、いつか身をもって贖(あがな)うがゆえなり。


  第三、座(ざ)の律。

  そのものの座を越え、他(た)に属する理(ことわり)を、力ずくで握らんとすることなかれ。なれば、各々(おのおの)のものには、各々の座と理ありて、これを侵す者は、世の骨組みそのものを、傾くるがゆえなり。


  第四、巡(めぐ)りの律。

  死をとどめ、あるいは失(う)せし生(せい)を、呼び戻さんとすることなかれ。なれば、生あるものは、みな借りて生くるものにして、死とは、その返済にほかならず、これを拒む者は、巡りの鎖を断ち、世に、返されぬ借りを積むがゆえなり。


  第五、等(とう)の律。

  いかなる命であっても、軽きもの、無きものとして扱うことなかれ。すべては等価である。秤の上にては、王の命も、乞食(こじき)の命も、獣の命も、その重さに一分(いちぶ)の差なく、命を軽んずる者は、その軽んじたる重さを、おのが命にて、量り返さるるがゆえなり。


  第六、顕(あらわ)の律。

  罪を伏せ、顔を繕(つくろ)いて、隠さんとすることなかれ。なれば、全てを見通す眼の前に、隠しごとは、はじめより無く、隠すというその行いこそが、最も重き錘(おもり)となりて、みずからの皿に、載るがゆえなり。


  第七、契(ちぎり)の律。

  ひとたび口に出だせし誓いを、破ることなかれ。なれば、誓いは、目に見えずとも、世の秤に、重りとして載り、誓いし者、死すとも消えず、これを破らば、その傾きは、血筋に、あるいは魂の、次の巡りにまで、繰り越さるるがゆえなり。


  第八、縛(ばく)の律。

  いかなるものも、律を逃れうると思うことなかれ。なれば、律は、人にも、獣にも、名も無き虫にも、神にすら、ひとしく及び、律を定めしこの神すら、縛られるがゆえなり。


 この八つを読めば、おのずと知れよう。これは、人が人へ向けて説く、善悪の教えとは、根から異なる。ここにあるのは、ただ、釣り合うか、釣り合わざるか。世という一つの巨大な秤が、いかにして傾き、いかにして正されるか、その理そのものである。人の法が、時代により、国により、いかに移ろおうとも、その根の底には、この動かぬ八律が、据わっている。そして、その最後の一律が告げるとおり、この律の前には、王も、神も、例外ではありえぬ。悪法王ダータナル・クルナガン6世が、身をもって知らしめたのは、まさに、この一事であった。


 この根源八法は現在のあらゆる法理の基礎とされ、律天神から授けられたときから、忘れられぬよう、様々に書き伝えられている。その最古たるものは、律天神を主として祀る欽定緑律教団の本部協会に安置される、白鉱石に刻まれた碑文である。太古の言語のままに書き残され、律天神の御言葉を正しく現代に伝えるものとされている。法にかかわる仕事を目指すものの多くは、一度は当地に巡礼するのが習いになっているほどである。この過つことのない絶対の律を前に、法を司ること、法を執り行うこと、人の刑罰を量ることの責務を自身に問い正し、律天神に恥ずべきないことを証し立てるのである。


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