神統断片拾遺 聖母神 ラナ・ディル・ジーエーナ その1
叡智神を辞して、ここに第四の座の神について述べる。万物の生命の母たる、聖母神ラナ・ディル・ジーエーナ。我ら人を、この世にあらしめたまいし、まことの母である。八柱のうち、叡智神とならび、ほとんど悪しき影を持たぬ、慈愛の神として、古来あつく敬われてきた。バルギニア版統一神書は、次のように記す。
万物の生命の母たる第四の座、生命を司る女神。始原が御身を裂きたまいしとき、生命を負いて生まれ出でたまえる、八柱の第四神である。男にもあらず女にもあらぬ叡智神とは異なり、この神は、まごうかたなき女神、すべての母なる女神であらせられる。
御姿は、たわわに実りし麦の穂のごとく、刈り入れどきの野を染める夕映えのごとく、あたたかき黄金の光を、その身にたたえたもう。ゆたかに波打つ髪は、熟れた稲穂の色。肌は、陽を吸うた大地のごとくあたたかく、その面は、おおらかに、つねに、かすかな笑みをたたえている。額には、芽吹いたばかりの若葉を編みたる冠を戴き、御手には、節くれだちたる一本の樫の杖を携えたもう。この杖の突きたるところ、枯れ野にも草萌え、岩かげにも花ひらくと伝わる。古き図像は、ことごとくこの神を、この若葉の冠と、この樫の杖とともに描く。
御声は、あたたかく、ゆたかにして、ぐずる子をあやす母のごとし。荒ぶることなく、ただ、生きとし生けるものを、ねぎらい、いつくしむように、語りたもう。
御心は、ただ、生きとし生けるものへの、限りなき慈しみである。草の一葉、虫の一匹にいたるまで、ことごとくをおのが子として愛でたもう。強きも弱きも、美しきも醜きも、いささかの分け隔てなく、ただ、生きてあるということそのものを、寿ぎたもう。ある夜、嵐に、山の主たる大いなる神鹿が斃れ、おなじ夜、道端の名もなき一本の雑草が、旅人の足に踏み折られた。神は、その双方に、寸分たがわぬ涙を、流したもうたという。命に、大いなるも、小さきもない。これが、この神の、わけへだてなき慈愛である。
御業の第一は、世にあるありとあらゆる生命を、生み出したまいしことである。されど、この神が、なにゆえ生命を生み出すにいたりしか。
世界の始め、ただ九柱のみであった。始原と、そのみずから分かちたまいし、八柱の子。神々はたがいに睦みあい、世は神々のものにして、ただ楽しき日々であった。されど、始原が、おのれを九つに分かちたまいしより、一なりしものは多となり、多はたがいに釣り合いて、世は、ととのい、定まり、揺るがぬものとなった。
ここに、おもわぬことが起きた。一なりしうちは、何ものをも欠かず、何ものをも求めなかった始原が、多に分かれ、おのれならぬものを持ちしことで、その裡に、それまでなかった心の動き、すなわち情が、芽生えたのである。そして、その新たな情をもって、始原は、あまりに静かに安らいだ世を、いつしか、もてあますようになった。倦み、そこはかとなき、わびしさを、覚えるようになったのである。
これを見た第四の座の神は、父祖たる始原の、その無聊を慰めんと欲した。動かぬ世に、移ろいを。静まりかえった世に、にぎわいを。かくしてこの神は、生命を生み出すことを、始めたまいたのである。草を芽吹かせ、木を茂らせ、獣を走らせ、鳥を翔けらせ、そして、我ら人を生み出したまいしは、ことごとく、この神の御手による。
始まりは、しかり、始原のためであった。されど、ひとたび生み出すや、この神は、おのが手より生まれ出でしものを、深く慈しまずにはいられなかった。慰みのために弄ぶようなことは、ついぞ、なさらなかった。ただ、世を、ゆたかに、にぎやかにせんがために、命を生み、また生みつづけたのである。あわせて人には、ただ生くるのみならず、世界の運行を担うという役目を授けたまえり。のちに人が、荒れたる現界の管理を神々よりゆだねられたるも、もとはこの母なる神の御意であったと伝わる。
千年の闘争において、この神は、ついに、ひとたびも刃を取らなかった。生み出すことを司る神に、滅ぼすことは、できぬのである。ただ、おのれの生みし子らが、反逆神の終焉の力の前に、次々と倒れゆくのを、見つめ、嘆き、その亡骸を、ひとつひとつ抱きしめることのほか、なしえなかった。母なる神の、尽きせぬ涙が、雨となって戦野を濡らしたと伝わるは、このときのことである。
されど、心せよ。生命を、無より新たにあらしめうるは、八柱のうち、この神ただ一柱のみである。すでにある命を癒し、傷を繕い、衰えを支えることは、この神の慈悲の、ささやかな分け前として、人の手にも許されている。されど、無より生命を生み出すこと、ひとたび失われし生を、再びこの世へ呼び戻すことは、母なる神の御業を、人の身で犯すにひとしき大罪であり、固く禁じられたる禁忌である。心ゆるすな。母の慈悲をかたどらんとする手は、ときに、最も母を冒す手となる。
これが、統一神書の伝える、聖母神の姿である。金色にして、ゆたかなる、生命の母。我ら人を生みたまいし、まことの親。叡智神が、知をもって人と結ばるる神であるならば、この神は、命そのものをもって、我らと結ばるる神である。




