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「アンジェ、気をつけて行ってくるんだよ」
「はい。ちゃんと材料を持ち帰ってきますね」
王宮の門の前でヘクセさんと抱擁を交わす。薬草の匂いに安心していると温もりが離れた。行ってこい、ということなのだろう。ヘクセさんに背を向け、私を待っているシュルトさんのところへ走る。
「もういいのですか?」
気遣わしげに目を細めるシュルトさんにひとつ頷いて馬へ乗せてもらう。もちろん馬など操れないのでシュルトさんと相乗りだ。腰にぶら下げた短剣が存在を主張するようにカシャッと音を立てた。
「シュテルツェルト、絶対アンジェに怪我させるなよ。それとアンジェ。お前も危ないことに首を突っ込まないこと! ただでさえトラブル体質なんだからな!」
馬に加護をかけている瑠衣兄さんの小言に適当に返事を返す。この人は昔から私に過保護でうるさかった。それは転生した今でも全く変わらないらしい。
「わかってますからさっさと加護をかけてください」
「今終わったよ!」
ぶつぶつ文句を言いながら瑠衣兄さんが数歩後さがる。そしてそれが合図だったかのようにシュルトさんは私の後ろに跨り手綱を握り、私が馬にしっかり掴まっているのを確認して馬を走らせた。
「……すごい。こんなに景色が速く流れてるのにまったく風を感じない」
さながら車のようである。
「そうですね。ルイがかけた加護もあるでしょうが、元からアポロの魔力も高くどの馬よりも疾いんです。半日程度で町に着くと思いますよ」
「え……次の町って乗合馬車で一日以上かかるところですよね?」
「それだけアポロは疾いんです」
誇らしげに馬のたてがみを撫でたシュルトさん。そしてそれに応えるかのように馬はスピードを上げた。
シュルトさんの言う通り日が傾く前には町へ到着した。厩舎へ馬を預け、話し合いをするために近くの食堂へ向かう。町の大通りに面したところにあったお店は、人気があるのか夕飯時より前なのに賑わっていた。顔を赤くしたウエイトレスらしき女の子に案内され窓際の席に着くと飲み物と簡単につまめるものを頼んでさっそく持ってきていた地図を広げた。
「ここが私たちの現在地になります。このあと必要なものを買って森に入ることになりますが、アポロでは通ることが難しいので徒歩になります。アルルの洞窟までは小さな町を挟んで十日ほどかかるでしょうか」
シュルトさんの綺麗な指が今の町からアルルの洞窟までの経路をなぞる。三つの中でもっとも距離が近いアルルの洞窟を目指している私たちだが、それでも一週間以上かかってしまう。現代日本に生きていた私にとってはとても辛いものではあるが、弱音など吐いていられない。これからもっときつい旅が待っているのだ。不安を押しやって手描きで描かれた地図の一点を指す。
「ここが町ですよね? どんな町かわかりますか?」
「申し訳ないのですが、この町はボストニア国の領地でして行ったことがないのです」
「ボストニア国って確か同盟国の?」
「はい。ですが同盟国と言っても特別関係があるわけではなく、互いの領地への不可侵略を協定しただけですが……。お互い似た気候や土地柄なために狙う利益はないのでしょうね。今代の王はどちらも争いを好むわけではありませんから」
ぽんっと、あの気弱そうだが腹に一物抱えた王様が思い出された。たしかに武力で殴り込みよりは知能で攻めそうだ。うんうん、と一人納得していると先ほどとは違うウエイトレスの女の子が料理を運んで来た。慌てて地図を片付けスペースを空ける。
「おまちどーさまです! あなた達初めて見る顔ね! 随分上等な服を着てるけど、上級冒険者の方かしら?」
採れたての果実のような橙色の髪を左上で括った少女は、人懐こい笑みで話しかけてきた。私が畳んだ地図と私たちの格好から推測したのだろう。私もシュルトさんも、冒険者に見えるよう王宮から支給された服を身につけている。ただ、そこはやはり王宮と言うべきか、上級冒険者が纏うような上質なものだ。
「ええ、まあ。そんなところです」
「そ……そうなの。最近魔物が増えてるから気をつけてね……!」
