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らくごもの  作者: 桂正雀
12/13

再会と二人の過去

 「あっ! いらっしゃい、ひろくん」

 出迎えたのは、日焼けした顔に八重歯を見せる笑顔を浮かべた、引っ越してからあいも変わらない様子の茜でした。

 「今から夕ご飯の材料買いに行くけど、一緒に行く?」

 「ああ。いいぜ」

 「そか。じゃ、荷物貸して? 置いてくるよ」

 「ああ、頼む」

 茜は弘也を残すと、弘也の荷物を肩にかけて奥のほうへと小走りで駆けていきました。


 「ごめんね? 荷物、重いでしょ?」

 「気にすんな。家に泊めてもらえるんだからな」

 「お父さんの許可が下りたからねー。キミなら大丈夫だろうって」

 「……親父さんにも、礼を言っとかなきゃな」

 弘也は、買い物袋を持つ手を握り替えました。ずっしりと重さがのしかかるその手を肩に乗せ、担ぐように持ちます。

 「それにしても、あんなところにスーパーができるなんてな。思いもよらなかった」

 弘也と茜、それぞれの家がある方向へと別れる丁字路の、その合流点にある空き地に小さなスーパーが建っていました。

 「うん。規模は小さいけどね。近くなっただけでもありがたいよ」

 「……変わっちまったんだな、いろいろと」

 自分の今の家の姿を思い起こしながら、弘也は呟きました。その何かを見つめるような遠い目は、どこか哀愁を感じさせます。

 それから少しの間、二人はお互い声もかけず家へと歩いていきます。

 「……明日さ。遊園地、行ってみない? ほら、子どもの頃に行ったとこ!」

 二人の沈黙を破るように、茜が弘也の肩をぽんと叩いて言いました。

 「ああ、あそこか。確かマリンワールド、つったか?」

 「そうそこ! どう?」

 弘也と視線を交わしながら小首をかしげる茜。弘也は、そんな茜との約束を思い出しました。今度こっちに来たら一緒に遊ぶ。弘也が拒否する理由はひとつもありません。

 「ああ、いいぜ」

 弘也がそう言いながら首肯すると、茜は「やった!」と無邪気に喜んでみせました。

 (こいつは……茜は、全然変わらねぇな。今も、昔も)

 弘也はそんな茜を見て、弘也の心の中にはそんな安心感がこみ上げてきていました。


 「何年ぶりかなぁ。キミとこうやってここに来るのって」

 観覧車に乗った二人は、向かい合うような形で座りました。

 「さあな。六年くらいは経ってるだろ」

 「そっかぁ。もうそんなになるんだね」

 「ああ。お互いやりたいもん見っけだして、それからパッタリ、だからな」

 「……そう言えば、そうかも」

 茜は、うつむいたまま押し黙ってしまいました。

 それから茜は、真剣な顔で弘也を見つめます。その輝くような赤い瞳に、弘也の心臓は鼓動を増していました。

 「……ねぇ」

 「な、なんだよ……」

 弘也の照れたような顔を見て、茜は満面の笑みを浮かべて弘也の横腹をくすぐります。

 「隙ありっ!」

 「だっ、やめろバカ!」

 その一言で、茜は笑い声を上げながら弘也から離れました。

 「やっぱひろくん変わってないね」

 「るせぇ。ほっとけ」

 うつむきながらそうはき捨てる弘也を見て、茜は満足そうな笑みを浮かべていました。


 「あーっ! 今日は楽しかったぁ!」

 マリンワールドからの帰り、佐久良公園のベンチに座った茜は大きく背伸びをして見せました。

 「……俺も楽しかったよ、今日は」

 茜の横に座って前かがみになった弘也は、視線を地面に向けて呟くように言いました。

 もう日の入りも近くなっているこの時間、佐久良公園には弘也と茜の姿しか見えません。

 ほぼ散りかけた公園の桜が公園の外灯に照らされています。それは、弘也が引っ越す旨を伝えたあの日のロケーションと、ほとんど代わりがありませんでした。

 「……ねえ。二人がここで初めて会ったときのこと、覚えてる?」

 「当たり前だ。忘れてたまるかよ」

 小学生の弘也がこっちに引っ越してきたその初めての休日、弘也と茜は出会いました。相手をしてくれる友人もいるわけでなく、ただ一人ベンチに座っていた弘也に茜が声をかけたのが、二人の出会いでした。

 「右も左もわからねぇそん時、俺にここら辺紹介してくれたのもお前だった」

 「……正直言うとね、暗いやつだなぁって思ってた。最初はね」

 「無理もねぇよ、それは」

 (両親が死んじまって、途方に暮れてたからな)

