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神統断片拾遺 聖母神 ラナ・ディル・ジーエーナ その2

 さて、この神をめぐる考察に分け入る前に、ひとつ、語っておかねばならぬものがある。この神を奉ずる、教団のことである。生命の母を主神といただく信仰は、古今、数えきれぬほどあるが、そのなかでも最も古く、最も大いなるものが、金糸聖母奉神教会(きんし せいぼ ほうしん きょうかい)である。聖都メリディアの金糸大聖堂を本山とし、その威光は、いまや大陸のほぼ全土に及ぶ。今日では幾多の分派に分かれており、聖典の解釈にことのほか篤きファーマディア派聖母神協会なども、もとをたどれば、この教会より枝分かれした一派である。


 その名のとおり、この教会の者は、金色(こんじき)の糸を一筋、衣の襟もとに縫いとることを許される。これぞ、教祖が神より賜りし、金色の光のしるしである。やわらかき慈母を奉じながら、この教会が、施療の徒と、武装せる騎士という、二つの顔を併せ持つことに、いぶかる者もあろう。されど、その二面こそ、この教会の成り立ちそのものなのである。


 始まりは、千年の闘争の、まさに終わりしのちのことと伝わる。長き戦に、生命はことごとく踏みにじられ、大地は焼け、水は涸れ、世は死の色に沈んでいた。この、生命の失われし世に、ふたたび命を満たさんとして、聖母神は、おのが眷属たる芽吹の民ジーナリに命じたまえり。世界のすみずみへと広がり、行く先々の枯れ地を潤し、緑をよみがえらせよ、と。ジーナリは、その身の通うところに、草と花を芽吹かせる民である。されど彼らは、命を奪うことができぬ。何かを殺せば、その痛みが、おのが身に返るがゆえである。


 ところが、この、命を奪えぬという尊き性(さが)を、逆手に取る者があらわれた。欲深き人の一部が、ジーナリを言葉巧みにかどわかし、あるいは縛(いまし)めて、おのれの土地のみを肥やさんがために、その力を使わせたのである。ジーナリは、抗えば人を傷つけかねぬをおそれ、ただ、なすがままとなるほかなかった。


 命を奪えぬのは、聖母神もまた、同じである。わが子たるジーナリが囚われ、苦しむのを見ても、これを縛める悪しき者を、この神は、罰することができなかった。ただ、嘆くほかなかったのである。


 その嘆きを、地上にあって、ただひとり聞き取った者があった。名を、イレナ・ロ・メーレンという、貧しき村の、ひとりの少女であった。聖母神は、この者に、おのが金色の光を一筋、分かち与え、力を授けたまえり。のちに金糸の聖人と称される、この教会の祖である。聖人イレナは、神の嘆きを払わん、と誓った。神が、その慈愛ゆえに、みづからの手では下しえぬ裁きを、人の身なる己が代わって下し、囚われしジーナリを解き放ち、その神命を守らん、と。これが、金糸聖母奉神教会の、始まりであると伝わる。以来この教会は、聖母神のために、その嘆きを生むものを挫き、生きとし生けるものが健やかに過ごせるよう、働きつづけてきた。神が、その優しさゆえになしえぬことを、人の手で、代わりに引き受ける。それが、この教会の、変わらぬ志である。


 この志のいかなるものかを、よく伝える話を、二つ、挙げておきたい。


 ひとつは、王国歴1362年、北辺カドラ郷でのことである。この地を治めし領主ヴォルゲンは、数十にのぼるジーナリをかどわかし、地下牢に縛め、本来なら何も育たぬ鉱毒の地を、その力で無理やりに緑化させ、莫大な富を得ていた。囚われしジーナリは、日に日に衰えてゆく。ただ一騎、カドラへ乗り込んだのが、遍歴教会騎士ハーロン・ディ・ヴェイクである。ヴェイクは、領主の私兵を退け、地下牢を破り、衰えしジーナリをことごとく解き放ち、ヴォルゲンを捕らえて、機構の法廷へと引き渡した。捕らわれの領主が、なぜ神の使いがおのれを縛めるのかと問うたとき、ヴェイクは、こう答えたと伝わる。「聖母神は、おのれの子を縛める者すら、愛するがゆえに、殺すことができぬ。ならば、その御手の届かぬところを、我らが代わって縛める。これが、我らの務めである」と。


 いまひとつは、王国歴1429年、湿原の町ロウェンを襲うた、紅斑熱(こうはんねつ)の話である。瞬く間に広がるこの病を恐れ、町の医者も富める者も、われ先にと逃げ去るなか、ただ踏みとどまったのが、金糸の施療士マレナ・ロ・サーンと、彼女に従う教会の者たちであった。マレナは、寝食を忘れて病者を看(み)とり、数えきれぬ命を救ったが、ついにはみずからも病を得て、倒れた。息を引き取るそのきわ、弟子が、なぜ逃げなかったのかと涙ながらに問うと、マレナは、ただ微笑んで、こう言ったという。「ひとつの命も、奪わせはせぬ。それが、母の願いであるゆえ」と。教会はのちに、この病の根が湿原のよどみにあると突きとめ、長き歳月をかけてロウェン一帯の水を抜き、流れを通した。以来、この地に紅斑熱の絶えたことが、亡きマレナへの、何よりの手向けとなっている。


 この二つの話は、そのまま、この教会の二つの顔である。挫くべき悪は、騎士の剣をもって挫き、救うべき命は、施療の手をもって救う。


 現代において、その第一の務めは、いまなお、芽吹の民ジーナリを保護し、守ることである。聖都メリディアの北に坐する、聖樹海ダーナヘルはジーナリの民の最大集落があり、他の教会の近くにも大小変わりなくジーナリの民の集落があり、教会のものが日夜、邪なものが立ち入らないよう目を光らせている。加えて、治癒と医療をもって、数えきれぬ命を救い、また、農と治水の知に、ことのほか長けている。そのため、たいていの国の官(つかさ)には、この教会の者がひとりならず連なり、地を富ませ、水を治める要として、重んじられている。さらに、非道より人を守らんがために設けられた遍歴教会騎士団は、王の手の届かぬ辺境や、小さき村々にとって、いまも、何よりも心強き助けとなっているのである。


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