シュルトさんが微笑めば、彼女はそばかすの散る頬を上気させながらも料理をテーブルの上に置いてくれた。そしてありがたい忠告とともに厨房へ逃げるように戻ってしまった。
「貴重な情報でしたね」
「まあ、そうです……ね」
何もなかったかのように振る舞うシュルトさんはさすがだと思う。慣れって恐ろしい。
「さて、いただきましょうか」
「あ、はい。……いただきます」
皿に盛られたパンに手を伸ばす。簡単につまめるもの、と言ったらこちらの世界では果実や堅めのパンなどが主流だ。理由としては手が汚れないだとか作りやすいとからしい。因みに貴族などは焼き菓子やサンドウィッチみたいに少々手の込んだものが多いと教えられた。
クロテッドクリームをパンの表面に塗り、クロロの実とラズラリーの実を混ぜたジャムをさらに投下する。甘酸っぱい果肉が残るジャムは私のお気に入りだ。どんな環境でも育つクロロの実は、果実農家でなくとも育てているところは多いため、味の良し悪しはあれど簡単に手に入る。他の果実に比べ酸味が弱く、ラズラリーの実との相性も良いことからジャムに最適なのだ。
もぐもぐと甘酸っぱいジャムを堪能しているとざわざわと入口の方が騒がしくなった。なんだと視線を向けてみれば、あからさまに堅気ではない部類の厳つい男達がウエイトレスさんの制止も聞かずに空いている席に座り出す。
周りにいる冒険者達や町の人たちの迷惑そうな視線など意に介さず大声で注文を告げた。
「……あの人たちも冒険者なんですかね?」
声を潜めてシュルトさんに尋ねれば、困った顔をしながらも頷いた。
「ええ、おそらくは。それもかなり悪質な冒険者のようですね。ふむ、野良冒険者でしょうか」
「野良……冒険者?」
「組合に所属せず個人で取引する冒険者のことですよ。野良冒険者は様々いまして、組合の規則に縛られるのが面倒に思う者や、組合に持ち込めない依頼を専門に扱う者……あとはあまりに素行が悪すぎて組合を追放された者ですかね」
そこで納得した。彼等は一番後者なのだろう。大きく頷き、飲み物に手を伸ばそうとすると上に影ができた。なんだと思って見上げてみれば、先ほどの厳つい顔をした男達のリーダーらしき男がヤニ下がった顔で私たちを見下ろしていた。
「……なにか御用でしょうか?」
にっこりと極上の笑みでシュルトさんが相手を威嚇する。過剰な美しさはある種の恐怖を与えるのだと顔を青くし一歩後ずさった男を見て思う。
とりあえず無視して今度はラズラリーの実だけのジャムを投下し、二個目のパンに突入する。桃に似た甘さが口の中に広がって頬が自然と緩んだ。
ああ、口の中が幸せだ。
「ふふ。アンジェさんは本当に美味しそうに食べますね」
いつの間にか男は席に戻り、こちらを美しい顔で見つめるシュルトさんだけが残った。ゆるりと目を細め、嬉しそうに口元を綻ばせる彼は誰がどうみても女神に違いない。
「本当に美味しいですもん」
パンは瞬く間に私の胃袋に収まっていく。シュルトさんはこの前の食べっぷりとは打って変わって果実を摘む程度だ。私に遠慮しているのだろうか。
「シュルトさん、どうぞ」
ラズラリーのジャムを一口サイズのパンにたっぷり乗せ、彼の口元に近づけた。お皿がないので置くわけにもいかず、恥ずかしいが仕方ない。
シュルトさんは突然目の前に突き出されたパンに目を白黒させたが、理解したのか微笑んでパクリと食べた。微かに指に触れた柔らかい感触に頬が熱を帯びる。
「ふふ、ありがとうございます。それではこれもどうぞ。お口に合うと思いますよ」
優雅に笑む確信犯は、お返しとばかりに私の口元にフォークに刺さった果実を差し出した。黄色みの強いオレンジ色の果実は、マンゴルといい、名前の響きも味もマンゴーと酷似している。ただ食感は林檎に近い。
ちなみに私は大好きである。マンゴルのジャムもあればなあとは思うのだが、水分たっぷりなのがいけないのか、煮詰めると果肉がなくなる。まあそれもそれでジュースとして飲めて美味しいのだがーー
ーー食べるから押し付けないで!
現実逃避をかましていた私を催促するようにシュルトさんがぷにぷにと私の唇をマンゴルで突いてくる。これ以上やられては堪らないので、大口を開けて食らいつく。口を閉じた瞬間にするりとフォークが離れていき、目の前の紫水晶が悪戯っぽく輝いた。