 弘也は、口から出そうになったその言葉を飲み込みました。

 「でもいつの間にか打ち解けて、みんなと遊ぶようになって。楽しかったなぁ」

 「ああ。俺自身、学校の奴らとも仲良くなったつもりでいたよ。俺自身は、な」

弘也は、その腰を起こして、背もたれに寄りかかりました。そして、疑問を浮かべたような顔を浮かべている茜のほうを向き、更に続けます。

 「覚えてないか? 小学校の花瓶事件」

 「……うん、覚えてる。でもキミは悪くないよ」

 「あの時もそうやってかばってくれたよな、お前は」



 それは、弘也が小学校に転校して半年がたった頃の話です。

 音楽室掃除の担当だった弘也の班は、弘也を始めとするまじめに掃除をしていたグループと、大きくて太った、当時はガキ大将のような存在だった小川という子どもを始めとする遊んでいるグループの二つに分かれてしまっていました。

 「ちゃんと掃除しなきゃダメじゃんか! いつまで経っても帰れないよ!」

 弘也は、遊んでいるグループのほうに弘也は何度も注意をしていました。しかし、相手は聞いてくれるどころか弘也を邪険に扱う始末。そしてそのうち、それは起きました。

 「掃除、ちゃんとやってよ!」

 「うるさい!」

 遊んでいた人たちの頭たる小川が弘也を突き飛ばしました。そして……。

 ガシャン!

 弘也が戸棚に当たった瞬間、勢いあまって戸棚に飾ってあった花瓶が床に落ちて割れてしまいました。幸い破片は大きく、弘也に刺さるということはありませんでした。しかし次の瞬間、遊んでいたグループの人たちは、いっせいに弘也を攻め立てました。

 「あ、高橋君いけないんだ!」

 「先生に言っちゃうぞ!」

 「ちゃんと謝れよ!」

 次々に弘也にぶつけられる非難の声。クラス担当の先生がその部屋に駆けつけると、そのグループは更に増長してここぞとばかりに弘也を攻め立てます。

 「割ったのは僕だけど、でも悪いのはあっちだ!」

 「でも割ったのはお前なんだから謝れよ!」

 その言い争いは終わることを知らず、班の人たちに事情を聞き始めました。しかし、出てくる言葉は、弘也が悪いと決め付ける言葉ばかりでした。あまつさえ弘也と仲がよかった友人たちですら、弘也を糾弾する言葉を並べます。

 (何で、何でみんな……僕は悪くないのに、何で……?)

 両親を事故で亡くし、よくわからないところに連れてこられて、途方に暮れていた弘也を元気付けてくれた友人たち。それが、次々と自分を否定し、非難するような言葉を投げかける。弘也は目の前で繰り広げられるこの事態に、ただ涙をこらえるだけでした。

 「ほら謝れよ!」

 その言葉を発端に音楽室中に響き渡る「謝れ」コール。弘也が唇をかみ締めながら頭を下げようとしたそのときです。

 「先生、西のトイレ掃除終わり……どうしたの、ひろくん!」

 先生に掃除場所のチェックをしてもらうために呼びに来た茜が、弘也に駆け寄りました。

 「え……?」

 茜に指摘された弘也は、その泣きそうな目を茜に見せました。そして茜は、みんなに怒鳴りたてます。

 「ほんとのこと言ってよ! 嘘ついたらもう二度とクラスのお仕事手伝ってあげないよ! それでもいいの!?」

 しかし茜が何を言おうと、その劣勢は変わることはありませんでした。

 「先生、こんなの変ですよ! だって……」

 「もう、いいよ。これ以上あーちゃんには迷惑かけられない……」

弘也は半ば泣きそうな顔になりながら、唇をかみ締めて先生の前に立ちました。

 「先生。僕が、割りました。ごめんなさい……」

その頭を先生に向けて下げ、その場は弘也を中傷するような声が響きました。そして、ただ憐憫の目で弘也を見る友人たち。弘也の目から、涙がこぼれました。

 これが、花瓶事件の全容です。弘也は、このときから物が割れる音に苦手意識を持つようになったのです。



 「あん時は死ぬほどうれしかった。もうだめだって本気で思い込んでいたからな」

 「でも、結局力になれなかった……」

 「そんなことは関係ない。味方がいてくれたってわかっただけで充分だった」

 「……私もね、ひろくんに感謝してることが二つあるんだ」

 「え?」

 弘也は、怪訝な目を茜に向けました。

 「ひとつは、あの後にあたしが犬にかまれそうになった時、かばってくれたこと」

 「ああ、そんなこともあったな」

 「あのときのキミ、足がふるえていたのに、逃げようとしなくてさ。怖い思いをしたのにかばってくれて」

 「あん時はお前を守らなきゃって必死だった。俺をかばってくれた、お前だけはってな」

 弘也は、遠い眼をしてそう呟きました。

 「でも、それからなんだよね。キミが私と一緒に遊ばなく始めたのって」

 「ああ。俺が空手習いだしたからな」

 「ちょっと、さびしかったな」

 うつむいたままボソッと呟いた茜のその言葉に、弘也は動揺を覚えて茜の方を向きます。

 弘也の横顔を見つめていた茜と、視線がぶつかりました。茜は、弘也の顔を見つめてにっこりと笑みを浮かべます。

 「一緒に遊ぼうって声かけても、ごめんって言われることのほうが多くなって。あたしがキミの隣にいられなくなるような気がして、取り残されるような気がして」

 「……」

 「だからあたし、陸上始めたの。キミに振り向いて欲しくて。それが、いつの間にかおっきな夢になってた。だから、キミには感謝してる。どんな形であれ、夢を見させてくれたのはキミだから。これが二つめ」

