神統断片拾遺 聖母神 ラナ・ディル・ジーエーナ その4
次に、ふだんはほとんど語られぬ事実に触れておかねばならぬ。聖母神もまた、人を罰したことがたしかにあるという事実である。これがあまり多く語られないのは禁忌に触れるが故である。
すでに述べたとおり、生命にかかわる一切は、禁忌である。されどこの禁忌は、無より生命を生み出すことのみを指すのではない。すでにある生命を、もてあそぶこと、ねじ曲げ、私欲の道具とすること、そのことごとくが、母なる神の、最も嫌いたまうところなのである。訓戒としてのちに残すべきことして許された範囲においてのみここに書き記す。
さきに、この神は人を害することあたわず、ただ嘆くのみ、と述べた。それは、まことである。されど、害しえぬということと、罰しえぬということとは、おなじではない。節を越え、禁忌に手を染め、踏み込んではならぬ領域へと至った者を、この神が、そのまま見過ごしたまうわけでは、ないのである。
ただし、あらかじめ断っておく。これより記す事どもは、いずれも禁忌に触れるがゆえに、その仔細を、ここに書き記すことは許されぬ。筆者が伝ええるのは、ただ、かの神が人を罰した、というその事実のみである。いかなる邪法が用いられ、いかにして罰が下されたか、その手立てのことごとくは、伏せるよりほかない。
ひとつは、王国歴1247年、ある国の王に下された罰である。王の名も、国の名も、ここには記さぬ。この王は、長年連れ添うた王妃を、病で喪った。その悲しみのあまり、王は、踏み越えてはならぬ一線を、越えた。亡き妃を、この世へ呼び戻さんとしたのである。ひとたび失われし生を取り戻すこと、それは、母なる神ただ一柱の領分を、人の手で犯す、最も重き禁忌であった。王は、ここに記すことの許されぬ、おぞましき邪法に手を染め、あろうことか、おのれの民の命までも、その贄として費やした。妃ひとりを取り戻さんがために、いくつもの、罪なき生命が、闇へと投じられたのである。
母なる神の下したまいし罰は、刃ではなかった。ただ、王と、王に連なる者すべてから、生命の祝福を、取り上げたのである。その日より、王家の者は、子をなすことができなくなった。食しても、いかなる滋養も身につかず、いかに眠っても、疲れは癒えぬ。生きてはいる。されど、生きるという営みそのものが、止まってしまったのである。死ぬことすら許されぬまま、王とその血筋は、ゆるやかに、しかし確実に、枯れていった。生命をもてあそんだ者から、生命の恵みのことごとくが、静かに引き上げられたのである。
いまひとつは、ある地方の町に、長く続いた、おぞましき風習にまつわる話である。その町では、豊作を願うて、数年に一度、若き娘をひとり選び、聖母神への贄として捧げる、という習わしが、行われていた。むろん、生命を何よりいつくしむ母なる神が、わが子の血を喜びたまうはずがない。これは、まったくの誤りであり、もとはといえば、万夜の使徒が、人の世に紛れ込み、たくみに言いふらして広めた、偽りの信仰であった。されど、おぞましきことに、その邪法には、たしかに効き目があった。贄を捧げるたび、田は実り、蔵は満ちた。ゆえに町の者は、これを疑うことなく、数十年ものあいだ、罪なき娘を、捧げつづけたのである。
あるとき、贄に選ばれた、ひとりの若き娘がいた。娘は、死を前にして、ただ一心に、聖母神へ、いのちを助けたまえと祈った。そして、その祈りが、ついに、母なる神の御手に、掬い取られたのである。
神の答えは、その年を境に、あらわれた。邪教にそまった町の為政者たち、そして、これを幇助して私欲を肥やしてきた者たちに、願うていた実りが、二度と、もたらされることはなくなった。田に種を播けば、芽は出ても、ことごとく枯れた。山に狩りをすれば、仕留めた獲物は、たちまち腐り落ちた。海に網を打てば、ただの一匹もかからず、山の幸も、木の実ひとつ、手に入らなくなった。生命の恵みという恵みが、その地から、根こそぎ引き上げられたのである。贄の血で購うた、偽りの豊穣に酔うていた者たちは、最期は、ひとり残らず、飢えて、死に絶えた。
この二つの話に、ひとつ、心すべき共通がある。母なる神の罰は、ついに、ひとたびも、刃の形を取らなかった、ということである。雷を落とすでも、業火で焼くでもない。ただ、それまで惜しみなく与えていた手を、そっと、引いただけである。生命の祝福を、与えるのを、やめる。それだけで罰は足りた。
思えば、これこそが、最も恐ろしい罰なのかもしれぬ。我らが生きていられるのは、この神が、絶え間なく、生命の恵みを、与えつづけてくださっているからにほかならぬ。その手が、ひとたび引かれれば、我らは、ただ枯れる。母なる神は、誰をも、手にかけはせぬ。ただ見放すのである。そして、見放されることの、その底知れぬ恐ろしさを、知る者は、すくない。