 弘也を見つめるその赤い瞳から目をそらし、うつむきます。

 「……そんな、感謝されるようなことじゃねぇよ。夢を持って頑張ってるのはお前なんだから」

 弘也は、はき捨てるようにそう言いました。その言葉に一瞬だけ驚いたような顔を浮かべた茜ですが、すぐに口元に笑みを浮かべました。

 「そうかもしれない、でもね……」

 それから茜は、弘也のほうを見て口を開きます。

 「あたしが転校を決めた理由、わかる?」

 弘也は、茜の顔を見てはっとしました。茜は、いつかあの日この場で見たあの真摯な横顔そっくりの表情で弘也を見つめてきます。

 「……いや」

 「キミが引っ越した時は、キミとの思い出の地で頑張ろうと思ってた。でも、それじゃせっかくキミが見せてくれた夢を叶えられないんじゃ、って思ってさ。キミも東京で頑張るんだからっ、て……そう、思って……」

 茜の目から、ぽろぽろと涙がこぼれました。茜はそれを人差し指でぬぐいます。

 「……ごめんね、こんなつもりじゃなかったのに。明るいだけがとりえのあたしが変だよね、こんな……」

 泣いているのに笑っている茜の頭に、弘也は手を置きました。

 「泣くなら泣け。横、向いてるから」

 「うん、ありがと……」

 次の瞬間、茜は堰を切ったように涙を流しました。弘也は、ただそばで茜のすすり泣くような声を、背中越しに聞いていました。

 「ごめんね……もう大丈夫」

 「……そうか。なら、帰ろうぜ」

 立ち上がろうとする弘也の服の袖をつかみ、茜は「待って!」と呼び止めました。

 「約束、してくれないかな?」

 「約束?」

 「あたしの夢と、キミの夢と。両方の夢を叶えられたら、またここで会おうって約束」

 「……ああ、わかった。約束だ」

 「うん、約束だよ。絶対、絶対に」

 弘也と茜は、小指と小指を絡ませて『指切り』をします。茜の目には、まだうっすらと涙の影が見え隠れしていました。

 

 「悪いな、見送りまで」

 荷物を肩から下げ、弘也はバス停でバスを待っていました。隣には黒いスパッツに灰色のパーカーというラフな着こなしの茜が座っています。

 「ううん。楽しかったし、それに……」

 「ん?」

 「あたし、やっぱりキミの事が好きなんだなーって」

 弘也の横に座っていた茜は太陽のように明るい笑顔で、弘也に言ってみせます。そのルビーのように赤い瞳が弘也の姿を写していました。

 「なっ!?」

 弘也の頬が、一瞬でりんごのように赤く染まります。茜はそんな弘也の顔を見てくすくす笑い始めました。

 「ほんとにうぶなんだね、ひろくんは」

 「ほっとけ!」 

 茜から視線をそらすようにぷいっと横を向き、怒鳴りつけるようにそう言いました。

 「……確かに恋愛とかそういうことには自分でも疎いとは思うけどよ、今はなんつうか……気持ちの整理がつかねぇよ」

 弘也は頬をぽりぽりとかきながら口を尖らせ、そう呟きます。

 「いいよ、それでも。そう言うのも含めて好きだから。小学校の頃から、ね」

 茜も頬をほんのりと紅潮させながら、弘也の顔を見つめます。そのなんとない気まずさに、弘也は黙りこくってしまいました。

 「あっ、バスだ」

 そして、弘也の視界にバスが見えてきました。照れ隠しのように発したその声は一段と大きく、茜の笑いを誘いました。

 

 駅前行きのバスのドアが弘也の目の前で開けられました。弘也がそのドアの階段を上ろうとしたそのとたん。

 「待って!」

 茜のその声に反応し振り向いた弘也の唇に、温かい、やわらかな感触が感じられました。

 それが茜の唇であることが弘也に理解できるまでに、そう時間はかかりませんでした。

 「ファーストキス、しちゃった」

 思考停止状態に陥る寸前の弘也に茜はそっと微笑みかけ、弘也から離れてその手を振りました。

 「……じゃあね、バイバイ!」

 少し間を置いて茜がそう言ったその瞬間、ドアが閉まり、バスは駅へと出発しました。

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